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9月7日 下

 金庫の扉が開いた瞬間、倉庫の空気がわずかに揺れた。

 油の匂いと金属の冷気が混じり、ひんやりとした気配が奥から流れ込む。


「おい、マジかよ」


 アキラがそう言った時、僕は一瞬だけ、遠目に倉庫の方を見た。

 倉庫は入り口から真っ直ぐ行った突き当りにある為、ちょうど金庫の中が見える。


 アキラが照らす、暗闇を切り裂く懐中電灯の光に照らされ、積み上がった札束や金貨、無造作に置かれた小箱が姿を現した。

 紙と金属が一緒に並ぶ光景は異様で、倉庫全体にきらついた重みを与えていた。


 質屋の外に視線を戻しつつ、僕はアキラに聞いた。


「アキラ、指輪はあったのか!」


 彼は目の前の大金に興奮して荒ぶる神経を落ち着かせ、一呼吸置き、自分に言い聞かせるように答えた。


「……落ち着けショウ、まだ空けたばっかじゃねえか。それより、予想していた取れ高の倍はあるぞ――だめだクソッ!脳汁が止まんねぇよ!!やったぜ!!」


 アキラの興奮がイヤホン越しに伝わったのか、ヘルシイも顔をニヤつかせているようだった。


『おい、本当か?よくやったアキラ!早く詰めてズラかるぞ』


「おうよ」


 アキラは黒いスポーツバッグを開き、手際よく札束をまとめ始めた。


「そいじゃ、いっちょ稼ぎますかァ!」


 彼がリュックを開き、札束を詰め込むたび、紙が擦れる乾いた音が倉庫に弾け、時間が一気に速く進んでいくようだった。


 だが僕は金のことなどどうでも良かった。ただ、指輪さえあれば。


『ギャハハ』


 車に待機しているヘルシイの声が無線を通して入り、場の緊張に粗い息づかいが重なる。

 機械越しの笑い声は金属音のように反響し、興奮が波のように倉庫に押し寄せてきた。


「おいアキ――」


 僕がもう一度尋ねようとしたその時、奥で小箱の蓋が開く音が聞こえ、わずかな金属の触れ合いが空気を震わせた。外を覗く視線を逸らさずにいても、その瞬間の変化は背後から鋭く伝わってくる。


 アキラが何かを手に取り、振り向きもせず軽やかに放った。


 小さな弧を描いた影が宙を飛び、僕の差しだした掌に冷たい輪が落ちた。

 外の街路の静けさと、倉庫の内側に広がる喧騒。

 その境目に立ちながら、指先に収まった小さな金属の重みが、全ての音を押し返していった。


 裏にはイニシャルである” S.S. ”と、小さなハートの刻印。


 まさに、僕の結婚指輪だった。


「良かったじゃねぇか」


『お、指輪あったのか!良かったなァ』


「僕の指輪だ!本当にあった!!ありがとう……ありがとう!」





 その瞬間、裏口の鉄扉が小さく震えた。

 風が押しただけとは思えない。金属が擦れる、湿った音。僕は思わず首を巡らせた。


 アキラも気づいていた。札束を握る手が止まり、顔を上げる。その眼差しは夜の獣のように鋭く、獲物を見定めていた。


「……誰か来てるな」


 倉庫の奥、金庫の隣に積み上がった木箱が影を引き裂き、微かな息遣いが滲み込んでくる気がした。背筋に氷を押し当てられたような感覚が走る。


『おい、何だ?――裏口にはカメラがねぇから、何が起きてんのか分かんねぇぞ』


 無線の向こうでヘルシイの声がざらつく。

 アキラはわずかに口角を吊り上げ、息を吐いた。


「いや、大丈夫だヘルシイ。なるほど、上納金か……今夜はツイてるぜ」


「どういうことだ?」僕は思わず問い返した。


 アキラは懐中電灯をわざと大きく揺らして金庫の中を示した。札束に混じって、黒い封筒がいくつも重ねられている。封は固く糊付けされ、ただの質屋に似つかわしくない威圧感を放っていた。


「組織の金だ。ここがただの質屋じゃないって、知ってただろ?――で、今日の金庫にたくさん入ってたやつは、多分()()()()じゃねぇ。組織に貢ぐための金ってことだ」


 言葉が胸に重く落ちた。あれほどの現金、そして黒い封筒。それはまさに“誰か”が取りに来るべき金だった。

 偶然じゃない。――今、裏口にいるのはその誰か。


 持ち主となるのはどうやら僕達じゃなかったようだ。


「アキラ、なら逃げよう。早く」


 縋るように言ったが、彼は首を横に振る。


「いや、ショウ。お前とヘルシイは車に戻って逃げろ。ここからは俺がうまくやる」


「無茶だ! あんな連中と鉢合わせたら――」


「鉢合わせしねぇようにやる。それに……こんな稼ぎ、途中で放り出すには惜しすぎる」


 静かに言い切るアキラの声には、不思議な確信が宿っていた。焦りでも虚勢でもない、長い時間を生き抜いてきた男の直感。


「行け、ショウ」


 彼の声が低く鋭く、僕を切り離すように突き刺さる。


「指輪はもうあるんだろ?」


 僕は反射的にポケットを探った。冷たい金属の感触が布越しに押し返し、心臓の奥まで重く染み込む。差し出された掌に受け取ったときの冷たさが蘇る。


 はめる暇さえない。

 僕はそのまま、指輪をポケットに突っ込んだ。


「……アキラ、生きて帰って来いよ」


 それ以上は言えなかった。


 表口まで駆け抜ける間、背後でわずかに扉の蝶番が軋む音がした。

 誰かが本当に入ってきたのだ。

 アキラが残した一瞬の笑みと「うまくやる」という言葉が、背中を押す。


 外気に飛び出すと同時に、路地の暗がりに潜んでいたヘルシイが車のドアを叩いた。


「話は聞いてた。乗れ!」


 エンジンの低い唸りが夜を裂く。僕は助手席に飛び込み、ドアが閉じる音で現実に引き戻される。


「本当に置いていくのか?」


「あぁ。あいつは一回ああなったら引かねぇ男だ。言うとおりにするしかないだろう」


 ヘルシイがアクセルを踏み、車が前に滑り出す。

 眠りについた質屋を突き放し、電柱の明かりから逃げるように進む黒いバン。


 バックミラーに沈む質屋は、不気味な暗がりの中で息を潜めていた。

 扉の向こうで、アキラが組織の人間と対峙しているのか、それともまだ金を掴み続けているのか――何も分からない。

 ただ、その場を去るしかない事実だけが僕を突き動かした。


 やがて車は夜の街を抜け出し、静寂の闇に飲み込まれていった。





 翌 9月8日 午後15時


 アキラからの連絡が付かない為、僕とヘルシイは”インターン”に集まった。

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