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12. アリーチェという人物について

その日の午前の授業は、とんでもなく平和だった。


過去に通っていた底辺校のように、やんちゃな生徒による授業妨害が起きることもなく、前校であるダントリアス校のように、急なディベートで授業が中断することもない。至ってみな静かに、教師の講義を受けていた。


(初めて、先生の話を最後まで聞けたかも……)


普通の学校なら至極当たり前のこと。

しかし、そんな当たり前のことに、クィアシーナはひどく感動する。


彼女は、地頭が悪いわけではない。

ただ、度重なる転校によって、学校ごとに授業進度やカリキュラムがばらばらだったため、非常に効率の悪い学習を強いられてきただけだ。今回は、この学園の卒業までここに居座るつもりでいる。

だからこそ、多少は学力が向上するのではないかと、密かに期待していたりする。


「お腹すいたねー! カフェテリア行く?」

「うん、行く! 私もお腹ペコペコだよ」


今日も昼休みにララとマリアに誘われ、クィアシーナは第二カフェテリアへと足を運んだ。

カフェテリアに向かう途中、少し周囲を警戒していたのだが、特に誰かに絡まれるようなことはなかった。


「ねえ、クィアシーナは昨日今日で生徒会のメンバー全員に会ったんでしょ!? 誰が一番カッコいいと思う!? 誰推しになったの!?」


ララの、あまりにも急で俗っぽい話題に、クィアシーナは思わず口にしていたものを吹き出しそうになった。


「げほっ……お、推し? ごめん、ちょっと水飲ませて」


彼女が落ち着く間に、マリアが話し始める。

「私は断然ルーベント様ね。男らしい魅力に溢れてるもの。あの筋肉は誰よりも美しいわ……」

「でた、マリアの筋肉フェチ。私はアレクシス様かな。二人とも線の細い感じがたまらない!」


二人とも、自分の推しについてうっとりと語りだす。

そんな二人の様子を見て、クィアシーナは基本的なことを確認した。


「マリアもララも、やっぱり生徒会のメンバーってカッコいいと思うの?」

「もちろんよ! 美の宝物庫だわ。ダンテ様も、よくぞあの面子を揃えてくれたって感じ。私たち、実は生徒会のファンクラブに入ってるんだけど、その先輩曰く、今代メンバーは飛び抜けて容姿が整ってるらしいのよ!」

「そ、そうなんだ……でも本当、整ってるよね」


どうやら生徒会にはファンクラブなるものが存在するらしい。

生徒会に入るだけでも羨望の眼差しを向けられるというが、今代のメンバーはその突出した容姿ゆえ、いっそう強い憧れの対象になっているのだろう。


「うんうん。それで、クィアシーナは誰がタイプ? やっぱりアレクシス様でしょ?」

「いえ、ルーベント様こそ至高よ! クィアシーナの好みも教えて!」

「誰だろう……みんな素敵だとは思うんだけど……。考えるからちょっと待って」


二人に好みを問われ、クィアシーナは自分の趣向について改めて考えてみた。


……そうは言っても、ぱっと思い浮かばない。


自分が好きになった人が、自分の好みなはず――なんて考えてみたが、そもそもこれまで恋愛的な意味で誰かを好きになったことがなかった。


昨日、生徒会のメンバーを見て、誰もが優れた容姿を持っているとは思ったのは事実。

けれども、自分の好みかどうかで言えば……どうなんだろうか。


(正統派美形はダンテ会長だと思う。それは間違いない。

中性的な美貌はアレクシスさん、男性的な魅力を持つのはルーベントさん。

クール系イケメンのマグノリアンさんに、小悪魔的な可愛らしさを持つビクターさん、

そして、芸術品のように非の打ち所がない美人がドゥランさん。

同性でも見惚れる堂々とした美しさを持つのがリンスティーさんで……

オールマイティか、生徒会! いや、イケオジ枠はいないけど、学生ならそこまで求めるのは難しいか)


「うーん……私の中での一番は、リンスティーさんかな?」


本当に一番かと言えば、そんなわけでもない。

彼女を選んだ理由はただ一つ、同性だからだ。

適当に異性の名前を挙げれば、余計な軋轢を生むかもしれない――そう思った末の選択にすぎなかった。


「おお、意外! そっちなのね。リンスティーさんも人気あるわよねー。

前に私、ファンクラブの子たちと騎士コースの人たちの模擬戦を見に行ったことがあるの。

そのとき、本命のルーベント様を打ち負かして、リンスティーさんが優勝してたわ。

さすがダンテ殿下の護衛なだけあるわよね!

私の最推しはもちろんルーベント様だけど、リンスティーさんもいいなって思っちゃったもの」

だからか。あの二人のやけに親しい距離感は、護衛対象だから常に一緒だったのか。

しかも女子なのに殿下の護衛って、かっこよすぎやしないか? 本格的に惚れそうだ。


(そういえば、女子のリンスティーさんでこれだけ人気なら、アリーチェさんはどうだったんだろう?)


クィアシーナはふと浮かんだ疑問を二人に尋ねた。


「あのさ、私の前任のアリーチェって人がいたと思うんだけど、その人は? やっぱり人気あった?」

「ああ、いま休学してる庶務の人? ……男ウケは良かったわよね。守ってあげたくなるタイプだって。私としては、あの人のどこがいいのか全然わからなかったけど」

「私もー。ファンクラブの会誌でも、あの人だけ特集組まれたことないよね。女子会員からは相当嫌われてたし」

「ファ、ファンクラブの会誌なんてあるんだ……思わずそっちに気を取られちゃったよ……」


どうやらファンクラブの会誌では生徒会メンバーの特集が組まれるらしい。

誰の分でもいいから、ちょっと見てみたい気はする。


「興味ある? 今度持ってくるよ」

「ぜひ! めっちゃ気になる!」


(違う、そっちじゃなくてアリーチェさんのことだ)


クィアシーナは自分で脱線させてしまった話を元に戻すことにした。


「ええと、話を戻すんだけど、アリーチェさんって、なんていうか……女子からは嫌われるタイプの人だったってこと?」


クィアシーナが言いづらそうに尋ねると、ララは顔を顰めながらうんうんと首を縦に振った。


「そうだね。だって、ダンテ殿下の婚約者候補って自ら吹聴して回る人なんだよ? とにかく殿下にベタベタしてさ、しかも殿下だけじゃなくて他のメンバーとも距離が近いんだよね。それを周りに見せつけるようにするし……ファンからしたらいい気はしないよね」

「ファンじゃなくても、いい気はしないかな……。聞いてる限り、女子ウケは絶対しないね……」


(なんか思ってたのと違うな……)


クィアシーナが思い浮かべていたアリーチェの人物像は、周囲の嫉妬にも負けず芯の強い女性だった。爵位が低いとか、Bクラスだからとか、そんな理不尽な仕打ちを受けても立ち上がる人。


しかし……ララとマリアですら嫌悪感を隠さないほど、女子から嫌われる行動をするような人物だとは。

まだ二人からしか話を聞いていないので、本当にそんな人物なのか断定はできない。しかし少なくとも、嫌がらせを受けるだけの理由が、本人の態度にもあったのかもしれない。


「いま、アリーチェさんは『ダンテ殿下の婚約者候補』って自ら吹聴する人、って言ってたけど、自称してるだけでダンテ会長の正式な婚約者ではなかったってこと?」

「もちろんそうだよ! 自称だよ、自称! だって子爵位だもん。身分的にどう考えても、殿下の婚約者は無理でしょう」

「そうなんだ……」


婚約者“候補”といっていたのは、あくまで本人がそう主張していただけ……ということか。その真偽は、今日にでもダンテに確認してみよう、とクィアシーナは心に決めた。


「でも、あの人もかわいそうだよね。確か、階段から落ちたんだって?怪我で療養してるんだとか…せっかく最終学年なのに、このままだと創立祭も参加できないかもしれないよね」

「まだ二月くらい先だから、参加は出来るんじゃない? ただの骨折でしょ?」

「創立祭って?」


聞き慣れない単語に、クィアシーナはララに問い返す。


「あ、そっか、まだ聞いてないか。創立祭っていう学園の創立を祝うお祭りイベントが、あと二月後に行われるんだ。各クラスが出し物をして、良かったと思うクラスに投票して、優勝を決めるの。先輩たちから聞いた話では、学園の年間行事で一番大きなイベントらしいよ」

「へえ、お祭り行事なんて、楽しそうだね」


クィアシーナがこれまで通ってきた学校には、生徒全員参加型の行事というものがなかった。しかも「お祭り」だなんて、その楽しそうな響きだけで、自然と興味を惹かれてしまう。


「うんうん! しかも、創立祭のイベント効果で、カップルになる人が多いらしいよ~! 別に今クラスに好きな子がいるわけじゃないけど、そういうの聞くと、私にも何かトキメクようなことが起こるかも!? って期待しちゃう。ちなみにクィアシーナは、今まで彼氏がいたことある?」

「ううん、残念ながらまったく。そういう二人はどうなの?」

「私も経験なし!」

「私もー! でも、今はルーベント様の追っかけしてるだけで幸せだから、恋愛とかは別にいいかな」

「そういうもの? ルーベントさんと付き合いたいとか、ないの?」

「ないない! それに彼は辺境伯の嫡男だよ? 準貴族の小娘なんて相手にしないでしょ」


マリアは意外と現実的な性格のようだ。

対してララは、「私はアレクシス様になら、遊びでいいから付き合って欲しいな~。別に将来がどうこうとか置いといて、今の学生生活の間だけでいいから、夢を見させて欲しい」と、まさに学生らしい考えの持ち主のようだった。


「なるほど、そういう考え方もあるわね。学生の間だけ夢を見るのも悪くないわ」

「学園だと建前上身分は関係ないはずだもんね。というか、生徒会の人たちって、みんな婚約者とか付き合ってる彼女がいたりしないの?」


みんな高位貴族の家のご子息・ご令嬢である。クィアシーナはこの国の貴族のしきたりに詳しくないが、家同士の結びつきや政治的な理由で婚約しているのではないかと推測した。本人たちには少し聞きづらいので、ファンクラブに入っている二人なら知っていそうだと確認してみる。


「今は、メンバーの誰も特定の人はいないんじゃない? アレクシス様はしょっちゅう彼女を取っ替え引っ替えしてるけど、付き合ってるわけじゃないらしいし」

「え、今日の朝、アレクシスさんと彼女らしき人が二人で登校して来たんだけど、あの人も彼女じゃないってこと?」

「うん、たぶん違うんじゃない? 彼は本命を作らない主義らしいよ!」


なんと。意外にも彼は遊び人だったらしい。まあでも、あれほどの容姿である。遊びでいいから付き合ってほしいというララみたいな女子が、くさるほどいるのだろう。


「そもそも、うちの国で学生のうちから婚約を結ぶのって、余程古い家門の人じゃないとほとんどないんじゃないかな。卒業してからは分からないけど、学園にいる間は貴族もみんな自由に恋愛してるみたいだよ」

「そうなの? 王族も?」

「王族は別だね。現に、ダンテ殿下には何人か婚約者候補がいるみたいだし。でも、まだ正式な婚約者はいないから、“みんなの殿下”って思われてるんだよね」

「あーなるほど」


“みんなの殿下”という表現は、昨日の相談箱の手紙にもあった内容だ。今は特定の人がいないからこそ、“誰のものでもない憧れの存在”として見られているのだろう。


「あれ、もしかして、クィアシーナの本命は殿下?」

「ええっ、まさか! 恐れ多すぎて気持ちを向けることすら烏滸がましいわ」

「はは、ちょっとわかる気もする」




三人の会話が途切れたとき、クィアシーナは外の景色に何気なく目をやった。

その瞬間――胸騒ぎが全身を駆け抜け、反射的に二人に声をかけた。


「立って。急でごめん。今すぐ席を移動して。理由はあとで話すから」


二人は不思議そうに顔を見合わせたが、クィアシーナの真剣な表情に黙って従い、トレーを持って席を離れた。


――そして、三人がテーブルから離れた瞬間、パリン――ガラスが、一斉に飛び散った。




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