63. ダンテの帰還と、不穏の始まり
リンスティーとの第三弾女子会の翌日。
朝の時点でクィアシーナはまだ昨日の風邪を引きずっていた。
喉の痛みといった症状が出るなんてことは無かったのだが、いかんせん身体がだるい。
けれども、リンスティーに言われたとおり、身体を冷やさず水分をとり、一日中寝ていると、夕方にはすっかり調子を取り戻した。
帰宅してからまったくなかった食欲も、差し入れでもらった果物をモリモリ食べるくらいにまで回復した。
明日の朝もこの調子なら、学校へ問題なく登校できそうである。
そして――。
(ああーーー! もったいないことしたーーーーー!!!)
クィアシーナは、昨日デートが途中で終わってしまったことに、後悔しまくっていた。
ブランケットに顔を押し付けながら、悶える。
あんなに男前な制服姿のリンスティーと街ぶらデート――
もう二度と訪れないであろうラッキーイベントを、滅多に引かない風邪をここぞというときに引いてしまうという奇跡の確率でもって、台無しにしてしまった。
しかも、絶対に美味しく食べれたであろうケーキも、結局一口しか味わえてない。
ないない尽くしだ。いや、さすがにそれは言い過ぎた。
作戦会議は出来たし、休みの日にお姉様リンスティーも堪能し、男版リンスティーも拝ませてもらった。
そう考えると、いつもの休日に比べたら数万倍充実していたのだが。
それでも憤りは収まらず、くそーっとクィアシーナは一人で悪態をつく。
その瞬間、顔面に押し付けていたブランケットから、ふんわりとした匂いが香った。
(あ、お姉様のにおい……)
どうやら、昨日、リンスティーがベッドに座っていたときに匂いが移ったらしい。
クィアシーナがその匂いをふんふんと嗅ぐと、やさぐれていた気持ちが次第に落ち着いていく。
残り香を堪能するなんて、もはやスーニャのことを言えないくらい変態じみている気もするが、そんなのクィアシーナの知ったことではない。
と、そのとき。
頭がキーンとする感覚が走った。
――伝達魔法だ。
久しぶりの感覚に慌てて意識を引き締め、聞こえてくる声に集中する。
『明日の昼休み、生徒会館へ集合すること。ダンテより重要な話有り』
伝言は、リンスティーからのものだった。
昨日聞いたばかりのバリトンボイスに、休日は伝達魔法も地声を使うのだな、などと余計なことを考えていると、すぐに頭の中は元の状態へ戻った。
声にばかり意識を向けていたが、伝えられた内容を改めて反芻する。
そして、クィアシーナの心は大きく揺れた。
(――「ダンテより」ってことは、明日、ダンテ会長が戻って来るってこと!?)
クィアシーナはブランケットをぎゅっと抱きしめる。
彼の不在は、クィアシーナにとって大きな衝撃だった。
自分でも気づかないうちに、彼がどれほど精神的な支えになっていたのかを、今さらながら痛感する。
事件はまだ解決していない。
けれども、指輪は無傷で守り抜いたし、嫌がらせをしてきた貴族派も大方摘発できた。
きっと「でも、契約の条件は満たしてないよね?」なんて言われてしまうのだろう。
それでも構わない。不在だった間の成果を報告して、彼のちくりとした発言を早く聞きたい。
そのためには、なんとしても体調を万全にして、学園に行かなければならない。
先ほど、ご飯代わりに果物は食べた。
風呂にも早々に入り、歯も磨き、髪も完全に乾いている。
――あとは寝るだけ。
就寝するにはまだ相当早い時間だったが、完全に体調を回復させるには睡眠が最優先だ。
クィアシーナは、はやる気持ちを抑えながら、ベッドに入った。
◇
「おはよう、クィアシーナ。今日は僕と一緒に登校しようか」
アパートの前には、黒塗りの豪華な馬車が停まっていた。
その馬車の前に立つのは、朝の爽やかな空気が似合う、ピンクブロンドの美形男子──アレクシス。
「おはようございます、アレクシスさん。お迎え、ありがとうございます」
生徒会メンバーの誰かが、朝一で迎えに来る。
そんな状況に、もう慣れつつある自分が怖い。
アレクシスに自然に手を引かれ、クィアシーナもそれを自然に受ける。
こんな動作に慣れてきている自分も、やはり少し怖い。
ダンテが来なくなった翌日から、クィアシーナが再び狙われる可能性もあるかもしれないと、彼が復学するまでの間、アレクシスとビクターが交代で馬車で送迎してくれていた。
まだ少し風邪の調子が残っているクィアシーナは、今日ほど彼らのお迎えに感謝した日はない。
だが、そんな日々も今日で終わりだ。
なぜなら、待望のあの人が戻ってくるのだから。
「今日からいよいよダンテが復学するんだってね。本当に長かったよねー」
隣に座るアレクシスが、しみじみとした様子で告げる。
「はい。本当、ようやくですね。学園に戻って来られたということは、ダンテ会長が受けた呪詛も解呪できた、ということですよね。
一体どんなものだったのかも聞きたいですし、休学中に何をしていたのかも、いろいろ話を聞きたいです」
「フフ、そうだね。昼休みは、みんなで根掘り葉掘りダンテを質問攻めにしてやろう。
あとは、みんながダンテの穴を埋めるために動いて、不在中は大変だったってことも伝えて、たくさん困らせてやりたいなぁ」
「いいですね、それ。苦笑しながらものらりくらりかわす姿が、簡単に想像できます」
二人でダンテに会ったら、という話で盛り上がっていると、名残り惜しいくらいあっという間に停留所に着いてしまった。
今日はルーベントとドゥランの会計コンビが挨拶当番の日だ。
もしかしたら、すでに二人は登校してきたダンテに会ったかもしれない。とんな様子だったか話を聞こうか、と心を弾ませながら、アレクシスとともに校門へ向かった。
「おはよう、ルーベントにドゥラン。ドゥランは珍しいねー! 朝からちゃんと顔出ししてるなんて」
「おはようございます。挨拶当番お疲れ様です、ルーベントさん、ドゥランさん」
二人が校門前へ行くと、そこにはルーベントと、そして珍しく姿を現し、彼の横に立っているドゥランがいた。
いつもなら、明るく元気な声で挨拶を返してくれるはずのルーベントが、浮かない顔で「おはよう……」と短く返事をする。
「? どうかしたの?」
あまりにも普段と違う態度に、アレクシスは心配そうな表情で様子をうかがった。
ドゥランはいつも通り無表情だが、その顔色は、少しばかり青く見えた。
様子のおかしい二人に、クィアシーナの心がざわつき始める。
「いや⋯⋯。さっき、ダンテが登校してきたんだけどさ」
ルーベントがどこか躊躇いを見せながら口を開いた。
「なんか違うっていうか、前より、ううん、なんて言えばいいんだろ⋯⋯」
歯切れの悪い説明に、クィアシーナとアレクシスが首を傾げると、ルーベントに代わってドゥランが言葉を続けた。
「私から言わせてもらうと……“別人”です」
別人、とは。
一体どういうことなのだろうか。
「ええと、それって、まだ本調子じゃなさそう、ということなんでしょうか?」
思わず問い返すクィアシーナだったが、ルーベントとドゥランの二人は、考え込むように黙り込んでしまった。
クィアシーナはアレクシスと顔を見合わせる。
あまりにも腑に落ちない説明に、どうしたものかと思っていると、そこへ「おはよう」とリンスティーがやって来た。
「みんな揃ってどうしたの? 挨拶当番は?」
リンスティーは少し様子が異なる四人の顔を見渡すと、呆れたように言葉を続ける。
「それにしても、みんなダンテに会った?
あいつ、私を置いて先に登校しちゃったのよね。復学できて嬉しいのか知らないけど、失礼しちゃうわ。補佐の意味がないったらありゃしない」
「あれ、ということは――リンスティーはまだダンテに会ってないってこと?」
アレクシスが不思議そうな顔で問いかける。
「ええ、今日はまだね。昨日の夜、突然寮に帰ってきて、みんなに伝達魔法を送れって言われたっきりよ」
「じゃあ、リンスティーさんは昨夜、ダンテ会長に会ったんですね?」
クィアシーナが念を押すように確認すると、リンスティーはゆっくりと首を振った。
「会ったのは会ったんだけど。伝達魔法の件だけ言って部屋に籠っちゃったから、全然話は出来てないわ。
まだ調子が戻ってないのかと思ってそのままそっとしといたんだけど」
「なあ、リンスティー。ダンテ、なんか変じゃなかったか?」
「変って?」
何かを探るようなルーベントの問いに、リンスティーは首を傾げる。
「いや……。一番身近にいるおまえが何も感じてないならいいんだ。久しぶりすぎて、今朝の俺たちが距離感を掴めなかっただけなのかもしれないしな」
ルーベントはドゥランに目配せをする。
「……そう、ですね」
ドゥランもまた、短くそう返して静かに頷いた。
(なんだろう、この気持ち悪い感じ)
背筋に寒気が走るような違和感に、クィアシーナは昨日の風邪を引きずっているのかと思った。
けれどそれは、熱や体調といった身体的なものではない。
間違いなく、心の奥に引っかかる感覚だった。
やがて予鈴が鳴る時刻になる。
ざわつく胸を抱えたまま、クィアシーナたちは教室棟へと向かっていった。
◇
「クィアシーナ、おはよう! 今日、ダンテ殿下が戻って来たんだってね!」
席に着くなり、嬉々とした様子でララとマリアがクィアシーナのもとへ駆け寄ってきた。
「おはよう。二人とも、もう知ってたんだ」
「うん! リファラたちが登校してるときに、殿下を見かけたんだって!」
「良かったわね、クィアシーナ」
そう言って、ララとマリアは近くに座るリファラたちのほうを見る。
クィアシーナもそちらへ視線を向けた。
てっきり、殿下推しの彼女たちは、久しぶりのダンテの姿に歓喜しているものだと思っていた。
しかし、なぜか全員がそろって暗い表情をしている。
「おはよう。ねえ、久しぶりの殿下はどうだった? 元気そうだった?」
クィアシーナはその様子に違和感を覚えながら、リファラたちに向かって問いかけた。
「……た」
「え、なんて?」
「ダンテ殿下……私たちに、挨拶を返してくれなかった……」
返ってきた声は、なぜか涙混じりだった。
「え、聞こえなかっただけじゃない?」
誰にでも分け隔てなくキラキラスマイルを振りまくダンテである。
生徒からの挨拶を無視するなど、彼に限って、そんなことはあり得ないはずだった。
「ううん。確かに目が合ったの。でも、すごく……露骨に嫌そうな顔をされて……」
「嫌そうな顔? まさか」
「もしかしたら、何か別のことで気を揉まれていたのかもしれないわ。
でも、それでも……今まで、あんな表情を向けられたことがなかったから……ショックで……」
そこまで言うと、リファラたちはとうとう泣き出してしまった。
朝の教室の一角だけが、まるでお葬式のような雰囲気に包まれる。
本鈴が鳴り、先生が入ってきたあとも、彼女たちのすすり泣く声だけが静かに聞こえていた。
(……一体、何なんだろう)
復帰したダンテに対し、誰もが彼の変化に違和感を抱いている。
昼休みの招集のとき、自分にも彼の変化を感じ取ることができるのだろうか――。
このときのクィアシーナは、
ダンテはまだ本調子を取り戻していないだけなのでは、と、どこか楽観視していた。
けれども――。
生徒会館にて、まさか彼から「庶務解任」を告げられることになるなど、
このときはまだ、思ってもみなかったのだった。




