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9月6日 中

 僕は一人、アキラに渡された上下黒い服を着、右肩に茶色のショルダーバッグを持って、南区の大型ショッピングモールまでやってきた。


 白い軽から降りると、手で目の上にひさしを作る。外は、9月に入ったというのにまだまだ日差しが強かった。

 特に今は12時。太陽の高い昼頃になったせいか、灼熱の熱波が黒い服目掛けて集まってくる。


 車の鍵を閉め、さぁ行くかと思ったが、顔丸出しで行くのもどうかと思い、白いマスクを助手席と運転席の間から取った。


 あの”インターン”での会議のあと、アキラから、モデルガンを防犯タグ付きで盗むようメールが届いた。

 僕がこっそりモデルガンを買おうと思っていた矢先に届いたメールだったから、ひどく驚いた。

 彼は僕の心の中が読めるのかもしれない。


「さぁ、行こう」


 まず、僕は堂々と正面入り口から足を踏み入れた。

 二重になった自動ドアを乗り越えると同時に、空調の効いた心地よい空気が肌を冷やす。

 全身から噴き出ようとしていた汗は止まり、涼しい、秋を先取りした温度の店内へと進んだ。


 そして次に、店内のトイらんドを探すとともに、いざという時の為に、帰り道の状況を把握しておくことにした。


 入り口から少し離れて右にはカフェがある。その目の前には、二階へと上がるエスカレーター。

 特に逃走時の不安要素はなさそうだ。


 その反対、入り口のすぐ左にはペットショップがあった。


 このショッピングモールには、一度志穂と一緒に来た覚えがあったのだが、その時、このペットショップで数十分間も猫を眺めていたことを、ガラス窓越しに遊んでいる猫を見てすぐに思い出した。


 あまり僕は猫の品種に詳しくない。――というか、単純に興味がない。(可愛いとは思うが)

 というのも、僕は”猫”を大枠でとらえているだけで、別に品種まで深堀りしてみようとは思わなかった。

 せいぜい毛があるとか、無いとか、そんなくらいの差でしか猫を見ていなかった。


 一方、我が愛しの妻は生粋の猫好きで、猫の種類についてよく知っていた。

 スコティッシュフォールドだか、ジャーマンスープレックスだか知らないが、よく様々な猫の話をしてくれていたのを覚えている。


 中でも、シャムネコは日本だけの呼び名で、海外ではサイアミーズと呼ばれている、と言う豆知識は何度も聞かされた。


 勿論、二人で一度、猫ちゃんを飼おうと話し合ったのだが、別れが悲しいということでやめた。

 全ての出会いに別れはあるのに。


 そう考えて――ハッとする。今一番別れを恐れているの自分なんじゃないかと。


 ……僕と妻の別れも近いかもしれない。それは元々の別れが少し早まっただけかもしれない。

 でも、せめて、指輪を取り戻して、もう一度愛を確かめてから終わらせたい。


 盗みを働くという罪悪感と、今までの妻への態度からの罪悪感が、同時に僕の胃を締め付けた。


「よし、頑張れ、僕」


 僕はマスクの下でこっそりとそう呟くと、二階へのエスカレーターへと歩き始めた。


 帽子を被るとあまりにも泥棒面になってしまう為、マスク以外は被ってこなかったが、いざ店内を歩き始めると、顔の辺りが無防備に思えて不安になってくる。

 すれ違う人たちが皆僕を監視している様な妄想に憑りつかれ、僕は無意識に俯いていた。


 そんなことを考えつつ、エスカレーターに乗って二階に到着すると、すぐ隣に三階へのエスカレーターがある。

 ショッピングモール内の大体のエスカレーターはジグザグに、上昇も下降も数カ所にまとめられているから、もしここ以外から逃げることになっても、一階までの道に迷うことはなさそうだった。


 そうして冷静に、堂々と僕は三階まで辿り着いた。


 トイらんドは三階、細長いショッピングモールの東端にあり、ベビーらんドと共に、広大な一角を占めている。

 僕が昇ってきたエスカレーターからは近く、もしもの時もスムーズに逃げることができそうだった。




 ”トイらんド”と大きく書かれた看板をくぐると、そこは色とりどりのプラスチックで埋め尽くされた世界だった。

 子ども向けの明るい音楽が小さく流れ、絵本やブロック、人形に囲まれた空間に足を踏み入れると、場違いな自分の姿がより一層浮き彫りになる気がする。


 黒い服にマスク姿の大人が一人――どう考えても異様だ。


 入口近くでは母親に連れられた幼児がアンパンマンのぬいぐるみを抱え、無邪気に笑っていた。その光景を横目で見ながら、僕は努めて平静を装う。


 目当てはモデルガン。売り場はおそらく、奥まった男児向け玩具のコーナーにあるはずだ。

 通路を進みながら、視線を絶えず泳がせる。

 棚には戦隊ロボの合体玩具、プラモデル、ラジコンカーがずらりと並んでいた。


 子ども時代なら胸を躍らせたであろう品々だが、今の僕にはただの障害物にしか見えない。


 やがて銃火器を模したパッケージが並ぶ一角に辿り着いた。

 ショットガン、リボルバー、オートマチック……メーカーごとに箱が積み上げられている。


 人殺しをするための道具を模したものが、ずらりと子供のおもちゃ売り場に置いてある、と考えると、少し気持ち違和感を感じる。


 モデルガンのほとんどには、盗難防止のための大きな白いタグが取り付けられていた。アキラが言っていたのはこれだ。


 僕は心臓が跳ねるのを抑えながら、棚の前に立ち尽くす。

 どれを選ぶか――いや、選ぶ余裕など本当はない。ただ、一番目立たずに持ち出せそうなサイズのものを、手早く決めなければならない。


 ふと背後で子どもの笑い声が響いた。驚いて肩が震える。振り返れば、幼い兄弟が水鉄砲を手に取り、母親にねだっているところだった。視線が交錯する前に、僕はすぐに顔を逸らした。


 ……早く済ませよう。長居すればするほど怪しまれる。


 僕は意を決して、一丁のブラックカラーのオートマチックを手に取った。タグのついた硬質な感触が掌に食い込み、汗で滑りそうになる。

 オートマチックはあまり大きくなく、子供の手に馴染むよう少し小さく設計されていたが、人を脅すには十分の迫力があった。


 その瞬間、隣の通路から現れた店員と目が合った。


 若い女性のスタッフが「何かお探しですか?」と柔らかく声を掛けてくる。

 僕の背筋に冷たいものが走る。


 ――どう答える?


 一番、30代男性がおもちゃ屋にいる理由として、ありそうな言い訳を咄嗟に答えた。


「あ、甥っ子が銃を撃つゲームにはまってて、今度誕生日プレゼントにあげようかと」


 自分でも驚くほど滑らかに言葉が口をついて出た。声の震えを悟られまいと、マスクの奥で唇を固く噛みしめる。


 女性スタッフはにこやかに頷いた。


「そうなんですね。今人気なのは、こっちのシリーズですよ。音や光が出て、ゲームっぽい雰囲気もあるので」


 彼女は僕の持っていたオートマチックの隣に陳列された、大きめの銃を指さす。パッケージには派手なエフェクト写真。どう見ても子供受けを狙った安っぽい代物だ。


「へぇ、ありがとうございます」


 努めて軽い調子で返す。手にした銃をそのまま抱え直し、あえて見比べるふりをする。心臓は早鐘を打ち、こめかみに汗が浮かんでいた。


 スタッフは少し待ったあと、「ご不明点があればお声がけくださいね」とだけ言い残し、別の通路へ歩いていった。


 背中が見えなくなるのを確認してから、僕はようやく肩の力を抜いた。


 ――危なかった。ほんの少しでも言い淀んでいたら、不審に思われていただろう。


 マスクの内側で深く息を吐き、棚に視線を戻す。

 この小さな銃でいい。これならバッグにも隠せるし、持ち運びも楽だ。


 僕はそっと銃の箱を抱え込み、周囲を一瞥する。誰もこちらを見ていない。

 今度こそ、計画を実行に移す時だ――。


 右肩に掛けたショルダーバッグに、オートマチックのモデルガンを滑り込ませる。

 箱の角が布地に擦れる音が、やけに大きく響いた気がして、一瞬心臓が止まりそうになった。


 ――大丈夫だ、誰も聞いていない。


 バッグの口を閉め、肩ひもを握り直す。重さはさほど変わらないのに、背中に鉛の塊を背負ったような圧迫感がのしかかる。


 後は、どうここを出るか。


 実は、これに関しては、来る途中()()()で考えていた作戦があった。


 それは――子供を利用する。


 店を出る時、必ず通らねばならないのは、あの防犯ゲートだ。タグが付いたままでは確実に鳴る。

 だが、もし同じタイミングで別のアラームが鳴れば、警備員やスタッフの視線はそちらに向く。その一瞬の隙に、僕は既に警報が鳴っているゲートを抜ければいい。


 幸い、ここは子どもの遊び場のようなおもちゃ売り場だ。無防備な小さな人間たちが、親の手から離れてちょろちょろ動き回っている。


 僕は通路の先に目をやった。

 三人組の小学生くらいの子どもたちが、ガチャガチャの前でじゃれ合っている。背中にカラフルなリュックを背負い、きゃっきゃと騒いでいる姿が目に入った。


 ――あの子達がいい…………ごめんよう。


 自然を装いながら近づき、軽くしゃがみ込む。


「いいなぁ、そのリュック。どこで買ったの?」


 不審がられないよう、あくまで優しい叔父さんのように声をかける。


 一番元気そうな男の子が振り向いた。「これ? お母さんが買ってくれたんだ!」と誇らしげに胸を張る。


「そうか、カッコいいな。ゲームのキャラのだよね?」


「そうそう!」と子どもたちは一気に打ち解け、僕の周りに集まってくる。


 笑顔を崩さないまま、僕は手を伸ばす。

 背負ったリュックの端に、さりげなく小さなアクセサリーをつけるふりをしながら、ポケットに忍ばせていたタグ付きの安いおもちゃをカチャリと括りつけた。

 ほんの数秒。子どもたちはまったく気づかない。


「ありがとう、見せてくれて。じゃあね」


 僕は立ち上がり、軽く手を振る。子どもたちはまた遊びに戻っていった。


 心臓が喉までせり上がるのを感じながら、僕は出口へと歩き出す。


 準備は整った。

 後は、彼らがゲートをくぐるその瞬間に、僕も同時に通り抜けるだけだ。




 出口へと向かう動線を読みながら、僕は周囲に紛れるように歩いた。

 そして数分後、先ほどリュックに細工した子どもたちが、親に手を引かれてちょうどレジを抜けるところだった。


 ――来た。今だ。


 彼らがゲートに近づくにつれ、僕の足取りは自然と重なる。間合いを計り、少し斜め後ろに立つ。心臓が耳元で爆音のように鳴っている。


 ピ――――ッ!


 甲高い警報音が鳴り響いた瞬間、母親が驚いて立ち止まり、子どもたちも「えっ?」と声を上げた。すかさず制服姿のスタッフが駆け寄ってくる。


「すみません、ちょっとお荷物を確認させてくださいね」


 女性スタッフがにこやかに子どもたちに声をかける。


 ゲート周囲の視線が一斉に彼らに集まった。誰も僕を見ていない。


 ――今しかない。


 僕は息を殺し、堂々とした歩調で、鳴りやまぬゲートを通り抜けるのだ。

 心臓は跳ね上がり、冷や汗が背を伝う。

 警報はすでに子どもたちのリュックに反応している。


 一人の店員がこちらを見たが、「すみません、どうぞ」と一言だけ言うと、僕を止めることなくお辞儀をした。


 ――そして、通過。


 外の空気が頬を打った瞬間、全身から力が抜けそうになった。

 だが立ち止まれば不審に見える。足を緩めず、そのまま真っすぐ進む。


 背後では、まだスタッフが母親に事情を説明していた。


 「中にタグが混ざっちゃってるみたいですね。すぐに外せますから」


 そんな声が聞こえる。


 僕は振り返らない。車のある駐車場へ一直線に歩き続けた。


 ――やった。突破したんだ。結婚指輪に、一歩近づいた!!


 胸の奥に熱いものがこみ上げてきたが、それを押し殺す。まだ気を抜くのは早い。

 ショルダーバッグの中の銃が、ずしりとした存在感を持って僕を急かしていた。

 


 

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