27. クィアシーナは真っ黒王子と契約内容を確認する
リンスティーが向かった先は、この間、転移先として利用した非常階段の最上階だった。
「急いでるから、ここから転移式を使いましょう」
確かに、わざわざ教室棟から裏庭に行って階段を使うよりは、ここから転移式で向かうほうが格段に速い。
リンスティーは転移式の魔法陣の中へと足を進め、その高い背を屈めた。
「え、あの」
「なにやってんの。早く背中に捕まりなさい。今月の予算の関係で、当分の間あなたの分の転移設定はできないみたいだから」
転移式は設定されている人物しか利用できない。けれども設定された人物の"荷物"であれば、一緒に転移が可能である。
……それはわかっているのだが。
「……」
今までの自分なら、何の躊躇もなくその背に捕まっていたはずだ。
申し訳ないと思いつつも、再びリンスティーのいい香りを堪能できることに、内心では喜びを感じていたに違いない。
――しかし、今の自分は、もう彼女のことを「彼」と認識してしまっている。
自分を運ぶことなんて、向こうからすれば、カバンを背負うくらいの感覚なのかもしれない。
それでも、おんぶで彼の背に自分の身体を密着させることに、少なからず抵抗を覚えてしまった。
リンスティーは一向に動こうとしないクィアシーナに痺れを切らし、すくっと立ち上がった。
「急いでるっていったでしょう!?」
リンスティーは少し声を荒げ、クィアシーナの側にいくと、有無を言わせない速さで軽々と彼女を横に抱き上げた。
「ひぃっ!?」
「落とさないから、素直に抱っこされてなさい!」
(近い、顔が近い! これ、絶対におんぶのほうがマシだった!!!)
クィアシーナは思わず両手で顔を覆い、全ての視界をシャットアウトした。
「ちょっと……そこまで嫌がらなくてもいいでしょ……」
「違います! いま顔が真っ赤なんです! 急いでるんですよね!? 早くしてくださいっ!!」
「……」
横抱きにされたなんて、赤ちゃんのときに母親に抱かれて以来ではないだろうか。
ましてや、とんでもない美人の異性に抱きかかえられて、平常心でいられるはずもなかった。
(恥ずかしい! でも今日も相変わらずいい匂いがする……だめだ、これ以上この状態だと変な気持ちになってくるから、早く降ろしてほしい!)
リンスティーは、それ以上クィアシーナに何も言わず歩みを進め、そのまま転移を実行した。
埃っぽい臭いが鼻をつく。
クィアシーナが顔を覆ってる間に転移が完了したのだろう、先程までいた場所と空気が変わっている。
顔を覆う手を退けると、生徒会館の転移部屋までの移動が完了したことがわかった。
「ありがとうございました」
クィアシーナはリンスティーの顔を見てお礼を言うが、なぜか彼は一向にクィアシーナを下に降ろす気配がない。
「……あの、もう着いたんですよね?」
じっとこちらを見下ろし、何も言わないリンスティーに、クィアシーナは不安になって思わず声をかけた。
すると――
「なんだ、全然顔赤くないじゃん」
「え」
リンスティーはそれだけ言うと、クィアシーナの脚を支えていた手を離し、「ダンテは執務室にいるわ」とだけ告げて、転移室を出て先に行ってしまった。
一人残されて立ち尽くすクィアシーナだが、
「いや、ここ暗いから顔色なんて見えないでしょ」
と、まだ熱が引かない顔のまま呟いた。
ノックとともに、執務室に入ると、ダンテが自席の椅子に腰をかけて待っていた。
リンスティーはと言うと、その向かいに立って机にもたれ掛かっている。
「すいません、お待たせしました」
「こっちが呼び出したんだから、謝らないでいいよ。君にも付き合いがあるのに、急に呼び出してしまってごめんね」
「いえ……それで、用件は何でしょうか? 今朝の件ですか?」
クィアシーナは早速用件を切り出し、手短に済ませようとした。
理由は明快だ――めちゃくちゃ腹が減っているから。
さっきのバケットサンドは、ほんの一口しか口にできなかった。今の自分は、まさに餓死寸前である。
いますぐにでも、手元のバケットサンドを袋から出して頬張りたいくらいだ。
「そうだった、今朝は大変だったね。でも、クィアシーナが声を上げたおかげで誰も怪我人はいなかったんだろう?
ルーベントからそう聞いたよ。さすがだね、囮作戦が上手くいってて何よりだよ」
「そういえば今朝そんなことがあったなぁ」、というテンションでダンテが言うものだから、クィアシーナは思わず拍子抜けしてしまった。
「あれ、私を呼び出したのって、今朝の爆破の件を聞くためじゃないんですか?」
「ああ、それについては既にルーベントや職員から詳細を聞いてるからね。それとは別件だよ。――契約の内容をきちんと説明しろって、リンスティーがうるさくてね」
あ、と思い、リンスティーの方を振り向く。
彼は「仕事が早いでしょ」といわんばかりの表情で、ふふんとクィアシーナに目配せをした。
「契約書の確認のために時間を作ってくださったんですね。わざわざありがとうございます」
クィアシーナは素直に礼を言う。
初日に作成した契約書の件なんて、昨日リンスティーに言われなかったら、まったく気にかけることなんて無かっただろう。
「はい、これが契約書の控えだよ。原本は私が持っている」
「ありがとうございます」
手渡された控えを手に取ると、初日にサインした自分の筆跡を、改めて確認することができた。
そして、そのまま目で契約の内容を追っていく。
書かれていたのは、アリーチェの事件の犯人を捕まえた場合、もしくは事件を解決した場合に、ダンテから褒美が与えられる、という内容だった。
記入日もきちんと記されており、一見すると、どこにも問題があるようには見えない。
「あなた、ちゃんと裏面は読んだ?」
リンスティーの言葉にハッとする。
そういえば、彼がダンテと留学期間について契約を交わしたときは、裏面にペナルティーが書かれていたと言っていた。
(でも、裏なんて…………うそ、本当になんか書いてある!)
裏返した契約書には、小さな文字でこう記されていた。
『特記事項:
なお、被契約者が解決期限となる契約日から一月以内に事件を解決できなかった場合、契約者が卒業するまでの間、被契約者は契約者より与えられる仕事を請け負う義務を負うものとする。』
そこに書かれていた内容は、これまで一度も聞かされたことのないものだった。
「!? なんですかこれ!?」
「ははは、バレちゃったねぇ」
おっといっけね、といったノリのダンテに、クィアシーナの怒りがこみ上げる。
「聞いてません!私こんな特記事項が契約書にあったことを、会長から説明されてないんですが!?」
「それは君の確認不足だよ。ちゃんと裏面も読んでいれば、サインする前に拒否することもできたのにね」
ダンテは掌を上に向け、やれやれといったポーズをとる。
いや、それを言うならアンタの説明不足だろ、と言いたくなったが、確かにちゃんと確認していなかった自分も悪い。どうにか口を閉ざして飲み込んだ。
「でも、解決期限がひと月しかないってことも今初めて知ったんですが?」
「それはこちらの伝え忘れだ。ごめんね?
あとひと月もしたら、創立祭の準備が始まるんだ。そうなれば生徒会は一番の繁忙期を迎えるから、とてもじゃないけど事件に構ってる暇はなくなる。だから、期限をひと月後に設定したんだよ」
これは昨日リンスティーが言ってたとおりである。創立祭準備が始まるまでがリミットだと。
「じゃあ、この"契約者が卒業するまでの間、被契約者は契約者から与えられる仕事を請け負う義務を負う"ってどういう意味ですか?」
「そのままの意味だよ。もし期限内に君が事件を解決できなかったら、君は庶務代理じゃなくて、私の雑用係として私の卒業まで手足を動かしてもらうっていう意味だ。理解できた?」
ダンテはキラキラスマイルをクィアシーナに向けるが、言ってることは真っ黒な奴隷契約である。
「すいません、まったく理解できません。それに、私ダンテ会長の仕事をこなせるほど器用じゃないです」
「謙遜しなくていいよ。君は期待以上に面白いから。その証拠に、君が転校してきてからまだ一週間もたってないのに、色んな意味で学園が活気づいてるでしょう?私はね、自分を退屈させない者に関しては、契約で縛ってでも手元に置いておきたい主義なんだよ」
("自分を退屈させないためなら、周りの迷惑を考えない変態"……いま、ようやくリンスティーさんが言ってた意味がわかった気がする)
「でも、彼女が解決できたら、裏面の内容は無視していいのよね?」
今まで口を閉ざしてたリンスティーが、ダンテに向かって挑発的に尋ねた。
「そうだね。まあその場合でも、私としてはクィアシーナの活躍が見れるから、どっちでもいいんだけど」
(どっちでもいいってなんなんだ。犯人を捕まえたほうがいいんじゃないの!?)
「ダンテ会長は、私をダシにして犯人を捕まえたいんですよね?」
「そうだね。捕まえたいのは、こちらも同じだよ。でも――」
「でも?」
「実は、犯人はもうわかっている。証拠もバッチリ。君のおかげだよ、クィアシーナ」
「は?」
「でもね、まだ足りないんだ。彼らには、もっと犯行を重ねてもらわないと、こちらから重い処罰を与えられないんだよ」
(あれ、ダンテ会長はもう犯人がわかってるってことは、契約不成立なんじゃ……?)
クィアシーナが絶望した顔をしていると、ダンテが笑いながら契約の続行を告げた。
「もしかして、契約不成立と思ってる? 大丈夫だよ、君がこの事件を解決するまでこの契約は続く。期限が来たらそこで終了だけどね。だから安心して。まだまだ楽しいことが待っているよ?」
「それは、会長にとっての楽しいことですよね……とりあえず、犯人がわかってるなら、教えてくれませんか?黙って囮役続けるんで」
「それだと面白くないじゃないか」
ダンテがニコリと笑みを向ける。
その笑顔はどこまでも黒い。
……今まで自分はこの人の何を見てきたんだろうか。
ダンテはキラキラなんて全くしてない。彼の後ろには真っ黒なオーラがどこまでも見え隠れしている。
「君には引き続き囮として犯人を煽って貰って、それでもし、捕まえれるなら捕まえてもらっていいよ。無理なら期限が来た頃、こちらが動くから。その辺は気負いしなくていいからね、もちろん契約は不履行になるけど」
「ダメじゃないですか」
クィアシーナは、何としても期限までに犯人を自分の手で捕まえなければならないことを悟った。
さもなければ、この得体の知れない厄介な人物に、こき使われる未来が待っているのだ。
「……なんか、逆にやる気が出てきました。絶対、期限内に解決してみせます」
明確な期限があるほうが、人間はむしろ燃えるものだ。
終わりの見えない戦いに、はっきりと区切りが見えるのだから。
「お、いいね。その調子だよ」
「ちなみに、初日にダンテ会長から教えてもらった容疑者の方たちは、犯人ではないと思っているのですが……当たってますか?」
「ああ、正解だよ。なんだ、ひっかかってくれなかったんだね。さすがだね」
「……」
悔しい。
これでは、ここまでずっと彼の掌の上で踊らされていただけじゃないか。
いまのところ他に思い当たる人物もいない。振りだしどころか、むしろマイナスからのスタートな気がする。
「そうだ、明日は私と一緒に目立つ場所でランチをしてみるかい? 一瞬で色んなものが寄って来ると思うよ。それで犯人を絞ってみたら?」
「それ、間違いなく別の敵を生むことになりますよね。謹んでお断りさせて頂きます」
「わかった。明日午前の授業が終わり次第、教室まで迎えにいくね」
なぜそうなる。
真っ黒王子は、どうやら意思疎通がまともにできない人になってしまったようだ。
「なんで今のやり取りで了承したことになってるんですか!」
「照れなくていいよ。大丈夫、席は確保しておくから」
「話が通じない! 助けてリンスティーさん!」
「私もご一緒させて貰うわ。そしたら文句ないでしょ?」
何故かリンスティーまで便乗してきた。
挨拶当番で数多の貢物を受け取っていた二人である。そんな二人に囲まれてランチなど、ファンクラブの連中からしたら万死に値するに違いない。
「文句しかないですよ! そんなことしたら絶対ファンクラブのメンバーに刺される!」
「はは、そのときは守ってあげるよ。こうみえて魔法の腕はそれなりに立つんだ」
「そういう問題じゃないんです! いいですか、絶対に誘いになんか来ないでくださいね!?」
「わかりやすいフリだね。うん、了解」
了解された気がこれっぽっちもしないのだが、もし彼らが本当にDクラスまで来たとしても、その前に別の場所に逃げればいいだけの話である。とりあえず今日この場では引き下がることにした。
――ただ契約内容を確認しただけなのに、こんなに疲労感を感じることになるとは思ってもみなかった。
先程まで腹ペコだったはずが、いまは別の意味でお腹いっぱいである。
「あ、もうすぐ予鈴が鳴る時間ね」
リンスティーが腕時計を確認し、そろそろ教室棟へ戻る時間だと仄めかした。
「どうする? 帰りも転移式で、さっきの場所まで送っていくけど」
彼の提案に、クィアシーナは血相を変えて首を振った。
「いえいえいえいえ! 大丈夫です! 本当にお気遣いなく! いまから階段を走れば間に合うはずなので! それじゃ、また放課後に!」
クィアシーナは畳みかけるようにまくしたてると、執務室を大慌てで飛び出していった。
残された二人はその嵐のような様子に唖然とする。
「……リンスティー、彼女に何かしたの?」
「……いや、なんも」
(危ない危ない。帰りもおんぶか抱っこだなんて……今度こそ羞恥で爆発してたかも。……あー、結局お昼も食べそびれちゃったよ)
クィアシーナは、教室棟へ続く階段をものすごい勢いで駆け降りていく。
全力疾走に近いスピードで走らなければ、授業開始までにDクラスへ戻るのは到底間に合わない。
実際のところ転移式のほうが数百倍は楽なのだが、その選択肢を取る気は、クィアシーナには毛ほどもなかった。
階段の終わりが見えはじめたあたりで、息が切れ始める。
少しスピードを落としたその瞬間――背後に強烈な悪寒を感じ取った。
かなりのスピードで、誰かが駆け下りてくる。
しかもそれは、ダンテやリンスティーの気配ではない。
(あ……後ろ、来るっ!)
クィアシーナは足をもつれさせまいと、段の途中で素早く脇にしゃがみ込んだ。
その瞬間――
「うわっ!」
誰かが足を踏み外し、階下へと転がり落ちていった。




