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9月6日 後

 僕が”インターン”のドアを開けると、既にアキラとヘルシイは奥のテーブルに腰掛けていた。

 アキラが手招きをして僕を呼ぶ。


 夜九時ともなれば、店内はすでに客で埋まり、バーのマスターもちらりとこちらを見やったが、いつものように声をかけてくることはなかった。

 割れていた天井の電球も新しく交換され、そこには何事もなかったかのように、いつもの”インターン”が戻っていた。


「おうおうおう、あんまり遅いから、てっきり捕まったのかと思ったぜ。で、どうだった?」


 僕はヘルシイとアキラの向かいに腰を下ろすと、無言のままテーブルの上へとモデルガンを置いた。


 ――バンッ!


 軽いプラスチックがテーブルに叩きつけられる音が響き、客の笑い声やグラスの触れ合う音が一瞬だけ止まった。

 すぐにざわめきは戻ったが、テーブルを囲む三人の間には緊張と――そして興奮が満ちていた。


「やるじゃねぇか。てっきりママに泣きついてるかと思ったぜ」


 アキラは口の端を吊り上げながらそう言い、僕に手を差し出した。

 僕はその手を握り返し、彼の目をまっすぐに見据える。


「俺より上手いな。俺はパソコン屋だからさ、そういうのは苦手なんだよ」


 ヘルシイが肩をすくめて笑うと、アキラがモデルガンを手に取り、重さを確かめるように弄んだ。


「――これで、ようやく始められるわけだ」


 低く落とした声に、僕の背筋がわずかに震えた。





「計画は明日夜十一時に質屋で集合だ。決行は十二時。俺とショウの二人で行く。ヘルシイ、お前の今日の成果と、明日の店主の動向を、もう一度教えてくれ」


 そうアキラに振られたヘルシイはパソコンを開き、薄暗いバーで煌々と光り輝く画面を前に、ゆっくりと喋り出した。

 

「今日、俺は一日中店主の周辺を調べていた。朝十時、店主が出勤。その後は仕入れやら常連客との雑談に時間を割いてたが……一つ妙なものを見た」


 ヘルシイは画面を指でなぞり、監視カメラの切り出し映像を僕とアキラに見せる。そこには、店主が裏路地で黒いスーツの男と封筒をやり取りしている姿があった。


「この男は、港湾地区のシンジケートの下っ端。つまり店主は裏社会とつながってる。質草の流れを利用して、金の出所や隠し場所を渡してる可能性が高い」


「……なるほどな。前々から明らかにおかしいと思ってたんだよ」アキラが低く唸る。拳を軽く握りしめ、興奮を隠しきれない様子だ。


 一方の僕は顎に手を当て、冷静に言葉を選ぶように口を開く。


「怪しいってだけじゃなく、確定ってことか。なら質屋にある金も、たんまりって感じだろうな」


「加えて、閉店は夜九時ちょうど。客を追い出したあと一時間ほど、帳簿をつけたり在庫を整理してる。その後は誰も出入りしてない」


 映像を見つめるアキラの目が一瞬だけ鋭く光る。


「つまり、俺たちが動く十二時には、完全に無人だな」


 ヘルシイはニヤリと笑い、足を組み直した。


「で、俺は天才だから、もう防犯カメラも掌握済み。いつでも平穏な店内の画像に差し替えられるぜ」


 僕はそれを聞き、暗い部屋で「よーし、いい子だ」とか言いながらキーボードを叩くヘルシイの姿を想像した。


「ありがとう、ヘルシイ。で、実際に動く俺とショウは、12時に鍵を開け、30分で全部かっさらう。指輪でも金でも何でも持っていけ。そのあと、俺の黒いバンで逃げる――これが、大まかな流れだ」


  今までは犯罪組織の一味として胸を躍らせながら聞いていたが、いざ自分が犯罪を犯していることを想像すると、心臓の鼓動がやけに大きく響き始めた。

 店の鍵穴にピッキングの器具を差し込む自分。中に足を踏み入れる自分。指輪や金を袋に詰め、逃走用のバンへと駆け出す自分――。


 どれも映画のワンシーンのようで、現実味がないはずなのに、掌にはじっとりと汗がにじんでいた。

 何時しかバー内の喧騒が遠のき、心臓の鼓動と、アキラの軽快な声だけが脳内にこだましていた。


「……おい、ショウ。お前、顔が固いぞ」


 アキラの低い声に肩をすくめる。慌てて「大丈夫」と返したが、自分の声がわずかに震えているのが分かる。


「心配すんな。段取りは全部俺が考えてある」


 アキラは指を一本立てて、落ち着いた調子で言った。


「まず、十二時ちょうどに、目出し帽を被った俺たちで店の鍵を開ける。ヘルシイは外でカメラをいじり続け、誰が見ても“平穏な店内”が映るようにしておく。ショウ、お前は店内入口に立って見張りだ。誰かが近づいてきたら、すぐ合図しろ」


 僕は小さく頷く。見張り――つまり品物を強奪せずに済む。それだけで、少し肩の力が抜けるのを感じた。


「倉庫に入るのは俺ひとりだ。棚の奥にある金庫も調べはついてる。大した鍵じゃない、三分もあれば開けられる。そこから現金と質草を袋に詰める。時計も宝石も、全部だ。三十分で作業は終える。そしたら合流して、バンで北の高速へ。道順も下調べ済みだ。完璧だろ?やり方さえ知ってれば、赤ちゃんでもできるさ」


 彼は一度、声を落とし、僕の前に何かを押し出した。それは、会話のはじめからテーブルに置かれていた、黒光りするモデルガンだった。


「もしもの時は、これを見せろ。撃てなくても相手は怯む。だが基本は脅すだけだ。俺たちは殺し屋じゃねえ」


 その言葉に、少しだけ安堵する。だが同時に、こんな物騒なものを手にしている自分を想像すると、喉の奥がひどく乾いた。


「いいか、ショウ。お前が冷静でいてくれれば、全部順調に進む。心配することは何もない」


 アキラの目はまっすぐ僕を射抜いていた。その確信に満ちた眼差しに押され、僕はかろうじて頷いた。


 だが、胸の奥で鳴りやまぬ不安は、まだ完全には消えていなかった。


「ちょっと、うんこ行って来る」


 不意にアキラはそう言うと、緊張した空気をわざと崩すようにしてトイレへと向かった。


 そこでやっと、自分の耳にバーの喧騒が戻ってくる。

 マスターは相変わらず常連と話し、いつもの如く空席の多い店内だったが、不思議とざわついた音が耳に心地よく感じられた。

 張り詰めていたものが緩んだせいだろう。


「……なあ」


 不意に声をかけられて顔を上げると、ヘルシイが僕を見ていた。パソコンを閉じ、指でグラスの縁を叩きながら。


「お前、アキラとばっか喋ってるけど、俺とはほとんど口きいてねえよな」


「あ、ああ……まあ」


 気まずく笑うと、ヘルシイは鼻で笑った。


「はっ。いいんだよ。俺、基本的に人としゃべんの苦手だからな。パソコンとネットがあれば生きてける」


 そう言いつつ、肩をすくめる。


「けどな、実は俺だって、一時期“人とちゃんとやろう”って思ったことあるんだ」


「意外だな」


 僕は少し笑ってそう言った。


「笑うなよ。大学の頃さ、女に入れあげて、就活サボって、必死にプログラム組んで“俺が世界変えてやる”とか息巻いてたんだ。で、その女に捨てられたし、落ちるところまで転がり落ちた」


 豪快に笑ったが、目の奥に少しだけ苦い影があった。


「結局、何も変わんなかった。俺も、世界も。でもな――あの時に一個だけ学んだことがある」


 ヘルシイは氷を口に放り込み、カランと噛み砕いてから続けた。


「“何かを失敗したから終わり”なんじゃねえ。それで終わりだと思った時が、本当に終わりなんだ。なんつーか、別今幸せだし。まぁ結果論かもしんねぇけど、アキラに会って、毎日コンピュータ弄って。色々失ったからこそ、派手に失敗したからこそ、得られる未来も悪くねえもんだぞ」


 その言葉が妙に胸に響いた。

 そして僕は、思わず彼に聞き返した。


「じゃあ……そん時のこと、後悔してないのか?」


「後悔?する暇なんかねえよ。俺は次のパソコンと、次の回線と、次の遊びに忙しい」


 そう言って肩を揺らし、にやりと笑った。


 粗野で乱暴な物言いなのに、なぜか軽やかに聞こえた。彼の微笑には、失ったからこそ”笑える”――そんな強さがある。

 気づけば僕の胸の奥の重さが、少しだけ軽くなっていた。


 妻の為に、一回強盗してみよう。


 自分で考えてても意味が分からないが、妙に納得できる一言が頭に浮かんだ。





「きったねぇトイレだぜ。酔っぱらいが、ブツをがっしり握って、真っ直ぐに照準を定めるのは確かに無理だろうが、にしてももっと綺麗に使ってくれ」


 アキラが濡れた手を振り回しながら戻ってきた瞬間、僕は笑いかけたが、その手がテーブルを叩いた途端、表情が変わった。


「ところでショウ。お前、ここがなんで“インターン”って名前なのか知ってるか?」


「……いや。考えたこともない。変な名前だなとは思ってたよ」


 本当はその由来についてマスターが話しているのを聞いたが、盗み聞きをしたという事実を伏せ、興味があるようにして答える。

 しかし、その返答は思っていたモノとは違った。


「それはな、裏仕事の“インターン”って意味だ。ここは俺ら盗み専門の奴らに拾われる前の若造が集まる場所。ここで試され、ふるいにかけられる。で――お前も今、巻き込まれてるってわけだ」


 頭の奥で鐘が鳴るような衝撃だった。


「は……? じゃあ俺は最初から……」


「その通り」アキラは涼しい顔で言った。


「ただのバイトじゃねえ。お前はもう、こっち側に足を突っ込んでる」


「ふざけるな!」立ち上がった僕の声が、店内の雑音を押しのける。


「騙したのか! 俺を利用して――」


「利用?」アキラは鼻で笑った。


「いいや、違う。お前は自分で来たんだ。指輪を取り戻すためにな」


 心臓を鷲掴みにされたように、言葉が詰まった。確かにそうだ。動機は僕自身のものだ。


「ほらな」アキラが続ける。


「俺はお前を“騙した”んじゃない。選んだのはお前だ。俺は、お前を気に入った。で多分、お前も俺らを少し気に行ってると思う。だから、俺らのチームに入らないか」


 膝が震えていた。怒りとも恐怖ともつかない震えを抑えきれない僕を、横からヘルシイが見上げる。


「ショウ」


 彼はわざと乱暴に、グラスをテーブルに置いた。


「俺は仲間が欲しい。パソコンとネットだけじゃ、人生はどうにも埋まらねぇ。お前がいれば、きっと俺も楽しくなる」


 その言葉に、アキラが軽く口角を上げた。


「つまりだ。やるかどうかは今決めなくていい。この仕事が終わったら考えろ。俺たちと一緒に進むか、指輪を抱えて消えるか。選択肢はそれで十分だ」


 テーブルの上で三人の視線が交錯した。

 喉の奥が焼けるように熱い。けれどその熱は、逃げ出すためではなく、奇妙なほどの高揚と結びついていた。


「……分かった」僕はようやく言った。


 そして椅子に座り直し、彼らをまっすぐと見据える。


「終わったら、決めるよ」


 アキラは満足げに頷き、ヘルシイはにやりと笑った。


 バー“インターン”のざわめきが、全て自分について話している様な気味の悪さが背筋を震わす。

 今まで何とも思っていなかった売れない芸人のサインも、”闇営業”というやつで仕入れてきたものか、とか、今まで飲んでいたものに薬物とか入ってないだろうなとか、様々な妄想が浮かんでは消えた。


 だが、結局はすべて取るに足らない。

 僕にとって大事なのは、ただひとつ――指輪を取り戻せるかどうかだけだ。


 グラスの底に残った氷を噛み砕きながら、明日の自分を思った。

 盗人として生きる始めるのか、まだ人として踏みとどまれるのか。




 ――それは明日の真夜中、決まると思っていた。



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