104. タスクの完了と週明けの報道
昼休み、旧校舎の屋上にて。
「はい、ナナフシ。これ、見つけるの大変だったんだから、大事にしてね」
クィアシーナはそう言って、細かい網目のカゴに入れた、細長い木の枝のような虫を彼に手渡した。
「ううう、うわーっ!」
受け取った瞬間、彼は惚然とした表情を浮かべた。がばりと顔を上げ、
「さ、最高じゃないですかぁ~!」
と、かなりの声量で喜びを表現する。虫かごを大事そうに抱え、網の隙間からナナフシを愛でている。
(うん、変わらないなぁ……)
眼鏡をかけ、きっちりとした髪型の彼、アンソニー・ゴールディンは、貴族主義の一人で、新生徒会の会計であり、何より生粋の虫好きだった。
アンソニーは、同じく会計に就任したデリックに「ヤバい」と言われるほど、虫のことになると周りが見えなくなる、困ったちゃんな純粋ボーイだ。
もちろん、そんな彼の胸には貴族組である金色のバッチが光っているいる。
「で、クィアシーナのお話って?
ただプレゼントをくれただけじゃないですよね?」
困ったちゃんな彼だが、一つ良いこと(虫関連に限る)があると、わりとまともになるという特性がある。
クィアシーナはその特性を狙って、昨日の午後から半日かけて、町外れの森で珍しい虫を探し続けた。その結果が、ナナフシ一匹。
「これだけだと厳しいかな……」と覚悟したが、思いのほか喜んでもらえて、何よりだった。
「うん、そう。アンソニー君に話があるんだ」
「もしかして、生徒会のこと?」
「そうだよ。よく分かったね」
「そりゃあね。でも、僕、ちゃんと仕事やってないですよ?」
アンソニーが口元に弧を描くようにして言ったので、クィアシーナは「ん?」と首をかしげた。
「ええっと……
ちゃんと仕事してないって、どういうことかな?」
「だって、ちゃんと仕事しちゃったら、あの人たちの思う学園に染まっちゃうでしょう?」
「あの人、たち?」
「うん、あの人たち。怖いよねぇ。例えるなら、うーん……寄生虫?
依存しあってる感じも、可愛くないよねぇ」
(どうしよう、全然わからない……)
彼は、虫のこと以外では抽象的な表現を使いがちで、人の理解を超えた発言をすることが多々あった。
「それに、どうせ引っかき回した張本人の女王蜂があと少しで巣に戻ってくるんじゃないかな?
それまで、僕はやらない仕事をやってみせるから、安心して」
「あ……」
女王蜂とは、おそらくダンテのことだろう。
きっと近いうちにダンテが学園に戻ってくると言っているのだ。彼は第六感でも持っているのだろうか。
「それより、クィアシーナ。
僕、新しい図鑑を手に入れたんです!
残り時間はこれを一緒に見ましょう。僕のお気に入りを紹介したくて!」
眼鏡の奥の瞳が、キラキラと光っている。
(うん、この子は大丈夫そう)
昼休み、クィアシーナはアンソニーとのアポイントを袋ズに取り付けてもらい、"お友達"の説得にあたったが、思いのほか早く終わってしまった。
アンソニーの実家のゴールディン家は貴族主義で、彼自身も本来は貴族主義のはずだが、虫仲間に身分差はないらしい。
残りの時間、クィアシーナは持ってきたお弁当を広げ、アンソニーと一緒に彼の紹介する図鑑を楽しんだ。
まるでこの屋上だけ、元の学園と同じ――『身分差なく皆平等』という方針が戻ってきたかのような、穏やかな時間が流れていた。
◇
予鈴が鳴る前に、クィアシーナはアンソニーと別れた。
一緒に戻ってしまえば、魔道具の監視に引っかかる可能性があったからだ。アンソニーが先に出て、クィアシーナは少し時間を置いてから屋上の出口へ向かった。
(ここ、魔道具が設置されてない穴場だったんだな……)
アンソニーの伝達魔法で指定されたこの場所は、クィアシーナにとって初めて訪れる場所でもあった。
実はこの旧校舎の屋上は、生徒会館のある丘からは、一望できてしまう。だが、貯水タンクのあるこの一角だけは、あらゆる角度から死角になっていた。
旧校舎は、貴族組・準貴族組・平民組のいずれにも属さない中立エリアらしく、誰もが自由に出入りできる場所だった。
(ここなら、ララと一緒にマリアとも会えるかな……)
準貴族である友人は、赤バッジの準貴族クラスに振り分けられてしまい、先週も今日も、その姿すら見ていない。
向こうはどうしているのだろう。
近況を聞きたい。けれど、今は連絡を取る手段がない。
――いや、今は下手に動かないほうがいいのかもしれない。
そう思い直し、すべてが正常に戻ったときのお楽しみにすることにした。
一応、クィアシーナのタスクはアンソニーとの話し合いで終わった。
副会長となったブレンダ、書記のキャロル二人、そしてグローリア。
彼女たちは“お友達”ではない。
残念ながら、『害虫駆除』の一件で、互いに相容れないと悟ったからだ。
クィアシーナの印象では、彼女たちは偏った貴族主義思想を持ち、平民を徹底的に見下している。
それがガブリエラの意向なのかはわからない。
だが、少なくとも自分とは決して相容れない――そう思った理由は、そこにあった。
今のところ、隔離生活のおかげで、強硬な貴族主義者たちと接触せずに済んでいる。
だが、その代わりに何の情報も入ってこない。
――生徒会のみんなは、着々と味方を増やせているのだろうか。
クィアシーナは平民組の各学年に、ダンテが戻ってくることを伝えた。
だが、実は内心ではひどく緊張していた。
ガブリエラたちと繋がっている平民が、いないとは限らないからだ。
ダンテたち旧生徒会のメンバーが反乱を企てている――
そう受け取られかねない今の状況は、非常に危ういものだと感じていた。
旧校舎の外階段を下り、教室棟の多目的室へ向かう。
裏庭を抜けていけば、貴族エリアを通らずに済む。
(……雨の日は困るなぁ)
そんなことを考えていた、そのとき。
前方から、一人の男子生徒が歩いてくるのが見えた。
目を凝らして胸元を見ると、バッジは灰色。
同じ平民なら、頭を下げる必要はない。
そのまますれ違おうとした――その瞬間。
手に、カサリと紙の感触が触れた。
「あ、すみません」
反射的に謝る。
だが男子生徒は足を止めず、すれ違いざまに低く囁いた。
「それ、読んで。それから一年生の平民クラスで回して」
え――?
気づけば、手の中に一部の新聞が握らされていた。
(ええっ、いつの間に。さり気なさすぎ……)
振り返って生徒のほうを見るが、すでにその姿はない。
まるで白昼夢でも見たかのような出来事に、クィアシーナは予鈴の音を聞きながら、その場に立ち尽くしていた。
◇
『隔離施策と救世主たちの動向』
――隔離については、確実に触れてくると思っていた。
けれど、救世主“たち”って、一体……?
午後の授業中、クィアシーナは膝の上に堂々と新聞を広げて読んでいた。
今日からクッションとバインダーを持ち込んだとはいえ、午前中から姿勢がつらく、どうにも集中できない。
しかも、今の授業は『政治論』。とうとう授業にまでメスを入れるようになったらしい。
貴族がいかに歴史を築き、昨今の政治に関わってきたか――教科書もないまま、教師が延々と語り続けている。
端的に言えば、つまらない上に胸糞の悪い講義だった。
真面目に聞いている者はほんの数人。
居眠りをしている者、内職に勤しむ者が大半だ。
クィアシーナも、その内職組の一人になっていた。
教師の講義をそっちのけで、見出しの先を読み進めていく。
『ガブリエラ新会長率いる、新たな生徒会が発足した。
メンバーは一新され、すべてが前々生徒会の縁者――貴族主義派閥からの選出であることは明白だ。
彼女たちの打ち出した方針は、前会長となるダンテ殿下の施策をもう一段階踏み込んだ"身分差による完全なる隔離"だ。
ある者にとってのユートピアは、ある者にとっての地獄でしかならない。
金色のバッチを胸に輝かせる貴族組は、手厚い待遇と授業で学園は最高の環境に昇格したに違いない。
赤色バッチの準貴族組はこれまでのクラスで、少人数制の授業を受けることができている。
しかし、灰色バッチの平民組は、劣悪な環境下に置かれていることを、忘れてはならない。
一つの教室に押し込められ、机も椅子も支給されない中で、生徒たちは必死に勉強をしているのだ。
「今までが過剰な恩恵を受けていただけ」
副会長であるブレンダ・マクレン侯爵令嬢は語った。
少ない授業料で貴族たちと同じ待遇を受けていたこれまでが、異常であったのだと――
』
相変わらず、情報の提示がうまい。
簡易ながらも、立場の違いが明瞭に整理されている。
しかし、途中まで読んで、クィアシーナは軽い違和感を覚えた。
(ここ、ブレンダなんだ。ガブリエラさんは記事にほとんど出てこないな……)
ダンテのときに彼に代わり思想を語っていたガブリエラは、会長となった今、前に出ることを控えている印象を受けた。
単にブレンダが前に出たがっている可能性も考えられるが――
新聞の続きには、新学則と魔道具による監視と物理的制裁、恐怖政治の始まりについて触れられていた。
よくぞここまで踏み込んだものだと感心してしまう。
――それこそ、貴族主義にこれが読まれた際、記事を書いた者がどうなってしまうのか心配してしまうくらいに。
クィアシーナが裏面をめくってさらに読み進めようとした、そのとき。
これまでとまったく異なる内容に、彼女は目を疑った。
(げぇっ! なんで情報が漏れてるの――!?)
『暗黒時代と呼べる旧ダンテ政権の救世主となった、ジガルデ臨時教諭は、現在休職に追い込まれてしまっている。
一方、影のヒーローと名高い旧庶務であるクィアシーナ・ベックは、着々と革命の準備を始めている。
旧メンバーを集結させ、彼らを使って周りを懐柔し、さらに彼女は新生徒会のメンバーとも接触を図っているという。
我々は近々彼女が巻き起こす"革命の日"を待つのみである――』
クィアシーナは、思わず膝に頭を突っ伏した。
――また、実名出てるじゃん!
いっそ清々しいくらいの偶像化に、これは新手の罰則なのではないかと思ってしまう。
しかも、旧生徒会メンバーが口頭で触れ回っている、これまでダンテが魔法にかけられていたという情報は一切記載されていない。これこそ、一面記事にすべき内容であるだろうに。
(というか、新聞部にリークしたの、誰?)
……実のところ、クィアシーナは薄々感じていたことがある。
新聞部の者が独自取材を行っているにしても、毎回“知りすぎている”のだ。
そんな中、思いあたるのは、一人しかいない。
――本当に、どこまでも周到な人だ。
クィアシーナは内心呆れながらも、思わず口元が緩んだ。
絶対的な信頼をおける彼に早く学園に戻ってきて欲しいと、そう願ってやまなかった。




