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69. ガブリエラとの対峙

ガブリエラは、リンスティーの前にいるクィアシーナの姿を一瞥し、手をお腹の前に組み、姿勢を正した。

淑女としての、完璧な立ち姿である。


「――お義兄様。

体調不良の方を救護なさるのは、人として正しい行いですわ」


「ですが……そちらの方は平民の方では?

あなたが直接お手を煩わせるのではなく、然るべき者に対応を任せるのが正解かと存じます」


「私の申し上げている意味――

おわかりになりまして?」


穏やかでありながら、拒絶を許さぬ嗜めの声が、

静まり返った保健室に淡々と響いた。


それは感情ではなく、“立場”を盾にした問いかけ。

貴族として、どう振る舞うべきかを彼女は突きつけているのだ。


クィアシーナは口を挟むことも出来ず、ただ警戒を解かぬまま、ガブリエラのことを見つめたままの姿勢になる。


(ララが、彼女は特に厳格だと言っていたけど……

義兄であるリンスティーにすら、こうして苦言を呈するんだ)


ガブリエラの問いかけに、リンスティーが口を開く。


「そうだな、ガブリエラ。

だが私は、貴族として誤っていたとしても、人として正しい方を優先する」


その毅然とした態度に、ガブリエラの唇が、ふっと弧を描いた。


その瞬間――

クィアシーナの背筋を、強烈な悪寒が駆け抜ける。


「――承知いたしました。

では、お義兄様は“貴族としての過ち”を、

自らお認めになるのですね」


静かな声だった。


「であれば――」


彼女が手を振り上げた瞬間。


バチン、という乾いた破裂音が保健室に響き、同時に、リンスティーとクィアシーナの身体に激しい衝撃が走った。


「っ……!?」


全身を貫くような痺れ。

内側から焼かれるような痛みが、一気に流れ込む。


魔法による攻撃――それは疑いようがなかった。


あまりの苦痛に、クィアシーナの顔が歪む。


「――考えを改めてくださいませ。

私の下す罰則は、反省文では済まないのですから」


彼女はゆったりとした動作で手を下ろし、二人を貫いていた攻撃魔法を、唐突に解除した。


張りつめていた空気がほどけたはずなのに、身体の痺れと痛みは、まだ抜けきらない。


「おわかりになりましたか、お義兄様。みだりに平民と交わることは、慎んでくださいませ」


「……」


荒い息を整えながらも、

リンスティーは頑なに、頷こうとはしなかった。


「相変わらず、ですね……」


ガブリエラは小さく息を吐き、それでも表情を崩すことなく続ける。


「ですが、この場はこのくらいにしておきましょう。

ただし――この件につきましては、ダンテ様へ、きちんとご報告させていただきますわ」


次に、彼女はリンスティーへ向けていた視線を、ゆっくりとクィアシーナへ移した。


それまでは、そこに存在していないかのように扱われていた。

ガブリエラは、この瞬間になって初めて、クィアシーナという一人の人間を、真正面から捉える。


「あなたは――前任の庶務を務めていた方、ですね?」


「はい」


クィアシーナは、現行の学則に従い、目上の者からの問いかけである以上、発言許可を求める必要はないと判断し、短く答えた。


「あなたは今、この仕打ちを理不尽だと感じている。

……違いますか?」


一瞬の逡巡(しゅんじゅん)ののち、クィアシーナは頷く。


「……はい」


「その考え方は――今すぐ、お捨てなさいませ」


先ほどまでの柔らかな声音とは打って変わり、冷たく言い放たれた。


「よく考えてご覧なさい。

貴族でもトップに位置するお義兄様が、平民であるあなたを特別扱いしたのです……。


あなたは少なからず、お義兄様に懸想する女子生徒たちから

嫉妬を向けられることになるでしょう。

中には、小さな嫌がらせを仕掛けてくる者もいるかもしれません。


身分に関係なく、そうした感情が生まれること自体は避けられません。

ですが――そこに“身分差”があるからこそ、それはやがて、大きな問題へと発展するのです。


……そんな、つまらない諍いが起きる未来は、虚しいだけではありませんか?」


「……」


クィアシーナは頭でガブリエラの言うことを反芻する。

要するに彼女は、こう言いたいのだ。


身分の違う者同士が最初から関わらなければ、争いは起こらないのだと。


隔離こそが、平和。


――なんという、力技の論理だろうか。


「納得できていないようですね?

では、反省文の提出を言い渡します。提出先は、あなたのクラスの学級委員長へ。

この学園における――『身分差とは何か』という点に焦点を置き、学則に沿った見解を述べなさい。


少しでも、以前の学園方針に沿った意見が見受けられた場合、

やり直しを命じます。

――私からは、以上です」


そう言うと、ガブリエラは再びリンスティーへと視線を戻し、


「さあ。一緒に参りましょう」


と、静かに退出を促した。


リンスティーは、最後までクィアシーナを見ることなく、彼女の後を追って、この場を去っていった。


(これは……確かに、意識改革だ)


ララから罰則が反省文五枚だと聞かされたときは、なんてぬるい罰だと思った。だが、これは着実に、罰を犯した生徒の思想そのものの変換を促すものだろう。


しかも、ガブリエラの場合は、魔法による身体的な懲罰まで伴う。


クィアシーナは、ダンテから借りている指輪を家に置いてきていた。

もはや庶務でも囮役でもなくなった今、自分が狙われる対象になる価値などないのだから。


ただ、どうやってダンテに返却すればいいのかわからず、ひとまず家で保管することにしたのだった。


結果、ばっちり食らってしまった。けれども、今日指輪をつけたままだったら、魔法を吸収しても浄化してくれる人が誰もいないため、真っ黒になっていずれ壊れてしまっていただろう。


(彼女の魔法の腕は相当なものだ)


あまりの躊躇いのなさに、咄嗟に避けることすらできなかった。


そして――


彼女が立ち去ったあと、鼻を掠める甘い匂い。

それが、クィアシーナの思考を鈍らせていく。


(いけない)


頬を両手で軽く叩き、気持ちを切り替える。

ララは先に教室へ戻っているはずだ。


クィアシーナは保健医にベッドを借りたお礼を伝え、その場を後にした。





放課後、クィアシーナは反省文を書くことに苦しんでいた。


この学園における『身分差とは何か』。


ダンテの思想になぞらえるなら、

それは埋めることのできないもの。

人を区別し、線を引くもの。

そしてその先には、秩序と安全が保障された未来が待っている――

そんな考えを書けばいいのだろう。


この手の論文は、実を言うと、以前通っていたダンドリアス校で嫌というほど書かされた。


だから苦手なわけではない。

ただ、筆が乗らないだけだ。


ダンドリアス校の宿題と違うのは、自分の考えに沿った意見を述べずして、論文を完成させなければならないという点だった。

まあ、そもそも反省文なのだから、自分の意見も何もないのだが。

それにしても、癪だった。


(しかも五枚か~、つら……)


クィアシーナが一人、机に向かって唸っていると、彼女の席に影が落ちた。


「クィアシーナ。これ、よかったら参考にして。私の渾身のひな形よ」


顔を上げると、そこに立っていたのはマリアだった。

一枚の紙を、クィアシーナへと差し出している


何気に、マリアとは今日が初めての会話だった。


クィアシーナはそれを受け取り、丁寧に頭を下げる。


「ありがとう……ございます。しばらくお借りします。終わりましたら、後ほど机の中にお返ししておきます」


(ありがとう、助かるよ! 今度なんか奢るね!)


心の内はいつもの調子なのに、

準貴族である彼女に、以前のような距離感で接することができないのが、ひどくもどかしかった。


「発言の許可を?」

「……かまわないわ」


許可を得たクィアシーナは、できる限り言葉を選びながら話しかける。


「私、三日ぶりに学園へ戻ってきて、新制度によって校内の空気が一変してしまったことに、大きな憤りを感じております。

マリア様も、そうお感じになりませんか?」


「思うわ。正直、息苦しくて仕方ないもの」


「平民の私がこのようなことを申すのは烏滸がましいのですが……同じお考えをお持ちでいらしたようで、安心いたしました」


そう言って、クィアシーナはマリアに穏やかな笑みを向けた。


「では、今後も言動には十分に気を付けますので、またこうしてお声をかけていただくことは可能でしょうか。

長時間ご一緒すると咎められるかもしれませんが、短時間であれば、何とか言い訳も可能かと思います。

それも難しい場合は、放課後に学園外でお時間を作っていただけると幸いです」


こんな形でマリアとの友情が途切れるのは嫌だった。

だから、少しでもいいからお喋りの時間を作ろうと、内心願っていたのだが、意図は伝わっただろうか。


「もちろんよ。こちらからお願いするわ」


マリアも、嬉しいような、気恥ずかしいような笑みを向ける。


廊下に見回りの気配を感じ、顔を逸らすと、マリアも察したのかその場を立ち去った。ほどなくして彼女は帰宅したようで、教室にはクィアシーナ一人だけが残った。


(学校って、人とつながる場でもあるはずなのに。

異なる立場や境遇の人と関わることで、自分にはなかった考え方を知ることができるのに)


実際、クィアシーナはこれまで、さまざまな国の人々と関わることで、考え方の幅を広げてきた。

このフォボロス学園でも、今まで接点のなかった貴族と接することで、「こういう考え方もあるんだな」と、受け入れはできなくとも理解はできた。


身分差を明文化し、人として成長する機会を奪うような学園に、果たして未来はあるのだろうか。


貴族は平民より優遇されるのが当たり前――そんな価値観のまま学園を卒業し、社会へ出たとき、彼らはきっと気づくはずだ。


相容れない考えを持つ人間と対峙したとき、

貴族は、自らの身分に頼ることでしか対処できなくなっている自分に。

平民は、逆らう意見すら口にできなくなっている自分に。


マリアの雛型はよく出来ていた。


最初に結論。

『身分とは、生まれたときに決まり、自身に根付くものである』

学則には沿っているが、グレーラインギリギリを攻めた内容になっていた。


続いて学則についてツラツラと述べ(ここは丸写し可能)、具体例を入れるよう指示がある。

そして最後は、最初の結論に戻る形で論理を展開して締める。


完成させたあと、クィアシーナはどっと疲れを感じた。


(雛型、私もつくっとこ……)


間違いなくこれからもお世話になるし、その度に今の学則に頭を悩ませることなんて絶対にしたくなかった。


たった五枚書いただけで、思考がおかしくなる。

何回もやり直しをして雛型まで完成させたマリアが、ララや私たちと距離を置いてしまった気持ちが、ちょっとわかった気がした。


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