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41.平民と貴族の間

クィアシーナは素早く、しかし丁寧に部屋を整えていく。

極端にシンプルなインテリアゆえ、散らかっているものはすぐに目に付く。


脱ぎっぱなしの服はカゴに放り込み、シャワールームに隠す。

ベッドはさっと布団を整え、飲みかけで放置していたコップはシンクへ。

ついでに床の埃も軽く拭き取る。


完璧ではないが、足が汚れるほどの散らかりではない。

細かい部分は気にしない。何より、ドアの向こうにはリンスティーが待っているのだから。




「すみません、お待たせしました。もう入ってもらって大丈夫で――」


クィアシーナの言葉は、途中で途切れた。

彼の姿を捉えた瞬間、最後まで声を出すことができなかった。


外で待っていたリンスティーは、腕を組み、壁にもたれかかって、部屋の掃除が終わるのを待っていた。

――被っていた帽子を外した状態で。


長くウェーブのかかった白銀の髪が、さらりと背に流れている。

いつもきちんと整えられた巻き髪とは違い、今日は無造作にひとつに結ばれていた。

さらに、あの“お嬢様メイク”も施されていないせいか、やや中性的ではあるものの、どう見ても男性そのものだった。


(す、すっぴん……!!!!!)


マグノリアンが「男性版も美人だ」と言っていたのが、よくわかった。

ノーメイクでも美人は美人。そこに男の色気が加わっている。


⋯⋯確かに、いつものリンスティーの面影はある。

けれど、見慣れない男性の姿をした彼を、休日の朝っぱらから自分の部屋に上がらせるなんて――。


これまでも男友達と遊びに行ったことはあった。

だが、こうして自分のプライベートな空間に招き入れるのは、今回が初めてだった。過去のお嬢様リンスティーの訪問はノーカンである。


クィアシーナの背中を、緊張の汗がつう、と伝った。



「どうした? 大丈夫?」


急に動きを止めたクィアシーナに、リンスティーが近くまできて不思議そうに首を傾げる。


「大丈夫です」


慌ててそう答え、必死に冷静を装おうとした。

――が、至近距離でリンスティーの顔を見た瞬間、努力はあっさり崩れ去った。


(近い! 無理! 全然大丈夫じゃなかった!)


クィアシーナはさっと顔を下に向け、視線を逸らす。ついでに額に手をかざし、彼の姿を完全に遮った。


「⋯⋯す、すいません、リンスティーさんがいつもと雰囲気が違って、見慣れない感じだから⋯⋯ちょっと、驚いてしまって」


「今さら?」


半ば呆れたような調子で、彼は続けて言った。


「そこまで変わらないと思うけど」


――いや、断じてそんなことはない。


いつもの彼は、

“外見は完璧なお嬢様、ただし仕草が時折男性”。

それに対して今の彼は、

“外見も仕草も、完璧に男性”なのだ。


帽子は被ったままでいてほしかった。

そうすれば、こんなふうに変に意識せずに済んだのに。


クィアシーナは高鳴る胸を押さえ――

た、その直後。



胸ではなく、お腹が

ぐぅぅ……

と、はっきり音を立てた。


自分でもわかるほど、盛大に。


リンスティーにも聞こえたのだろう。

彼は一瞬きょとんとしたあと、視線をクィアシーナの下腹部へ落とす。


「……中入っていい?」


「……はい」


返事は、妙に素直だった。




簡易テーブルの上に、買ってきたジャムとクリームチーズ、そしてミルクの入ったコップを並べる。

それから、リンスティーが買ってきたバケットと、昨日クィアシーナがマグノリアンからもらったベーグルを切り分け、皿の上にのせた。


クィアシーナは勉強机とセットの椅子に、リンスティーはすっかり定位置となったベッドの上に腰を下ろす。


こうも頻繁に来るのなら、もう一脚椅子を買うべきだろうか。

そんなことを考えながら、クィアシーナは自分のベッドに男性が腰掛けているという光景を、どこか現実感のないものとして眺めていた。


そんなクィアシーナとは違い、リンスティーは目の前のパンに釘付けである。さすが腹ペコ男子、その様子は食べ物を前にしたお預け状態の犬であった。


「食べましょうか」


クィアシーナの声を合図に、リンスティーはバケットのスライスとジャムへ手を伸ばした。

バターナイフでさっと塗り、一口かじって「うま」と短く感想を漏らす。


その美味しそうな様子を見ているうちに、さっきまで胸を占めていた緊張はどこかへ消え、クィアシーナの中では食欲が勝っていた。


彼女もベーグルを一つ手に取り、クリームチーズとブルーベリーのジャムを挟んで一口かじる。

朝、そのまま食べたときとは比べものにならないほど美味しい。やはり少し面倒でも、買い出しに行って正解だった。


――しかし、ここで一つだけ欲を言うなら、少しオーブンで表面をカリッと温めればもっと最高だったに違いない。

気が付けば、クィアシーナはそのことを口にしていた。


「美味しいんですが、ベーグルを温めなおせば良かったです」


といっても、中身のジャムとクリームチーズは常温がいいので、今の挟んだ状態で温めなおしはしたくなかった。

まだベーグルは残っているので、明日の朝は焼いてから食べようと心に決める。


リンスティーはそんな少し物足りなさ気なクィアシーナを見ると、持っていたパンを大きな口でさっと平らげ、彼女の方に手を差し出してきた。


「ちょっと貸して」


何をするんだと思いつつ、クィアシーナは素直にベーグルを手渡した。

彼はその上に手をかざし、しばらくその様子を無言で見つめる。

そして、「はい」と再びクィアシーナにベーグルを返してきた。


受け取ったベーグルは、ほんのりと温かかった。指先に伝わる温度に、クィアシーナは思わず目を瞬かせる。


「……え?」


一口食べて見れば、中もいい感じの温かさで、ふわっと柔らかくなっている。


「これ、魔法でやったんですか!?」


「うん、そう」


「えー便利過ぎる! オーブン要らずじゃないですか!」


今の魔法が自分にも使えたら、いつでもどこでも温かいご飯にありつけるに違いない。羨まし過ぎる。


「そんな便利なもんでもないけど。例えば高温で全体を一時間じっくり焼いてくださいって言われたら、出来なくはないけどオーブン使えよってなるじゃん」


「あ、確かに」


便利にするため、楽にするため道具というものがあるのに、これでは本末転倒である。



「⋯⋯前から思ってたけど、クィアシーナって、魔法を見るとすごい目を輝かせるよな」


「え、そうですか?」


あまり自覚は無かったが、確かに、学園に来て魔法を実際に見てからはその全てが新鮮で、見るだけでワクワクした。


「私、魔法を見るのが好きなんだと思います。自分には出来ないものなので、余計に興味深いんです」


「興味深い、か。いままで魔法を学ぼうと思ったことは?」


「無いです。そういう環境にもいなかったし、自分には魔力があるって感じたこともないので」


何せ、ド平民のクィアシーナである。家族からも魔法のまの字も出てこないし、学校で習う機会もなかった。


魔法という存在は知っていても、自分とは関わりが無さすぎて、どこか遠い世界のものという認識だった。


「出身はどこだっけ?」


「トラヴェ地方です。そこの最西端のザイアスとの国境付近の町に実家があります」


「トラヴェ!?」


リンスティーが急に驚いたような声を挙げる。そんなに珍しい地域でもないのに、どうしたというのだろうか。


「トラヴェ領は魔法教育に力を入れてないから、関わりが薄くても当然かもな」


「そうなんですね。でも、私は小さい頃から外国を転々としていたので、初等教育も地元でちゃんと受けたことがないんです」


「そっか……じゃあ、偶然会ってた可能性は低いか」


(偶然会ってた?)


クィアシーナは彼の言葉の意味が分からず、思わず聞き返した。


「……? どういう意味ですか?」


「俺も、十歳までトラヴェの田舎町で育ったんだ」


「え!? 

あ、でも、それって……身体が弱かったから、病気療養で滞在していたとかですか?」


貴族が病気療養のため、領地や田舎で静養することがある――そんな話を聞いたことがあった。


「いや。普通に平民として暮らしてたよ。おんぼろアパートで、母親と二人、ひっそりと。

俺はそこの初等教育の学校に通ってたんだ。あの辺の学校じゃ魔法なんて全く習わなかった」


「んんん?」


高位貴族であるはずの彼が、市井で暮らしていた。しかも、平民として。

――疑問が多過ぎて、まず何から聞いていいのかすらわからない。


「すいません、ちょっと追いつかなくて、色々聞いちゃって大丈夫ですか?」


「うん、大丈夫」


(許可は出たものの、なんだか聞きにくいな……)


クィアシーナはおずおずと、まずはごく基本的なことから尋ねることにした。


「ええと⋯⋯そもそもの質問で恐縮なんですが、リンスティーさんは、高位貴族の方なんですよね?

リンスティーさんの家名ってなんでしたでしょうか?すいません、私この国の貴族の方にほんとうに疎くて⋯⋯」


「あれ、名乗ってなかったっけ? 家名はシュターグだ」


「⋯⋯!」


(シュターグ家って、王弟殿下が臣籍降下して興した公爵家の家名じゃなかったっけ……!?)


貴族の家名には疎いクィアシーナでも、さすがに王族周辺の人物については知っている。

リンスティーは高位貴族だとは思っていたが、まさかそこまでの身分だとは想像もしていなかった。


(リンスティー“さん”なんて気軽に呼んじゃってたけど……ここ、学園の外だよね?リンスティー様とか、シュターグ様って呼ぶべきだったんじゃ……!?

いや、今さらすぎるにも程があるけど!)


「い、今まで申し訳ございませんでした!!

馴れ馴れしく“さん”付けでお呼びしてしまい……どうかご無礼をお許しください!」


勢いのまま深々と頭を下げるクィアシーナ。

だが、リンスティーはそれを受け止めるどころか、明らかにドン引きしていた。


「ちょ⋯⋯急にどうしたんだよ、ほんと止めろよ」


「いや、だって⋯⋯」


「俺にはシュターグ家の血は半分しか入ってない。

母親は平民で、今は認知されてシュターグ家を名乗ってるけど、元々は庶子だ」


クィアシーナは、またしてもの衝撃的な告白に目を見開いた。

だが同時に、彼が幼少期を市井で過ごしていた理由にも、すとんと納得がいく。


「一応、この国じゃ有名な話だよ」


そこでリンスティーは一度言葉を切り、淡々と続けた。


「王弟には、学生時代に付き合っていた秘密の恋人がいた。

で、その秘密の恋人ってのが俺の母親。母さんは在学中に俺ができてしまったから、学園を退学して田舎に身を隠した。それで、こっそり俺を産んで、育ててくれたんだ」


彼の声は終始落ち着いているが、その裏に積み重ねられた時間の重さが滲む。


「俺が十歳になるまでは、二人で静かに暮らしてた。

でも……母さんが病気になってさ。俺を一人残して逝くわけにはいかないって思ったんだろうな」


リンスティーは、ほんの一瞬だけ視線を伏せた。


「その頃には、王弟は臣籍降下して、家庭を持ってシュターグ家を興していた。母さんは、そこに連絡を取ったんだ。

母さんが亡くなったあと、すぐに貴族の人たちが俺を迎えに来た。

それからは、ずっとシュターグ家の世話になってる」


クィアシーナは、まさかリンスティーの出自がそんなに複雑なものだとは思わず、しばらく言葉を失っていた。


「まだ年数的にも、平民として過ごしてた時間のほうが長いし。

それに、家は義弟が継ぐことになってる」


彼は少し肩をすくめて、続ける。


「だから、俺は敬称を付けられるような人間じゃない」


そうは言われても、彼の血の半分にはラスカーダ王家の血が流れている。

筋金入りのド平民であるクィアシーナとは違い、やはりやんごとなき身分の人間であることに変わりはなかった。


――が、順応性が高いのがクィアシーナの長所である。


(本人がいいって言ってるんだし! 今さら変えるのも、なんだか変だし!)


半ば自分に言い聞かせるように、彼女は告げた。


「では、本人の了承を得たということで。

これからも、変わらずリンスティーさんって呼ばせてもらいますね」


「うん、そのほうが、助かる」


リンスティーは少し表情を柔らかくし、満足そうに微笑んだ。


先行サイトに追いつきそうなので、明日から2月になるまで、月・金の週二回、夕方17~18時更新に切り替えます。


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