102.女子寮(秘密の花園)への侵入(1)
「え! 姐さん、もう帰っちゃうの!?」
「はい、帰ります」
イグナートに引き止められたが、もはやここに用はない。
“お友達”との話し合いは終わったし、ボーナスでリンスティーお姉様の個別指導権まで手に入れてしまったのだ。
完全に心は満足しきっていた。
「せっかくなんだから、俺とも一戦やろうぜ!
な、いいだろ!?」
「ダメ」
なぜか後ろから顔を出したリンスティーが、クィアシーナに代わって断りを入れる。
「え、なんでリンスティー様が、」
「ダメ。
ほら、ルーベント、相手してやれよ。俺はクィアシーナを門まで送ってくるから」
「ん? ああ、わかった。
俺で構わないだろ? イグナート」
ルーベントも身体を動かしたかったのだろう、リンスティーの提案にすんなり乗っかった。
しかし、イグナートはなおも不満そうである。
「えぇ~まぁ……もちろんイイっすけどー……」
恐らく、さっきのリンスティーとの一戦を見て、さらにクィアシーナへの興味を深めてしまったのだろう。
イグナートは何か言いたげな視線をクィアシーナに向けるが、彼女の視線はすでに別の方向に向いていた。
(なんだ、これ……)
「あの……リンスティーさん」
クィアシーナが躊躇いがちに声をかける。
「どうした?」
「えーと……」
(いや、どうした、じゃなくて。
……なんで、さり気なく手を繋いでるんだ)
視線を落とした先にあるのは、クィアシーナの左手に絡む、リンスティーの大きな右手。
指先まで伝わる体温が心をソワソワさせる。
「あ、ごめん、汗ばんでて」
いや、そうじゃない。
口に出しかけて、止めた。
「送ったら俺は部屋に戻るから、またな」
リンスティーがルーベントに向け、空いている方の手をひらひらと振る。
彼はクィアシーナの手を引き、そのまま歩き出そうとした。
クィアシーナも、ルーベントには話し合いに付き添ってくれた礼を述べ、
イグナートにも「付き合ってくれてありがとう」と声をかけてから、
リンスティーと二人、門までの道のりを歩いていく。
至って自然に、さり気なく手を取られ、
至って普通に連れ立って歩く。
隣を歩くリンスティーは、なんともいつもどおり。
一方のクィアシーナは、ドキドキと戸惑いでいつもより口数が少なくなっていた。
すれ違う生徒たちは、そんな二人を見て何事かと凝視する者がほとんどで、
中には声をかけてくる者もいた。
だが、リンスティーが即座に口元へ指を二本あてるポーズをすると、
野次たちはぴたりと口を噤んだ。
彼らが去ったあと、クィアシーナはぽつりと漏らす。
「リンスティーさんも、そのポーズ知ってるんですね……」
なんとなく――
リンスティーには、このポーズを知らないでいてほしかった。
だって、これをするということは、
過去に女子生徒をここに連れてきたことがある、という意味にも取れるから。
(なんか、ヤダな)
小さな燻ぶりが、胸に巣食う。
「入寮してすぐ、先輩方から教えられるルールだからな」
ことも無げに言うリンスティーだが、
「俺が使ったのは、初めてだけど」
と、ぼそっと付け足す。
「……」
その言葉を聞いた瞬間、燻ぶりは一瞬で消え失せた。
代わりに、胸がほわっと温かくなるのを感じる。
繋がれた手の指先に力を込め、
「そうなんですね」
と、嬉しさを隠さない声で返した。
急にご機嫌な様子を見せるクィアシーナに気づくことなく、リンスティーが尋ねる。
「……“お友達”の説得は、うまくいった?」
唐突な問いかけに、クィアシーナは「あ」と、ふわふわしていた意識を引き戻した。
(そうだった。今日のメインの目的はそれだった)
リンスティーも、ルーベントから部員の指導を引き受けたときに、クィアシーナが“お友達”に会いに来ていると聞いていたのだろう。
その後、まさかクィアシーナから挑戦を挑まれるとは思ってもみなかっただろうが。
「――はい。おおむね上手くいったと思います。
それに、思っていたより、二人とも向こうの思想に染まっていなかったというか……」
「そっか。上手くいったなら、よかった」
柔らかく告げる声に、クィアシーナは「うん」と頷きを返す。
彼に肯定されると、本当に、今日ここへ来てよかったと、心の底から思えてしまう。
クィアシーナは、そのまま続けた。
「本当は、ここに来るの、躊躇っていたんですけど……
来てよかったです。
リンスティーさんにも会えましたし」
「……うん」
隠すことなく告げた本音に、短い返答が返ってくる。
リンスティーの反応見たさに、クィアシーナはちらりと、気付かれない程度に視線を向けた。
すると、
(あ……)
自分の勘違いでなければ、どこか嬉しさを噛みしめた顔をしている彼が、そこにいた。
しかも手を繋いだまま、親指を滑らせてくるので、これにはすっかり参ってしまった。
クィアシーナがまたもフワフワした気持ちになりかけている間に、いつの間にかもう門のところまで来てしまっていた。
――来たときより、早く着いた気がする。
リンスティーはこの後、ダンテの元へ行くという。
なので、彼を引き止めることはできない。
足が止まり、繋いでいた手が、ふっと離される。
手を繋いだときも唐突だったが、離すときも似たような感じだった。
……最初こそ「なんで、私たち手を繋いでるんだろう」、なんて思っていたくせに。
熱が冷めた今は、ひどく名残惜しい。
(心の中がぐるぐるしてる)
「それじゃあ、門のところで入館証を返すのを忘れずにな」
「あ、はい。送っていただき、ありがとうございました。
では、また」
リンスティーの言葉に、クィアシーナがあっさりとした別れの挨拶を口にし、
これまたあっさり踵を返して門へ向かおうとしたとき――。
ぱしっと、腕を引かれた。
え、と振り向いたときには、
引かれた勢いのまま、リンスティーの腕の中に収められていた。
「おい、『挨拶』忘れてるじゃん」
「す、すみません。うっかりしてました」
(――良かった)
気付かれない程度の、安堵の息を漏らす。
うっかりなどしていない。
最近は別れ際に必ずしていたハグを、クィアシーナはわざとしなかった。
自分でも意地が悪いと思いつつ……彼を試すような行為をしてしまった。
そのまま別れても、それはそれでよかった。
でも、こうして引き止めてくれたことで、ちゃんと自分を気にしてくれていることが、はっきりとわかってしまった。
安心すると同時に、少しだけ罪悪感も覚える。
そんな後ろめたい気持ちをかき消すように、リンスティーに向き直り、
躊躇うことなく、えいっとハグをする。
いつもの背中のポンポンはなしに、ただただ、ぎゅっと抱き締めた。
リンスティーも、クィアシーナと同じく、ただ腕に力を込めるだけである。
そのまま、ぽつりと呟く。
「……名残惜しいな。せっかくクィアシーナがここまで来てくれたのに」
(っ!? なんだ、それ)
頭上で呟かれた小さな声は、クィアシーナの心を揺さぶるには十分だった。
少し身悶えしながら、小さく囁く。
「ちょっと、リンスティーさん。それは……」
――反則だ。
自分も思っていることを、口に出して言ってしまうなんて。
彼はなかなか腕を離そうとせず、自分からも離れようとしない。
いま、周りに誰もいないからこそ、できることだ。
(あ……)
ふいに、リンスティーが片手を頭へ滑らせてきて、髪を掬われた、そのとき――
「おーい! よかった! 二人ともまだいたんだな!」
ばっと顔を上げて二人して声の先を振り向くと、
猛ダッシュでこちらへと駆けてくるルーベントがいた。
チッ、と舌打ちとともに、リンスティーは身体を離し、ルーベントの方を睨む。
クィアシーナも心の中で盛大に舌打ちした。
(あああーーーっ!
ルーベントさん、前も似たタイミングで邪魔しにこなかったっけ!?)
ルーベントは二人の視線にたじろぎ、「んん!?」と声を漏らす。
「すまんすまん、ダンテからの伝言を預かってたんだ!
伝えるのを忘れてて、慌てて追いかけてきたんだ」
「うっかりしてたぜ!」と、まったくこちらの様子を気にすることなく続けるルーベントに、
いっそ清々しさすら覚える。
「……伝言、ですか?」
クィアシーナは眉根を寄せて尋ねた。
というより、正直「何で邪魔しにきてくれたんだ」という気持ちの方が大きい。
「ああ。クィアシーナに明日、『“お友達”の説得を、“お姉様”と一緒にやってほしい』だってさ。
そんで、ジェシーには明日の十時で話をつけてあるとも言ってた。入館の申請手続きも済ませてあるらしいぞ」
「は!?」
驚きの声をあげたのは、もちろんリンスティーだ。
しかしルーベントはそんなリンスティーを無視し、背中をばしっと叩く。
「さすがに特別寮の女子寮は、俺は付き添えないからなぁ。頼んだぞ! "お姉様"っ!」
ルーベントの言葉に、みるみる顔色を青く変えるリンスティーに対し、
クィアシーナのテンションは今日一番の最高潮に達した。
(キ、キターーーーっ!!!)
頬は上気し、息遣いが段々と荒くなる。
先ほどのハグなんて霞むくらいの、興奮っぷりである。
「おおお、なんですか、その最高なイベントは!?
ダンテ先輩、とうとう私にご褒美をくれたってことであってます!?」
「ん? 違うと思うぞ?」
不思議そうな顔で、間髪入れずルーベントがツッコミを入れた。
(いや――例え目的が“お友達”の説得だとしても、これは私にとって最高に心躍るもの……!
感謝します、ダンテ先輩! お姉様と一緒に、必ずジェシーさんの説得を成功させてみせます……!)
祈るように空を見上げるクィアシーナに、リンスティーはげんなりした表情を見せる。
「……いや、俺はダンテから一言もそんなこと聞いてないんだけど……」
「ダンテから言ったら、絶対断るだろ? だからクィアシーナとおまえが一緒にいるときに頼んどいてくれって無茶なこと言われてたんだよ。いやーナイスタイミングだった!」
「ほんっとナイスですね! さすがです!」
先ほどまで「邪魔しやがって」とルーベントを邪険に思っていた者とは思えないセリフである。
リンスティーは断れないと悟り、諦めた声でクィアシーナに声をかけた。
「……じゃあ、十時前に女子寮前でいいか?」
「はいッ! よろしくお願いします! 楽しみにしてます! やったー。
それじゃあ、私、もう行きますね! お二人ともさようならー!
リンスティーさんはまた明日ー!」
さっきと打って変わって、まったく名残惜しさを見せないクィアシーナに、
リンスティーも「また……」と力なく手を振り返す。
「ああ、またな!
よーし、リンスティー。ダンテのところに行くまでの間、さっき訓練所で部員にやった練習のことを聞かせてくれ!」
「……」
(あー、明日何しようと思ってたけど、よかったー、楽しみができちゃった)
背後で肩を落とすリンスティーに気づかぬまま、クィアシーナは特別寮を後にした。
◇
そうして迎えた翌日。
朝からクィアシーナはやる気満々だった。
制服のリボンは曲がっていないか、前髪は寝ぐせがついていないか、手にハンドクリームを塗り、肌のケアも忘れない。
「よっしゃー! 久しぶりのお姉様に会うぞー!!」
本来の目的は完璧に置き去りにして、部屋で一人叫んでいた。
昨日、男子寮に行ったときとは打って変わって、浮足立った様子で女子寮に向かう。
特別寮の女子寮は男子寮よりさらに奥、林を抜けた先にあった。
造りは男子寮とほぼ同じで、色味が少し異なるだけ。
一面を壁で囲み、警備のいる門からでないと入れない造りになっていた。
門にたどり着き、リンスティーの姿を探す。
まだ着いていないのかと思ったが、クィアシーナの耳に、聞き覚えのある声が聞こえてきた。
(あ! お姉様!)
彼は門から少し離れた場所に立っており、周囲を何人かの私服姿の女子生徒が囲んでいた。
遠目から見たリンスティーは、かつて“お姉様”としてよく見かけた、あの女子の制服姿で――
クィアシーナは久しぶりに見たその姿に、思わず涙が出そうになる。
――ああ、やっと再会できましたね、わたしたち。
……といっても、残念ながら遠目で見ているだけなので、正確にはまだ再会とは言えないのだが。
「リンスティー様! あとで私の部屋にお茶しに来ません?」
「じゃあそのあとは私で!」
「ずるい! 私もお願いしていいですか?」
(うわ、めっちゃお誘い受けてるじゃん)
やはり、リンスティーは男性姿でも女子姿でも、とにかく人気がある。
しかし、今日は彼女たちに譲ってやる気はない。
自分こそが、リンスティーお姉様と同伴する任務を請け負っているのだから。
もっとも、実際は“お友達”とのアポに、彼が付き添っているだけなのだが。
「あの、お話中すみません。
リンスティーさん、お待たせしました」
「私が彼と待ち合わせしていたんですよ~」と、暗に仄めかすように、今来たアピールをする。
すると、リンスティーを囲んでいた女子生徒たち三人が、「あ、元庶務の」とクィアシーナに気付いた様子を見せた。
リンスティーもクィアシーナの方に顔を向け、その形のいい口を開いた。
「大丈夫よ、そんなに待ってないから」
その一声に、クィアシーナはクラッときた。
(ああ! 久しぶりのお姉様の声っ!)
彼の首元で、リボンのチョーカーが揺れる。変声期で声を変えてるとはいえ、相変わらず可愛らしい声に、身悶えしそうになる。
そんな中、リンスティーは改めて三人に向き直り、申し訳なさそうに謝ってみせた。
「ごめんなさいね、今日はここのお友達とすでに予定があるの。また、機会があったら、ね?」
きつい顔立ちの美人でありながら、言い方は驚くほど優しいリンスティーに、女子たち三人は断られて残念というより、完全に彼に魅入ってしまっている。
「わかりました。初めての女子寮、楽しんでくださいね!」
「そのまま転寮してきて貰っても、私たちは全然構わないので!」
「そのときはパジャマパーティーしましょうねー」
彼女たちは思い思いに告げると、そのまま寮とは反対方向へ遊びに出かけて行った。
三人の姿が完全に見えなくなったのを確認して、クィアシーナはリンスティーに問いかけた。
「転寮するんですか?」
「冗談でも、止めてちょうだい」
げんなりした様子を見て、クィアシーナは思わずフフッと笑みを漏らす。
(さあ、時間だ)
二人はベールに包まれた特別寮の女子寮へ、ゆっくりと足を踏み入れた。




