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106. 思想の塗り替え

生徒会館からの階段を、クィアシーナは一人、ぎこちない足取りで、とぼとぼと降りていく。


貴族エリアであるこの区画に、自分のような平民が、なぜ足を踏み入れることができたのか。


先ほどまでの行為が、どうしても理解できなかった。


(こわ。え、私、バッジ外してまでこんなとこに来てたなんて、自分で自分が信じられない)


いくら呼び出されたとはいえ、生粋の貴族である新生徒会のメンバーの元へ、のこのこ赴いていたなんて、命知らずもいいところだし、恥知らずでもある。


(結局、()()()()()()()()()()()()()()


――そう思っていること自体が、心の奥底で、どこかおかしい気がした。



新生徒会のメンバーは、平民であるクィアシーナに驚くほど寛大だった。


影のヒーローとして持ち上げられていたクィアシーナを、温情で見逃してくれたのだ。

おかげで、罰則――物理的制裁と、一日の停学処分で済んだ。


新生徒会メンバーの全員から受けた罰則によって、身体のほうはまだ痛む。

けれども、明日の停学にしてくれたおかげで、本来なら反省しなくてはならないところだが、ゆっくり身体を休めることができるだろう。


もしかしたら、停学にはそういった配慮も含まれていたのかもしれない。

お貴族様々である。



「クィアシーナッ!!」


突然、名前を呼ばれ、はっと足元を向いていた顔を上げる。

視線の先――階段を降りた先に、


自分が敬愛してやまない、

リンスティーお姉様の姿があった。


(お、お姉様……! そうだった、袋に伝言を入れてたんだった)


クィアシーナは、伝言魔法で生徒会館に呼び出された際、念のためと袋ズからもらった魔道具で、彼らに伝言を託していた。


『生徒会から呼び出しを受けた。一時間たっても戻ってこなかったら、生徒会館まで助けに来てほしい。これを、旧生徒会メンバーの誰でもいいから、誰かに伝えて』


どうやら、サキとアトリの袋の二人は、ダンテ不在の中、戦闘能力において最強であるリンスティーに声をかけたようだった。


「一時間経ったから、ちょうど迎えに行こうとしてたんだけど……

大丈夫だった!?

なんだか……足を歩き辛そうにしてるけど、一体何があったの……」


リンスティーが心配そうな様子でクィアシーナの元へ駆け寄り、彼女に触れようとした。


が、


「おやめください」

「え」


クィアシーナは顔を伏せ、けれども、はっきりとした口調で言った。


「私は平民です。

――あなたが気軽に触れてはいけない『下賤な血』の者です」


クィアシーナの言葉に、

リンスティーの動きが、止まった。


(お姉様の優しさは本当にありがたいけど、線引きは必要。

今まで、私の頭がイカれてたんだもの。ほんと、何考えてたんだろ。自分でも意味不明だ)


ゆっくりと顔を上げると、リンスティーが、信じられないものを見る目でこちらを見ていた。


「あなた――何言ってるの?

冗談でも口にしてはダメなこと、言ってる自覚……ある?」


目を見開いて驚いている顔も美人で、クィアシーナの鼻の血管は、早くも疼いている。


(我慢だ、我慢。耐えろ、私の血管)


鼻を押さえ、彼女の顔を見たいけど見ないようにして、反論を口にする。


「冗談ではなく、本心です。

すみません。今までがおかしかったんですよ。

というより、今こうしてお声をかけていただいていること自体が、とんでもないことですし、ましてや私が呼び出してしまったなど――

おこがましいです。明日は私、停学で一日家で反省しますので、あなたを呼び出して、しかも一時間も待たせてしまった件は、どうか温情をいただけませんか?」


図々しいお願いだとは承知している。

半分王族の血が流れているこの方に、何を言っているのだと思われるかもしれない。

けれども、これまで生徒会メンバーとして仲良くしてもらっていたのだ。それくらいの情はかけてもらえると、どこかで期待していた。


「ちょっと……、クィアシーナ。

あなた本当にどうしちゃったの?

新生徒会のメンバーに、脅されでもしたの?

お願い、教えて」


まっすぐに、彼の心配そうな薄い水色の目を向けられ、なぜかクィアシーナの心がぐらりときた。


(気持ち悪い……)


込み上げてくるのは、急激な吐き気。

立ちくらみを起こしたときのような感覚に襲われ、思わず口元に手をあてる。


このままでは、彼の前で粗相をしてしまう。

こちらから呼び出しておいて失礼とは承知の上で、この場を去る許可を求めることにした。


「……申し訳ございません。

少し体調が優れないので、もう失礼してもよろしいでしょうか?」


けれども、彼はそれを許してはくれなかった。


「体調が悪いなら、私が保健室まで連れていくわ」


「! そんな恐れ多いこと、おやめください!

そんなことをされたら、私、余計に大変なことになります!」


ただでさえ吐きそうなのに、リンスティーに連れていってもらったりなんかしたら、色んなものが吹き出して二度と学園に来れない羽目になりそうだ。


しかし、リンスティーはこういうとき、一歩も引かないとクィアシーナは知っている。


(――許可が得られないなら、逃げるしかない)


ごめんなさい、と心の中で誤りながら、急いで彼の横を走り過ぎようとするが、パシッと一瞬で腕を取られてしまう。

……こんなとき、彼の身体能力の高さが恨めしい。


「――いっぺん黙れ。俺が連れていくから」


変声期を使っている高い声のはずなのに、それでも低く聞こえるリンスティーの声に、クィアシーナの身体がビクリと跳ねた。


(やだ……めちゃくちゃ怒ってる……)


彼が“お姉様の姿”のときに、ここまで口調を荒らげるのは初めてのことだった。

その表情も、これまで一度もクィアシーナに向けられたことのないものだ。


クィアシーナはリンスティーの感情に圧され、息を呑んで立ち尽くす。

次の瞬間、彼はいとも簡単にクィアシーナを横抱きにし、管理棟へと歩き出した。


(――怖い!)


「お、おろして……」


顔が怖い。

雰囲気も怖い。

解放してくれているはずなのに、その怒りに押し潰されそうで、何もかもが恐怖だった。

美人の怒った顔は、フツメンの百倍の迫力があると彼は自覚したほうがいい。


「……」


リンスティーはクィアシーナの懇願に何も答えず、険しい顔のまま保健室までの道のりを急いだ。


何人かの生徒とすれ違った気がしたが、クィアシーナは両手で顔を覆っていたため、彼らの反応を見ずに済んだ。


ツンと鼻をつくアルコールの匂いと、清潔なシーツの匂いが鼻をかすめる。

ゆっくりと降ろされたベッドの上は、以前にもリンスティーに連れて来られた場所だった。


あのときは、男性姿で王子様をしている彼にクィアシーナが憤りを見せていたが、

今は、リンスティーがクィアシーナに対して静かな怒りを向けている。


「こ、こんなところまで運んでいただいて、申し訳ございませんでした……」


ベッドから立ち上がり、深く頭を下げて謝罪する。

これまで彼に横抱きにされたときは、戸惑いや羞恥心、それからドキドキがほとんどだったが、

今回は申し訳なさが半分と、彼への恐怖が半分だった。


――貴族であるリンスティーにこんなことをさせてしまった自分は、

学園の外であれば、身分を弁えない者として極刑ものだ。


すでに保健医も帰宅したようで、室内は二人きり、完全な沈黙に包まれている。


リンスティーから顔を上げる許可が出ないため、クィアシーナは足元を見つめたまま小刻みに震えた。


彼がこのあとどういった行動に出るのか分からず、ただ許しを待つしかなかった。


「――顔を上げて」


ようやく許可が下り、ゆっくりと顔を上げる。

見つめたリンスティーの顔は、なぜか酷く哀しげに見えた。


「座って」


命令だ。

逆らうこともなく、おずおずとベッドへ腰をかける。


すると、リンスティーの手がクィアシーナの頭へと伸び、ゆっくりと髪を一度撫でた。


ビクリと身体が跳ねるが、抵抗はできない。

平民の反抗は、不敬罪にあたる。

――そう、誰かに刷り込まれた言葉が頭をよぎる。


ぎゅっと目を瞑って耐えるような反応をしたクィアシーナに、

リンスティーはさっと手を離し、口を開いた。


「……生徒会館で何があったの?

教えなさい」


再びはっきりと命じられ、

クィアシーナは先ほどの出来事を、つつみ隠さず説明した。


貴族から平民への命令は、"絶対"だから。


「はい……。

放課後になって、ブレンダ様と思しき方から伝達魔法が来ました。

『放課後、生徒会館の応接室に来てほしい』と」


「私は急いで生徒会館へ向かいました。その際、サキ様とアトリ様にいただいていた、伝達魔法の代わりになる魔道具で、お二人に伝言を残しました。

それで、お二人からリンスティー()へ連絡が行ったのだと思います」


ここまで話していて、ふと気づく。


(私……なんで今まで貴族のみなさんへの敬称を「さん」なんて呼んでたんだろう。

自分の教養のなさが悲しい……)


気を取り直して、続けた。


「そして、生徒会館へ行ったあと、新メンバーの皆さんが応接室で私を待っていました。

あ、皆さんのことを待たせていたなんて、私、何様なんでしょうね。

……やだな。ほんと、自分が嫌になります」


自嘲気味に言ったが、リンスティーは黙ったまま何も返さない。


クィアシーナは、彼は自分と会話をしたいわけではなく、ただ説明を聞きたいのだと思い直し、慌てて続きを話した。


「すみません、脱線しました」


「それで、副会長のブレンダ様や、ガブリエラ様から、ダンテ第二王子殿下の行方を尋ねられました。

でも、平民の私がそんなことを知るはずもなく……」


自分のスカートの裾からのぞく足元を見つめる。


「知らないと答えればよかっただけなのですが、

そこで私が生意気な態度を取ってしまったせいで、罰則を受けました」


「罰則……?」


リンスティーの顔が、僅かに歪んだ。


「はい。魔法と――物理的な制裁でしたが……

あ、でも、私、頑丈なので。

それと、ガブリエラ様は私に一日の停学処分を言い渡しました。

これって恐らく反省するとともに、身体を休めろ、という意味だと思うのです。

――彼らの温情には、感謝しかありません」


両手を組み、気持ちを落ち着ける。

リンスティーにまで、自分の不敬と至らない行動を咎められたら、

さすがにクィアシーナの心も折れてしまいそうだった。


少しばかり、部屋に静寂が流れる。


クィアシーナは視線を足元に伏せたままだったが、リンスティーが動いた。


「少し、触れるわよ」


さっき頭を撫でられたときに過剰に反応したのを気遣ったのだろう。

身体に触れる前に、事前に声をかけてきた。

問いかけというよりは、宣言に近い。


「……っ」


軽く触れられただけで、苦痛が思わず声に出た。


リンスティーが膝を折って触れたのは、

ベッドに腰掛けるクィアシーナの膝下の足だった。


「ひどい……」


ところどころ青く腫れたそれは、

彼には、見ていられないほど酷いものに映ったに違いない。


「汚いので、見ないでください。

あと、すみません……触れられると、少し痛みます」


ここは正直に伝えさせてもらうことにした。

間違って強く押さえられでもしたら、

反射的に彼を蹴り上げてしまいそうになったからだ。


「――なんで」


なぜか、リンスティーは苦しそうに、絞り出すような声を出した。


「なんで、抵抗しなかったの」


(なんでって――

それよりも、リンスティー様が、なんで泣きそうな顔をするの)


胸が変にざわめく。

先ほど落ち着いていた吐き気が、また込み上げてきた。


「貴族の方々に楯突くなんて、平民の私にできると思います?

……ほんと、今までがどうかしてたんです」


なんで、自分は貴族連中を相手に反撃なんてしていたのだろう。

なんで、"お友達"なんて呼んでいたのだろう。

ダンテとの契約があったとはいえ、これらの行為は"常識"を逸脱している。


それに――

リンスティーとも、距離を詰めすぎていた。


彼と自分は、違う。

流れる"血の尊さ"が、決定的に異なるのだ。

安易に口を利いている今の状況ですら、異様だと言えた。


(気持ち悪い)


少し落ち着いていた、頭の中を引っかき回されるような、目眩のような感覚が戻ってきて、無意識に口元を押さえる。


「リンスティー様とも、これまで馴れ馴れしくしすぎました」


口に出してしまった瞬間、胸の奥から靄が湧き出るような違和感に襲われた。


(吐きそう……

でも、ちゃんと、これまでのこと……謝らなきゃ)


それなのに、声が、身体が、拒否する。

言うな、声に出すな、と。


「大変、申し訳ございませんでした。

これからは、節度ある……ように、心がけます」


胃の奥から、何かがせり上がってくるのがわかる。


「っ……お互いに」


声から、かすれた息が漏れた。


(苦しい)


「身分を、弁えて……」


「もう……個人的には会わないで、喋りかけないようにしましょう」


最後は、絞り出すような声で言い切った。


言葉にしたあと、食いしばっていた身体の緊張が抜ける。

けれど、手のひらには汗が滲み、心臓は不快なほど煩く鳴りっぱなしだった。


リンスティーはクィアシーナの謝罪を聞いて、しばらく黙ったあと、ゆっくりと口を開いた。


「――それって、本心?」


静かな問いだった。


見つめた先のリンスティーは、誰よりも美しく、

そして先ほどとは比べ物にならない、完璧なまでの怒りを携えていた。


その様子に、身体が自然と跳ねる。


「は」


ゴクリと、唾を飲み込み、


「はい」


震える声で返す。


そんなクィアシーナに、リンスティーは再び静かに怒りを押し殺した声で問う。


「じゃあ……

なんで泣いてるの?」


「え……」


言われてから顔に手を当てると、

知らぬ間に、涙が頬を伝っていた。


慌てて手で拭うが、次から次へと溢れ出てくる。

止まらない、制御不能な身体の反応に、「すみません」と顔を覆った。


悲しいわけではない。

なのに、なぜか止まらない。


こんな無様な姿を、彼に晒すなんて。


「お目汚し、本当にすみません」


(本当、やだ)


できれば、早くここから出て行ってほしかった。

リンスティーと一緒にいるほど、さっきから気持ち悪さが増している気がしたから。


「謝らないで」


ぴしゃりと言われ、何をしても余計に怒らせてしまう気がして、結局、黙り込んでしまう。


その間も、涙は流れていく。

涙を拭うばかりで、何も言い返さないクィアシーナに、リンスティーは続けた。


「――私は、血筋を卑下するということが、何よりも嫌なの」


そのひと言は、クィアシーナの心をズキリと一突きにした。


頭が痛い。

自分の中で、何かが暴れまわる感覚に陥る。


(やめて)


咄嗟に、片手で額を抑える。


「だって……自分の血を蔑むほど、

その血に連なる他の人たちまで、否定してしまうことになるでしょう?

違う?」


何も、違わない。

確かな正論だった。


自らが平民であることを卑下すればするほど、

家族だけでなく、同じ身分の仲間たちまでも巻き込んで貶めていることになる。

それは、平民の血が半分流れているリンスティーも、例外ではない。


けれども、仕方がないではないか。

ここでは、それこそが――"常識"なのだから。


「私は。あなたには……

あなたにだけは、そんなこと言ってほしくなかった」


リンスティーの顔が悲しげに歪む。

そして、付け足すようにして残酷な言葉を言い放った。


「身分なんて関係なく、

そんなことを言ってしまうあなたとのお付き合いなんて、」


(やめて!)


「私からも願い下げよ」


「……ッ」


リンスティーの抉るような言葉に、クィアシーナの心が、とうとう悲鳴を上げた。


それはクィアシーナにとって、死刑宣告にも等しかった。

自分から言い出したはずなのに、目の前が真っ暗になる。


――けれども。


(違う)


絶望しかけたところで、

すぐに意識が塗り替えられた。


(――彼とはこれで、正常な関係に戻るだけ)


頭に靄がかかる。

 

(これは、皆にとっていいこと。

何も――ショックなことなんかじゃない)


仕方がないことだ、と割り切るように、心の中で何度も反芻する。

動揺していること自体が、異常なのだ。


『平民は貴族と相容れない』

――そんなことは、

()()()()()()()()()()()()()()()()


「それに……」


なおも、リンスティーは続けた。


「そんなふうに、……あなたの思想を弄んだアイツらが、

何よりも許せない」


(あ……)


彼の顔が、目に見えて、哀しげに歪んだ。

胸の奥が――なぜかギュッと疼いた。


「私はあのとき、ダンテのことは止められなかった。

でも、だからこそ、あなたのことは何としても食い止めたい」


リンスティーが、クィアシーナへと再び手を伸ばす。

今度は、身体が抵抗しなかった。


「誰かの……他人の思想なんかに、囚われないで」


優しく、髪を撫でる。


「これまでのあなたなら、身分差は気にしても、

決して理不尽なことには屈しなかった。

そんなあなたは――誰よりも、何よりも、最高に魅力的だった」


(そう……だったっけ――?)


また、胸の奥に、気持ち悪さが増してくる。

なのに、撫でられている頭には、心地よさが続く。


まるで、身体のあちこちが、バラバラになったような気分だった。


「あなたの思想は、あなただけのものよ」


リンスティーは、静かに告げた。


「だから……これ以上、今のあなたは見ていられない。

本当は、こんなことしたくないけど――ごめんなさいね」


(あ……)


リンスティーから、何か魔法の気配を感じた。

けれど、それは酷く優しいもので、なぜだか、まったく抵抗する気が起きなかった。


ゆっくりと撫でていた手が止まり、

そのまま頭に手を添えられ、彼のもとへ引き寄せられる。


「おやすみなさい」


額に感じた温もりとともに、意識が遠のいていく。


――目が覚めたときには、私が誰よりも特別と思ってるあなたに、きっと戻っていますように。


そんな風に祈るような声が、どこか遠くで聞こえた気がした。


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