79. 予想外の人物との遭遇
あの後、「二度とここには来ません」と宣言し、寮の前で解散した。
制服は後日洗濯して、どこかのタイミングで学園で返却すると約束し、家が反対方向のルーベントとも別れる。
マグノリアンは、もうバイトの時間が迫っていたらしく、少し慌てていた。
「やっべ、はやく髭剃って寝ぐせ直さねぇと……」
呟く言葉もザ・庶民。
頭をぼりぼり搔きながら面倒くさそうにしている彼に、貴族の面影はどこにもない。
以前、マグノリアンには「勘当されて良かったね」みたいなことを言ったが、今度は一時的に勘当した父親にこそ伝えたい。
ご子息は平民たちに馴染み過ぎて、もはや戻れない位置まで来てしまったかもしれません、と。
さりげなく『学校との差がとんでもないですね』と伝えると、マグノリアンは『学校ではちゃんとしてるんだからいいだろ』と反抗してきた。
どうやら生活スタイルを正す気は微塵もなさそうだった。
男子生徒の制服を身に着けたまま帰路につくクィアシーナは、今度こそ気配を全力で消した。
こんな格好で歩いていたら、寮の暗黙ルールを知っている者に見られたら、さらに誤解を生むことになるからだ。
(誰にも、会いませんようにっ!)
振りじゃないぞ、本気だぞ、という気概で全力で寮から自宅へ戻る。
もう時間的に昼に差し掛かる頃だった。
街に出ようとしている人が通りをチラホラと行き交っているが、もちろんクィアシーナを気に留める者はいない。
――この一ヶ月で、気配消しの特技は確実にレベルが上がった気がする。
誰にも会うことなく無事に家へ帰宅し、すぐさま着替えて日用品の買い出しに行く。
この日の午後は、午前中のドタバタが嘘のように、穏やかに過ごすことができた。
◇
翌日。
今日はクィアシーナは朝から出かけることに決めていた。
家にいたら、昨日のように自分の住所を知っている者に押しかけ訪問されかねない。
そこで、前々から行ってみたかった、学園近くにある王立図書館に出向くことにした。
王立図書館はラスカーダ国で唯一の王立の公共施設であり、
王族に関する資料が国立のものより充実していることで有名である。
ここへきて自分の中で名前が急浮上している、カロン殿下のことについて、簡単でいいので調べておきたかった。
家を出て馬車を乗り継ぎ、図書館前で下車する。
キョロキョロと辺りを見渡し、それらしき建物を見つけた瞬間、思わず感嘆が漏れた。
「うわぁ……」
目の前に広がる建物は、どこか神殿のような、あるいは美術館のような厳かな外観をしていた。
フォボロス学園の講堂より大きく、教室棟よりは小さい。
すべてが石造りでできており、ドアや窓の外観には彫刻が施され、壁には細かな装飾が刻まれている。
(税金、かなぁ……あ、王立だから、王族のポケットマネーか……ラスカーダ国って金持ちだな)
思いついた感想は、建築・維持費ってどうなってるの、というしょうもないものだったが、その見事さに圧倒されたのは本当である。
今日は休日ということもあり、館内へ出入りする人の姿は多い。
図書館前は庭園のようになっているため、備え付けのテーブルと椅子で本を片手に腰を落ち着けている人も見受けられた。
自分が住んでいる学生街とはまた違った風景に、心が弾む。
さっそく入館しようと入口の扉を潜ると、すぐには中に入れず、料金の支払い窓口が見えた。
同じく王立であるフォボロス学園の生徒は、学生証さえ見せたら無料で入れるという特権を持っている。
もちろん、クィアシーナはこの特権を使うため、学生証を忘れずに持ってきていた。
チケットを渡す代わりにゲートで学生証を提示する。
係員はそれを一瞥すると、慣れた様子でクィアシーナを館内へと通した。
中へと入ったあと、すぐに蔵書コーナーに向かわず、館内を一通り見て回ることにする。
図書館独自の静かな雰囲気と本の独特の匂い、それに混じって声を落とした人の囁く声や物音が聞こえてくる。
ほんとうならサクサク歩いていくところだが、自然と歩くペースもゆっくりになる。
(――国立と違って、調度品がいちいち豪華)
足を踏み入れた瞬間、ここは本当に図書館?という疑問が頭に浮かぶ。それくらいに、中の様相が国立の無機質なものとは異なっていた。
まず、入ってすぐにある中央階段の踊り場に、
現国王陛下の肖像画がでかでかと鎮座し、本棚のない窓壁の横には歴代王族の式典の様子や、建物の絵が飾られている。
絵だけでなく、中二階の部分には王族が所有している美術品や初代国王の手記の一部の展示など、まるで博物館のように本以外のことでも楽しめるよう工夫されていた。
入館料を取るのも、なるほど納得である。
どの階の壁際にも、落ち着いて本が読めるように、座り心地のよさそうなソファがあちこちに点在している。
もちろん、奥には机と椅子のスペースも設けられており、メモを取りながらじっくり、といった使い方もできるようになっていた。
一通り館内を歩き終えたときには、まだ本を探してもいないというのに、それなりの時間が経っていた。
一口にカロン殿下の情報、といっても、正直なにから手を付けていけばいいのかわからない。
――餅は餅屋に聞け、だったか。
遠い国の諺を思い出し、カウンターにいる司書に相談にいった。
「あの、今の国王一家のことが書かれている書籍が見たいんですが。第一王子殿下の記述があるような……そんな感じのものを探してます」
自分で言っておいて、あまりにもふわっとした内容に、司書の人を困らせてしまうかも、と一瞬懸念する。
「かしこまりました。お客様のお知りになりたいものでしたら――このあたりですね」
しかし、そこはさすが王立施設の職員である。
クィアシーナの広すぎる要望にも的確に答えを返し、棚番号と書籍名をいくつかメモに書いて教えてくれた。
メモを頼りに持ってきたものは、最新版の歴代王族年表と系譜が纏められたもの、王族史、そしてゴシップ寄りの王族ファミリーの雑誌、それから――
一般雑誌のダンテ殿下特集号。
最後の一冊は、完全にクィアシーナの趣味である。
王立の厳かな空間におおよそ似つかわしくない一見低俗にも見える雑誌は、様々な人の手で読まれたのであろう、薄めの表紙の端が傷んでいた。
(まずは息抜きからだよね)
ラスカーダで人気の舞台俳優や歌手を差し置いて、ダンテがトップで特集が組まれている。
王族として軽薄な行為にも見えたが、そもそも彼は民衆派だったことを思い出し、学園外では公務に加えてこんなこともやってたんだなぁと納得する。
日付はもちろん、少し前のもの。
今のダンテでは引き受けることなんてしないだろう。
ページを捲ると、なんと六ページに渡って、彼の写真とインタビューの様子が載っていた。
まるでファンクラ部の会誌並みの熱量である。
写真はキラキラした笑顔から真剣な様子でインタビュアーと受け答えするものまで、被ることない彼の表情に、編集者の意地をみた気がした。
――それほどまでに、当時の彼は人々を惹きつけていたのだろう。
ラスカーダの時事に弱い自分が、第二王子であるダンテのことだけは顔も名前も知っていたのも、彼が民衆に開けた広報活動をしていたためでもあったのだと、このとき初めて知ることになった。
(さて)
気を取り直して、写真や絵は一切ない、厚く大きな一冊に手を付ける。
はっきりいって、持ってくるのが躊躇われるくらい重かった。
ラスカーダの歴史は古い。一冊に纏めきれないくらいの情報がこの国には存在する。
それでも、年代ごとに詳細がまとめられた最新版の一冊を選んだ。
ごとん、と音が鳴りそうなくらい立派な表紙を捲ると、折り畳まれた王族の系譜が出てくる。
もちろん、初代から辿れば一日では終わらない。
現国王陛下の二世代前までが記載されている部分に着目し、目を通していく。
最初に目に付いたのは、ダンテの名前。
現国王陛下と王妃リツェラの間に生まれた第二子。
彼の前には、第一子であるカロン殿下の名前があった。
中のページを捲ると、国王陛下や王妃殿下の生まれや育った環境、学び舎などが年代ごとに事細かに記されている。
公式なものらしく、事実のみが記載され、説明に著者の見解など余計なものは一切ない。
歴史の教科書の年表よりも、簡潔だといえる。
(うーん……
知ってたけど、二人は異父母兄弟なんかじゃくて、しっかりとした血縁関係にあるんだよね)
第一子王子は貴族主義、第二子王子は民衆派と、思想の違いは血縁関係にあるのかも?と疑ってみたが、どうやらその線は万が一にも無さそうだった。
続いて王族史を手に取るが、こちらも大した情報は載っていない。
よくよく考えれば、まだ学生に毛が生えたカロン殿下や、現役の学生であるダンテよりも、国王陛下に焦点をあてるのは至極当然のことだった。
最後は王族ファミリーの雑誌である。
表紙には、現国王と王妃が寄り添い合って立つ、仲睦まじい様子の写真が使われていた。
手早くページを捲っていくと、家族全員の写真が載っている箇所に行き着く。
中央の椅子に陛下と王妃が、その後ろにダンテと、カロン殿下と思しき男性が立っている。
クィアシーナは、初めてお目にかかるであろうカロン殿下の顔をまじまじと眺め――そして、気付いた。
(びっくりするくらい似てないな)
国王陛下が豊かで混じり気のない金髪で、王妃殿下は色素の薄い白金の髪色をしている。
瞳の色はこの写真からは判別できないが、他のページの大きく写っている写真から、陛下は深い青、王妃は淡い碧の瞳であることがわかった。
中性的で華やかな顔立ちのダンテは、ほとんど母親似だ。
髪色こそ陛下にそっくりだが、柔らかな表情を含め、その面影は王妃殿下によく似ている。
対して、カロン殿下といえば。
黒に近い焦げ茶色の髪色。
ほかの家族がふんわりとした髪質なのに対し、彼だけが根元から細かなカールのかかった硬質そうな髪をしていた。
瞳の色は、濃くも薄くもない茶色。
クィアシーナがそうであるように、この国の平民のほとんどが持つ色だ。
顔立ちも、凛々しく厳しい陛下にも、華やかで柔和な王妃殿下にも似ていない。
全体的に彫りは浅く、細い切れ長の目が、いっそう異質な印象を与えていた。
(これって、先祖返り?)
あまりにも異なる容貌に、先祖返りの線を考える。
なぜなら、クィアシーナには、彼の容姿に見覚えがあったからだ。
昔、家族とともに国を転々としていた頃に通っていた、治安の悪い学校。
――南東に位置するエスロダ国の学生たちは、彼と非常によく似た容姿をしていた。
クィアシーナは慌てて、先ほど流し読みした王族史を読み返す。
すると、先々代の王妃が、エスロダ国から嫁いできた人物であることが記されていた。
「あ……」
(養子の、記述だ)
先々代王妃の出身国であるエスロダ国は王権制ではない。
周辺諸国が王政を敷く中、古くから議会を中心とした政治を行ってきた民主主義国家である。
貧富の差こそあれど、貴族や平民といった身分制度は存在しない。
極端に言えば、“全員が平民”なのだ。
王族史によれば、彼女はラスカーダとエスロダの国交強化のため、当時の議会を代表する家の令嬢として嫁いできたとある。
ほとんど姫君のような存在だったが、身分制度が今よりも厳しかった当時、外聞を整えるためだけに、一度ラスカーダ国の公爵家に養子として迎え入れられ、その身分を得た上で王妃となったらしい。
クィアシーナは再び王族ファミリーの雑誌に目を戻した。
慌てながらページを捲り、王子たちのプロフィールがどこかに載っていないか、隅々まで確認していく。
(あった!)
小さな文字で、カロンとダンテの二人の紹介が記載されていた。
生年月日、幼少期の過ごし方、それから学歴まで――。
ダンテは、王立フォボロス学園に在籍し、隣国ザイアスのダンドリアス校にも留学したことが載っている。
一方、カロンは私立の貴族院を卒業し、現在の主な公務について記載されていた。
さらに、同じ列にこんな一文もあった。
『エスロダ国へのご留学経験有り』
クィアシーナは思わず頭を抱える。
(民主主義国家に留学までしてるのに、なんで彼は貴族主義なんだ……)
貴族主義の彼が、視野を広げるために思想の異なるエスロダに留学したのか。
それとも、もともと主義思想は持たず、エスロダで民主主義を学んだ結果、考えの相違から貴族主義になったのか――。
(全然わかんない)
いったん思考を放棄して、クィアシーナはカロン殿下の写真を眺めた。
あまり笑顔は得意ではないのか、王と同じく表情は硬い。
先ほど本棚で本を探していたとき、カロン殿下の特集が組まれた雑誌がないかも確認してみたが、そのようなものは一冊も置かれていなかった。
ダンテとは違い、民衆の場に姿を現すことはほとんどないらしい。
それは公務内容にも表れている。
ダンテが公共施設の視察や孤児院への慰問を行っているのに対し、カロン殿下が担っているのは外交対応や社交界の取り仕切りなど、一般庶民とは接点のないものばかりだった。
それが彼自身の選り好みなのか、あるいは王子たちの役割分担として定められているのかはわからない。
けれど――
彼の知名度が低い理由は、きっとそこにあるのだろう。
「はぁ……」
これ以上考えても、ただの憶測で終わる気がした。
ひとまず、カロン殿下の顔やルーツを知ることはできた。
そう自分に言い聞かせ、取ってきた本をすべて返却しに向かう。
元の棚へ一冊ずつ本を戻し終えると、せっかく来たのだからと、他のコーナーにも足を伸ばすことにした。
王立図書館の蔵書といえば、王家にまつわる堅苦しい歴史書ばかりだと思っていたが、実際はそうでもない。
王族の中でも芸術に傾倒した人物が書き残した小説や、王城建築の変遷、城下町の移り変わりをまとめた資料など、意外にも親しみやすい内容の本が数多く並んでいた。
そんな中でクィアシーナの目を引いたのは、
『ラスカーダと友好国の特産品』という一冊だった。
(……なんとも気になるタイトル)
そのまま借りることに決め、貸し出しカウンターで手続きを行う。
なんと、フォボロス学園の生徒であれば、王立図書館で借りた本を学園図書室に設置された専用返却口から返却できるらしい。
わざわざここまで足を運ぶ必要がないというのは、なんともありがたい制度だった。
貸し出しの手続きを終え、カウンターから踵を返したそのときだった。
すっかり手元の本に気を取られ、前方への注意が完全に抜け落ちていた。
――どんっ。
鈍い衝撃とともに身体が弾かれ、クィアシーナは思わず声を上げた。
「うわっ」
両手に本を抱えていたせいで受け身が取れず、そのまま後ろへと吹き飛ぶ。
次の瞬間、尻もちをついた衝撃が床越しに伝わった。
「いたた……」
「す、すみません。あの、大丈夫ですか?」
顔を上げると、目の前には慌てた様子で腰を屈める青年の姿があった。
クィアシーナよりは少し年上で、なかなか大柄な体格をしている。
相手の体重がある分、大半の衝撃をクィアシーナが受けることになったらしい。
「あ、大丈夫です。こちらこそ、ぶつかってしまってすいません。よそ見してました……」
「あの、よろしければ」
そう言って、彼はふくふくとした掌を差し出す。
その仕草はとても自然で、卒がない。
――間違いなく貴族の人であることが伺いしれた。
せっかく差し出された手を無碍にもできず、
「ありがとうございます」と言って、クィアシーナはその手を握った。
青年は驚くほど軽々と彼女を立ち上がらせると、
「失礼しました」
と、女性の手に触れたことを詫びるように、丁寧に頭を下げた。
「いえ、こちらこそ……ほんとうに、すみませんでした」
クィアシーナも慌てて頭を下げる。
しかし、
「いえいえ。お嬢さんを転ばせてしまって……紳士の風上にもおけません」
そう言って、今度は彼のほうが深々と腰を折った。
――なんとも物腰の柔らかい人だ。
茶色の髪と同じ紅茶色の瞳は穏やかで、
体格と同じく、ぽっちゃりとした丸い顔立ちはどこか安心感を覚えさせる。
ふくよかであるものの、その身なりは大変綺麗に整えられており、清潔感の溢れるシンプルな装いをしていた。
ふと、青年の視線が、首から下げていたクィアシーナの学生証へと向く。
「ひょっとして……フォボロス学園の生徒さんですか?」
「はい。フォボロス学園の一年生です」
「ああ、そうなんですね。じつは、僕の弟もフォボロス学園に通っているんですよ。
あなたと同じ一年生で……もしかしたら、クラスメートかもしれませんね」
「弟さんが、ですか? よろしければ……お名前を伺ってもいいですか?」
転校して一ヶ月が経つが、クィアシーナが知っているのは、Dクラスの面々と、リストに載っていた貴族主義の生徒くらいだ。
聞いたところで分からないだろうとは思ったが、興味本位で尋ねてみた。
すると青年は、ほんの少しだけ首を傾げ、穏やかな声でこう答えた。
「ダン・ブリードです。ご存知でしょうか?」
その瞬間。
クィアシーナは、思わず顎が外れそうになった。
ダン・ブリードを弟に持つ人物など――一人しかいない。
(この人畜無害そうな紳士が、ジガルデ前会長……!?)
あまりにも予想外の遭遇に、
驚きと興奮がごちゃ交ぜになり、全身をぞくりと震えが走った。




