53. 放課後の騒動とアレクシスの価値観
放課後、クィアシーナは教室を出ると、一直線に生徒会室へ向かっていた。
一週間も経てば、心臓破りだと思っていた急勾配の階段ルートも、もはや苦ではない。
放課後も階段ルートから行こうと、道の手前にある裏庭を通る。
と、そこへ女子生徒が二人、静かに佇んでいるのが目に入った。
(こんなところで、何をしているんだろう……)
この時間帯にここに人がいるのは珍しい。
彼女たちをちらりと横目で見て、そのまま通り過ぎようとしたところ、
「ちょっと待ちなさい」
と、呼び止められてしまった。
「あなたがクィアシーナね?」
不躾な呼び方と、こちらを値踏みするような視線に、クィアシーナは不信感を抱いた。
彼女としては、一刻も早く生徒会館へ向かい、さっさとアリーチェの日誌の謎を解き明かしたかった。
それを邪魔され、わずかに苛立ちを覚える。
だが、その焦燥をなんとか抑え、努めて冷静に返す。
「はい、私がクィアシーナです。あの……どちら様でしょうか?」
「平民風情に、名乗る名前などないわ」
「ほんと、身の程知らずだこと」
彼女たちは腕を組み、尊大な態度でこちらを見下ろしている。
(うわー、隠す気のない選民意識! この人たち、リストに載ってる連中っぽいな)
クィアシーナは一瞬で、彼女たちを「厄介な人間」と認定した。
「了解しました。では、お見苦しい平民は退散いたします。御前を失礼」
面倒くさい、関わりたくない——その一心で彼女たちの前からさっさと立ち去ろうとしたが、やはりというべきか、そう簡単にはいかなかった。
「お待ちなさい! 私たちはあなたに用があるのよ。あなた、ブレンダ様に怪我を負わせたって聞いたわ。
いったい、どういうつもりかしら?」
「お可哀想に。彼女、まだしばらくは学園に来られないのよ。怪我の跡も残るほどだと聞いているわ。
それなのに、あなたは罪を犯しておいて、何のうのうと学園に通っているの!?」
予想を裏切らず、彼女たちはブレンダの取り巻きらしい。
ジェシーの言っていた通り、向こうから早速、絡みに来てくれた。
しかし、ブレンダが負った怪我が、そこまで深刻なものだったとは。
とはいえ、もともと彼女は、その魔法をこちらに向けて放とうとしていたのだ。自業自得にも程がある。
「あの、私はそのブレンダさんの件について、まったく身に覚えがございません」
本当は身に覚えがないわけではない。
だが、こちらとしては何もしていないのも事実だ。
ダンテが彼女に、“お返ししてあげた”だけなのである。
彼女たちを刺激しないよう、淡々と話す。
「私が、いつ、どのようにして、そのブレンダさんに怪我を負わせたとされているのか、詳しく教えていただけますか?」
実際、どんな話として自分の行為が伝わっているのか、純粋に興味があった。
きっと彼女たちは事細かにどうでもいいことまで教えてくれるのではないか、と思ったのだが。
しかし——
「まあ! なんて白々しいんでしょう!」
「本当よ! 自分でやっておいて、私たちの口から言わせようとするなんて!」
「……いえ、ですから。本当に、自分でやった覚えがないので、伺っているのですが……」
「ああ、やだやだ。これだから庶民は話が通じないったらありやしないわ」
二人揃って首を振り、かわいそうなものを見る目でこちらに目を向ける。
「……」
思わず、口を噤んだ。
話が通じないというのは、完全にこちらのセリフである。
さっきから全く会話のキャッチボールになっていない。
「じゃあ、話が通じないということで、もう行ってもいいですか? 生徒会の仕事があるんで」
「だからお待ちなさい! 話は終わってないわ!」
「……」
じゃあまともな会話をしてくれ、と心の中で突っ込みを入れる。
ジェシーはこの人たちとお茶会をしたと言ってたが、ちゃんと会話は成り立っているのだろうか。
それとも、貴族にしかわからない行間を読むかなんかで、一見成り立ってなくてもなんとかなってるのだろうか。
(私、貴族じゃなくて良かった)
この二人を見て、心の底からそう思う。
クィアシーナは、はぁ、と一息つき、
「では、手短にお願いします」
と、心を無にして言った。
「ま! なんて生意気な口を聞くんでしょう!
……まあいいわ。私たちの要求はただ一つ。ブレンダ様の責任を取って、学園を去りなさい。そうすれば、命までは取らないと約束してあげる」
「うわ、めっちゃ悪役なセリフじゃないですか……しかも、命って……それこそ犯罪じゃ」
「「おだまり!」」
二人が声を揃えて叫ぶ。
そんな大声を出したら、騒ぎを聞きつけて、誰かが駆けつけてくるんじゃないだろうか。
裏庭で人が少ないとはいえ、先程から壁に声が反響しているのだから。
「あの、もう少し声のボリュームを落としたほうがいいかと」
「余計なお世話よ! さあ、どうするの? 私たちの要求をおとなしく飲んでいただけるかしら?」
「むしろ、ここでおとなしく『はい』って言う人っているんでしょうか」
「まー! 本当に、減らず口を叩く子ね!」
今のところ、このお嬢様たちからは、ダン以上に小物臭しかしない。
ただ、こうして面と向かって啖呵を切ってくるところは、逆に好感が持てた。
「ちなみにですが、私があなたたちの言う通りに学園を去らなかった場合、どうするつもりなんです?」
「え」
「どうしようって……え、どうします? キャロル様……」
「どうって、グローリア様こそ……」
二人は顔を見合わせ、おろおろとし出す。
――マジか。
何も考えてなかったなんて、そんな脇の甘いことがあるのか。
これは、相手にするだけ時間の無駄だ。会話を終わらせ、さっさとこの場を立ち去ろう。
「よし。じゃあ、もう少し計画を練ってきてください。それと、もう一度言いますが、ブレンダさんの件については冤罪です。証拠を持ってきてくれたら、改めて話を聞いて差し上げます。……キャロルさんと、グローリアさん?」
敢えて、上から目線で言い放つ。
呆然とする二人の前を通り過ぎ、今度こそ階段へと向かう。
しかし――どうやら、自分の見立ては甘かったらしい。
「この――っ、平民が調子に乗り過ぎよッ!!!!」
振り向いたときには、キャロルが隠していたナイフを手に、こちらへ走ってきていた。
その背後で、グローリアはそれを笑って眺めている。
(ええっ、うそでしょっ!? こんなとこでナイフを持ち出すの!?)
まさか、ブレンダの仇程度で、本当に命まで狙ってくるとは思ってもみなかった。
ザ・お嬢様だと思い込み、完全に油断していた。
やはり貴族主義には、極端に危険な者が多いようだ。
もちろん、防護ベストは今日も着込んでいる。
だが、胸以外をやられたらおしまいだ。
慌てて臨戦態勢を取ろうとした、その瞬間。
キャロルの動きが、ぴたりと止まった。
「……え?」
クィアシーナが状況を理解できずにいると、動きが止まったキャロルですら、自分の身体がなぜ動かないのか把握できていないようだった。
「な、なに!? おまえ、一体私に何をしたの!?」
キャロルが顔を真っ赤にして、こちらに向かって吠える。
対するグローリアも、同じく身体が動かないようで、こちらは顔を青くしていた。
「いえ……私は、なにも……」
「ごめんねー? つい、手を出しちゃった」
その声は、グローリアの後ろ――教室棟の方から聞こえてきた。
建物の影からゆっくりと姿を現したのは、両手をそれぞれ握り締め、何かを掴むようなポーズをしたまま笑っているアレクシスだった。
「アレクシスさん!?」
「こんにちは、クィアシーナ。
あんまり女の子同士のいざこざって見てられなくてさー。だって、みんな笑顔でいるほうが可愛いもんね」
彼は優雅な足取りでこちらへ近付いてくる。
殺傷沙汰が起ころうとしてる場面に似つかわしくないくらい、穏やかな雰囲気を携えて。
なぜ、こんなところにアレクシスがいたのだろうか。
いや、普通に考えたら、彼も生徒会館に向かおうとしていて、そこで自分たち三人の騒ぎに遭遇した、ということか。
「ア、アレクシス様ですって!?」
「なぜ……三年生は、まだ授業のはずでしょう!?」
二人は身体が動かないため、後ろを振り返ることができず、そのままの姿勢で口を開く。
「そういう君らも、まだ授業のはずでしょう? 二人して教室からいなくなるから、後を追って抜けてきたんだよねー」
(あ、三年生なんだ。この二人。ついでにアレクシスさんと同じクラスときた)
彼女たちは授業をわざわざさぼってまで、自分を待ち伏せしていたらしい。
そして、アレクシスはわざわざ授業を抜けてまで二人を追って来たらしい。
⋯⋯三人とも、最終学年だからって気を抜き過ぎじゃないか。
アレクシスは歩を進め、まずグローリアの前に立つ。
「リア、何度も言ってるけど、暴力はよくないよ? みんな仲良くしようよ?」
優しく諭すように言うアレクシスだが、グローリアは彼に噛みつくようにしてそれを否定する。
「アレクシス様! 私たちは決して暴力など奮っておりません! ただ、友人の仇を討とうとしているだけです! アレクシス様は、平民なんかを庇うおつもりですか!?」
――やはり、噛み合っていない。
このご令嬢は、こちらにナイフまで仕掛けておいて、何を頓珍漢なことを言っているのだろうか。
アレクシスは彼女の言葉に何も返すことなく、次にキャロルの元へ向かった。
そして彼女の耳元に顔を近づけ、囁くように話しかける。
「キャロもさ、こんな物騒なもの、君には似合わないよ。ちょっと今は手がふさがってるから渡せないけど、代わりに今度、花をあげる」
「そ、そんなこと言われたって……」
キャロルは、さっきまで怒りで赤くなっていた顔が、今度は照れでさらに赤くなっている。
「クィアシーナ。申し訳ないんだけど、キャロからナイフを取り上げてくれないかな?」
「あ、はい」
クィアシーナは言われたとおり、キャロルの前に近づき、彼女が両手で握っていたナイフをその手からすっぽ抜いた。
取り上げるとき、「あ!」と声を上げられたが、当然、無視する。
折り畳み式だったので、しっかりと畳み、取り返されないよう自分の鞄にしまった。
「ありがとう」
アレクシスはクィアシーナに微笑みかけ、それからキャロルとグローリアに向き直る。
「ねぇ、二人とも。クィアシーナは平民だけど、君たちと同じ女の子だよ?
女の子はみんな平等でしょ? 違う?」
(んんっ? なに言ってんの、この人。"女の子は皆平等"ってどんな思想!?)
しかし、そう思ったのはクィアシーナだけではなかったようだ。
「何を言っていらっしゃるの、アレクシス様」
「一括りにするには、少しカテゴリが広すぎじゃありませんこと? 同性でも、貴族と平民では、生まれも育ちも差があると思うのですが」
身体は動かないが顔は動かせるらしい彼女たちは、眉を寄せ戸惑いの表情を浮かべている。
「すみません、私も理解できない……」
クィアシーナもつい、口から本音がこぼれた。
その場にいる女子三人から自らの考えを否定され、アレクシスの表情が曇る。
「そう……残念。意見の相違だね。
でもね、僕にとっては、女の子はみんな平等。みんな、愛でる対象なんだ。それで、その対象同士には、ちゃんと仲良くしてほしいんだ」
アレクシスの声のトーンから、少しずつ不穏な雰囲気が漂い始める。
「逆を言えば、なんだけどさ。
仲良くできない女の子なんて……いらないよね?」
アレクシスが、握り込んでいる手に力を込める。
「ぎゃ!!!」
「い、痛い!!!」
彼女たちの身体が見えない何かに締め付けられ、悲痛な声を上げた。
どうやらアレクシスは、何かしらの魔法を使って二人の身体を拘束しているらしい。
そして、彼の手の動きに合わせて、その拘束の強弱を制御しているようだ。
「今後、平民とか貴族とか、そういうことで喧嘩しないって、誓ってくれるかな?」
アレクシスの表情は、さきほどからずっと笑顔のままだ。
しかし、その目には、何を考えているのかわからない、ほの暗さが見え隠れしていて――
……端的に言うと、めちゃくちゃに怖かった。
「あれ……返事が聞こえないね。どう思う? クィアシーナ」
「え!? 私!?」
急に話を振られ、慌てふためく。
ここで、言葉の選択肢を間違えたら、色々と終了してしまう気がした。
「お……、女の子同士、仲良くしませんか?」
(お願い、うんって言って。じゃないと、あなたたち、たぶん全身の骨、折れちゃうから!)
アレクシスはその返答に満足したのか、再びキャロルたちのほうへ向き直る。
「クィアシーナは、こう言ってくれてるよ?
どう? 誓える?」
首をこてんと傾げるアレクシス。
普段なら頬を染めてしまうくらい麗しく見えるのだろうが、今は恐怖でしかない。
「ち、誓います」
「わ、私も誓いますわ!」
だから、拘束を解いて――
そんな、声にならない悲鳴が聞こえてきた気がした。
「良かった。やっぱり、身分なんて関係なく、みんな仲良くしないとね」
アレクシスがパッと両手を広げると、二人は勢いよく、その場に脱力するように倒れこんだ。
「さ、授業に戻ろうか? まだ時間は半分以上残ってる。きっと欠席じゃなくて、遅刻扱いにしてくれるはずだよ」
アレクシスは二人の手を取り、ゆっくりと立ち上がらせた。
その際、「ひっ」という小さな声が聞こえたが、アレクシスの耳には届いていないようだった。
彼は彼女たちの真ん中に立ち、それぞれとしっかり手を繋ぐと、
「じゃあ、クィアシーナ。また放課後に」
とだけ言い残し、教室へ向かって去っていった。
――どうやら、アレクシスの女の子好きは、自分が思っていたよりも、異次元のステージにいるらしい。
来てくれてとても助かったのだが、知ってはいけない一面を垣間見てしまった気がしてならない。
クィアシーナは、三人の背中を疲れた表情で見送ったあと、足元に置かれた鞄へと視線を落とした。
(え……私、この凶器、どうすんの?)
クィアシーナはその場に立ち尽くし、思わず頭を抱えた。




