50. リアルツンデレと彼の上書き
クィアシーナはその人物の姿を捉え、「あ」と声を漏らした。
「ジェシーさん?」
「!」
会館内に入ってきたのは、三年Sクラスのジェシーだった。
今日も変わらず、彼女の縦ロールは綺麗にねじれている。
「どうされたんですか? もう会館は閉める時間なので、誰も残っていないんですが……。
どなたかに用事があったのでしょうか?」
クィアシーナは彼女のもとへ近づきながら、皆がすでに帰宅したことと、今日はもう終わりの時間であることを丁寧に伝える。
それを聞いたジェシーは一瞬目を見開くと、
「うそ……ダンテ殿下は、もうお帰りになったと言うの? ずっと階段下で待っていたのに……」
と、ショックを受けた様子で呟いた。
「あー……出待ちしてたんですね」
しかし残念なことに、ダンテはどうやら転移式で帰ったらしい。
出待ちをしていたジェシーとは、完全に入れ違いになってしまったようだ。
「まあ、貴方でもいいわ。いえ、むしろ残っていたのが貴方で良かったのかもしれない」
「私で良かった、ですか?」
彼女の意味深な発言に、クィアシーナは首を傾げる。
「ええ……
少し、不穏な噂を聞いたから、忠告をしておこうと思ったんですわ。はあ、まったく、わたくしに感謝しなさいよね?」
突然の上から発言に苦笑を漏らす。
しかし、彼女の言う不穏な噂というのは一体なんなのだろうか。
ジェシーは声を潜め、クィアシーナの耳元へと口を寄せてきた。
「さっき、お茶会で聞いた情報よ。
――もしかしたら、近いうちに、あなたに報復行為があるかもしれない」
(お茶会……やっぱりあるんだ……。しかも、放課後の学校なんかで……)
クィアシーナは、物騒な発言よりも「お茶会」という言葉に意識を持っていかれた。
貴族といえばお茶会、ジェシーといえば“ザ・貴族”。
やはり、という感じである。
「ねえ、聞いてるの?」
動きが止まったクィアシーナを、ジェシーが訝しげな様子で覗き込む。
クィアシーナは「すいません。一瞬、意識が明後日の方向に飛んでました」と言ってから、思考を切り替えた。
「……報復行為、ですか?」
一体、誰に。
そして、いつ――自分は報復されるような行為をしたというのだろうか。
「……あなたと同じ一年生の、マクレン侯爵令嬢のことはご存知かしら?」
クィアシーナは「マクレン侯爵令嬢」と聞いて、ブレンダのことだと思い当たる。
「はい。一度、話しかけられたことがあります」
「そうなのね。実は彼女、先週学園内で大怪我をしたそうなのよ。なんでも、突然起きた魔法の暴発に巻き込まれたとかで……。
それで……その魔法の暴発を誘発したのが、あなたなのだと訴えていらっしゃるらしいの。それを聞いた彼女の派閥の子たちが激怒してしまって……」
「えっ!? 私、魔法なんて使えませんよ!」
魔法の暴発が自分のせいだなんて、とばっちりにも程がある。
しかも、彼女に会ったのは講堂でのあの一度きりだ。
自分がいつ、彼女を攻撃したというのだろうか。
「そうでしょうね。あなた、生粋の平民だと豪語していたものね……」
ジェシーは、ふうっと小さく息を漏らす。
そして、
「だから、わたくしも『それはない』と言ったのよ。だけれど、皆さんまったく聞く耳を持たなくて……。
“学園で起きたことは学園で解決する”という不文律が破られることはないと思うのだけれど、彼女たちがどんな行動に出るか、わたくしにもわからないわ。
それに、彼女たちの家は貴族主義の派閥に属しているから、平民であるあなたには、かなり強い圧力がかかるかもしれない」
と、はっきりとした口調で告げた。
クィアシーナはその内容を聞き、顎に手を当てて悩む素振りを見せる。
ジェシーの言っていることからして、きっと学園外で襲われるようなことはないだろう。
しかし、逆に言えば、学園内では何が起きるかわからない。
生粋のお嬢様たちによる嫌がらせなら、まだ可愛いものだ。
だが、これは大怪我に対する“報復”である。絶対に可愛くない何かが仕掛けられる予感が、ぷんぷんしてくる。
クィアシーナは、リストに載っていた「貴族主義の筆頭三家」の配下にある十家のうち、何人がその場にいたのかを確認することにした。
「あの……お茶会にいらしたご令嬢たちの家名を、教えていただくことは可能ですか?」
「え、ええ。もちろんよ。ダナン家のキャロル様でしょう、それから……」
ジェシーが口にしていったご令嬢たちは、その全員がリストに載っていた名前だった。
(まさかの全員大集合……!)
ちなみに、リストにあった十家のうちの一名は、ジェシーの家であったりもする。
彼女自身は、ダンテの生徒会に入りたいと言っていたほど彼を慕っているようなので、実家だけが貴族主義に属している、というパターンなのかもしれない。
彼女らの行為を止めようとしてくれたり、こうして自分に警告しに来てくれたことも、良い証拠だ。
「ありがとうございます……。あの、ジェシーさんは、こうして私に警告することで、お友達から裏切り者扱いされたりしないのですか?」
少し気にかかっていたことだ。
ジェシー以外が結託している中での彼女の行為は、仲間たちへの裏切りに当たるのではないだろうか。
しかし、ジェシーはその言葉に、どこ吹く風といった様子を見せた。
彼女は縦ロールを片手で払いのけ、堂々と言い放つ。
「別に、それはそれでよろしくってよ。わたくし、お付き合いする人は自分で選ぶ主義ですもの。
今回のことでわたくしを裏切り者だと捉えるのであれば、それは単に、考え方が合わなかったということね」
「めちゃくちゃカッコイイですね……」
クィアシーナは、率直な感想が口から漏れた。
「そ、それはどうもありがとう……。とにかく、警告はしたわよ。もしかしたら杞憂に終わるかもしれないけれど、十分に警戒しておくことね。それでは、ごめんあそばせ!」
踵を返し、生徒会館から颯爽と去っていくジェシー。
クィアシーナは、彼女が自分の褒め言葉に照れて赤くなった顔を、見逃さなかった。
(……これがリアルツンデレか……)
パタン、と玄関の扉が閉まる音が響く。
クィアシーナは誰も入って来ないように、リンスティーが来るまでの間、内鍵を閉めておくことにした。
そして、ふと、リンスティーが二階から一向に降りてくる気配がないことに気付く。
二階は掃除用具の出し入れにしか使っていないため、戸締りもほぼ目視確認で済むはずだ。
そもそも二部屋は空き部屋で戸締りは不要だし、もう一つの倉庫部屋も、まだ扉を開けてすらいない。
――それなのに、時間がかかりすぎている。
一度様子を見に行こうと、クィアシーナは二階へと続く階段を上った。
「……リンスティーさん?」
二階の廊下から、名前を呼びかける。
しかし、返事はない。
ゆっくりと歩を進め、掃除用具のある備品庫の中をのぞく。
すると、そこには資料を手に取り、棚の前で読みふけっているリンスティーがいた。
「リンスティーさん」
再度呼びかけると、彼はハッとした顔でクィアシーナの方を振り向いた。
「あ、ごめんなさい。ここだけ施錠されてなかったから戸締りをしようと思ったんだけど……。
これが目についちゃって、つい読み込んでしまったわ」
彼は手に持っていた冊子を、クィアシーナの方へ差し出した。
「なんですか、これ?」
クィアシーナはリンスティーのそばへ寄り、彼が持っている冊子を受け取る。
「アリーチェが書いていた、生徒会の日誌よ。日誌といっても、彼女が気が向いたときに書いていたものなんだけど」
「日誌、ですか」
クィアシーナは、どれどれ、とページを捲る。
リンスティーの言った通り、気分によって書いたり書かなかったりしていたようで、日付はとびとびになっている。
文章量も、みっちりと詳細に書いてある日もあれば、数行で終わっている日もあり、記載のレベルに統一感がない。
(……まるで、アリーチェさん本人の性格をそのまま表しているみたい)
その中でも、比較的シンプルに書かれている一つを見てみると、
『総括:いい日! みんな定時内に仕事が完了』
ただ、それだけであった。
果たして書いている意味があるのだろうか、と思っていると、総括の下に、各自がその日に行った仕事の概要が書かれていることに気付く。
「来年度に生徒会を引き継ぐ人たちのためにね。その時期に何をやっていたのか、記録を残しておいたほうがいいだろうって、彼女、突然日誌を書き始めたのよ。
なかなかに内容が薄いから、次の世代の人たちが見て役に立つかどうかは、わからないんだけどね」
そう言って、リンスティーは苦笑を漏らす。
「いいですね、これ。確かに役に立つかどうかはわかりませんが、こうして今、思い出として振り返ることができますし」
そのとき開いていたページの庶務の欄に書かれていたのは、『クレーム処理三件。(マグノリアン)』という一文だった。
当時のマグノリアンの気苦労がうかがえる。
「そうね……。今日、マグノリアンからアリーチェのお見舞いの件を聞いて、少し思うところがあったのよ」
リンスティーはそう言って、彼の表情に影を落とす。
「怪我の具合が、思っていたより酷かったんですってね。自作自演だなんて疑ってしまって……悪いことをしたわ」
アリーチェの事件は、自作自演どころか、リンスティーの身内が関わっている可能性すらあるのだ。
思うところがあって当然だろう。
「あの……」
クィアシーナは気遣うようにしてリンスティーに声をかける。
「アリーチェさんですが、怪我の具合はともかく、本当に元気そうに見えました。だから……なんて言っていいかわからないんですが……
早く怪我が良くなって、いつもの姿が見れるようになるといいですね」
アリーチェが学園を去ることを知っているからこそ、「早く戻ってきたらいいですね」なんてことは言えなかった。
「ええ、本当にそう思うわ」
そこでようやく、リンスティーの顔に笑顔が戻った。
(良かった)
しんみりしていた教室内の空気を一掃するように、普段よりも元気な声を出す。
「さ、そろそろ日も暮れてきましたし、ここを施錠してちゃっちゃと帰りましょう」
リンスティーに先に教室を出てもらい、クィアシーナは冊子を手に持ったまま、後に続く。
家に帰ってからじっくり読んでみようと、ちゃっかり持ってきたのだ。
しれっと冊子を鞄の中に入れ、扉にロックをかけた。
扉が閉まったことを確認し、階下へ向かおうとしたところで、後ろからリンスティーが提案を持ちかけてきた。
「今日は、転移式で帰るわよ」
「へ、なぜ?」
急に、どうした。
クィアシーナは、てっきり階段ルートで帰るものだと思い込んでいたため、間髪入れず直球で問いかけてしまった。
リンスティーはクィアシーナの問いに、
「ちょっと遅くなっちゃったし……」
と言ったあと、「それに」と続けた。
「あなた、今日ここに来るとき、ビクターと転移してきたんでしょ?」
リンスティーはいい笑顔でこちらに視線を向けてくる。
その表情は、笑っているというのになんだか怖い。
「はい、ビクターさんと来ましたが……」
それが何か、とクィアシーナが言う前に、
「しかも、横抱きで、ですって?」
と、低い声でカットインしてきた。
「ええと……なぜ、それを……」
「あなたとマグノリアンが掃除に行っている間、ビクターが事細かに、転移のときの状況を教えてくれたわ」
リンスティーは腕を組み、首を傾ける。
「『首に腕を回してきてさー。本当に可愛かったよー』ですって」
お嬢様ボイスでビクターの声真似をするリンスティー。
その立ち姿には、言い知れない威圧感があった。
クィアシーナはそのときの状況を思い出し、そして今聞いたビクターの言葉によってみるみるうちに顔が赤くなる。
(……ビクターさん、本人がいないところでからかって楽しむなよッ!!!)
「あの人、本当に余計なことを……」
「クィアシーナ」
リンスティーに呼ばれ、ハッと顔を上げる。
すると、いつの間にかリンスティーはクィアシーナの先を行き、さっさと階段を下りていた。
「ほら、そこで止まっていないで、早くこっちに来なさい」
「え、待ってください」
(私、まだ転移式で帰るってことに賛成してないんだけどな……)
結局、先導されるがままに転移部屋へと入る。
どうやら、この流れは撤回できそうもない。
「あの……毎回、躊躇って申し訳ないんですが、やっぱり階段ルートから帰りません?」
念のため、ダメ元で確認を取ってみるも、「帰りません」と、けんもほろろに却下されてしまった。
(絶対、階段から行ったほうが、リンスティーさん的には楽だと思うんだけどな……。私、重いし)
少し不満そうな様子が表情に出てしまったのか、リンスティーが、
「あら、私じゃご不満かしら?」
と、突っかかってきた。
「めっそうもございません! むしろ、リンスティーさんに私を運んでもらうのが忍びないというか……!」
必死に訂正を入れるが、リンスティーはまだジトリとした目を向けてくる。
(ああ、この視線、苦手……)
本人にそんなつもりがあってもなくても、自分の心を見透かされているような、妙な気持ちになるのだ。
「あ、あの……よろしくお願いします」
「よろしい」
完敗である。
彼は器用にも二人分の鞄を持ったまま、クィアシーナを横抱きにした。
あまりにも軽々と持ち上げられたため、驚く暇すらなかった。
(ううん、目のやり場に困る……)
以前、横抱きにされたときよりも、身体が内側を向くように抱えられているため、必然的にリンスティーの肩口に顔が埋まりそうになる。
「あ、いい匂い」
しかし、恥ずかしさよりも先に嗅覚が反応し、気付けば、口から言葉がこぼれていた。
今日は、リンスティーお姉さまのいい香りがする。自分としては、この香りが一番好きだ。
リンスティーはというと、「そうかしら?」と、意にも介さない様子だ。
「それより、せっかく鞄を持ってあげてるんだから、首に両手をかけて、落ちないようにしっかり掴まっていなさい」
「え……」
いや、すでに安定感がすごいので、さっさと転移して降ろしてくれたらいいのに、と思う。
だが、またもや彼の視線による静かな圧により、おそるおそる首に手を回すことになった。
(み、密着っぷりが半端ない……!)
少し目線を上げると、顔同士が触れ合ってしまうくらい近い距離に、リンスティーの綺麗な顔があった。
早くしてくれ、と思う反面、これほど近くで彼のご尊顔を拝める機会など、なかなかないのではないだろうか、というよこしまな考えが頭をよぎる。
(そうだ。自分はお姉さまのファン……一秒たりとも、このボーナスタイムを逃してはいけない。
ここで照れたりしたら、ファン失格だ……!)
強い眼差しで、一挙一動を逃すまいと見つめているクィアシーナに、リンスティーが視線を合わせてきた。
「ちょっと、見つめ過ぎ」
(わ)
その照れた言い方は、クィアシーナの心臓を一撃で打ち抜いた。
一瞬にして顔が沸騰し、平常心は遥か彼方へ消え失せる。
もう彼の顔をまともに見られないと、肩口に顔を埋め、視界を遮った。
するとすぐに身体を降ろされ、いつの間にか転移が終わっていたことに気付いた。
そこは校門から一番近い転移場所だった。
他の転移部屋と同じく、狭い倉庫のような空間である。
リンスティーから無言で鞄を渡され、クィアシーナも無言でそれを受け取る。
お礼を言わなければ、と思う。
だが、まだ熱が引いておらず、声が上擦ってしまいそうで、なかなか口に出せなかった。
黙ったままリンスティーの背中を見ていると、彼がふいに振り向き、「はい」と言って手を差し出してきた。
「え?」
彼の意図がわからず、短く聞き返す。
「え、じゃなくて。さっさとあなたも手を出して」
クィアシーナは戸惑いながらも、言われたとおり前に手を出す。
するとリンスティーは、そのままクィアシーナの手を取り、指を絡めてきた。
「ええ!?」
「だから、え、って何よ」
何かご不満でも?というような態度に、クィアシーナはそれ以上何も言えなくなる。
「……ビクターとは、手を繋いだんでしょ?」
「え、あの人、そんなことまで話したんですか!?」
うわぁ、という気持ちで、クィアシーナは空を仰いだ。
自分が掃除をしている間に、いったい何を話しているのだろう。
しかも、みんなしっかり聞かずに、話半分で会話を終わらせてほしい。
「あれは、ビクターさんのいたずらというか……
周りに見せつけて、私をからかっていただけというか……」
「なら、今の時間なら誰にも見られなくて済むんじゃない?
もう下校時刻も過ぎてるし、外も暗くなってきたし」
「ええと……」
では、彼はなぜ自分と手を繋いでいるのだろうか。
誰もいないのなら、囮役としての意味をなさない。
懸命に思考を巡らせるが、答えは一向に出てこなかった。
と、そこで――
「……ビクターの上書きを、私がしたかったのよ」
まるでクィアシーナの思考を読んだかのように、リンスティーが答えた。
照れてることを隠すような、素っ気ない言い方が、クィアシーナの心をざわつかせる。
(もう、とっくに塗り替えられてます……)
クィアシーナは、リンスティーの手を少し――ほんの少しだけ強く握った。
すると彼も、それに応えるように、優しく、けれど確かに握り返してくれる。
結局この日、二人は繋いだ手を離すことなく、
クィアシーナは家の前まで送ってもらうことになった。




