103.女子寮(秘密の花園)への侵入(2)
「フォボロス学園三年、リンスティー・シュターグとクィアシーナ・ベックです。
三年生のジェシー嬢に、十時から面会予定で入館申請を出しています」
門の受付で、リンスティーが二人分まとめて入館の手続きをする。
係の者はリストに目を通し、二人の名前を見つけると、
「では、身分証明書を出してください」
と、証明書の提示を求めた。
リンスティーに促され、クィアシーナは学生証をポケットから取り出し、受付へと渡す。
受付の彼は差し出された二枚の学生証と本人たちを見比べ、「ん?」と声を漏らした。
「失礼ですが……本当にご本人ですか?」
リンスティーの姿を見て、疑わしげな表情を向ける。
この人は一体何を言っているんだろうと、クィアシーナが受付の持つ学生証を覗き見ると、
(あー……うん)
彼が疑っている理由に、すぐ納得がいってしまった。
学生証には、リンスティーの男性姿の写真、性別欄にははっきりと(男)と記されている。
目の前のお嬢様と雰囲気は同じでも、見た目が全然異なるため、別人だと思われたのだろう。
(うん、さすが女子寮。セキュリティチェックがちゃんと機能してる)
一般寮や特別寮の男子寮と違い、女子寮の厳重な検問に、むしろ感心してしまった。
クィアシーナが、どうするのだろうとリンスティーを仰ぎ見ると、
彼は事前にこうなることを想定していたらしい。
静かに首元のチョーカーを緩め、
「本人です」
と、低いバリトンボイスで答えた。
係の者はその声を聞いた瞬間、ほんのわずかに驚いた表情を見せたが、
すぐにコホンと一つ咳払いをして、謝罪の言葉を口にした。
「……大変、失礼いたしました」
窓口から、スッと二つの入館証を差し出す。
「こちら、入館証になりますので首からお下げください。
また、内門でもこの入館証が必要になりますので、必ず見える位置にお願いします。
お帰りの際は、こちらへお戻しください。
それでは、どうぞいってらっしゃいませ」
(プロ! お姉様をオネエさまと認識しても動じない!
受付の質も、なんか他と違う気がする!)
クィアシーナは、女子寮への期待値を一気に高めた。
間違いなく、中も凄そうだ……。
何が凄いかはわからないが、少なくとも、男子寮とは比べものにならない、と予想する。
そしてその予想通り、
一つ目の内門は魔道具による入館証の自動認証で扉が開き、
二つ目は警備の者が立っていて、入館証の提示と本人確認で名前を聞かれ、
手荷物検査まで終えてから、ようやく中へと通された。
(ちゃんとしてる……!)
本日二度目の感動である。
「一応、二つ目の門の中で待っとけって指示があったと聞いたんだけど……」
リンスティーも、ここに来るのは初めてらしい。
きょろきょろと周囲を見渡し、物珍しそうにしている。
(建物、豪華だなぁ……)
例えるなら、白亜の城。
お姫様が別荘として住んでいそうな屋敷だ。
柱の装飾はおとぎ話に出てきそうな意匠で統一され、三階立ての各階にはバルコニーまで設けられている。
しかも建物の周囲は、色とりどりの花々――
種類はクィアシーナには分からないが、とにかく美しい――に囲まれており、
ふわりと、甘い香りが漂っていた。
が。
(ん? 何だアレ?)
花壇の中に、何かの装置が隠されているのを、目ざとくも見つけてしまった。
――罠じゃん。
おそらくだが、不審者がバルコニーに侵入するのを防ぐ目的で設置されているのだろう。
よくよく目を凝らせば、花壇だけでなく、木の上、塀の小窓――
ありとあらゆる場所に、物騒なものがこんにちはしていた。
(逆に危険すぎない!?)
美しい物には棘がある、を体現しているかのような装いに、クィアシーナは女子寮の闇を感じた。
と、そこへ。
「リンスティー様! クィアシーナさん!」
はっとして声の方を振り向くと、
今日も変わらず縦ロールを軽やかに靡かせたジェシーが、寮の扉を開けて立っていた。
私服姿も、期待を裏切らずひらひらのドレス姿である。
「ジェシー、おはよう。悪いわね、休日に時間を取ってもらって」
「いいえ、他ならぬダンテ殿下からの頼みですもの!
わたくしが時間を空けないわけがありませんわ!
それで、殿下はどちらに?」
ジェシーが辺りを見渡すが、彼の姿があるはずもない。
(⋯⋯ダンテ先輩、やりやがったな)
まったく同じ手口を、アリーチェの見舞いのときにも経験しているクィアシーナは、
この後の展開を察し、とりあえず耳を塞いだ。
「……ごめんなさい。ダンテはここには来ないわ。
今日は私とクィアシーナだけなの」
できるだけ事を荒立てまいと、リンスティーが静かに告げる。
だがジェシーは、その言葉を聞くなり、みるみるうちに顔色を赤くして喚き出した。
「な、なななんてこと……!?
殿下は『話があるから、十時にそちらに行くね』って、
ちゃんと伝言をくださったのに……っ!?」
(――なんで、彼の伝言には主語が無いんだ。主語が)
確信犯なダンテの手口に、クィアシーナとリンスティーは、揃って目を細めた。
目の前できぃきぃ言ってるジェシーに、二人して静かになるのをひたすら待つ。
しばらくすると、憤り飽きたのか、ジェシーがこちらを向き、
「……仕方ありませんわね。応接室に案内いたしますので、付いて来てください。……不本意ですけど」
相変わらず、彼女は自分の感情に非常に素直である。
ジェシーの後をついて、寮の中へと入る。
「うわぁ……」
入った途端、クィアシーナの口から自然と溜め息が漏れた。
壁紙は淡いピンク、廊下は花柄の絨毯張り。窓枠にも花の意匠が施されており、
物語の挿絵のような、まるで現実感のない造りになっている。
特別寮の男子寮も豪華だと思っていたが、こちらは例えるなら、エレガントでゴージャスだ。
(そりゃあ、寮費も一般寮とは比べ物にならないくらい高いはずだ……)
連れられてきた先のドアを開けると、広い空間の中に、
白いテーブルクロスのかかったテーブルや椅子がいくつも配置されており、
寮生の貴族女子たちが、休日の午前中を優雅に楽しんでいた。
本を読む者、詩を朗読している者、友人とお茶を楽しむグループ……。
クィアシーナは、自分のあまりの場違いさに、
まるで異空間に迷い込んだような気分になる。
しかも、ジェシーの後ろから、リンスティーとクィアシーナが制服姿で現れた瞬間、
そこにいた者たちの視線のほとんどが、三人に集まった。
「あら、あれはジェシー様に、元生徒会の……」
「ほんと。お二人とも元庶務をされていたから、引き継ぎか何かかしら」
みな表立って声はかけず、ひそひそと囁き合いながら、
こちらへちらりと視線を送っている。
(確かに、新旧庶務が揃っていたら、引き継ぎだと思うわよね……)
ジェシーは周囲の視線など意に介する様子もなく、
「ごきげんよう」と優雅に挨拶をしながら、室内を突っ切っていく。
そして、なぜか奥のドアから、再び廊下へと出てしまった。
「あの、ジェシーさん。応接室は、さっきの談話室の中なんじゃ……?」
「応接室は、この先にありますわ」
「んん? じゃあ、今なんで談話室に行ったりなんかしたんですか?」
ただ通り過ぎただけである。
それなら、最初から廊下を進んでいたほうが早かったのではないだろうか。
不思議そうな顔をするクィアシーナに、
ジェシーは照れたように視線を逸らし、ぽつりと答えた。
「だって……見せびらかしたいじゃない」
そんなツンとしながらも頬を染める彼女に、クィアシーナは思わず頬を緩めた。
(なんだ、この可愛らしい人は)
一方のリンスティーは、呆れたような表情を浮かべている。
クラスメートでもある彼にとっては、彼女のこうした態度も見慣れたものなのだろう。
「さ、先を急ぎますわよ。応接室は予約制ですの。今日は三十分しか枠が取れなかったの」
「そうなんですね。というか、予約までしていただいてありがとうございます」
——さすが、貴族。
いや、貴族が関係しているかは別として。
とにかく、抜かりがない。
奥へ進んだ先の扉をジェシーがノックし、返答がないことを確認すると、二人を中へ通した。
入った先には、二人掛けの長ソファがローテーブルを挟んで向かい合うように置かれている。
もちろん、ソファの布は花柄。
小窓のレースカーテンも花模様だ。
(うわぁ……男子寮と違って、女子の秘密のお茶会感がすごい……
落ち着かない……)
一度も足を踏み入れたことのない雰囲気の空間に、三人しかいないというのに、なぜか緊張してしまう。
「奥へお掛けになって」
ジェシーに促され、リンスティーとともに二人掛けのソファへ腰を下ろす。
これまでの彼なら、無意識にクィアシーナへ身体を寄せていただろう。
だが今日は——
クィアシーナ一人分ほどの距離を空けて座った。
「……」
(なんか、今日のお姉様は物理的にも、精神的にも距離があるな……)
チラッと視線を送るも、リンスティーは前を向いたまま視線を合わせようとしない。
こっちを見てほしくて、心の中で念を送ってみる。
しかし願いは虚しく——
「それで、早速ご用件をお聞かせ願えるかしら?」
ジェシーが、きっぱりと会話を始めてしまった。
クィアシーナは小さく息を吐き、意識を切り替える。
そして、すっと背筋を伸ばした。
「――はい。今回お時間を作っていただいたのは、生徒会のことで、お話しておきたいことがあったからです」
「……!」
クィアシーナの言葉に、ジェシーの身体がびくりと跳ねた。
「せ、生徒会のことですって……?」
「はい。今回――」
「まさか、わたくしがサボってしまったことが、あなたがたの耳に入ったというの!?
それで、誰かの命令で咎めに来たのね……!?」
言葉を被せるようにまくし立てるその内容は、見事なまでに見当違いだ。
「いえ、そうではなく――」
「もちろん、三年生にもなって“嫌だからサボる”なんて、子供じみた真似をしている自覚はありますわ。
けれど、わざわざこうして呼び出してまで言われる筋合いはなくってよ!?」
(まずい、全部持っていかれる……!)
今度こそリンスティーに視線で助けを求める。
すると――
「落ち着きなさい」
端的だった。
が、その静かなひと言は、ジェシーには驚くほど効いた。
彼女はぴたりと口を噤んだあと、
「はっ、わたくしとしたことが!」
と両頬に手を当て、あからさまに狼狽えてみせる。
(……なんか、慣れたやり取りっぽいな……)
三年Sクラス。
ここにダンテが加わり、ジェシーの暴走を止めもせず面白がって眺め、
それをリンスティーが呆れた様子で淡々と制する――
そんな光景が、容易に想像できてしまった。
「ええと、続きをお話しますね」
ジェシーが落ち着いたこの隙を逃すまいと、クィアシーナは一気に本題へ踏み込む。
「結論から申し上げます。
いま、ダンテ先輩が水面下で動いています。
近いうちに、ガブリエラさんは会長の座を退くことになるかもしれません」
「……!」
「理由は――学園内では収まりきらない“罪”に関わってしまったからです」
室内の空気が、わずかに張り詰める。
特に――隣にいるリンスティーの身体が、ほんの僅かに強張ったのを感じた。
「同じ生徒会に名を連ねている以上、あなたまで同罪と見なされる可能性がございます。
それを避けていただきたく、本日は忠告に参りました」
クィアシーナが言い終えると、部屋に沈黙が落ちた。
ジェシーは顔を伏せたまま、手元に視線を落としている。
何かを考えているようにも、状況を整理できずにいるようにも見えた。
そして――ようやく、口を開く。
「でしたら、このままわたくしは庶務の業務をサボり続けさせていただきますわ!」
鼻息荒く高らかに宣言するその姿は、
まるで「やったー、サボる口実ができましたわー」と言わんばかりの喜びに満ちていた。
(……マジか。逆に勇気あるな)
クィアシーナとしては、ガブリエラは自分の意に沿わない者を平然と切り捨てるような人物だと捉えていた。
だからこそ、わざわざ指名して庶務の座に就かせた相手が業務を放棄するなど――そんなことをすれば、何らかの制裁を与えられるに違いない、と嫌な予感が拭えない。
けれども、そこはジェシーである。
かつて「お付き合いする人間はこちらが選びますわ!」と高らかに宣言した女だ。
並の圧力で屈するような柔な神経はしていない。
鋼のメンタルと有り余るバイタリティで、きっとどうにかしてしまうのだろう。
……たぶん。
「ええと……
一応確認なんですが、ジェシーさんは、生徒会に選ばれたことを誇りに思っているのではないのですか?」
初対面でクィアシーナに「どんなコネで生徒会入りしたのよ!」と詰め寄ったくらいだ。
今回の役員就任はさぞかし嬉しかっただろうに、わざわざその座を手放すようなことをしていいのだろうか。
「わたくし、『ダンテ殿下の』生徒会に入りたかったんですの」
ジェシーはキッパリと言い放った。
「ガブリエラさんは、……すみません、お義兄様であるリンスティー様の前で言うのもなんですが……。
正直に言わせてもらいますと、わたくし、彼女の『傘下』に入るのはどうしても生理的に受け付けなくって」
彼女はなおも続ける。
「なんていいますか……
年下のくせに生意気な?
大した美貌もないのに、何言ってらっしゃるの?
とでもいいましょうか」
(ボロクソか)
リンスティーの前だと断りを入れながらも、素直すぎる発言が、逆にすがすがしい。
「ですので、今回の生徒会入りは名誉なこととは思っていても、そこまでの執着はありませんの。
しかも、わたくしが――このわたくしが庶務ですって!
適材不適所にも程がありますわ!? ねぇ、そう思いませんこと!?」
「えぇ……うーん、はい」
ジェシーの圧に押され、クィアシーナは思わず肯定を返した。
「ですわよね!?
わたくしが務めるなら、リンスティー様の後任である副会長が妥当ではなくって!?
ほんっと信じられませんわ。見る目がなさすぎて!」
やれやれ、と首を振るジェシー。
クィアシーナにとっては、ジェシーがやれやれである。
と、ここでようやくリンスティーが口を挟んだ。
「……一つ確認させて頂戴。
ジェシーは、ガブリエラの思想には賛同していない、ということで合ってるかしら?」
彼の問いは短いが、部屋に重く響く。
ジェシーは間髪入れずに答える。
「わたくし、身分制度はあるべきだと思っていますが、平民と隔離して生活したいというわけではありません」
「貴族は上に立つものであり、平民を導く者です。
しかし、壁を作ってしまっては、導くことなどできやしません。
彼女の思想は、偏った貴族主義に過ぎません。残念ながら、わたくしとは相容れませんわ」
先ほどと違い、落ち着いた様子で真剣に語るジェシーは、本心からそう思っているように見えた。
(この人は、本当に芯が強いな)
今までジェシーを、どこかで“典型的な貴族のお嬢様”と揶揄して見ていた自分がいた。
だが今の彼女は、まさに“貴族としての信念を持ったご令嬢”である。
「――その言葉を聞けて、安心したわ」
リンスティーが柔らかく微笑む。
そして、図らずもその表情を間近で見てしまったクィアシーナは、思わず鼻を抑えた。
ジェシーもまた、まさかの同じ動きをしていた。
――久しぶりのお姉様の笑顔の破壊力は、凄まじい。
クィアシーナとジェシーの気持ちは、見えないところで自然と一つになっていた。
◇
「それでは、今日はありがとうございました。よい休日をお過ごしください」
「こちらこそ、ご忠告をどうもありがとう。あなたも、リンスティー様も、よい休日を」
「ええ、また、学園で会いましょう」
門の前で、それぞれが別れの挨拶を口にする。
ジェシーに見送られ、クィアシーナはリンスティーとともに女子寮の外門をくぐった。
いつの間にか、時刻は昼に差しかかっていた。
ひと仕事終え、ようやく一息つける――と思ったが。
(やっぱり、リンスティーさん、大人しいな……)
少しの引っかかりが、まだクィアシーナの中に残っていた。
昨日、なんの断りもなく手まで繋ぎ出した彼が、今日はクィアシーナの少し前を歩いている。
――何か、気に障ることでもしただろうか。
「あの、リンスティーさん」
堪らず、声をかける。
「ん? ……なあに?」
久しぶりのお姉様の物言いと疲れたような表情に、クィアシーナは今さら合点がいった。
(もしかして――今の格好が不本意なだけなのでは!?)
いったん思い込むと、本人に確認せずにはいられず、
「もしかしてなんですが……
お姉様になるの、嫌でした?」
もはや遠回しな聞き方をせずに、思いっきり直球で尋ねた。
リンスティーを真っ直ぐ見つめるクィアシーナに、彼は目線を一度下に逸らしてハァッと息を吐いたあと――
髪を振り上げ、めちゃくちゃに捲し立てた。
「……嫌に、決まってるでしょっ!?
なんでわざわざ卒業したと思った女装をさせられてるわけ!?
せっっっかく、アイツがペナルティを破棄してくれたと思ってたのに! ほんっと、最悪の気分だわ!」
クィアシーナ調べによると、美人が怒ると迫力は二倍増しとなる。
(おお……この感じ、久しぶりだな)
クィアシーナは、お姉様であるリンスティーが憤る姿に、思わず懐かしさを覚える。
最近は彼がずっと男性姿だったせいか、こんなに激しく文句を言ってくることもなかった。
なんだか今の状態とのギャップが可笑しくて、クィアシーナはつい「ふ」と笑ってしまった。
「ちょっと、何笑ってるの」
「ご、ごめんなさい。なんか、リンスティーさんのこの感じ、久しぶりすぎて、思わず……」
思えば、お姉様姿のリンスティーを見るのは、学園がまだ正常だった頃以来だ。
あのときは、ダンテが不在だったとはいえ、平穏な日々だった。
(また、そんな日々が戻ってくるといいな……)
クィアシーナが心の中でそう思ったことを、リンスティーも感じ取ったらしい。
じとりとした目で告げる。
「――もし、学園が元に戻ったとしても、私はこの格好には戻らないわよ」
「ええっ!? 何でですかっ!?」
クィアシーナは掴みかかる勢いで猛抗議した。
「意味がわかりません!
もったいなさ過ぎる!」
「待って。こっちこそ意味がわかんないから」
クィアシーナの残念そうな物言いに、リンスティーが秒でツッコミを入れた。
「私、学園が平和になったら、ファンクラ部に入るつもりです。
ちゃんと推し活してあげますから、お姉様は辞めないで!」
「なんでちょっと上から目線なのよ!
それに、……今のあなたは、ジガルデ先生が最推しなんでしょ!?」
どうやら、リンスティーはクィアシーナが推し変したことを根に持っているらしい。
(でも、これは推し変っていうか……)
歩いていた足をピタッと止めた。
「念のため伝えときますね」
ほんの少しトーンを落とし、落ち着いた声で告げる。
「私の中で、最推しはジガルデ先生。
殿堂入りは、リンスティーお姉様。
……そして、推しを超えた存在が、リンスティーさんなので」
リンスティーは特別。
自分の中で、それは確かに揺るがないものになっていた。
クィアシーナとしては、ただ事実を述べただけである。
だが、リンスティーにとっては、そうではなかったようだ。
クィアシーナの言葉を聞いた途端、戸惑いを浮かべ、俯きながら口元に手をやり、そのまま押し黙ってしまった。
(あれ、伝わらなかった?)
少し不安になり、念のため確認を入れてみる。
「意味、わかんなかったですか?」
「……いや、多分、通じた」
素で返すリンスティーの顔は、わずかに赤い。
珍しい様子に、堪えきれなくなった。
「じゃあ、通じたついでに、ハグしていいですか?」
「!? 急すぎない!?」
「前も言いましたけど、流れなんて知ったこっちゃないですよ。やりたいときにやる。ハグなんてそんなもんでしょう」
さあさあ、と両腕を拡げて彼ににじり寄る。
男性姿のリンスティーにはやられっぱなしだったが、クィアシーナはお姉様に対しては遠慮がなく、むしろ積極的になれるのだ。
――さあ、逃げずにお姉様の匂いを思う存分嗅がせてくれ。
そんなクィアシーナのただならぬ欲がダダ漏れてしまったのか、リンスティーは顔を引きつらせ、じり、と一歩後ずさる。
「し、親愛のハグということでいいかしら?」
「いえ、肉欲のほうなんで。ついでに匂いも嗅がせてください」
しれっと言いのけるクィアシーナに、リンスティーは一瞬、本気で引いたように見えた。
だが、なんとか気を取り直したのか、ぼそりとお願いを口にする。
「……肉欲のほうは、この姿じゃないときまで取っておいて。
だから、今は……親愛のハグで」
(反則だ)
そんな言い方をされては、もう何も言えない。
腕を広げたリンスティーの胸に飛び込み、互いの背中をぽんぽんと叩き合う。
満たされるけれど、満たされない。
そんな気持ちを抱えたまま、クィアシーナは自宅への帰路についた。




