82. ジガルデへのトキメキと過去の回顧と(3)
クィアシーナは、最早お腹いっぱいだった。
ジガルデの口から次々と出てくる過去の事実に、
理解する以前に、感情の整理がまるで追い付いていなかったのだ。
そんなクィアシーナの様子に気が付いたのか、ジガルデが慌てて声をかけた。
「あ、すみません、クィアシーナ嬢。
重い話が続いたので、疲れてしまいましたか?」
気遣うようにこちらを覗き込んでくるジガルデに、クィアシーナの気力は、ふっと息を吹き返した。
「全っ然大丈夫です! 続けて下さい!」
そして、この話が終わったら、絶対にあなたを推させて下さい――そう心に決めながら、改めて背筋を伸ばし、真面目に話を聞く姿勢を取る。
「そうですか?
もし、疲れたなら、話の途中でも遠慮なくおっしゃって下さいね。あとで飲み物でも買いに行きましょう」
キュン。
クィアシーナは思わず鼻を押さえながら、必死に平静を装って小さく頷いた。
「続きですが……」
ジガルデは穏やかな声で言葉を継ぐ。
「僕は忠誠まで誓っていたカロン殿下から心が離れてしまってました。
それと同時に、ガブリエラ嬢とも話が次第に合わなくなっていることも感じていました。
彼女もまた――カロン殿下と同様、貴族主義に傾き始めていましたから」
ここで、クィアシーナが口を挟んだ。
「……今のガブリエラさんは、昔中立派であったことが信じられないくらい、厳格に身分制度を絶対としています。
彼女もまた、教育係の影響を受けたということなのでしょうか?」
ずっと胸に引っかかっていたことだった。
原因はわかった。
彼女の思想を確固たるものにしたものとは、一体?
しかし、クィアシーナの問いに、ジガルデは首を振った。
「いいえ。彼女は、誰の影響でもなく、自分自身で貴族主義の道を選んでいったんです」
「……」
クィアシーナは、何も言葉が出なかった。
「普通、彼女と同じ立場であれば、
軽蔑や失望といった感情は、父親へと向けられるものでしょう。
――けれども、彼女はそうとは考えなかった。
父親を誑かした、“平民こそが悪”。
そして、高貴な父を平民と出会わせた環境そのものが悪なのだと、
彼女は思い込むようになっていったのです」
ジガルデの口から、当時のガブリエラの姿が語られた。
リンスティーの母親に向けては、
死してなお父を頼る卑しさを。
リンスティーに対しては、
平民の血が混じりながら王城に上がる、
弁えを知らぬ態度を。
そして、身分平等を謳う王立学園という制度そのものの、
存在意義を。
そうした全てを呪うように語るかと思えば、
今度は、ラスカーダの身分制度をより厳格にせねば、自分と同じ不幸を背負う貴族が現れるのだと、大層な大義を掲げて熱弁する。
「それを聞かされるのは、いつも僕であり、そして――カロン殿下でした」
家族の誰一人として、彼女の味方になる者はいなかった。
同じ裏切られた立場であるはずの母親も、血を分けた弟でさえも。
孤立した彼女の意思は、次第に、そして確実に、硬質なものへと変わっていった。
貴族主義の令嬢たちと親交を深め、その思想を分け与えるほどに。
「もともと、従兄妹という間柄ということもあって、
ガブリエラ嬢は、次第に僕抜きでカロン殿下と頻繁に会うようになりました。
その場で、どのようなやり取りがあったのか――僕には分かりません。
けれども、同じ思想を持つ者同士。
彼らが確実に絆を深めていったことだけは、間違いないと思います」
「ガブリエラ嬢は、とても狡猾でした。
表立って貴族主義であることは決して公言せず、
あくまで“第一王子派”として振る舞っていたのです。
ご令嬢たちの間でも、自ら先頭に立つことはありませんでした。
ブリード家と並ぶ貴族主義の筆頭であるマクレン嬢を隠れ蓑にし、その裏で静かに、自らの思想を説いていく――
そうしたやり方で、貴族主義の拡散を図っていました」
クィアシーナが『害虫駆除』をしていたとき、リストの誰からも――自称貴族派のデリック・ミルナーを除いて――、ガブリエラの名前が出てこなかったのは、そういった経緯もあったのだろう。
「僕は、いくら二人から強硬な貴族主義を説かれても、自分の信念を曲げることはできませんでした。
カロン殿下が貴族院へ進学されても、僕はその後を追わず、当初から予定していたフォボロス学園への入学を選びました。
ブリード家からもまた、殿下の側に仕えるより、民衆派の思想を学ぶべきだと指示が出ていましたから」
そこで、ジガルデは一度言葉を切った。
「――そして、三年になったとき。
周囲からの推薦もあり、僕は生徒会長に立候補することになったのです」
(きた)
いよいよ、現在へと繋がる話だ。
ここまで心が離れていながら、なぜ彼が、なおカロン殿下の意向に従ってしまったのか。
その答えが、ようやく語られようとしていた。
「フォボロス学園の生徒会は、政治の実践の場とまで言われるほど、名誉と責任の重い役職です。
会長当選後、僕は、
貴族主義・第一王子派から四名、
一年の民衆派・第二王子派の家柄から三名を選びました。
本当は、もっと柔軟な人選をしたかった。
ですが、生徒会の構成は学園外――ひいては貴族社会からも注目されるものです。
余計な不平不満を生まぬよう、あれが、当時の僕なりの最善でした」
クィアシーナは、ジガルデを真っ直ぐ見つめて思う。
この人は、本当になるべくして会長に選ばれた人だったのだと。
ラシャトが言っていた。
報道する者として中立でなければならないはずなのに、それでも彼に当選してほしいと思ってしまった、と。
ダンの話では、実家からは第二王子派を取り込むよう指示が出ていたらしい。
だがそれも、彼になら可能だと判断されたからこそなのだろう。
「ですが、そこでカロン殿下が口を挟んできました。
この頃には、ほとんど接点もないほど関係性が希薄になっていたのですが、突然、彼のもとへ招集をかけられたのです」
ジガルデは、静かに続きを告げる。
「殿下の話は、こうでした。
『私に忠誠を誓っているのなら、フォボロス学園というラスカーダの縮図の中で、私の政策を試してほしい』と」
――なぜ、部外者であるカロン殿下に、そのような命令を受けねばならないのか。僕には、まったく理解ができませんでした。
それほどのことを望むのであれば、ご自身がフォボロス学園に進学し、自らの手で試せばいいだけの話です。
それを、都合よく僕に代弁させるなど――
いくら殿下の言葉とはいえ、そんな“遊戯のような命令”に従うつもりはありませんでした。
ですが……」
言葉を切り、ジガルデは力なく項垂れた。
「気付いたときには、学園は……ひどい有様になっていました」
「!?」
「確かに、自分の意識はあるんです。
ですが、なぜか抗えない。
自分の意図に沿わない行動を、取ってしまうのです。
最後の方は、最早諦めていました。
誰かに止めてもらえないか、そう思いながら、過激な振る舞いを、自ら選んでいるように見せていました」
静かな声が、胸に重く落ちる。
「結果、第二王子派の一年の三人……
ドゥラン君、ビクター君、マグノリアン君が動いてくれて、私は会長から罷免されました。
そしてダンテ殿下が会長となり、私は学園を去ることになった。
――学園としては、平和を取り戻したのです」
「ダン君の話では、カロン殿下に忠誠を誓っていたから、従わざるを得なかったということだったんですが……
その、本当は、精神魔法の影響だった、ということでしょうか?」
クィアシーナは言葉を詰まらせながら、静かに尋ねた。
その問いに対し、ジガルデは肯定の言葉を口にする。
「ええ、そうです。忠誠に従い、殿下の指示に沿って行動するような……そんな“暗示”をかけられていたんです」
彼は抗おうとした。
しかし、“作られた忠誠心”によって、従わざるを得なかった。
――聞けば聞くほど、やるせない気持ちになってくる。
「一年近くたった今、ようやくこうして自分の考えを話せるようになりました。
それまでは、特に学園を去ったあたりの僕は、まともに会話をすることすら難しくなっていたのです。
精神魔法というより、ほぼ呪いと言っても過言ではないでしょう……。
今は自分でその魔法の解析を行っているところです。まだ少ししか進んでいませんが」
力なく笑うジガルデの表情を見て、クィアシーナの胸に、なんとも言えない感情がこみ上げた。
たまらず、声が零れる。
「……お辛かったですよね」
意識はあった――というところが、なおさらたちが悪い。
自分の意図に反しながらも、確かに自分の手で学園が崩れていく光景を、見続けなければならなかったのだから。
「それに……悔しかったですよね」
きっと、やり切れなかっただろう。
学園を良くしようと、皆の期待を背負って会長になったというのに、周囲からは心ない言葉を何度も浴びせられたに違いない。
家族ですら、彼の姿に失望したと言っていたのだから。
「……そんな、あなたが泣きそうな顔をしないでください」
気付けば、目に涙が溜まっていた。
もし自分が彼の立場だったなら、それこそ、消えてしまいたくなるほど、苦しかったに違いない。
ジガルデからそっと差し出されたハンカチを受け取り、涙を拭う。
「すみません、ありがとうございます。きちんと洗ってお返ししますね」
こんなときでも紳士の対応をしてくれるジガルデに、クィアシーナの胸が熱くなる。
彼は柔らかく微笑みを返し、そして静かに告げた。
「……いくら魔法の影響を受けていたとはいえ、一度やってしまったことは、取り返しがつきません。
僕がやったことは、当時の在校生たちに、消えない傷を残してしまったことでしょう」
少し間を置いて、続ける。
「そして、ダンから聞いた話では……
ダンテ殿下は、その頃の再現をしているかのようだと。
――それも、ガブリエラ嬢と、ともに」
ジガルデはクィアシーナをまっすぐに見据え、口を開いた。
「最初に、あなたに問われたことにお答えします。
――ダンテ殿下は、魔法の影響を受けている可能性が高い。僕も、そう考えています」
思わず目を見開いた。
(やっぱり、あの呪詛は解けてなどいなかったんだ)
「あの、ジガルデさんは、あなたに魔法をかけたのは、カロン殿下本人だと思いますか?」
クィアシーナはほとんどそうだと確信しつつも、彼に問いかける。
けれども、予想に反して、ジガルデは首を横に振る。
「いいえ。あまり知られていませんが――
カロン殿下に魔法の才はありません」
「え?」
「彼はエスロダの血が色濃く出ていると言いましたよね?
かの国の国民は、魔力無しが当たり前です。きっとカロン殿下も、その血の影響が出てしまったのでしょう」
「じゃあ……」
「証拠はありません、けれども、僕は確信しています。僕に魔法をかけたのは、
ガブリエラ・シュターグ。彼女の仕業だと」




