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10. クィアシーナ、挨拶当番デビューする

「今日は俺が送ってくよ」

「え、大丈夫ですよ。私の下宿先、学園から徒歩十五分と激近なんで」


クィアシーナは下宿先を決める際、学園に通いやすいように、比較的学園に近いエリアを選んだ。

治安が良く、同じ学園の生徒も多く住んでいることも、大きな決め手になった。


彼女が暮らしているのは、民間が運営する寮のようなアパートメントである。

建物の一室には大家さんも住んでおり、何かあればすぐに相談に行くことができる。

水回りは各部屋に完備されており、簡易キッチンもついているため自炊も可能だ。

唯一、玄関だけは共用のため、門限を過ぎると締め出されてしまうのが難点だが、その門限もそれほど厳しいものではない。

学園の寮に入るという選択肢もあったが、年度途中だったため空きがなかった。

それでも、結果的に、今の下宿先を選んでよかったと思っている。


「いや、相談箱の内容見ただろ? すでに存在を知られてるんだから、一人で帰すのはちょっと怖い」

「ううん、考え過ぎだとは思うんですが……」


と、ここまで言って、クィアシーナは「あ」と気付く。


(せっかく自分のためを思って申し出てくれているのに、ここで断ったら逆にマグノリアンに失礼なのでは……?

善意を踏みにじる後輩……感じ悪いな)


そう思い直したクィアシーナは、素直に彼の申し出を受け入れ、家まで送ってもらうことにした。


「……じゃあ、お手間おかけしますが、お願いします」

「うん」



二人は階段を下りながら、帰路を進む。

クィアシーナは、ちょうどアリーチェの事件現場となったであろう階段の前で、勇気を出して事件のことを尋ねることにした。

回りくどい言い方はせず、率直に訊ねる。


「あの、マグノリアンさん。アリーチェさんが階段から落ちたとき、彼女を最初に発見したのはマグノリアンさんだって聞いたんですが」

「え?ああ、もうそんなことまで知ってるのか。そうだ、俺が最初にあの人が倒れてるのを発見したんだよ」


マグノリアンは、特に動揺することもなく、淡々とした口調で返答をかえしてくる。


「周りには誰もいなかったんですか?」

「ああ、俺が見た限りでは誰もいなかった。階段を下りてくる途中で誰かと会うこともなかったし」


クィアシーナは思わず黙り込む。

犯人は、倒れているアリーチェの横をすり抜け、教室棟のほうへ逃げたのだろうか。


ダンテにも確認したことだが、現場にいたマグノリアンにも、改めて当時のことを聞いてみることにした。


「そのとき、アリーチェさんは誰かを見たと言ってましたか?」

「いや……落ちたショックと、それから右半身を強く打ったみたいで、痛みで目を開けれなかったらしい。だから、誰も見ていないと言っていた」

「え? そうなんですか?」


おかしい。

確か、昼にダンテに聞いた話では、彼女は"辺りを見渡したけど誰もいなかった"と言っていたはずだ。

もし、痛みで目を開けていられなかったのなら、彼女が見逃してしまったという可能性は大いにある。


「あの事件……俺のことが疑われてるのは知ってるよ」

「え!?」


まさか、彼が自分が容疑者と思われていることを承知していたとは思わなかった。


「でも、俺じゃない。たしかに、あの人とは相性が良くなかったけど……人として越えてはいけない一線を踏み外すほど、俺は落ちちゃいない」


クィアシーナは少し考え、思わず口にした。


「その……私、マグノリアンさんとお話ししたのはまだちょっとだけですけど、そんなことをする方には見えません。私の勘って、けっこう当たるんで、間違いないです」


彼は一瞬だけ、軽く目を伏せてから、静かに小さく頷いた。


「……ありがとう」


その後は自然と、アリーチェの話題には触れずに済んだ。

代わりに、生徒会のことや学園周辺のことなど、他愛のない会話を交わしながら、二人はクィアシーナの下宿先の前まで歩いていった。


マグノリアンは学園内の一般寮に住んでいるらしく、クィシアーナを送った後はまた学園のほうまで引き返すという。


「結局家の前まで送って頂き、ありがとうございました」

「ん。それじゃあまた明日な。挨拶当番忘れんなよ」

「はい! また明日」


手を振ってマグノリアンの背中を見送る。

第一印象こそ最悪だったが、彼とは今後、うまくやっていけそうな気がした。




アパートの部屋に入るなり、クィアシーナはベッドへ身を投げ出した。


(疲れた……)


「初日から色々ありすぎでしょ……」


思わず、独り言が口をついて出た。


今日一日、忙しすぎた。今まで転校先でも初日はバタバタして忙しかったように思うが、今回は別格である。


学校に慣れないうちから生徒会に入ることになってしまった。しかも特殊な任務付きの。

クィアシーナはベッドから身を起こすと、カバンからメモ帳を取り出し、メモを取ったページを眺める。


「三年Sクラスのジェシー、三年Aクラスのクリスティにサキとアトリ……」


それから二年Sクラスのマグノリアン。

彼らがアリーチェを害した犯人候補である。けれども、マグノリアンの線は限りなく薄い。本人が言っていたとおり、彼は人としての一線を超えるようなことは、自他ともに許すことができないタイプのように思えた。


明日、挨拶当番でクィアシアーナの名前も顔も、嫌でも生徒たちに知られることになる。

そのとき、容疑者たちは自分に接触してくるのだろうか。


パタリとメモ帳を閉じると、クィアシアーナは疲れた身体と頭を休めるため、そっと横になり、ゆっくりと目を閉じた。





「え、なんで」

「おはようクィアシーナ。ちょっと出てくるのが遅いんじゃなくって?」


下宿先の玄関から外へ出ると、そこには立派な馬に跨った制服姿の美女――リンスティーの姿があった。


「おはようございます。いえ、待って、なんでリンスティーさんがうちの前に……というかなぜうちの場所をご存じで?」

「そんなの、調べたからに決まってるでしょう」


さも当然という態度のリンスティーに、クィアシーナは頭を抱えたくなった。


「あなた、馬には乗ったことがある?」

「え、馬? いいえ、残念ながら乗馬経験はありません」

「そう、わかった。じゃあ、乗せてあげるわ」


そういうと、彼女は軽々と馬から降り、戸惑うクィアシーナの身体をあっという間に抱き留め、馬上へと乗せた。

そしてクィアシーナの前に自身もひょいっと跨る。


「ひ、高い! 落ちる!」

「しっかり私にしがみついてなさい。大丈夫、落ちないわよ。落ちたら……うん、医務室に連れてってあげる」

「そんなもんで済みます!?」


高いところが苦手というわけではないが、今まで体験したことがない視界の高さに体中がこわばる。

緊張でリンスティーの腰に回した手の力が思いの外強くなってしまったらしい、「う」という声がリンスティから漏れた。


「ちょっと、そこまでぎゅーぎゅーしなくても大丈夫だから……。ほら、いくわよ」

「は、はいぃ……!」



最初はゆっくり、しかし徐々にスピードが上がっていく。

背の高いリンスティーの後ろにしがみついているため、前の景色は見えない。というか怖くて目が開けられない。

大分ゆっくり走ってくれているらしいが、髪が後ろに軽く靡くくらいの、十分な速度だった。足でスカートが捲れないようにしているが、もし捲れあがったとしてもそれを抑える余裕もないだろう。

けれども、抱きしめているリンスティーの体格ががっしりと安定していたため、降り落ちるという心配は徐々に薄れていった。


そうして、歩くよりも何倍も早く学園に到着したはずなのに、クィアシーナの体感では、むしろ倍の時間がかかったように思えた。


「リンスティーさん、お迎えありがとうございました……あぁ、お尻が痛い……」


普段、股を広げることなどないうえ、馬の振動にも慣れていない。今、クィアシーナは体の奥から変な浮遊感に襲われていた。


「うちの学園、一般教養科でも乗馬のレッスンはあるから、慣れときなさい。それに、私があなたを送迎するときは、基本的に馬を使うんだからね」


リンスティーは、学園内の一般寮とは異なる特別寮から通っているらしい。

そこは高位貴族の子息・令嬢だけが入寮を許される場所で、一般寮より学園から離れている。そのため、生徒たちは特別寮専用の馬車か、貸し馬を使って通学するのが普通だという。

平等を掲げる学園とはいえ、こうした部分にはやはり身分差がはっきりと現れてしまうようだ。


「私は馬を返してくるから、ダンテ、あとはよろしく」

「うん、わかった。ありがとうね」


リンスティーたちの馬が校門に到着したときには、ダンテがすでに荷物を降ろして待機していた。

一国の王子が護衛もつけずにひとりで立っていたことに、クィアシーナは思わず大丈夫なのかと不安になる。

だが、学園の敷地には強力な結界が施されており、許可なき者は門を越えるどころか敷地に足を踏み入れることすらできないらしい。魔法と縁のないクィアシーナには見ることも感じることもできないが、その防御力は確かなものだ。そう考えると、この場所のセキュリティはほとんど万全と言ってよかった。


「おはよう、クィアシーナ。遅刻せずに来れてエライね」


そう言って朝の挨拶をするダンテは、今日も朝からキラキラしている。


「おはようございます。ダンテ会長も、朝早くからお疲れ様です」

「はは、でも、今日はちょっと楽しみでもあったんだ。周りが君を見てどんな反応をするのか……」

「それは確かにそうですね。やっかむ連中は、私に、食いついてきてくれるでしょうか?」

「間違いないね。腕が鳴るなぁ」

「? どういう意味ですか?」

「ああ、気にしなくていいよ。クィアシーナも、今日でよりこの学園の面白さがわかると思うから楽しみにしてて」

「……よくわかりませんが、はい、わかりました」


そうこうしているうちに、リンスティーが馬を置いて戻ってきた。

配置としては、門の右手側にダンテとクィアシーナ、左手側にリンスティーが立つようにし、生徒たちの登校を待つ。

しばらくすると、登校する生徒がちらほら現れ始めた。


「おはようございます」


自ら先に挨拶をする生徒もいれば、こちらから声をかけることで挨拶を返してくる生徒もいる。

けれど、挨拶を無視する生徒は一人もいない。

なんとも素晴らしい教育が行き届いているようである。


「ほら、クィアシーナもちゃんと大きな声で言ってね。ついでに『今日から新しく生徒会に入りましたクィアシーナです、よろしくお願いします』って付け加えようか」

「ええ!? 何ですか、その公開自己紹介は」

「そんなことないよ。生徒会が発足した初日は、私もそんな風に挨拶をしていたよ。ほらほら、頑張って餌になってね」


最後の言葉は小声だ。彼の柔らかな笑顔が、なぜか恐ろしく見える。


(恥は捨てよう。ここは舞台、私は女優……。教室での自己紹介には慣れっこだけど、こんな屋外で名前を叫ぶことになるとは……)


「おはようございます!このたび新しく生徒会庶務になりましたクィアシーナです。よろしくお願いしまーす!」


自分の大きな声に、校門を通り過ぎようとしていた生徒が振り返る。

「え、生徒会の新メンバー?」「庶務って、前の人は?」とざわめきが起きる。

数人の生徒がダンテに向かって新しい庶務の存在について説明を求め始めた。


「彼女は休学中の前任に代わって庶務になったクィアシーナです。まだ仕事にも学園にも不慣れですが、よろしくお願いします」


何故かダンテは、"代理で"とか"期間限定で"という説明は一切しない。

口を挟むべきかもわからないので、ダンテの言葉にクィアシーナも生徒に向かって「よろしくおねがいします」と頭を下げた。


その後も同じような状況が続いていく。

クィアシーナを好奇の目で見るものが大多数、それからダンテとリンスティーに挨拶して、クィアシーナを無視するものもいた。


無視されるのはやはりいい気はしなかったが、ララやマリア、それにDクラスのクラスメイトたちが登校して来たときに、「頑張って!」と声をかけてくれて、なんとか気分を持ち直すことができた。本当、いいクラスに配属されたと思う。


しかし、そういった中で……一人だけ、面と向かってクィアシーナに突っかかってくる生徒がいた。


「は? 生徒会に入ったですって? おまえ、所属をお言いなさい」


その生徒は、縦ロールの艶やかな黒髪を揺らしながらクィアシーナを鋭く睨みつけて来た。


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