71. 第一回、メンズ会
「こんな狭い建物に、何人もが暮らしてるだと!?」
「靴のまま入るな? 僕にここで靴を脱げというのか」
「部屋はどこにあるんだ? ここは物置だろ?」
クィアシーナは今、ダンを連れて自分の家に帰ってきていた。
家に誘ったのは自分だが、まさか公爵家の坊っちゃんが庶民の家に本気で来るとは思っていなかった。
ちなみに、家まで送ってくれたブリード家の馬車は、アパート近くに停車中である。御者の人も、いい迷惑だろう。
「ここが部屋。庶民の一人暮らしの家なんてこんなもんだよ。
あと、掃除が大変だから、うちは土足厳禁。
ソファなんてないから、ベッドにでも腰かけといて。
あ、杖はその辺に適当に置いてていいから」
公爵家令息に対するものとは思えない雑な扱いに、ダンはあからさまに怒りを顕にした。
「おまえ、さっきから適当すぎないか!?」
「ここは私の家。私が主なの。上がり込んだのはそっちなんだから、ちゃんと従ってね」
自分から誘っておきながら、「上がり込んだのはそっち」と中々に理不尽なことを言っている自覚はあったが、構ってはいられない。こっちは準備に必死だ。
ダンは躊躇いを見せながらも、ベッドに腰を落ち着ける。
本当に、素直なものである。
しかし座った瞬間、また彼の大げさな声が飛んできた。
「!? なんだ、この壁一面の武器や防具たちは!?」
「インテリアだよ。実用的だし、オシャレでしょ?」
クィアシーナの護身グッズは、シンプルなこの部屋の唯一のおしゃれポイントである。
そこに目を付けるとは、ダンもなかなかお目が高い。
「おまえ……こうして男女で二人きりになることに、危機感を全くもってないと思ってたが、何かあったら反撃が可能だったからなのか……」
「え? 危機感? 反撃か……、考えたこともなかったけど、確かにできるね。
でも、公爵家のご子息の節度を信じておりますゆえ」
「……」
クィアシーナは、ダンが話しかけてくることに適当に返事を返しながら、お茶の準備と軽い軽食の用意を進める。
今から腹ペコ男子のリンスティーが来るのだから、準備は必須だった。
「あ、ダン君もお茶いるよね?
きっと飲んだことない安い茶葉の味だと思うけど、無難に美味しいよ」
「……いただこう」
ダンは最初こそ挙動不審に周りをキョロキョロと見渡していたが、部屋は狭く、物もほとんどない。
一通り眺め終わると、暇になったのか、せっせとお茶の準備をするクィアシーナを興味深そうに見つめていた。
「庶民の生活は、平民の部員からどんなものかを聞きかじってはいたが、こんな感じなんだな」
「そうだね。逆に私も貴族の生活はなんとなく知ってるけど、実際に見たことはないや。
どう? 自分の目で見てみて」
「……平民はなんでも自分でやらないといけないから、部屋は狭いほうがちょうどいいことがわかった」
てっきり否定的な感想を言われると思っていたので、その言葉を聞いて、思わずクィアシーナは破顔した。
「満点の回答だね」
以前、彼に階段から突き落とされそうになったとき、直情型で平民を毛嫌いしているタイプかと思っていたが、そんなこともないらしい。
――だからこそ、彼を含む貴族主義の人たちが、なぜ前々から嫌がらせを続けてきたのか、真意を知りたかった。
「それで、返事のほうはどうなんだ?」
淹れたてのお茶を差し出すと、ダンはそれを受け取りながら、早速話を切り出した。
「その前に、貴族主義の人のことについて、話を聞かせてほしいの。返事はそれからかな」
クィアシーナの突然の条件提示に、ダンは不満気に顔を歪める。
こうして表情にすぐに出てしまう彼は、間違いなく交渉には向いていない。
「話が違うじゃないか!
おまえが引き受けてくれたら、とっておきの情報をくれてやると言ったのは、こっちなんだぞ!」
自分が優位に立っていると思っていたのに、それを覆されてしまったからか、ダンは憤りを顕にする。
「何も違ってないから。私は私が知りたい情報を聞いて判断する。それがダン君の言ってる"とっておきの情報"と同じだとは限らないでしょ?」
「……」
目の前のダンは、悔しさが身体から滲み出ていた。
黙って座っている部分のシーツをぐっと握りしめている。
シワになるのですぐにやめてほしい。
と、そこへトントンと扉をノックする音が聞こえ、二人は玄関の方を振り向いた。
「あ、やっと来た」
「え、誰か来客が来るのか!?」
「ごめん、言ってなかったっけ?」
ダンはリンスティーが来ることを伝えてもらっていると思い込んでいたが、確かに「家に帰る」としか言っていなかったことを思い出す。
「ちょっと待ってて。ちょうどいいから、一緒に交渉のテーブルについてもらおう」
クィアシーナはそう言うと、ダンをいったん放置し、玄関へ向かって待ち望んでいた人を迎え入れた。
「お疲れ様です」
扉の向こうには、昼休みに会ったばかりのリンスティーが、少し申し訳なさそうな顔で立っていた。
「ごめん、遅くなった」
「いえいえ、どうぞお上がりください」
クィアシーナが促すと、リンスティーは足元に置かれたダンの靴を見て、その場で一瞬、動きを止めた。
「……中に誰かいるのか?」
眉根を寄せ、低い声で尋ねてくる。
「はい、一人、友人が。本当にいいタイミングで来てくれましたね!」
クィアシーナは、あからさまに表情を変えたリンスティーにまったく気づくことなく、彼を部屋の中へと招き入れた。
「……!!?」
部屋に入ってきたリンスティーの姿を見て、ダンは驚愕の表情を浮かべ、大袈裟に後ろへ仰け反った。
対するリンスティーも、中にいるのが予想外の人物だったようで、ダンの姿に驚いた様子を見せる。
「り、リンスティー様っ!? どうしてこんなところにいらっしゃるんですか!?」
最初に口を開いたのは、ダンだった。
「それはこっちの台詞だ、ダン君」
ダンの問いかけに答えるリンスティーの声は、なぜか冷えたものだった。
部屋の温度が下がったことに気づいたクィアシーナは、「あれ、この二人、そんなに仲良くない?」と瞬時に察した。
(やばい、二人の相性とか細かいこと、なんも考えてなかった)
「同じ公爵家だから、やっぱり面識はあるんですね~。よかったー……はは」
あえて気づかぬ振りをして誤魔化すも、ダンとリンスティーから同時に「誤魔化すな」といった視線を向けられてしまう。
仕方なく、クィアシーナは自分の定位置の椅子をリンスティーに譲り、立ったまま事情を話すことにした。
「帰りに、待ち伏せしていたダン君に捕まってしまいまして。
それで、彼に頼まれごとをされたんです。
でも、早く帰らないとリンスティーさんが来ちゃうと思ったので、返事を保留にして、そのまま彼をここに連れてきたってわけです」
自分ではうまく説明したつもりだったが、なぜかリンスティーからは呆れた目を向けられてしまった。
「自分を殺そうとした相手を家に連れ込むなんて……」
リンスティーがぼそっと呟いた言葉に、ダンは慌てた様子で言い訳を始めた。
「殺そうとなんてしてません! ただ、あのときは、ちょっと脅してやろうとしただけで……!」
脅すつもりで階段の上から猛ダッシュでぶつかろうとしていたなんて、どう考えても人として想像力が欠如している気がしてならない。
けれど、こんなところでツッコんでいたら先がもたない気がしたので、黙っていることにした。
クィアシーナはスルーすることにしたが、リンスティーはそれを流すことができなかったらしい。
「ダン君、一応この話はダンテの耳にも入っている。けれども、クィアシーナの温情で、君には何のお咎めもないことを、ゆめゆめ忘れるなよ」
リンスティーの初めて聞くような物言いに、クィアシーナは珍しいと驚いていたが、一方のダンは顔面を蒼白にしていた。
「は、はい……彼女の寛大で慈悲深い心に、きゃ、きゃん謝しています……」
(本心から思ってるなら、噛むなよ!)
ダンス部のみんなが、ダンと接するとツッコみたくなる衝動に駆られると言っていたが、その通りだった。
「ところで、なぜリンスティー様がこんなところに?
いくら彼女とは元生徒会の仲間同士とはいえ、こんな庶民の学生街に、おひとりでなんて……ひっ」
リンスティーがダンに向けて鋭い視線を送り、言葉を封じる。
美人の睨みは、はっきり言って、めちゃくちゃ怖い。
「……むしろ、公爵家の箱入り息子の君が、私の癒やしの場にいることの方が、こちらからしたら不思議でならないんだが?」
「え、癒やしの場?」
クィアシーナは、(おいおい、初耳だよ)と、思わず口を挟んでしまう。
それにしても、貴族としてのリンスティーの言葉が新鮮で、この人はどれだけ器用なんだろうと思った。
お姉様としての彼、平民として生まれ育った彼、みんなの王子としての仮面を被った彼、そして貴族としての彼――。
クィアシーナが密かに感心している間に、ダンがぽつりぽつりと弁明を始めた。
「それは、彼女が僕のお願いを引き受けてくれなくて……。
でも、彼女をどうしても説得したくて、ここまで付いてきたんです。
彼女がうんと言ってくれたら、僕はすぐにでもお暇するつもりでいます」
「ちょっと待ってダン君。それは、私がさっき尋ねた質問に答えてくれたら、考えてあげるって話だったよね?」
話が長くなりそうだと感じたクィアシーナは、無意識にダンが座っているベッドの隣に腰かけた。
「おい、変われ」
突然、リンスティーが口調を乱し、ダンに顎を向ける。
「え」
「おまえはこっちに座れ。俺がそっちにいく」
そう言ってリンスティーはクィアシーナの横を陣取り、ダンを椅子へと追いやった。
「え? え?」
突然のポジション替えにおろおろするダンを無視して、リンスティーは続ける。
「で? お願いごとって?」
「あー、なんか、元の学園に戻してくれって……」
クィアシーナは、急なリンスティーの配置換えに疑問を抱きつつも、なんとなくそこには触れてはいけない気がして、ごく普通に受け答えをした。
「ふーん?」
リンスティーはその答えに目を細め、ダンに向き直して言った。
「それで、人に頼む前に、おまえは何かしたのか?
言い訳はいらねぇから、『はい』か『いいえ』で答えろ」
リンスティーは、もはや取り繕うのをやめてしまったらしい。
貴族らしい丁寧さが抜け、いつもの雑だが圧のある言い方で、ダンに詰め寄る。
ダンは彼の態度に明らかに怯え、背筋を伸ばして勢いよく答えた。
「はい! じ、自分なりにガブリエラ嬢に抗議をしてみました!
ダンテ殿下にも、面会を求めました!
結果については、触れないでいただけるとありがたいです!」
先ほどクィアシーナにも説明した内容をリンスティーに告げると、
彼はその答えに目を丸くした。
「なんだ、やることやってるじゃん」
「まったく同じことを、私もさきほど思いました」
彼は自分でも行動したうえで、藁にもすがる思いでクィアシーナに相談してきた。
それはわかる。わかるのだが……。
「元に戻すって、具体的に何をすればいいんだっけ?」
きっと新制度ができる前に戻してほしいという意図だと思うのだが、万が一齟齬があってはいけないと確認する。
「何って、ダンテ殿下が復学される前の、平和な日常を取り戻してほしいんだよ!
僕はもう反省文は書きたくないし、息が詰まりそうなんだ!」
ダンの切実な訴えに、リンスティーが噛みつく。
「おまえさ、平和な日常って、どの目線から言ってんだよ。
クィアシーナが、どれだけおまえら貴族派から攻撃を受けてたと思ってんだ。あ?」
「す、すみましぇん……」
クィアシーナは、ダンのあまりの怯えように、彼が粗相をしないかと、思わず心配になった。
残念ながら、この家に男性物の着替えはない。
「リンスティーさん、あまり脅さないでください。
私も彼らとは、ちゃんと“平和的解決”で――互いに……
いえ、私が納得する形で終わらせていますから」
現に、リストに載っていた人物は、「?」の人物を除いて問題を片付けた。ある者は物理的にやり合い、ある者は嫌がらせの証拠を提出し当時の学則に沿って停学処分に……。
少なくとも、彼女の中ではお互い様だった。
「ぼ、僕たちの行動は……。
いまならわかる。すべてが、最初から間違いだった」
「間違い?」
ダンの言葉を反芻するように、クィアシーナは問い返す。
「そうだ。もう鋭いおまえなら気付いているかもしれないが……。
おまえや、前任の庶務を標的にしたのは――ダンテ殿下の求心力の低下を狙ってのことだった」
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