55. 頼るべきは身近な先輩
結局、消えたナイフについては、後日ダンテからキャロラインとグローリアの二人に、入手経路などを含めて詳しく話を聞く、ということになった。
(なんだか気持ち悪いけど……消えてしまったものは仕方ない)
クィアシーナは胸の奥に小さな違和感が引っかかったままだったが、フィナンシェを摘み、淹れたての紅茶を口に含むと、不思議と気持ちはすぐに落ち着いた。
週末にマグノリアンと買ったフィナンシェは、時間が経っても美味しい。
甘く、わずかにしっとりとした柔らかな食感が、口の中いっぱいに幸せを広げてくれる。
(あー、最高。私、生徒会の中ではこのまったりした時間が一番好き)
そして――そんな幸福なひとときのあとには、決まって一番気分の沈む仕事が待っている。
「それじゃ、俺は先に相談箱の回収に行ってくる。終わったら会議室に来てくれ」
「……はい、了解です」
マグノリアンにそう返し、紅茶をもう一口飲んでから、深く息をつく。
――賭けてもいい。
間違いなく、相談箱は溢れ返っている。
昨日今日で、ビクターファンとダンテファンを煽るような真似をしたのだ。
彼らを誑かして何様なんだ――そんな、自分宛ての苦情が山のように届いている光景が、容易に想像できた。
(よし、いくか。まったく気乗りしないけど)
◇
「おまえ、本当すごいな……。ダンテさんの代になってから、今日が最高記録なんじゃないか?」
クィアシーナが会議室の扉を開けると、目の前には机の上にこんもりと積み上がった意見書の山があった。
マグノリアンは一通一通を開封し、中身を確認しながら仕分けしているが、行き先はすべてただ一つ――無論、クィアシーナの元である。
「こっちはビクターファンから、こっちはダンテさんファンだな。それで、こっちは二人のファンから。あとはファン関係なく、ただのやっかみ」
手渡された内容は、どれもこれも予想を裏切らないものばかりだった。
ビクターファンからは、手を繋ぐなんて見せつけのつもりか、といった文句。
ダンテファンからは、ダンテ殿下に一緒に登校してもらうことを強請るなんて何様だ、という苦情が大半を占めていた。
一つ一つに目を通していくが、あまりにも似たり寄ったりな内容に、途中からは、読まなくてもいいかな、という気さえ起こってしまう。
「それで、これだけの意見をもらって、どうするんだ?」
マグノリアンはあらかた仕分けが終わったのか、紙を束にまとめながら、今後の対応をクィアシーナに問いかけてきた。
「どうするって……。この場合、私には何もできない気がするんですが……」
ビクターの手繋ぎも、ダンテのお迎えも、周囲へのパフォーマンスの一環――彼らの気まぐれな“仲良いですよ”アピールにすぎない。
後輩としては、先輩方からそんな態度を取られて、無碍にすることもできない。
かといって、『私に構わないでください』なんて、どこかの天邪鬼なヒロインみたいな台詞を二人に伝えるのも、違う気がした。
と、そこへ、マグノリアンが言いづらそうな様子で、声を落として意見する。
「……思わせぶりな態度、取らないようにしたらいいんじゃないか?」
「え?」
マグノリアンの呟きに、思わず彼の方を仰ぎ見る。
前にもダンテにベタベタしなければ良いんじゃないか、と言われたことはあった。が、あのときの冗談混じりの感じと違って、今回は真剣に忠告している。
なんとなくではあるが、彼もまた――自分が受け入れざるを得ない立場を、理解してくれている気がしていたのに。
――なのに、なんで今さら。
「私が、思わせぶりな態度をしてると、本気で思ってるんですか?」
苛立ちを表に出さないよう、なるべく冷静に返す。
すると、マグノリアンも真面目な顔になり、「客観的に見て、だけど」と静かに口を開いた。
「最初に言っておくけど、怒るなよ?
俺が生徒会以外の生徒だとして、転校してきたばかりのおまえが、急に生徒会の役員に就任した。それだけならまだしも、毎日違うメンバーと、やたら距離が近い行動を毎日のように繰り返していく」
「……たとえそれが相手側からの行為だとしても、俺からしたら、おまえがみんなを誘惑してるんじゃないのかって、疑いはする」
マグノリアンは言い切ると、バツが悪そうに視線を逸らした。
(言ってることはわかるけど、じゃあどうしろって言うの)
言いようのない感情を逃がすように、手を強く握り締める。
正論を突きつけられたが、解決策は提示してくれない。
なんて勝手なんだろう。
ここで反論してはいけないと頭では理解しつつ、口が勝手について出た。
「じゃあ、どうすればいいと思いますか?
……そこまで言うなら、一緒に考えてくださいよ」
最後のほうは、なぜか声を絞り出すような懇願になってしまった。
ずっと考えなければならないことが多すぎて、ここへ来て疲れてしまったのかもしれない。
マグノリアンが、生徒会メンバーのファンからの嫉妬への対処法を知っているのなら、ぜひともアドバイスを請いたかった。
自分は俯いているので、マグノリアンが今どんな表情をしているのかはわからない。
重い沈黙が室内を包む。
やがて、「……わかった」と、頷くような声が聞こえた。
そして、
「おまえが、不特定多数じゃなく、特定の相手を作ればいいんじゃないか?」
と、真面目なトーンで告げた。
「んんんっ!?」
がばりと顔を上げ、マグノリアンの方をガン見する。
彼の表情といえば、いいことを思いついた、 と言わんばかりの顔をしていた。
「うん、それだ。そうすれば、生徒会のみんなも下手にちょっかいをかけてこないだろう?
それに、もし二人で行動するようなことがあっても、本命がいるんだから、ただ仕事で一緒にいるだけだって思われるんじゃないか」
「……めちゃくちゃ簡単に言ってのけますね。
そんな短期間で、私がお付き合いする相手を見つけてこられるくらい器用な人だったら、今ごろもっと上手くやってます」
呆れを通り越して、脱力してしまう。
なんなんだ、この糞バイスは。
「そんなこと言うなよ。おまえは器用じゃなくても魅力的だよ」
「……」
さっきから、どうしたんだろう。
えらく真剣な眼差しで見られている。
マグノリアンはそこから視線をやや下に落とし、独白するかのように語り出した。
「さっき、ダンテさんに何か渡してただろう? 証拠品がどうとかって。
聞き耳を立てるつもりはなかったんだけど、つい気になってさ。
また、誰かのつまらない嫉妬で、理不尽なことをされてるんじゃないかと思ったら……見てられないんだよ」
(あ、そういうことか)
マグノリアンは、私を通してアリーチェさんを見ている。
彼女が理不尽な仕打ちを受けていると知りながら、退学に至るほどの怪我を負うまで、何の力にもなれなかったことを、悔いているのかもしれない。
彼は、ビクターや他のメンバーと違って、アリーチェさんが役割を持ち、わざと周囲を煽っていたという事実を知らない。
真っ直ぐで、いい意味でも悪い意味でも人を疑うことを知らない彼は、まさかクィアシーナまでもが囮として引き付け役を買って出ているなど、思いもしないだろう。
「心配してくださって、ありがとうございます。ただ……そうですね。あと一ヶ月は何も言わず、様子を見ていただけると助かります」
ダンテとの契約期限は一ヶ月。
契約を無事に満了できれば、自分は晴れて生徒会の庶務代理を卒業する。そうなれば、いらぬ嫉妬を買うこともなくなり、マグノリアンも心配する必要はなくなるはずだ。
自分としては、マグノリアンを安心させるために言ったつもりだった。
だが、彼はまだ納得がいっていないのか、眉を寄せ、険しい表情を向けてくる。
「いや、そうじゃなくて……。
俺に力になれそうなことがあれば、すぐに言えよ。仕事以外で頼ってくれていいから。愚痴を聞くとか、そんなことでもいいし」
(ほんと、めちゃくちゃ優しいな、この人は)
クィアシーナは、自分の表情が自然と緩んでいくのがわかった。
そして――
「ありがとうございます。では早速、手伝っていただきたいことがあります」
「めちゃくちゃ早いな、おい」
「マグノリアンさんが言ってくれたんじゃないですか。仕事以外でも頼ってくれていいって」
「言ったけどさ……」
なんか、違う。
彼の様子から、そんな感情が手に取るようにわかった。
けれども、申し出てくれたのは向こうである。クィアシーナは、ありがたくその厚意を受け入れただけに過ぎない。
マグノリアンの気が変わらないうちに、早々に手伝いの内容を告げる。
「私、いまアリーチェさんの日誌を読んでいるんですが、そこに書かれている暗号みたいな記述の意味を考えているところなんです。でも、私の頭じゃ、それが何なのかさっぱりわからなくて。マグノリアンさん、一緒に考えてくれませんか?」
マグノリアンは、特待生制度を利用していると言っていた。
きっと頭の方は、かなり優秀な部類に違いない。
クィアシーナとは異なる視点から、あの記号の意味を捉え、答えを導いてくれるのではないか――そんな期待を抱いた。
(もし、マグノリアンさんにもわからなかったら、悔しいけれど、ダンテ会長にヒントをもらうことにしよう)
マグノリアンに謎を解いてもらおうとするあたり、ダンテからヒントをもらうよりズルをしている気もするが、そこは深く考えないことにする。
「アリーチェさんの日誌? あの、付けてる意味があるのかないのかわからないやつ?
暗号みたいな記述って、それ、たぶん本人も意味なんて考えずに、遊びで書いてたんじゃないのか?」
「なかなか辛辣ですね」
「まあ、意見書を整理したら、あとは片付けだけだし。このあと、早速見てみるか。どんなのか俺も気になるし」
「やった。ありがとうございます!」
クィアシーナは嬉々とした気分で、意見書の山をいつもの倍のスピードで片付けた。
◇
「これが、私が昨日見ていた昨年度の日誌です」
「ああ、懐かしいな……」
二階の備品庫で、二人は棚の前に並び、日誌を見合わせる。
マグノリアンはクィアシーナから日誌を受け取ると、パラパラとページを捲り、
「記載レベルのアンバランスさが、ほんと、あの人らしい」
と、目を細めて懐かしむように内容を確認した。
「その、詳細に書き込まれているページを見てもらえませんか?
たぶん、庶務の業務欄に『害虫駆除』の文字が書かれていると思います」
「……ん、あった。これか。それで、暗号っていうのは?」
「はい。害虫駆除の欄の横に、丸括弧と数字がありますよね?
それと、端にマークみたいな絵も。これが何を意味しているかわかりますか?」
「ほんとだ。他のページにも、似た記述があるな……
今年度の日誌にも、この数字は書かれているのか?」
マグノリアンは日誌に目を落としたまま、クィアシーナに問いかけた。
「それはまだ確認していません。今年度の日誌は……」
今年度と書かれた棚に並ぶ、細々とした冊子を一冊ずつ引き抜き、表紙を確かめていく。
「あった」
ほどなく、昨年度のものとよく似た体裁の冊子を見つけ出した。
クィアシーナがページを捲ると、やはり庶務の欄に『害虫駆除』の文字と、数字、そしてマークが、昨年度と同様に書き込まれている。
そのページをマグノリアンの方へ差し出す。
彼は「ありがとう」と言い、冊子はクィアシーナに持たせたまま、視線だけを落とした。
「今年度も書いてあるってことは……ただの気まぐれじゃなさそうだな」
「確かに。あ、実はダンテ会長にも、昨年度の冊子を見てもらったんですよ」
「ダンテさんに?」
「はい。すると会長は、すぐにこれらの意味に気付いていました」
「え、じゃあダンテさんに答えを聞けば済む話だろ」
マグノリアンは、どこか呆れたような声を出した。
「それが、ちょっと煽られまして。私の競争心に火がついたというか、プライドが許さなかったというか……」
ヒントをもらえるところまで来て、「あーん」までさせられた。
結局はドゥランが現れて話が中断されてしまったのだが、そういう形でヒントをもらうこと自体が、クィアシーナの癪に障った。
「とにかく、ダンテ会長に頼らず、この謎を解き明かしたいんです!」
マグノリアンに視線を合わせ、クィアシーナは力強く言い切った。
その言葉に、彼はぼそりと呟く。
「……ダンテさんには頼らず、俺には頼るんだ」
「はい。思う存分に頼らせて頂きます。さっき、言質も取りましたし」
彼は――力になれることがあれば、仕事以外でも頼っていいと言ってくれた。
ダンテとは違い、そこに打算はない。
クィアシーナにとって、それは心から安心して頼れる申し出だった。
「……うん、わかった」
マグノリアンはそう答えて頷いたが、なぜか少し気恥ずかしそうに、そっと視線を逸らした。
クィアシーナは、内心で力強い味方ができたと思っていた。
囮役の件については、すでにリンスティーに相談に乗ってもらっている。
けれど、犯人の一人が彼の義妹かもしれないという可能性があり、これ以上巻き込むことには、どうしても躊躇いがあった。
だからこそ、ここに来てまた単独で動くよりも、こうして頼りになる人物が傍にいてくれるだけで、精神的にずいぶん楽になるのを感じる。
「でも、ちょっとすぐにはわからないかもな……
この数字をまとめたものとか、手元にあったりするか?」
「あ、ちょうど昨年度の分だけまとめたメモがあります。待ってください」
そう言って取りに行ったものの、作成したメモはすでにゴミ箱に捨ててしまっていた。
クィアシーナは中から、くしゃくしゃになった紙を取り出し、マグノリアンに差し出す。
「こういうとこ、性格が出るよな」
「なんのことでしょうか」
クィアシーナは、しれっと返事を返す。
だって、羅列したところでわからなかったのだ。
無駄なことをした、と――せっかく書いた紙を捨ててしまうなんて、普通に誰でもやってしまうことだろう。たぶん。
マグノリアンは、クィアシーナが書き出した内容を見て、それから「あ」と何かに気付いた様子を見せた。
そして、昨年度の日誌のある日付に目を落とし、「わかったかも」と呟く。
「え、早」
ダンテといい、マグノリアンといい、彼らの頭はどうなっているのだろうか。
やはり、宇宙だ。宇宙が広がっているのだ。
「学生名簿の冊子はあるか? たぶん、きちんとした製本のもので、どこかの棚にまとめてあると思うんだけど」
「名簿、ですか? 探してみます」
クィアシーナは他の棚へ視線を向け、名簿らしき冊子が並んでいそうな場所を目視で探す。
すると、マグノリアンの言ったとおり、『学生名簿』とラベリングされた棚を見つけ、その中から昨年度のものを引っ張り出した。
「名簿の、十五ページを開けてくれ」
「はい」
言われたとおり十五ページ目を捲ると、三年Sクラスの生徒名が一覧になって並んでいた。
「そこに書かれている、十一番目の名前は何になってる?」
「十一番目……ええっと、セルゲイツ・ゴールディンって書いてます」
「やっぱり」
マグノリアンは、自分の予想が当たっていたことに、満足げな様子を見せる。
「やっぱりって、一体どういうことですか?」
怪訝な顔で問いかけるクィアシーナに、マグノリアンはダンテとは違い、すぐに答えをくれた。
「あの数値は、名簿のページ番号と出席番号だ。
それから、あのマークみたいな絵については、まだ確信は持てないけど、アリーチェさんが受けた嫌がらせの内容を表してるんじゃないかと思う」
クィアシーナは、マグノリアンの答えに、思わず息を呑んだ。
「え、なんでそんなことがわかったんですか?」
「蛇の絵を見てピンときたんだ。あの人、昨年度に五回も毒蛇を仕掛けられたことがあったから」
「多っ!」
「犯人は、元生徒会メンバーの一人、セルゲイツさんだと後でわかった。三年だったから、もう卒業してしまったけど」
確かに、『害虫駆除』の(15-11)は昨年度五回登場している。
その数値が出てくるページには、必ず蛇の絵が描かれていた。
「もしかして、『害虫駆除』って……」
「犯人探しか、あるいは報復に行ってたんだな。アリーチェさん、売られた喧嘩は全部買うタイプだったから」
「うわー……」
しかし、ここでクィアシーナは、はたと思いあたる。
(アリーチェさんは、自分に嫌がらせをしてきた犯人全員を把握していた、ってこと?)
そうでなければ、日誌をつけている時点で名前を特定するなどできないだろうし、その後の『駆除』にも繰り出せない。
(めちゃくちゃ優秀な人だったんだな……)
ここに来て、改めてアリーチェの凄さを実感するクィアシーナだった。




