64. 新ダンテ政権、爆誕。
この話から、後半戦の第二章スタートです。
「シーナ!」
昼休みになり、足早に生徒会館へ向かおうとしたところ、廊下の後ろから声をかけられた。
振り向くと、急いでこちらへ駆けてくるビクターの姿があった。
「ビクターさん。今から向かうところですか?」
「うん、そうだよ。マグとドゥランは転移式で先に向かったよ。
シーナはどうせ階段ルートから行くかなって思って、迎えに来たんだ」
「え、よくわかりましたね」
実はクィアシーナも、先日ようやく転移式に登録され、使えるようにはなっていた。
しかし登録初日。この転移式はすべて、魔力を持たない者には反応しないという重大な欠陥があることが発覚した。
現在は改良品が出回っているものの、学園に設置されているものは、これまで貴族の魔力持ちしか使用してこなかったため、欠陥に気づかれなかったらしい。
暫定対応として、使用時に他の魔力持ちと一緒であれば、“荷物”扱いではなく、通常どおり人として転移できる。
だが逆に言えば、魔力持ちと同行しなければ、一人ではうんともすんとも反応してくれないのだった。
「僕と一緒に急いで向かおう。たぶん、みんな先に着いて待ってるよ」
「わかりました。よろしくお願いします」
ビクターと一緒に向かったのは、以前、彼に抱きかかえられて利用した転移室だった。
今いる場所からは、そこへ向かうのが一番近い。
到着するや否や、二人で魔法陣の上に乗る。
そして転移の直前、ビクターが口を開いた。
「そういえば、ドゥランからダンテさんの様子がおかしいって聞いたんだけど、シーナは何か知ってる?」
「え? あ、私も本人には直接会っていないんですが、朝の登校時に、ドゥランさんとルーベントさんから同じような話を聞きました。
……あとは、同じクラスのダンテ会長ファンの子たちが、会長が挨拶を返してくれなかったとか……」
「え、あのダンテさんが?
やっぱり、まだ魔法の影響が残ってるのかな……」
ビクターはううんと唸りながら、転移の呪文を詠唱した。
◇
応接室に、ビクターとクィアシーナが入ると、すでに全員が着席し、二人の到着を待っていた。
一番奥の一人掛けソファにはダンテが座り、
そのすぐ傍には、見慣れない女子生徒が静かに佇んでいる。
(……誰? それに、みんなやけに静か……)
「お待たせしてすみません」
疑問はひとまず胸にしまい、クィアシーナは全員に向かって声をかけた。
しかし――。
「やっと来たね、ビクター」
「すみません、遅くなりました」
なぜかダンテは、ビクターの名だけを呼び、視線も彼一人にしか向けていなかった。
久しぶりに見るダンテは、特にやつれている様子はない。
以前とは違い、前髪をオールバックにしており、どこか厳かな雰囲気を纏っていた。
それでも、何かが――違う。
(……あ、表情か)
いつもの柔らかな微笑みは一切なく、口の端をわずかに吊り上げているだけだ。
少し遅れたことが、そんなに気に障ったのだろうか。
モヤモヤした気持ちを抱えつつ、クィアシーナはビクターと並んで、入口近くの席へ腰を下ろした。
「さて。全員集まったことだし、早速話を始めようか」
ダンテは“話がある”として、わざわざ昼休みに全員を集めていた。
復学後の業務についてか。
それとも、自身にかけられた呪詛について、何か新たな情報を伝えてくれるのだろうか。
そう考えながら、クィアシーナは周囲を見渡す。
三年生は、なぜか全員が晴れない表情をしていた。
なかでもリンスティーの様子は異様だ。
彼の顔色は、青いというより――
血の気が引いたように、白くなって見えた。
せっかくダンテが戻ってきたというのに、どうしたというのだろうか。
「私がいない間、みんなご苦労だったね」
ダンテは顎に手を当て、そのまま話を続けた。
「三年のみんなには、すでに伝えてあるんだけど――
今日この場に集まってもらったのは、他でもない。生徒会の編成について話すためだ」
「え、編成、ですか?」
思わず、マグノリアンが声を上げた。
二年生は皆、一様に目を見開いている。もちろん、一年のクィアシーナも同様だった。
「ああ、そうだよ。療養中にね、ずっと考えていたんだ」
ダンテは淡々と語る。
「今の学園は、少し物騒だろう?
生徒同士が裏で傷つけ合ったり、心ない嫌がらせをしたり……」
それはきっと、アリーチェやクィアシーナ、そしてダンテ自身を狙った一連の事件を指しているのだろう。
だが、その言葉の先に何が続くのか、クィアシーナには読めなかった。
彼の顔に視線を向けるも、その表情からは何の感情も読み取れない。
「それでね。やっぱり、根本的に考え方が違うから相容れないんだと、ようやく気付いたんだ」
ダンテの言葉に、室内の空気が一気に張り詰めた。
「――この学園の方針は、間違っている。
血筋や身分の差は、人の心に必ず根を張り、決して消えない」
一拍置いて、告げた。
「『学園において身分制度は絶対』。それを今後の方針とする」
あまりにも突然の言葉に、クィアシーナは思わず声を上げた。
「いきなり、何を言い出すんですか!?」
「……誰が、発言を許した?」
間髪入れず、冷え切った声が返ってくる。
それは、今まで一度も聞いたことのない響きだった。
クィアシーナは、自分の喉が鳴る音をはっきりと聞いた。
――ひゅっ、と息が詰まる。
その場の空気が、一瞬で凍りついた。
「続きを話そう」
そう言うと、ダンテは膝の上で指を組み、ゆっくりと目を細めた。
「まずは、生徒会が生徒たちの模範になろうと思う。
新しい方針の――示しをつけるためにね」
模範、とは。
その言葉だけを切り取れば、何ひとつ間違っていないはずなのに。
なぜか背筋を冷たいものがなぞった。
少なくとも、彼が示そうとしている“模範”が、決して穏やかなものではないことだけはわかる。
クィアシーナは震えそうになる指先をぎゅっと握りしめ、固唾を飲んで次の言葉を待った。
「まず手始めに――」
ダンテは一拍置き、視線を側に控えていた女子生徒へ向けたあと、部屋の中央へ向きなおした。
「ここにいる、ガブリエラ・シュターグ嬢を、生徒会に迎え入れようと思う」
その名が告げられた瞬間、空気が、ぴたりと止まった。
クィアシーナは、思わず彼女へと視線を向ける。
(この人が……ガブリエラ・シュターグ……)
静かに佇む少女は、先ほどから一言も発していない。
長い焦げ茶色の髪を緩く片側で結び、真っ黒な瞳には、穏やかな微笑みをたたえている。
クィアシーナとそう変わらない中肉中背。
平凡を絵に描いたような自分が言うのもなんだが、それほどまでにありふれた、そして不思議なほど印象の薄い容姿をしていた。
リンスティーや、ダンテの従姉妹だと言われても正直ぴんとこない。
ただ、その佇まいからは、高貴な淑女であることだけははっきりと見て取れた。
ダンテはガブリエラを仰ぎ見るようにして、柔らかな笑みを向ける。
その表情は、かつては皆に等しく向けられていたものだ。
クィアシーナは、その変化に胸がちくりと痛んだ。
「彼女は、ほとんどの貴族令嬢と繋がりを持ち、皆のお手本となるようなご令嬢だ。
きっとすぐに、生徒たちも生徒会役員としての彼女を慕うようになるだろう」
「ガブリエラ、挨拶を」
ずっと黙って側に控えていたガブリエラが、一歩前へ出る。
そして、流れるような所作で、優雅な一礼をしてみせた。
「初めまして」
「シュターグ家が長女、ガブリエラと申します。
一年特進クラスに所属しておりますわ。至らぬ点も多々あるかと存じますが、皆様ご指導のほど、どうぞよろしくお願いいたします」
この学園ではあり得ない自己紹介の仕方に、クィアシーナは眉をひそめた。
フォボロス学園の生徒が、自ら家名を名乗ることはない。
それは学園の『身分差はなく平等』の方針に則ったものであり、高位貴族であっても例外はなかった。
だからこそ――。
彼女の口から自然に語られた「シュターグ家」という名が、ひどく異質に響いた。
「ガブリエラには、新しく副会長に就任してもらおうと思う」
「……!」
ダンテの一言に、応接室が一斉にざわめいた。
この話は、どうやら三年生にも伝えられていなかったらしい。
驚愕、困惑、動揺。
さまざまな感情が、言葉にならないまま空気を震わせる。
ダンテは、そのざわめきが自然と収まるのを待ってから――
まるでそれが当然の決定事項であるかのように、
悪意なく、そしてあまりにも残酷な内容を告げた。
「リンスティーは庶務に降格。……それから、君は庶務を解任だ」
淡々と告げられたその言葉に、室内の空気が凍りついた。
「《《下賤な者を》》、生徒会に置いておくことはできないからね」
「あんた何を言ってるの!?」
リンスティーが勢いよく立ち上がる。
「私はいいとして、クィアシーナを解任するですって!?
それに、その言い方……!」
怒りを隠そうともせず、彼女はダンテへと詰め寄ろうとした。
「……野蛮だな」
吐き捨てるように呟いたダンテが、片手をリンスティーへ向ける。
手をぎゅっと、握り締めた瞬間。
リンスティーは首に手を当て、苦しそうに呻きだした。
――拘束魔法だ。
まさかリンスティーにまで敵意を向けるとは思わず、クィアシーナはダンテの行為に戦慄した。
あまりにも突然の出来事に、その場にいた誰もが呆然とし、反応が一瞬遅れる。
だが、すぐに――
「ダンテ様……やり過ぎですわ。
このままでは、お義兄様が死んでしまいます」
鈴の鳴るような声が、張り詰めた空気をなぞるように響いた。
ガブリエラだった。
その声音はあまりにも柔らかく、まるで誰かのマナー違反を指摘するかのようだ。
その声に、ダンテははっとしたように目を瞬かせると、すっと手の力を緩めた。
「そうだね。私も殺人は犯したくないからね」
苦しみから解放されたリンスティーが、床に膝をつく。隣に座っていたアレクシスが、すぐにリンスティーに駆け寄って背中をさすった。
ダンテは彼女を一瞥したあと、穏やかな声音で続けた。
「止めてくれてありがとう、ガブリエラ」
囁くようなその声には、怒りも焦りもなかった。
まるで、予定外の出来事を一つ修正しただけのように。
クィアシーナは、二人のふんわりとしたやり取りに、背筋が粟立つのを感じた。
――なぜ、こんなにも平然としていられるのだろう。
「本当は、リンスティーもこの場にいるべき人間じゃないんだよ? 君には半分しか貴族の血が流れていないんだから。
でも、これまでの温情で庶務として置いてあげるんだから、私に感謝こそすれ、反抗するなんてお門違いだ」
ダンテはまるで自分が一切間違っていないとでも言いたげに、静かに言い切った。
その言葉に、場内は沈黙した。
だが、その沈黙を破ったのは、意外にもドゥランだった。
「ダンテさん、あなたの考えは理解できません。
ですが、一応わかりました。
その上で、模範となるべき行為について、教えて頂けませんか?」
無表情で、淡々と、しかし毅然とした問いかけだった。
クィアシーナはその冷静さに思わず感心した。
しかし、ダンテは眉をひそめ、軽く顎を上げる。
「――ドゥラン。
いくら君がマッキンゼー侯爵家の者だからといって、学ばない子は必要ない。
朝も言っただろう?
……目上の者には敬称を。それは絶対だ」
「……」
クィアシーナが転校してきた初日。
彼女がダンテを第二王子殿下と呼んだとき、彼は確かにこう言ったのだ。
『この学園で敬称はいらないよ』
そう苦笑していた彼自身が、今は「絶対だ」と断言している。
あまりにも極端な変化に、クィアシーナの思考は追いつかなかった。同じ人物の言葉とは、どうしても思えない。
ドゥランは一瞬の沈黙のあと、怯むことなく口を開く。
「……これは大変失礼を、第二王子殿下」
「再度お伺いします。
編成後、我々が模範となるべき行為とは何か。
この場にいる皆に、お教え頂けませんか?」
言葉遣いを改めたことで、ダンテはようやく満足そうな頷きを返した。
「ああ、もちろんだとも。
だがその前に――」
答えを返すより早く、彼はふいにクィアシーナへと視線を向ける。
その瞬間、今日初めて、二人の目が合った。
まるで――
彼女という存在そのものを見下すかのような、冷え切った侮蔑の眼差しで。
「部外者には出て行ってもらおうか」
一斉に、視線がクィアシーナへ集まった。
そこには、戸惑いの色と――そして心配があった。
(そうか、生徒会を解任された私は、もう部外者なんだ)
もともとこの場にいる理由は、アリーチェの代理という仮の立場だった。
事件が解決すれば、役目を終えて去るはずの存在。
それでも、こんな形で追い出されるとは思っていなかった。
クィアシーナは唇を強く噛みしめ、視線を伏せる。
――悔しい。
何か、ひと言言ってやらねば気が済まなかった。
顔を上げ、前を見据えて手を挙げる。
今のダンテが聞き入れるとは思えない。
それでも。
「発言の許可を頂けますでしょうか」
「……許す。別れの挨拶かい?」
ダンテは頬杖をつき、ひどくつまらなそうな顔でクィアシーナを見下ろしていた。
その尊大な態度に、思わず叫び出したい衝動が胸を突き上げる。
だが、そこで感情を露わにするわけにはいかない。
クィアシーナは一度、静かに息を吐いた。
そして、できる限り淡々と要件を告げる。
「いいえ、そうではなく。私はあなた様と交わした、『契約』のことで確認したいことがあるのです」
まさか、その話題をこの場で持ち出されるとは思っていなかったのだろう。
ダンテの瞳が、ほんのわずかに揺れた。
他の生徒会メンバーは、リンスティーを除き、
契約という言葉の意味が分からず、クィアシーナとダンテの顔を交互に見比べている。
「私は、第二王子殿下との契約により、庶務の代理として、ここまで務めてまいりました。
――ですが、こうして、強制的に私を解任なさるということは、これは無効になった、という理解でよろしいでしょうか」
「……」
一瞬の沈黙。
だが、視線だけは互いに逸らされることなく、鋭くぶつかり合っていた。
「……ああ」
静かな声が、応接室に落ちる。
「契約は無効だ」
その言葉を受けて、クィアシーナは、にこりと微笑んだ。
――作り物の、完璧な笑顔で。
(私は女優。落ち着け)
「では、今回のことは、そちらのご都合による、一方的な契約破棄という認識でよろしいのですね」
わずかに間を置き、はっきりと言い切る。
「……私は、これに対する対価を求めます」
そう告げると、深く、深く頭を下げた。
「――下賤な身ゆえ、卑しいと不快に思われたなら、誠に申し訳ございません」
ダンテの声がかかるまで、顔は上げてはならない。
足元の絨毯をじっと見つめながら、彼の返答を静かに待った。
「そうだな」
ダンテの口から、肯定の言葉が落ちた。
その瞬間、俯いていたクィアシーナの口元が、わずかに緩む。
「聞くだけなら聞いてやろう。それが約一ヶ月の奉仕に対する対価だよ」
(よし、言質は取った)
クィアシーナはゆっくりと顔を上げ、再度微笑む。
「寛大な御心遣いに、心より感謝致します。では――」
そこまで言いかけたところで、ぐっと足元に力を込めた。
ダンテが警戒するより早く、
クィアシーナはローテーブルを跳び越える。
着地のあとすぐ、乾いた音が室内に響いた。
勢いのまま、全力で頬を打った手が痺れる。
一同が言葉を失い、これまで隣で微笑みを崩さなかったガブリエラでさえ、表情を凍らせていた。
クィアシーナは、激昂される前にくるりと身を翻し、なんちゃってカーテシーを披露する。
「こちらで、対価と代えさせて頂きます。それでは、御前、失礼致します」
そう言い残すと、全力で気配を断ち、生徒会館を逃げるように飛び出していった。
クィアシーナはバクバクと激しい音で鳴り続ける胸を抑え、階段を駆け下りる。
これが学園の外だったなら、極刑ものだっただろう。
しかし、ここは学園の中。
一国の王子の頬を打ったとして、こちらは対価を要求しただけである。
今のダンテなら、それでも断罪してくる可能性はあったが、クィアシーナは『生徒間で起きたことは生徒が解決』という不文律に賭けた。
最悪でも、退学で済むはずだ。
(泣くな)
自分でも説明できない感情が、今になって湧き上がってくる。
嗚咽が出そうになるのを必死で堪え、午後の授業へと向かった。




