46. 転移するときの荷物は軽い
「あれ、シーナ? こんなところでどうしたの?」
クィアシーナは管理棟を抜け、渡り廊下から教室棟へ向かおうとしていたところだった。
背後から聞き覚えのある声に呼び止められ、思わず足を止めて振り返る。
そこには、少し意外そうな表情を浮かべたビクターが、クィアシーナの方を見て立っていた。
「え……ビクターさん?」
クィアシーナのほうも、管理棟で彼と会うとは思っていなかった。
一瞬の戸惑いを飲み込み、自分の用件を告げつつ、問い返す。
「私は新聞部に寄っていたんですが……ビクターさんこそ、どうしたんですか?」
「僕は二階の職員室に用があってさ。……新聞部に行ってたんだ?」
含みを持たせた問いかけに、クィアシーナは一瞬だけ言葉に詰まり、曖昧な笑みを浮かべて頷いた。
それ以上踏み込まれる前に、彼女はさっと話題を切り替える。
「それより、今から生徒会館に行くんですか?」
「うん。これから向かおうとしてたところ。シーナは?」
「私もちょうど向かってる途中でした」
その返答に、ビクターは自然な調子で言った。
「じゃあ、一緒に行こうか。ここを抜けた先に転移式があるから、そこから行こう」
だが、「転移式」という言葉を聞いた途端、クィアシーナの表情がわずかに曇る。
「あー……すみません。私、まだ設定されてなくて、転移式は使えないんです。
階段から向かいますね。また、後で会いましょう」
さらりと断りを入れ、裏庭へ通じる方向へ向かおうとした、そのときだった。
「待って」
背後から呼び止められ、次の瞬間、クィアシーナの手首をビクターが掴む。
(んんっ!?)
「シーナが設定されてなくても、僕と一緒なら普通に使えるよ?
それに、これから何度も使うことになるだろうし、転移の感覚には早めに慣れておいたほうがいいと思うんだよね」
手を取ったまま、ビクターはにこにこと人の良さそうな笑みを崩さず、なおも食い下がってくる。
「い、いえ……それは申し訳ないので……」
以前、リンスティーにおんぶや抱っこで運ばれたことのあるクィアシーナとしては、同じようなことをビクターにさせるわけにはいかなかった。
(失礼かもしれないけど……ビクターさんの細い身体で、中肉中背の私を抱えるのは大変だと思うし)
だが、そんなクィアシーナの内心など意に介さず、ビクターは彼女の手を引いたまま、教室棟の方へと歩き出す。
「遠慮しないで。ほら、こっちこっち」
放課後とはいえ、まだ生徒の姿がちらほらと残っている時間帯だ。
手を繋いで歩く二人の姿に気付いて、何人かの生徒が不思議そうに振り返る。
それに気付いたクィアシーナは、慌てて手を離そうとした。
だが、次の瞬間、指を絡めるようにして握り直され、簡単には振りほどけない形にされてしまう。
「ちょ、ビクターさん――」
抗議しようとしたクィアシーナの声は、当の本人によって遮られた。
「……シーナは酷いよね。朝も勝手にいなくなるし……」
ビクターはクィアシーナの方を見ないまま、少し不貞腐れたように言葉を続ける。
「ちゃんと捕まえておかないと、また逃げちゃうかもしれないもんね?」
その言葉に、クィアシーナは一気に後ろめたさを覚え、言葉に詰まる。
「あー……今朝は、その……すいませんでした……」
小さく視線を逸らしながら、続ける。
「宣言通り、空気にならせてもらいました」
「空気ってなに? 僕と一緒に行くのが嫌だったら、ハッキリそう言ってくれればよかったのに……」
「! そんなことは――」
「あー、傷ついたなぁ」
不貞腐れた様子から一転、ビクターはニヤリと笑った。
その表情を見て、クィアシーナは一瞬で悟る。
(……からかわれてた)
今、こうして手を繋いで歩いているこの状況も、
朝、彼を置いて先に行ってしまったことへの意趣返しなのだろう。
(性格が悪い!)
自分にも非があることはわかっている。
だが、それでもしてやられた感が強く、悔しさが込み上げてくる。
ぐぬぬ、と奥歯を噛みしめていると、ビクターがふいに、ぽつりと呟いた。
「シーナの手、硬いね。
――まるで、普段から武器を扱ってる子の手みたいだ」
クィアシーナは「え?」と、思わずビクターの顔を見上げた。探るような声に、自然と警戒心が湧く。
だが彼はすぐに、明るい調子で言い直した。
「なーんてね! ごめん、失礼だったよね。小さくて可愛いよ、シーナの手」
「硬いというより、普段の家事や掃除で手が荒れているので、カサカサしてるんだと思います。
ケアを怠っているのが、バレちゃいましたね」
「え、ちゃんと保湿しないとだめだよ!
しょうがないなー、あとで執務室で塗ってあげるから」
「いえ、お気遣いなく……」
(そう言うビクターさんの手だって――)
握りしめられている手は、想像以上に硬い感触だった。
以前、ダンテに手を繋がれたときのものとは、比べものにならないほどに。
柄を握る際にできるような、そんな鍛えられた感触に、彼の意外な一面を垣間見た気がした。
「さあ、着いたよ。ここ、入ったことある?」
ビクターが足を止めた先は、教室棟の中でも各クラスの教室が並ぶ場所とは別棟にあたる、一階の扉の前だった。
授業時間以外には使われることがないらしく、生徒はおろか、職員の姿すら周囲には見当たらない。
クィアシーナにとって、別棟に足を踏み入れること自体、今回が初めてだった。
「いいえ、ありません。普通の扉に見えますが……
ここに転移式があるんですか?」
「そうだよ。この扉も、転移式に設定されている人だけがロックを解除できるんだ」
そう言いながら、ビクターは扉の前に手をかざす。
すると、カチリという小さな音とともに、扉が手前に開いた。
ビクターの背中越しに中を覗くと、生徒会館の転移部屋と同じように、狭い空間の床に魔法陣が描かれているのが見えた。
窓はなく、もともとは倉庫として使われていたのだろうと察せられる造りだ。
「シーナ、中に入って扉を閉めて。今、灯りをつけるから」
ビクターに促されて中へ足を踏み入れると、彼の手のひらに温かな光が灯った。
その光をふわりと持ち上げ、天井へと移動させる。
「わ……、それ、魔法ですか?」
「うん、そうだよ。もしかして、これ見るの初めて?」
「はい。便利ですね……すごい……」
これが使えたら灯りの魔道具要らずである。
ちょっとしたときに便利そうだ。
「こんなの超初級中の初級だよ。シーナでも練習したら使えるんじゃない?」
「いや、私はそもそも魔力がないので、たぶん無理です。
うらやましいな……」
クィアシーナの心から羨ましがる様子に、ビクターが小さく笑いを漏らす。
「こんな単純な魔法で羨ましがるんだ。ほんと、君ってわけがわからないよね」
「? そうでしょうか?」
訳が分からないと言われ、首を傾げる。
魔法が使えない者からすれば、憧れを抱くのはごく自然な感情じゃないだろうか。
ビクターは彼女の腑に落ちない、といった表情を無視して「それより」と話題を切り替えた。
「これまで転移式は使ったことあるんだっけ?」
「あ、はい。二回ほど利用させてもらいました」
「ちなみに、そのときはどうやって転移したの?」
「え? あ、私が……荷物みたいになって、運んでもらいました」
一回目はリンスティーにおんぶされ、二回目は横抱きにされた――などとはさすがに言えず、クィアシーナははぐらかすように答えた。
しかし、ビクターはその返答に納得がいかなかったらしい。
すぐさま、より具体的な説明を求めてくる。
「具体的には?」
「え、ええと……」
(そりゃそうだよね。普通、詳しく知りたくなるよね……)
「……おんぶと、抱っこです……」
別にそのまま答えればよかっただけなのに、なぜかそのときのことを思い出してしまい、恥ずかしさから声が次第に小さくなってしまった。
「ん? それ誰がやったの?」
ビクターが、やや驚きを含んだ声で問いかけてくる。
できれば、そこは聞かないでほしかった。
だが、ここで言わないのもかえって不自然だと思い、クィアシーナは渋々その名を口にした。
「……リンスティーさんです」
「えぇ!? リンスティーさんが!?
うっわ、マジか……。てっきりマグかと思ったら、そっちか……」
ビクターは口元に手を当て、小さく呟いた。
マグノリアンはいつも階段を使っている印象が強く、転移式を使う姿がまったく想像できない。
仮に使うことがあったとしても、クィアシーナが正式に設定されるまでは、一緒に転移してくれない気がした。
「じゃあ、今日は僕がシーナを荷物として運んであげるね。
荷物は壊れやすいだろうから……優しく抱えてあげないとね?」
「いえ、頑丈で重いので、引きずっても大丈夫だと思います。
というか、実は手を繋ぐだけでも転移は可能なんじゃないですか?」
(そうだ。スーツケースみたいな荷物もあるんだし、別に私の足が地面についていても“荷物”として認識されるんじゃない!?
我ながら冴えてる!)
リンスティーだけでなくビクターにまで抱えられるなんて、申し訳なさと羞恥のダブルパンチで、気絶しかねない。
そのため、クィアシーナは必死になって回避策を提案した。
しかし――
「それ、前にやったことあるよ。」
「え」
「まだダンテさんが会長になったばかりの頃かな。
僕、マグノリアン、ドゥランの三人は、ジガルデ前会長のときに転移式の設定が済んでたんだけど、残りのみんなはまだ未登録だったんだ。
それでそのとき、ダンテさんを僕が転移させようとして、手を繋いで試したんだけど……
見事に僕だけ生徒会館に転移して、ダンテさんはこっちに取り残されちゃったってわけ」
「なんと……」
一瞬の沈黙のあと、クィアシーナはぱっと顔を上げた。
「あ、じゃあ、私がビクターさんを抱えるっていうのはどうでしょう!?
おんぶくらいなら、私もできると思います!」
いいことを思いついた!と言わんばかりに別の方法を提案してみたのだが、ビクターはそんなクィアシーナにじとりとした目を向けた。
「……ねえシーナ。いくらなんでも、それは無いよ。さすがの僕でも本気で傷つく」
「え、や、ごめんなさい」
さっきのからかい混じりのときとは違って、本当に傷ついた様子に見えた。
(やってしまった……)
自分の感情を優先してしまったせいで、男のプライドを傷付けてしまった。
「あの、本当にごめんなさい」
「ううん、謝罪はいらない。その代わり――僕に、君を抱える権利をちょうだい」
真正面から向けられた真剣な視線に、クィアシーナの心拍数が一気に跳ね上がった。
もちろん、拒否権などあってないようなものだ。
彼女は小さく、こくりと頷く。
「あの……最初に言っておきますけど、普通に重いですよ?
ほんの一瞬でも、無理そうだったらすぐ言ってくださいね」
「はあ……シーナは、僕をなんだと思ってるの?」
ビクターは額に手を当て、呆れたようにため息をついた。
生徒会メンバーの中でも、彼は一番背が低く、体つきもどちらかといえば少年のように細身だ。
そのせいもあって、クィアシーナは――もし自分の体が重くて持ち上がらなかったらどうしよう、という余計な心配をしていた。
しかし、その心配は、すぐに杞憂に終わることになる。
「しゃがむから、僕の首に腕を回して」
そう言って、ビクターは片膝を立てるようにして腰を落とした。
「は、はい……失礼します」
クィアシーナは一歩近づき、ためらいがちにビクターの首へ腕を回す。
すると次の瞬間、腰と膝裏にしっかりと手が添えられ、そのまま一気に身体が持ち上げられた。
「わ――」
「もっと身体を僕に寄せて。……うん、そのままでいいよ」
軽々とクィアシーナを抱え上げたビクターは、微塵もぐらつくことなく、安定した足取りで魔法陣へと歩みを進める。
クィアシーナは、以前リンスティーに抱きかかえられたときとは比べものにならないほどの密着感に、頭の中がふわりとおかしくなるのを感じていた。
(人って、恥ずかしいを通り越すと、こんな気持ちになるんだ)
心臓はずっと騒がしいままなのに、どこか冷静で、まるで自分を俯瞰して眺めているような感覚だった。
妙な悟りが開けそうな境地に達していたクィアシーナは、ビクターの息がかかるほど近い距離で、彼が呪文を詠唱する様子をぼんやりと見つめていた。
そして、詠唱が終わった瞬間――
視界がぐにゃりと歪み、あっという間に転移が完了する。
「お疲れさま」
そう声をかけられ、ゆっくりと身体を降ろされる。
床に足をつけると、ほんの一瞬の出来事だったはずなのに、かすかな浮遊感がまだ身体に残っていた。
「……ありがとうございました」
心臓の鼓動は早いままだ。
頭は平静なのに、ビクターとの急な接触に、身体だけが置いていかれている。
戸惑いを隠しきれないクィアシーナとは対照的に、ビクターはどこか楽しげな目つきで、フフッと笑った。
「やっぱり、僕の荷物はとっても軽かったよ」
クィアシーナは、どう返すのが正解なのかわからず、
「恐れいります……」
とだけ、小さく呟いた。




