32. 彼の事情と挨拶当番最終日
「今日はもうやることもないし、そろそろ帰るか」
マグノリアンに帰宅を促され、壁に取り付けられた時計を仰ぎみる。
以前、彼から、「自分の仕事が終わったら、押し付けられる前にさっさと帰るのが庶務としてやっていくポイント」と教わっていた。まだ完全下校の前だが、仕事がないなら無駄に残る必要もない。
クィアシーナは言われた通り、そそくさと帰宅の準備を始めた。
そんな二人を見て、ルーベントがおや、といった様子で声をかけてきた。
「二人とも、もう帰るのか? ちょっと書類の仕分け、手伝っていかないか?」
「すいません、今日はもう上がります」
クィアシーナが返事をする前に、マグノリアンが取りつく島もなく断りを入れる。
続いてドゥランが、
「ルーベントさんの手伝いが嫌なら、私のほうを手伝ってください。今月の生徒会の備品購入リストと在庫率を突き合わせて、来月の予算計画を下校時刻までに……」
と、別の手伝いを要求するも、
「たぶん、私が手伝ったら永遠に帰れなくなると思います」
次はクィアシーナが一言でぶった切った。
「お先に失礼します」
有無を言わせぬ勢いで挨拶すると、クィアシーナとマグノリアンは息もぴったりに、生徒会館を後にした。
今日はマグノリアンと二人、階段ルートで帰路へと着く。
「そういえば、明日は私たち二人で挨拶当番ですよね」
クィアシーナは朝の挨拶当番がマグノリアンだったことを思い出し、確認のためにそのことを尋ねてみた。
しかし、マグノリアンは「あーそのことなんだけど、」と少しばかり言いづらそうな様子を見せる。
「ごめん、悪いんだけと、俺は明日の当番に出れない」
「え?そうなんですか? 何か用事があるんですか?」
少し歯切れの悪い言い方に、クィアシーナは首をかしげながら理由を尋ねた。
「ああ……ちょうどシフトと被ったんだ。代わりに、リンスティーさんが引き受けてくれることになったから、そこは安心してほしい」
「シフト?それって何のシフトですか?」
「何って、アルバイトのシフトだよ」
「アァァ……アルアルアルアルバイトッ!?」
おおよそ似つかわしくない言葉に、盛大にどもり散らかしてしまった。
(貴族の坊っちゃんが、バイト……貴族といえど、家計が苦しいの?)
クィアシーナが気の毒そうな顔をしているのに気づいたのか、マグノリアンが事情を説明し始めた。
「俺、いま実家から勘当されてる状態なんだよ。学費は特待生制度で免除だからなんとかなってるけど、それ以外は自力でなんとかしなきゃなんないんだ。
だから、朝と週末にバイトして生活費を稼いでる。ほんとは夜も働きたいけど、勉強があるからな……」
高位貴族のご子息が苦学生をしているとは、驚きしかない。
平民のクィアシーナですら、学費も生活費も全て親に賄ってもらっているというのに。
そういえば、前に家まで送ってもらったとき、一般寮に住んでいると言っていた。
なんで特別寮じゃないんだろう?と不思議に思っていたが、そういった事情があったからなのか。
「ええと、もし差し支えなければ、なんでご実家から勘当されてしまったのか理由をお伺いしても?」
こんなに真面目な人が、実家から勘当されるなんて、一体何をやらかしたというのだろうか。
クィアシーナは恐る恐る問いかけるも、マグノリアンは特に躊躇う様子もなく「いいよ」と静かに語り始めた。
「前に、俺はダンテさんの前の代から生徒会に入ってたって言ってただろ?」
「はい、マグノリアンさん、それにビクターさん、ドゥランさんたち今の生徒会の二年生は、先代の生徒会のときからメンバー入りしてたって聞きました」
「そう、それで、そのときの生徒会長っていうのが、ジガルデさんって人だったんだけど……簡単に言うと、貴族主義の人でさ。
貴族に有利な規則を作って、あからさまに身分差を意識させるような制度で学園を変えようとしてたんだよ」
前会長ジガルデのことは、ラシャトから聞いた話とほぼ同じだった。
偏った思想の持ち主だったと、クィアシーナも記憶している。
そこで、クィアシーナはマグノリアンに、ラシャトから前会長の話を聞いたことを伝えた。
「実は今日、ラシャトさんからその辺の経緯を聞きました。でも、マグノリアンさんたちがジガルデ元会長のやり方に反発して、彼を罷免させたんですよね?」
「最終的にはな。けど、最初は訳もわからないまま、彼のやり方に従ってたんだ。
言い訳になるけど、半ば脅されてたんだよ。せっかく一年生から生徒会メンバーに入ったのに、自分に反発して将来を棒に振ってもいいのかって……
今振り返ってみると、あのときの俺はどうかしてた。彼の言ってることが怖くて仕方なかった」
「……」
(意外だ……。てっきりマグノリアンさんは、最初から真正面からぶつかってたと思ってた。でも、初めは元会長に従ってただなんて……)
思わず口を閉ざすクィアシーナを、マグノリアンはちらりと見やった。
そして、少し間を置いてから、話の続きを始めた。
「……けど、最初に動いたのはドゥランだった」
「え!? ドゥランさんですか?」
こっちも意外である。
基本的に、彼は面倒ごとは好まない人である気がしていたからだ。
「あいつ、今はあんなだけど、元々はめちゃくちゃ真面目で、人より何でもできちゃう凄い奴なんだよ。
だから当時も、すぐにジガルデさんに制度の撤回を要求したり、他の生徒会メンバーを説得して回ってた。俺やビクターにも、今の生徒会の在り方はおかしいって、何度も訴えてきてたよ」
「すみません、想像がまったくつきません……」
挨拶当番すら声だけで済ませるような怠惰ぶりの彼である。
そんなふうに積極的に動いている姿が、どうしても思い浮かばなかった。
「結局、俺とビクターは早々にドゥランに説き伏せられて、ドゥランの計画で会長を罷免させることにした。
で、結果は聞いてるかもだけど、元会長は再選挙で敗れて、ジガルデさんの生徒会は解散になった」
「はい、それもお伺いしました。選挙に敗れて、結局彼は学園も去ってしまったと。
でも、それがご実家の件とどう繋がるんですか?」
「……少しの間だけとはいえ、貴族主義的に振る舞っていたことが父の耳に入ったんだ。父は民衆主義者で、そうした選民意識を何より嫌う人だ。
ラスカーダ国は、王族・貴族・平民による議会の三権分立で成り立っていて、そこに人としての差などない――父は昔から、そう教えてきた。
それなのに……俺がジガルデさんの思想に染まって、横柄に振る舞っていたと聞いて、『卒業まで平民として暮らし、根幹を鍛え直してこい』って、勘当されたんだ」
「それは、中々にお厳しい……」
いくら鍛え直すためとはいえ、息子を身一つで放り出すとは。
しかし、それによって、今の身分差よりもやる気を重視するマグノリアンの性格が形成されたのだとしたら、お父上の目論見は大成功だと言えるだろう。
「まあそんなわけで、生活がかかってるから稼がなくちゃいけない。挨拶当番の日はなるべくシフトを代わって貰ってるんだけど、今回は代わりが見つからなかったんだ。だからごめん、明日は出れない」
「いえいえ、そんな事情があるなら仕方がないです。あの、ちなみに、何のバイトをされてるんですか?」
「第一カフェテリアの仕込みだよ。平日はそれで、週末は何人かの家庭教師を受け持ってる」
「し、仕込み……」
(朝の時間にマグノリアンさんを見かけなかったのはそれでか)
クィアシーナは、朝の挨拶当番で、これまで一度もマグノリアンに会ったことがなかった理由を急速に理解した。
彼は生徒の誰よりも早く学校に登校し、従業員の一員として、第一カフェテリアで働いていたのだ。
しかし、家庭教師ならまだ想像がつく。
だが、彼がキッチンに立ち、仕込みに混じっている姿は、どうしても思い浮かばなかった。
「私、一昨日第一カフェテリアでご飯を食べたんですが……」
「あ、第一に行ったんだ。じゃあ俺の切った野菜たちがおまえの口に入ったかもな」
「美味しゅうございました」
「そりゃどうも」
前に生徒会のお茶請けを自分で作ることもあるって言ってたが、きっと寮で自炊することに慣れているんだろう。
雑用係ともいえる庶務の仕事だが、生活スキルが高い彼にはぴったりなのかもしれない。
◇
翌日――
今日でようやく一区切りがつく。週末で疲れが溜まっているとはいえ、クィアシーナの心はどこか高揚していた。
今日が終われば、ようやく明日から二日間の休日だ。この一週間は、いつにも増して怒涛の日々だった気がする。
そして、毎朝の挨拶当番も、一旦今日で終了となる。来週からはちゃんと当番制になるから、毎朝早く学校へ行く必要もなくなる。そうなれば、少しは朝の支度にも余裕ができそうだ。
(あ、忘れてた)
クィアシーナはベッド脇に置いてあった腕輪と指輪を、いそいそと身に着ける。
どちらも借り物なので、傷をつけないよう、家に帰ったらすぐ外すようにしていた。
なにせ……そのうちの一つは国宝らしい。
どうして自分がそんな代物を持たされているのか――一晩寝たところで、自分のちっぽけな頭では理解できるはずもなかった。
さあ、今日も一日頑張るぞ――と元気いっぱいに部屋を飛び出したその瞬間、長身の影が目の前を遮った。
「おはよう、クィアシーナ。さぁ、今日も馬に乗って登校よ」
そこには、今日も完璧なお嬢様といういで立ちのリンスティーが、扉の前に立っていた。
「リ、リンスティーさん……!? あれ、共用玄関の扉、どうやって入ったんですか!?」
「どうやってって、開いてたけど……」
玄関を振り向くと、綺麗に開け放たれたドアが見えた。
(どうなってるんだよセキュリティー!)
おそらく住人の誰かがあけっぱなしにして行ってしまったのだろう。
防犯上よろしくないから、本当に止めて欲しい。
そして、開いたドアの向こうに、大人しく待機している大きな馬が見えた。
(やっぱり今日も馬か……!)
「あの、今日は馬を引いて歩いていきません? 前よりも早く家を出たから、十分に間に合うと思うのですが……」
クィアシーナは徒歩で向かうことを提案するも、リンスティーはすぐさまそれを却下した。
「なんでわざわざ馬を引いて歩かなきゃいけないのよ。乗っていったほうが早いでしょう。つべこべ言わず、さっさと乗る!」
「……」
前回の乗馬で、クィアシーナの太腿とお尻は死んだ。
まず、普段なにかに跨ることなどないため、内ももは軽く悲鳴を上げ、馬が走るたびに身体は浮き上がり、そのたびお尻は軽い打ち身状態になった。
それだけなら、まだいい。――いや、よくはないが。
問題は、彼にがっちり掴まらなければならないことだ。
前回は、リンスティーのことを「お姉さま」だと信じ切っていたので、何も考えずに彼の背にぎゅっとしがみつくことができた。
しかし今は、リンスティーが実はお兄さまだと知ってしまった。
躊躇してしまう気持ちが湧くのも、何もおかしなことではないはずだった。
――しかし、躊躇うクィアシーナをよそに、リンスティーは有無を言わせず彼女を馬上に乗せてしまった。
「ちょっと、前へ詰めて」
「え?」
クィアシーナは言われたとおり、前に身体をずらした。
すると、前回はリンスティーが前で、クィアシーナが後ろに乗ったのだが、今回は後ろがリンスティーになるらしく、彼女の背後へと跨ってきた。
「この前は、私の配慮が足りなかったわ。荷物みたいにして運ぶほうが、お互い楽かと思っていたけれど……そうじゃないわよね。
今日は鞍の前橋に持ち手を付けてきたから、そこに掴まるといいわ」
クィアシーナは言われたとおり、持ち手を両手でぎゅっと握り締めた。
その後ろでリンスティーが手綱を取り、馬の腹を軽く蹴ると、馬はゆっくりと歩き出した。
前回は、彼の大きな背に視界を遮られていたうえ、そもそも恐怖で目を開けていられず、景色を楽しむ余裕などなかった。
けれど、今日は違う。目の前に視界が広がり、いつもより高い視点に、自然と心が弾んでくる。
「気持ちいいですね」
思わず、そんな言葉が口をついて出た。
「でしょう?自分でも乗れるようになると、もっと気持ちいいわよ」
確かに、自分一人で乗ることができるようになれば、どこへだっていける。
馬の背に揺られ、好きな場所へとお散歩へ――
(悪くないな)
そう思った矢先、リンスティーが上体を少し前に預け、馬が速度を上げ始めた。
「!?」
「慣れてきたなら、さっさと行きましょう。ちゃんと掴まってなさいよ」
ぐんぐん上がっていくスピードに、クィアシーナは思わず叫ぶ。
「ひぃっ、やっぱり怖い! もっとゆっくり行ってくださいっっ!」
だが、その必死の訴えも虚しく、リンスティーは涼しい声で言い返した。
「なにが怖いのよ。さっき、気持ちいいって言ってたじゃない」そう言って馬をさらに促し、あっという間に駆け出していった。
……結果として、クィアシーナが乗馬を楽しむには、まだまだ修行が足りないことがわかった。
しかも到着時、急激にスピードが落ちたせいでバランスを崩し、あやうく落ちかけたところを後ろから力強く抱き留められてしまった。
落下しかけた恐怖よりも、背中に密着する身体に胸がどきどきしてしまう。
しかしその瞬間、「っあぶねぇな!」と、お姉さまボイスなのに素の口調で叱られてしまい、クィアシーナはちょっと落ち込んでしまったのだった。




