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37. アリーチェとご対面

三時間に及ぶ馬車旅の末、ようやく目的地である子爵邸へと辿り着いた。

一帯は木々に囲まれた緑豊かな土地で、庭には季節の花々が咲き乱れている。

囲いもなくぽつりと建つ屋敷は、どこか別荘を思わせる佇まいだった。


屋敷を訪ねると、子爵家の年若い執事に客間へと案内され、アリーチェを呼んでくるからそこでしばらく待つよう指示を受けた。

その際、マグノリアンが執事に何やら耳打ちをしていく。執事は小さく頷くと、応接室を後にした。



マグノリアンと二人、緊張しながらソファで彼女が連れられてくるのを待つ。


なにせ、クィアシーナは貴族の家に入るのは今回が初めてのことだった。アリーチェに対面するというより、貴族のご令嬢と会うことに緊張していた。

ちなみに、マグノリアンも高位貴族なのだが、すでに身内みたいなものなので、クィアシーナが緊張する対象には入っていない。


「応接室まで会いに来てくれるということは、大分回復しているということでしょうか」

「たしかに、骨折してた腕はともかく、足は歩けるくらいになってるのかもな」


静まり返った応接間で、コソコソと二人で囁きあう。


(それにしても、シンプルな部屋だな)


応接間は、花瓶の一つも飾っておらず、ソファーとローテーブル、あとは壁際に明かりのスタンドがあるのみ。

余りにも生活感が無く、違和感すら覚える。


クィアシーナが部屋を見渡しているうちに、廊下のほうからコツ、コツ、と一定の間隔で音が聞こえてきた。

そして――


「お待たせしました、ダンテ殿下! アリーチェ、只今参りました!」


使用人によって開け放たれたドアの向こうに、亜麻色のフワフワした肩までの髪を揺らした、はかなげな容貌の美少女が立っていた。右腕は痛々しくギブスで固定されており、スカートの下から少し除いた右脚にも、まだ包帯が残っていた。彼女は左手で杖を持って、その華奢な身体を支えていた。


(この人がアリーチェさん?)


アリーチェの姿を捉えると、マグノリアンはすっと立ち上がり、挨拶をした。


「ご無沙汰してます、アリーチェさん。見た目はともかく、声はお元気そうですね」


彼の言葉に続こうと、クィアシーナも慌てて立ちあがり挨拶をする。


「初めまして。私はクィアシーナ・ベックと申します。今日はアリーチェさ……様のお見舞いにマグノリアンさんとともに参りました」


学園外なので、クィアシーナはアリーチェの敬称を慌てて「さん」から「様」に改めた。

頭を下げ、それからアリーチェの方を見ると、何故か彼女の顔が歪んだ。


「ちょっと、ダンテ様は? ……なんでマグがいんのよ」


どうやら、アリーチェはダンテが来ているものだと思っていたらしい。マグノリアンとクィアシーナの姿を見て、意味がわからないといった様子でいる。


「残念ながら殿下はいません。今日ここへ来たのは、俺と、それと新しく庶務となったクィアシーナの二人だけです」


「は? 新しい庶務? 何言ってるの?」


「あ、新しくというか、アリーチェさまの不在の間、代理を務めさせて頂いております」


クィアシーナはそう説明し、再度頭を下げる。


そのとき、アリーチェの方からいつもの嫌な予感を察知し、咄嗟にマグノリアンを引っ張って床にしゃがんだ。



ガンッ



「うわっ」


(間一髪だった!)


クィアシーナたちの後ろに、アリーチェが使っていた杖が落ちて転がる。

頭にでも当たっていたら、お見舞いに来たこちらが病院送りになっていたことだろう。


(感情が激しいって言ってたけど、想像以上なんですけど!?)


行きの馬車でマグノリアンが物が飛んでくると忠告してくれていたが、せいぜいクッションとかそういった類のものだと思っていた。

まさか杖を投げてくるとは。



これで終わりかと思った、その直後。

廊下のワゴンに置かれていた茶器が、間髪入れずに飛んできた。


「げぇっ、まだ投げる!?」


思わずクィアシーナが悲鳴じみた声を上げる。

だが幸運なことに、狙いがわずかに逸れていたらしい。茶器は二人をかすめることなく、虚しく地面に落ちた。

落ちた先が絨毯の上だったので、幸いにして粉々になることはなかった。



クィアシーナはマグノリアンと一瞬だけ視線を交わす。

――ヤバい、逃げるぞ。

言葉はいらなかった。



いま、アリーチェは器用にも、一つの足で自身の身体を支えている。何て優れた体幹なんだろうか。

危険な状況にも関わらず、クィアシーナは思わず感心してしまう。


「私はもう不要ってこと!? ふざけないで!」


大きな声で憤る彼女の身体から、何かモヤのようなものが湧き出てくるのが見えた。

魔力のないクィアシーナですら、それが恐ろしいものであるとわかる。


(もしかして、ここで魔法を使う気!? 嘘でしょ!? ああ、マグノリアンさんが言ってたとおり、何か対策を練ってくるんだった!!)


クィアシーナは詰んだ、と思いながら咄嗟に身構えたのだが――



……その魔法は不発に終わった。


アリーチェは後ろから来た執事に羽交い締めにされ、腕輪のようなものを付けられた。その途端に、彼女から魔法の気配が消え失せた。


「はいはい、落ち着きましょうねー」


「ちょっと! どういうつもり!?」


執事がどうどうとアリーチェをなだめる。その動作は慣れたものだった。

おそらく、彼女のこのような暴れっぷりは初めてのことではないのだろう。


「どうもこうもないですよ。他所様の坊っちゃん、お嬢さんがせっかくお見舞いに来てくれたっていうのに、何考えてるんすか」


「だって二人がふざけたことを言うから!!!」



ぎゃーぎゃー言い合っている二人をよそに、クィアシーナはマグノリアンに向けて囁く。



「……あの執事さんのおかげで、命拾いしました」


「さっきこっそりお願いしといたんだよ。魔法の気配がしたら、お宅のお嬢様に魔力の制御具をつけてくれって」


なるほど、さきほど部屋に入ったときに彼が耳打ちしていたのはこのことだったらしい。

ナイスジョブである。


アリーチェは宥められて少し気が落ち着いて来たのか、執事に支えられソファへと腰を落ち着けた。


「お二人も、どうぞおかけください。いまお茶をお持ちしますね」


執事に着席を促され、アリーチェの向かいへと再度腰を下ろす。

向かい合ったアリーチェの機嫌はひどく悪そうである。


「……投げたのは悪かったわ。でも、どういうことか説明して。その子が庶務の代理って、どういうこと?」


意外にも、二人に向かって物を投げてきたことを謝ってきてくれた。

衝動性が強すぎる気もするが、根は悪い人ではないのかもしれない。


マグノリアンがアリーチェに向かって話をしようとするのを静止し、クィアシーナが口を開いた。


「はい、きちんと説明します。私は今、あなたさまの代わりに、庶務の役目についています。もちろん、復学された際には、私は代理の役目を降りるつもりです。あなたのポジションを奪うつもりは一切ございません。その点はご安心ください」


おそらく彼女は、自分の休学中に、見知らぬ生徒に庶務をとって代わられたことに激怒したのだろうと思っていた。

そのため、自分はただの穴埋め要員であって、続投する気はさらさらないということで、アリーチェを安心させようとした。


「……意味がわからない。だって、代理の期間なんてほんの一瞬でしょ? それであなたに何のメリットがあるっていうのよ」


アリーチェが疑わし気な目線でクィアシーナを睨みつける。


(するどい)


「あ、ええと、私、昔から生徒会の仕事に興味がありまして! それで、先週フォボロス学園に転校してきたばかりなんですが、生徒会の仕事をやってみたいと学園長にお願いしたところ、なんと、私の願いを汲んで、学園長からダンテ会長に話が行って、それで代理でいいならってことで一時的に庶務を拝命したという次第です、はい」


慌てて事細かに経緯を説明したので、アリーチェからは余計に疑問な表情を向けられるが、クィアシーナは無難な笑顔でそれを受け流した。


「まぁいいわ。それで、今日はどうしたっていうのよ。ダンテ殿下から連絡が来たときは『お見舞いにいく』としか書かれてなかったから、てっきり殿下が直々に私の様子を見に来ると思っていたのに……」


よく見ると、アリーチェは療養中にもかかわらず、部屋着とは思えない姿であり、ばっちり濃いめの化粧もしていた。

王子殿下がわざわざ自分の家まで様子を見に来てくれるということで、頑張って支度をしたに違いない。


(ダンテ会長……敢えて誰が伺うかってことを書かなかったんだな……)


我が国の王子は本当にいい性格をしてらっしゃる。


と、ここでマグノリアンがクィアシーナに代わって口を開いた。


「殿下ではなく、申し訳ございません。ただ、自分もアリーチェさんの様子が気になっていたので、こうして直接伺わせていただきました。

殿下には、俺のほうから今日のあなたの様子をお伝えさせていただきます」


アリーチェは、ダンテが来ないことで、明らかに不貞腐れた様子を見せる。

そんな彼女に、マグノリアンが思わず苦笑した。


「それで、怪我の具合はどうなんですか?」


改めてマグノリアンがアリーチェに尋ねると、アリーチェはその表情に、わずかながら影を落とした。

クィアシーナは、そんな彼女の様子に(あれ?)と思う。


「……まだ、完全には治っていないわ。足は捻挫で骨までいっていなかったから、杖を使えば歩けるくらいにまで回復したけど、右腕は……」


言い淀んだアリーチェに、マグノリアンが安心したように声をかける。

彼は、アリーチェの機微に気づいていないようだった。


「杖ありで歩けるくらいにはなったんですね。経過が順調そうで安心しました。復学の時期は、いつ頃になりそうですか?」


「それはまだわからないわ。お医者様と相談しないと」


復学の時期は、まだ未定らしい。

杖を使いながらの通学は大変だろう。それに、右腕の具合については、彼女は何も述べていない。


そこでクィアシーナは、気分を変えようとお見舞いの品を彼女に手渡すことにした。


「あの、アリーチェ様。みんなからの激励メッセージを預かってきました。よろしければ、受け取ってください」


そう言って、鞄からメッセージが書かれた台紙を取り出し、差し出す。

アレクシスとビクターが良い感じに装飾を施してくれたおかげで、部屋にそのまま飾っておけそうな仕上がりになっていた。


「……」


アリーチェは台紙を、怪我をしていない方の手で受け取り、静かにメッセージへと目を落とす。

最初はまだ不機嫌そうな表情のままだったが、次第にその顔つきが柔らいでいくのが見て取れた。

装飾を指でなぞる仕草は、とても優しいものだった。


その様子を見計らったかのように、マグノリアンが「アリーチェさん」と声をかけた。


「実は、それとは別に、ダンテ殿下から手紙を預かってきています。内容は見せなくていいそうですが、俺たちがいるうちに目を通してほしい、と」


クィアシーナは、そんな話をマグノリアンからまったく聞いていなかったため、手紙を差し出す彼を驚いたように見つめた。


「殿下からの手紙……」


アリーチェは受け取った手紙をゆっくりと開封し、中から数枚の便箋を取り出して読み始めた。


クィアシーナとマグノリアンは、アリーチェが読み終えるのを静かに待つ。

沈黙が、応接室を包み込んだ。


(いったい、何が書かれているんだろう……台紙には書ききれなかった激励の言葉、とかかな?)


アリーチェの表情からは、何も読み取れない。

ただ、最後の手紙に目を落としたあと、口の端がほんのわずかに持ち上がった。

そして――


「マグ、ごめんなさい、席を外してもらってもいい? この子と二人きりで話がしたいの」


アリーチェは手紙を脇に置くと、真っ直ぐにクィアシーナの目を見つめ、力強い声音でマグノリアンにそう告げた。




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