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39. お貴族様との庶民デート

「クィアシーナ」


耳元で自分の名を呼ぶ声がして、身体を軽く揺すられる。


まだ眠気の残る目をぼんやりと開けると、窓の外が見知った景色に変わっていた。


どうやら、眠っている間に行きの乗り場だった学園前へと到着していたらしい。


隣を振り向くと、マグノリアンの整った顔立ちが真横に来ており、思わず「うおっ」と変な声が出た。


「びっくりした……もう着いたんですね」


「ああ、降りるぞ」



二人で馬車を降り、御者に礼を伝えてその場から少し歩きだす。

長時間座りっぱなしだったせいで、腰からお尻にかけてが凝り固まっているのを感じる。


「すいません、爆睡してました」

「ん、大丈夫。俺も途中寝てたから。それより、このあと買い出しに行くっていってたんだけど――」

「そうでした。どこまで買いに行きますか?」


クィアシーナがマグノリアンに尋ねると、彼は学生街のショッピングエリアを提案してきた。


「あそこだとここから近いし、ついでに昼を食べそびれたから、まず腹ごしらえをしないか?」


すっかり昼も過ぎていたので、空腹はとっくに通り越していたが、ご飯と聞くと不思議と食欲が湧いてきた。


「いいですね。先にご飯行きましょう」





マグノリアンと二人、街をぶらぶらと歩く。

いまは勘当されているとはいえ、元は高位貴族の彼と、休日にこうして街をうろつくことになるとは思ってもみなかった。


ただ、今の二人は制服姿だ。

しかも、クィアシーナにとってのマグノリアンは「面倒見のいい兄ちゃん」という認識である。


そのため、二人でいてもまったく緊張することはなかった。

――というより、緊張するのなら、馬車で二人きりになった時点でとっくにしていたはずだ。



「この辺には来たことあるのか?」


「はい。といっても、引っ越した初日に少し街の中を見に来ただけで、どこのお店にも入ったことはありません」


引っ越しの片付けを終えたあと、クィアシーナは一度ここを訪れていた。

その日も休日で、街の中は多くの人で賑わっていた。


新しい街に一人。

あまりにも賑やかで楽しげな雰囲気に、なぜか気後れしてしまい、店を眺めるだけで家へと引き返してしまった。


「そっか。じゃあそのとき気になった店か、今見て入りたいと思った店はあるか?おまえの食べたいもんでもいいよ」


「え、じゃあ、さっき通り過ぎた、テラスがあるお店がいいです。雰囲気がオシャレでいいなって」


「ん、了解」


二人は来ていた道を引き返し、クィアシーナが行きたいと言った店へと足を運んだ。


店内に入ると、昼の混雑時間は過ぎていたため、すんなりと席に案内された。

クィアシーナの希望で、テラス席に座ることにする。今日は天気が良く、外の空気のほうが気持ちよさそうに思えたからだ。


すぐに二人は店員にオーダーを済ませ、料理が来るまでの間、クィアシーナが話題を切り出した。


「マグノリアンさんは、この街によく来るんですか?」


「ああ、週末に家庭教師してる家がこの辺だから、ほぼ毎週来てるよ」


「おお、じゃあ街の常連なんですね」


「常連……」


マグノリアンは、少し考えるように首を傾げた。


「家から勘当される前は、この辺りに足を踏み入れたことすらなかったんだけどな。追い出されてから、いい意味で世界が広がったよ」


この一帯は学生街であり、同時に庶民が多く暮らすエリアでもある。一方、貴族が住む区域は学園とは反対側、城下に近い場所に集中していた。


そのため、学園に通う貴族の生徒たちは皆、クィアシーナが住む方向とは逆へ帰路に就く。

普通の貴族の子息・令嬢であれば、今クィアシーナたちがいるこの街に来たことがなくても、何ら不思議ではなかった。


「ふふ、世界が広がって、ついでに、人として、厚みが出たってことですよね」


「おまえ……すごい褒め方するなぁ……」


マグノリアンが、平民である自分に対しても何の隔たりもなく接してくれるのも、家を出たおかげだとしたら――。


クィアシーナは、胸の奥でそっと思った。

勘当されて、本当によかった、と。

……本人にとっては喜ばしいことじゃないかもしれないけれど。



それからほどなくして、二人の元へ料理が運ばれてきた。


クィアシーナのオーダーは、チキン入りのラップサンド。

自分でもよくわからないが、マグノリアンの前でフォークとナイフを使って食事をすることに、抵抗があった。


以前は王子殿下の前で食事をしたこともあるというのに、なぜかマグノリアンには、自分の適当なマナーを見せたくない。そんな謎の恥じらいを、クィアシーナは感じていた。


対するマグノリアンは、グリーンサラダ。以上。

どこのダイエット女子だ、というようなオーダーである。


「それ、この年代の男子がメインで食べるメニューじゃないですよ。そんな人、この世に存在しません」


「ここにいるだろ。腹は減ってるはずなんだけど、なんか食欲がなくてさ」


「あー、そういうときありますよね。身体は欲してるのに、頭が遠慮してるというか……」


クィアシーナはマグノリアンの言葉に共感を示しつつ、彼の食欲不振の原因に思い当たることを口にした。


「……アリーチェさんのこと、考えてるんですか?」


「……うん」



(当たってしまった)



マグノリアンは馬車を降りてからずっと、クィアシーナと普段どおり会話をしていた。

だが時折、ふと遠くを見るような素振りを見せる。


アリーチェとのあまりにも急な別れに、気持ちの整理が追いついていないのかもしれない。


「一年近く、一緒に過ごした仲間だったんですもんね」


「そうだな……。

あの人がいると、余計な仕事が増えることもしょっちゅうだったし、正直、何度もキレそうになったこともあったんだけど……」


マグノリアンは一度言葉を切り、少し間を置いて続けた。


「でも、そのおかげで毎日が賑やかだった。それが、もう無くなるのかと思うと……やっぱり寂しいんだと思う」


「そうなんですね……」

今日、アリーチェと話した感じからすると、執務室の中はきっと、今よりもずっと賑やかな雰囲気だったのだろう。


仕事をサボるアリーチェに苦言を呈するマグノリアン。

アリーチェはアレクシスやルーベントに泣きつき、二人は彼女を甘やかす。

ビクターはそれに便乗して、マグノリアンを揶揄いながらアリーチェを庇う。

リンスティーやドゥランは我関せずといった様子で、ダンテは皆のやり取りをにこやかに眺めている。


すべてクィアシーナの想像にすぎない。

だが、その光景はきっと、現実からそう遠くないものだったに違いない。


しんみりしてしまったクィアシーナを気遣うように、マグノリアンは声をかけた。


「あ、でもな。今はその穴を、おまえが埋めてくれてるから。

正直、庶務って地味な仕事ばかりだし、すぐに嫌になるんじゃないかと思ってたんだ。でも、率先して引き受けてくれるし……頼もしいよ」


やや取ってつけたような褒め方ではあったが、それでもマグノリアンの優しさは、十分に伝わってきた。


「ありがとうございます。私も、アリーチェさんくらい存在感を出せるように、頑張りますね!」


クィアシーナは精一杯、前向きな言葉を口にしたつもりだった。

だが、マグノリアンは少しだけ、微妙そうな表情を浮かべる。


「いや……存在感はもう十分だから。普通に仕事をしてもらえたら、それでいい」


(あれ、はずしたか。ま、いっか。いつもの調子に戻ってきたみたいだし)


クィアシーナは、マグノリアンに頷きを返しながら、ラップサンドに一口かじりついた。




「ほんと、いろんな種類のお店がありますね」


「一軒一軒見ていたら、それだけで一日が潰れそうだな」


腹ごしらえを終えた二人は街の散策を再開し、メイン通りをのんびりと歩いていた。


雑貨屋に飲食店、服飾店に素材屋、本屋、花屋――。


ここに来れば何でも揃うのではないかと錯覚してしまうほど、さまざまな店が軒を連ねている。

クィアシーナとしては、あっちの店に入って、それからこっちにも立ち寄って、とあれこれ見て回りたいところだ。


だが、今日の目的は生徒会のお茶請けの買い出しである。

寄り道をしていては、あっという間に日が暮れてしまうだろう。


クィアシーナは自分の欲求をぐっと堪え、お菓子屋を探すことに専念した。


「お茶請けっていつも決まったお店で買ってるんですか?」


「うーん、いつもそのときの気分かな。先週はクッキーの詰め合わせを買ったから、今週は別の店で、別のものを買おう、みたいな。

それに、同じのばっかり出してると、ビクターとドゥランがキレる」


「な、なるほど。じゃあ被らないように選ばないとですね」


なんとも面倒くさい連中である。

クィアシーナとしては、放課後にタダでお菓子にありつけるだけでもありがたいというのに。


「うん、でも、買い出しするやつの特権だ。自分の食べたいものを選んだらいい。予算は限られてるけどな」


「やった!実は私、フィナンシェが食べたいと思ってたんですよ。どこか売ってるお店知ってますか?」


「それなら向こうの通りにある焼き菓子店で売ってたと思う。そっち行ってみるか」


「はい!」


その力強い返事に、マグノリアンは思わず、普段はあまり見せない優しい表情を見せた。



この後、二人は無事にお茶請けのお菓子を手に入れ、購入した品はマグノリアンが寮へ持ち帰ることになった。

朝からずっとマグノリアンと一緒に過ごしていたクィアシーナだが、つい先日知り合ったばかりとは思えないほど、彼の隣にいることが自然に感じられていた。


程よい距離感の先輩と後輩。

まさに、そんな言い方がしっくりくる関係だった。


――しかし。


傍から見れば、必ずしもそうは思えない者もいる。


学生街を制服姿で並んで歩いていた、という噂は、ファンクラブ会員の目撃情報によって、あっという間に広まっていくことになる。

そのことを、二人はまだ知る由もなかった。


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