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57. 朝から騒がしい一日

「おお、誰もいない……!」


朝、警戒しながらアパートを出るも、周辺に生徒会メンバーは誰も見あたらなかった。

ようやく朝のお迎えが終了したらしい。


(ちょっと寂しい気もするけど、毎回心臓に悪かったからな。やっと平穏に登校できる……)


そんな気持ちも束の間、誰かが猛ダッシュで通学路を逆走してくる姿が目に入った。

朝から忘れ物でもしたのかな、などと思いながら通学路を進もうとすると――


「クィアシーナ!!! おはよう! よかった、間に合った!!!」


走ってきた人物が、大声で自分の名を叫ぶ。


クィアシーナは足を止め、その姿を真正面から捉えた。


「げ、ルーベントさん」


思わず、つぶやきが口から漏れる。

これは、嫌な予感しかしない。


「はー! 剣術部の朝練が長引いたから、間に合わないかと思った! でも、いいタイミングだったな!」


「おはようございます……。ええ、ほんと、いいタイミングで……」


朝の平穏は、早々に崩れ去った。


走ってきたルーベントは運動靴を履いており、肩には何か袋を下げている。

胸の奥がざわついて仕方がないクィアシーナは、先手を打つことにした。


「ルーベントさん、もしかして迎えに来てくれたんですか?

もしそうだったら、まだ十分時間はありますし、ゆっくりお喋りでもしながら登校しましょう」


なるべくにこやかに、ほらほらのんびり行こうよ~といった雰囲気を醸し出しながら提案する。

が、そんな雰囲気を彼が感じ取るはずもなく。


「何を言ってるんだ。クィアシーナを迎えに来たのは正解だが、早く学園に着いたほうが、いろいろできるだろう?

ほら、これ持ってきてやったぞ!」


彼は袋から何かを取り出すと、クィアシーナのほうへ放り投げた。

慌ててキャッチしたそれは、以前、生徒会館で借りた運動靴だった。


やっぱり、という諦めの気持ちでルーベントのほうを見ると、

「早く履き替えてくれ。一緒に学園まで突っ走ろう!

朝のランニングは気持ちいいぞ~!

あ、クィアシーナの鞄は俺が持っててやるからな」

と、矢継ぎ早に告げられる。


(平穏、さよなら)


この時間帯、走って登校している生徒など一人もいない。

なぜなら、普通に歩いても十分間に合う時間だからだ。

しかも、ルーベントと一緒に、など――

それはもう、「みんな見てくれ」と言っているようなものだった。


ルーベントの顔をちらりと見ると、「早く履き替えろ」とでも言いたげに、ニコニコしながら顎で催促してくる。


後ろから登校してきた生徒たちは、何事かと二人を見ては、首をかしげながら通り過ぎていった。


(果てしなく気まずい)


せめてあと十分早く家を出ていれば、彼と入れ違えたかもしれない。

そんなことを思いながらも、クィアシーナは渋々、靴を履き替えた。サイズがぴったりなのが恨めしい。


「よし、準備ができたな! じゃあ行くぞ!

まずは目標、三分で校門をくぐろう!」


「いや、普通に無理です。歩いて十五分の距離なんで」


クィアシーナが冷静にツッコミを入れるも、


「それじゃあ、位置について……」


と、ルーベントはすでにスタートダッシュを決める勢いで、開始の合図に入っていた。


「よーい、ドン!」


掛け声とともに、走り出す。

一体、自分は朝から何をさせられているんだろうか。


「おい、ちょっとペースが落ちてるぞ!」


「いいぞ! その調子!」


「ほら、息を一定にするんだ! あとちょっとだぞー!」


ことあるごとに激励の言葉を飛ばすルーベントと、息を切らして走るクィアシーナ。

二人は、これ以上ないほど悪目立ちしていた。


熱血コーチと鍛えてもらってる生徒といった風の二人を、周囲の者は遠巻きにして眺めている。

時おり聞こえてくる「がんばれー」の声がつらい。



やっとのことで校門をくぐったとき、「ゴール」という声が、どこからともなく聞こえてきた。

クィアシーナはぜーはー言いながら周囲を見渡すが、声の主は見当たらない。


『朝からお疲れさまでした。よかったら、また付き合ってあげてください』


淡々とした口調に、姿を消したまま挨拶当番をしているドゥランの声だと気づく。


「ドゥランさんは……同じ会計、でしょ。

今度は、ドゥランさんが……付き合って、あげて、ください……」


息も絶え絶えになりながら、必死に抗議する。

反対側で挨拶当番をしていたビクターは、こちらを指さし、腹を抱えて大爆笑していた。


「お疲れさま! クィアシーナ!」


まったく息の乱れていないルーベントが、クィアシーナに鞄を手渡し、肩をポンと軽く叩く。


「いい汗かけたな! 次は、もっとタイムを縮めような!」


そう言って――握り拳を、こちらに差し出してきた。


「……善処します……」


拳を突き合わせ、謎の誓いを交わす。

朝からすっかり疲れ切ったクィアシーナは、

(今日はこれ以上、何も起きませんように……)

と、心の底から願うのだった。





「ちょっとクィアシーナ! どういうこと!?

なに、ルーベント様と一緒に登校しているのよ!」


登校早々、朝のランニングの件でマリアに詰められた。

ルーベント推しのマリアは、きっと何か言ってくるとは思っていたので、クィアシーナは素直に謝る。


「ごめん。といっても、全然私は悪くないんだけど。

勢いに負けて、なぜか走らされた……」


思っていることをそのまま伝えると、マリアはそれすら否定してきた。


「走らされたんじゃなくて、鍛えてもらったんでしょう!

ルーベント様のご厚意を“やらされた”なんて言わないで! ああ羨ましいったらありゃしない!」


マリアはその場で地団駄を踏んで憤った様子をみせる。


「ええー……」


理不尽すぎる。

じゃあ、どう答えたら正解だったのだろうか。


「まぁまぁ。クィアシーナの朝って、本当忙しいよねー。

……ちなみに、誰と登校したときが、クィアシーナ的に一番だった?」


ララがマリアを窘めてくれたが、後半は完全に面白がっている。

それは彼女の態度から、手に取るように分かった。


「一番って……。私は、普通に歩いて登校したいんだけど……」


「え? ってことは、昨日徒歩で一緒に来てた、ダンテ殿下が一番ってこと!?」


「どういう捉え方したら、そんな解釈になるの」


その一言に反応したのか、ダンテ推しのリファラたち五人が、こちらの会話に参戦してきた。


「ちょっとクィアシーナさん!

いま、ダンテ殿下がどうとか聞こえたんだけど!?」


「私からは、一言もダンテ会長の名前は出してないよ……」


「リファラ、邪魔しないでくれる? 私は今、ルーベント様の話をしてるの! ダンテ殿下なんてどうでもいいわ!」


「なんですってー!? マリア、今の台詞は聞き捨てならないわ! ダンテ殿下あってこその生徒会でしょう!?」


「クィアシーナはどう思うー? ダンテ殿下とルーベント様ならどっち推し?」


「ララ、止めて。火種を大きくしないで」


本鈴が鳴るまでの間、口論は続き、クィアシーナの席の周りは完全にカオスだった。




(授業中が一番心休まるって、どんな状況なんだ)


朝から体力的にも精神的にも、ガリガリと身を削られていたクィアシーナである。

そんな彼女にとって、座学の授業は唯一、心を落ち着かせてくれる時間だった。


先生が書いていく板書の内容を、ぼんやりと目で追う。

ノートに書き移そうと視線を下げた、そのとき――

クィアシーナは自分の親指を見て、心臓がドキリと跳ねた。


(指輪が、嵌ってない)


一瞬で顔が青ざめる。

だがすぐに、今朝から指輪をネックレスとして首から下げていたことを思い出した。


(焦った……無くしたかと思った)


それでも、ちゃんとそこにあるか確認せずにはいられない。

もし無くしていたら、一大事だ。


先生が板書に向かい、背を向けている隙に、服の中へと手を入れ、指輪のかかったチェーンをそっと引き出す。


チェーンに通された指輪を確かめ、クィアシーナは、ようやく安堵の息を吐いた。


(あー良かった。知らない間に落としてる、っていうのが一番たち悪いもんね)


そう思った、その直後だった。

指輪を見て、クィアシーナは「あ」と小さく声を漏らす。


――黒い。


それは、ただ黒ずんでいる、という程度ではなかった。

元は銀色だったはずの指輪が、

まるで煤にまみれたような、どす黒い色へと変色していたのだ。


いつの間に、魔法を受けていたのだろうか。

今朝までは少しくすんでいただけだった。

それが、登校までの間に、まさかここまで変色するなんて。


(誰かが、かなりの威力の魔法を、私に向けて使ってきたってこと?)


走るのに必死で、何も感じなかった。

しかし、何かしら攻撃を仕掛けられたということが、指輪の色から嫌でもわかる。


――早いところ浄化して貰わないと、国宝が壊れる。

クィアシーナは、知らぬ間に攻撃を受けたという事実より、国宝が破損危機に瀕していることのほうが、足がガクガク震えてくるくらいに恐ろしかった。


ドキドキを落ち着かせるよう再度指輪を服の中へ入れる。

幸い、午前中の授業は全て教室内で行われる座学だけだ。

次に他の学年、他のクラスと接触機会があるのは、昼休みくらいだ。誰かにまた魔法攻撃を受ける前に、なんとしてもダンテに会いに行かねばならない。


(でも、どうやって連絡を取ればいいの)


こういうとき、自分に魔法が使えたらと思う。

そうしたら、すぐにでも伝達魔法で、指輪の浄化をお願いすることをダンテに伝えられたのだろう。


しかし、使えないものは仕方がない。

自分からダンテに会いに三年の教室まで行くか、それとも、放課後の生徒会の時間までおとなしくやり過ごすか……。


もちろん、ダンテに会いに教室まで行くなんて、死地に赴くようなものだ。

そんなリスキーな選択肢を、クィアシーナが取るはずもない。


放課後に生徒会でダンテに会うまでの間、なんとしても目立たないようにしなければならない。

そう心に決め、彼女は決意を固めた。





――しかし、そんなクィアシーナに奇跡が起きた。

一限の授業が終わるや否や、『伝達事項』という声が、頭の中に鳴り響いたのだ。


(まさか……)


そう思いながら、クィアシーナは意識を頭の中の声へと集中させる。

声の主は――待ち望んでいた、あの人だった。


『昼休みになったら、すぐに生徒会館の応接室に集合すること』


それきり声は途切れ、クィアシーナは思わずその場でガッツポーズをした。


(ダンテ会長、さすがです……!)


向こうは別の用件で彼女を呼び出したのだろうが、タイミングとしてはこれ以上ないほど完璧だった。


クィアシーナは午前の授業を終えると、昼休みの鐘が鳴るのと同時に、生徒会館へと向かった。


もちろん、全力で気配を消し、全力で生徒会館までの道のりを駆け抜けた。

誰にも、何も仕掛けられるわけにはいかない。


ビクターと登校したとき以上に、持てる力のすべてを注ぎ込み、空気に溶け込むようにして、自身の存在を掻き消す。


(つ、疲れた……!)


その結果、クィアシーナが生徒会館に辿り着いたころには、朝以上に、心身ともにヘトヘトになっていた。





「やあ、クィアシーナ。早かったね」


応接室に入ると、ダンテは足を組み、彼女の到着を待っていた。

道中で彼と鉢合わせしなかったことを考えると、どうやら転移式を使って先に来ていたらしい。


「お疲れ様です。……これほど、あなたに呼び出されて嬉しかったことは、今までありませんでした」


「ええと、それはどういう意味かな?」


「言葉通りです。感謝しています」


ダンテは、クィアシーナがいつになく喜んでいる様子に、わずかに不思議そうな表情を浮かべた。

だがそれも一瞬のことで、すぐに、いつもの余裕ある微笑へと切り替わる。


「まあいいや。昼休みに君を呼び出したのは、指輪の様子が気になったからなんだ」


「指輪」と聞いて、クィアシーナは目を瞬かせた。


「ダンテ会長は、指輪のピンチまで分かってしまうんですか!?」


驚きだった。

まさかダンテまで指輪の異変を察し、彼女を呼び出したのだとは思わなかった。


「はは、そんなわけないでしょう。

今朝、ルーベントから、登校途中にクィアシーナが魔法を受けていたと聞いてね」


「え……? ルーベントさんが?

彼は、私が何か魔法を受けていたことに気づいていたんですか?」


ルーベントが気づいたということは、あの一緒に走っていた時間に、魔法が使われたということになる。

自分は走るのに必死で、まったく気づかなかったのだが……。


「彼の危険察知能力は、ずば抜けているからね。野生の勘、とでも言うのかな。

それにしても、朝に彼を君の迎えに行かせておいて正解だったよ。

二人が色々と目立ってくれたおかげで、見事に餌が釣れた」


ダンテはひどく満足そうに、クィアシーナへ微笑みかけた。


「ルーベントさんが迎えに来たのって、ダンテ会長の仕業だったんですか!?

あの朝一ランニングも!?」


「迎えに行くよう指示しただけで、方法までは指定していないよ。

でも……フフッ、いい運動になったみたいだね?」


クィアシーナは思わず、心の中で舌打ちした。

笑いを堪え、声を押し殺しているダンテの顔が、なおさら腹立たしい。


「ええ、とってもいい運動になりましたよ。しばらくは勘弁したいくらいに」


顔には笑みを浮かべつつ、言葉にはしっかりと嫌味を込める。

ルーベントの送迎は、もう二度と受けたくない――心の底からそう思った。



「それで、指輪の状態を見せてもらえる?」


「あ、はい」


クィアシーナはダンテに促され、服の中からチェーンごと指輪を引き出し、そのまま彼の手に渡した。


「首からかけることにしたんだ?」


「はい。指輪って目立つので、効果が知られて狙われるのも怖いな、と思って」


しかも、国宝だ。

指ごと持って行かれたりしたら――その先は、考えたくもない。


ダンテは手渡された指輪を見つめ、わずかに眉をひそめた。

黒くなった指輪は、どこか異様な雰囲気を醸し出している。


「……これは、酷いね」


「やっぱり、ぎりぎりでした?」


声のトーンが、明らかに違う。

クィアシーナはその変化に不安を覚え、思わず胸の前で両手を組んだ。


「そうだね……あと一回喰らっていたら、クィアシーナ自身にも被害が出ていたかもしれない」


「あ、そっち?」


指輪の状態ばかり気にしていたクィアシーナは、自分の身体に被害が及ぶ可能性など、考えもしていなかった。

そんな彼女の様子に、ダンテは思わず苦笑を漏らす。


「本当に、君は自分のことには無頓着だな……」


「いえ、そんなことはないと思うんですが」


これでも、それなりには気にしている。

我が身は可愛い。命は惜しい。


「それで、この指輪、前みたいに浄化できます?」


「ああ、ちょっと待ってて」


そう言うと、ダンテは指輪を握りしめ、何かの呪文を唱え始めた。


――前回、無詠唱でやってのけたときとは違い、今回はひとつひとつ確かめるように、丁寧に魔法を施している。

その様子から、以前よりも状態が悪いことが察せられた。


ただ見守ることしかできないクィアシーナは、ダンテが魔法を施す様子を、息を詰めて見つめていた。


(あれ……なんだか、苦戦してる?)


明らかに、前回よりも時間がかかっている。


それどころか、彼が指輪を握る手から、チリチリ、と煙が燻り始めていることに気づいた。


慌ててダンテの顔に視線を移すと、痛みを堪えているのか、表情が苦しげに歪んでいた。

彼は耐えきれなくなったように、片手で握っていた指輪を、両手で押さえ込むように持ち替える。


クィアシーナに魔法のことはわからない。

途中で邪魔したら、どんな影響が出るのかも、想像すらできない。

しかし、このまま続ければ、ダンテに危害が及ぶ――そんな予感がした。


「ダンテ会長、すいません! 邪魔しますっ!!!」


クィアシーナはひと言宣言すると、片手を振り上げ、思い切りダンテの手を叩いた。


突然の衝撃に、ダンテの手はぱっと開き、指輪が絨毯の上を転がった。

指輪からは煙が燻ったままで、火事になるかもしれない――クィアシーナは慌てて、足で消火するよう踏んづけた。


そしてクィアシーナは、なぜか放心状態になっているダンテに必死で声をかけた。


「大丈夫ですか!?」


反応のないダンテの手を掴み、掌の状態を確認する。

その瞬間、息が止まりそうになった。


「給湯室へ! 冷やしましょう!」


クィアシーナはダンテを引きずるようにして、応接室を飛び出した。

心臓は言葉にできない衝撃で、バクバクと激しく脈を打つ。


――ダンテの掌は、真っ赤に爛れていた。


あのまま続けていたら、彼の手は使いものにならなくなっていたかもしれない――かなりの痛みを伴ったはずだ。


クィアシーナは、ダンテの手を流水で冷やしていく。

その間もダンテは黙ったまま、火傷を負った掌をじっと見つめている。


その静かな沈黙とは対照的に、クィアシーナの心はざわめき、収まることがなかった。


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