ネイルが運んでくれたもの
「ほんっと! くっだらない!」
叫びながら、部屋の物を私は捨てていく。
私が馬鹿だった。
そんなことは、私が誰よりもわかっている。
悪かったのは、全部私。
私が愚かだったから、こんなことになった。
わかっているけれど、誰かを責めずにいられなかった。
怒りを吐き出すことを止められない。
ボロボロと涙を流しながら、乱暴にゴミ袋に投げ捨てていった。
彼との想い出の詰まった、ぬいぐるみやアクセを。
何が会ったかと言えば、どこにでもあるような、本当に良くある話。
彼氏が屑だった。
ただそれだけ。
だけど、本気だった。
このギャルみたいな見た目の所為で遊んでいるとかよく言われた。
だけど、そんなことはない。
彼が最初の男だったし、このキラキラした恰好も彼の趣味に合わせてそうしただけ。
この見た目で怖い男の人が寄って来たこともあったし、何もしてなくても悪人扱いされたこともあった。
それでも、彼が好きだったからと頑張って続けて来た。
全部捧げた。
高校を中退し、親に勘当され、それでも彼の傍に居続けた。
夢を目指すという彼の為にアルバイトを掛け持ちして、安アパートで二人で暮らして……。
そして今日――彼に別の女が居ることがわかった。
いや、別の女という良い方は間違いだろう。
あちらは女で、こちらは奴隷。
彼にとって私は、単なる金を運んで来るだけの何かだった。
ボロボロと涙が零れる。
自分の愚かさに打ちひしがれながらも、それでも、他人の所為だと心が叫んでいる。
高校の時、教師はちゃんと止めてくれていた。
マトモだった頃の友達は私にビンタをしてでも目を覚まさせようとした。
両親も、祖父母も泣きながら、それでも私を説得してくれようとした。
そんな家族を捨て、友達を捨て、教師を無視して男を選んで他県に来て……。
そして今、何もかもを捨て選んだ男さえも失った。
何も残っていない。
本当に……何も。
粗方捨ててすっきりしようと思ったけれど、気持ちはすっきりしない。
というか、思った以上に捨てる物が残っていない。
二重どころか三重生活をしていた男の私物は少なくて……全部全部、独りよがりであったと、思い知らされる。
今度は情けなさで涙が零れて来て、やっぱり我慢出来ず、大きな声で、私は泣いた。
いつもはちょっとの物音でも壁を叩く心の狭い隣人達も、今日だけは誰も、壁を叩かずにいてくれた。
その優しさが、私を余計惨めにさせて、今度私は、声を殺して泣いた。
翌朝目を覚まして――集めた袋を見て、私は現実を思い出す。
夢を、見ていた。
幸せなウェディングをしている夢を。
そこには両親と、友達と、先生が居て、隣には彼の姿があった。
そうなって欲しかったという気持ちもある。
けれどやっぱり、ちょっと現実味がなさすぎた。
あまりにも都合が良すぎて、夢なのに疑いの気持ちが生まれていた。
彼氏のために全部捨てた私が、何を虫の良いことを……。
そうして夢から覚め、こちらが現実だったんだと……やっぱり全部夢だったと気付く。
自分で捨ててきたくせにと、自嘲しながら。
昨日泣きながら捨てようと思った袋を見て、小さく溜息を吐いた。
なんと無駄なことをしたものだと。
冷静に考えてみたら、捨てられるわけがなかった。
こんな分別の出来ていない物を捨てたら、ゴミ業者さんが困ってしまう。
再び、溜息を吐いてみたくもない袋の中に目を向ける。
思った以上に、貴重品が残っていない。
全部偽物、イミテーション。
まるで彼との生活のよう。
価値ある物も、あったはずだ。
想い出のネックレスや指輪などあったし、パソコンなんかも残っていたはず。
けれど一つもない。
大体一万から二万以上の価値があるものだけが、綺麗に消えている。
ご丁寧に、今流行りの売れそうなぬいぐるみまでもなくなっていた。
もう、笑う元気もなかった。
時計を見て、すぐに捨てられる紙ごみだけを集め私は玄関の外に出る。
手に持っている可燃ゴミ袋が二つと、部屋に残した不燃ごみが二つ。
それだけが、私が彼と暮らしていた、二年間の証だった。
いや、二年かけて人生を捨てた証の方が、正しいかもしれない。
一番のゴミは、私だね。
誰にでもなく呟く私が、他人事のようでどこか気持ち悪かった。
周辺地区共同のコンテナにゴミ袋を放り投げようとしたその時、私の背後から叫び声が聞こえた。
「ちょっと貴女!?」
びくっと身体を震わせ、ゴミ袋を持ったまま振り向く。
そこに居たのはこの辺りでちょっとした有名人の婆さんだった。
有名な理由は、これ。
ガミガミ親父ならぬガミガミババア。
ゴミ出しもそうだがちょっとしたルールを破る度に叫ぶから、こうして有名になっていた。
一応は顔見知りだが、精々会釈する程度の関係であった。
「貴女! 名前!」
はっと、我に返る。
ゴミ袋に名前を書くのがこのゴミ収集所のルールである。
今までは破ったことはなかったのだが、ついうっかりしていた。
普段なら悪びれた態度を取って頭の一つでも下げるだろうが、今はそんな余裕もない。
むしろ、そのくらい良いだろうがという苛立ちが私の中に強く残っていた。
「……すいません」
一応の、凄く不満そうな謝罪の声を出した後、ペンを探す。
同じように忘れた人のため、ペンが近くに用意されているのだが……どうやら誰かが持ち帰ったらしい。
こんな日に限って……。
「はぁ……」
私はわざとらしく溜息を吐いた後、しょうがなくアパートまで戻ろうとして……。
「待ちなさい!」
慌てた様子で、ぱしっとその手が掴まれた。
そして婆さんはどこからともかくペンを取り出して私の名前を書きだす。
名前を知っていることに驚いたが、まあ、ゴミ捨て場で監視でもしているのだろう。
一言お礼を言おうと思ったが、婆さんは再び私の手を掴んだ。
「着いてきなさい!」
どうやらこれで終わりというわけではなく、しっかりと楽しく説教をしないと気が済まないらしい。
たかだか名前を書き忘れたくらいで。
ただ、今私は抵抗する気力もなくて、そのまま婆さんにドナドナられていった。
婆さんが書いた私の名前。
ゴミ袋に書かれた名前が妙に綺麗に書かれていたことが、ほんの少しだけ、気になった。
連れて来られた婆さんの家は、ちょっと想像以上にデカかった。
日本家屋? とか、何か良くわからない巨大な平屋。
庭がでっかくて鯉のいそうな池がある、アレ。
流石に鯉はいないっぽいが。
ドラマでしか見たことがないというか、時代劇のセットぽいこんな家が近所にあったのかとなんか変な感心を覚えた。
そうして居間の中で、何故か私お茶を出される。
畳の上に座布団敷いて、正座をしながらテーブル越しに無言で向かい合う。
訳がわからないし、その沈黙が妙に居心地が悪い。
睨まれてるというよりも、殺気を向けられているような感じ。
あまりに居心地が悪くて耐えられなかったから、時間潰しにお茶を取り、口に含む。
火傷しそうな熱いお茶を、ふーふーしながらそっと一口飲んで……。
「えっ。美味っ」
つい、言葉が零れていた。
だってしょうがないだろう。
お茶がこんな美味しいなんて、初めて知ったんだから。
いつも麦茶ばっかりだったし、家もこういう物は飲んでいなかったから、暖かい緑茶がこんなに美味しいなんて、知らなかった。
「そんな大したものでもないわ」
むすっとした顔で、婆さんそう吐き捨てる。
本当に美味しかったのに。
「これが玉露ですか?」
婆さん顔を真っ赤にして、立ち上がった。
「ちょっと待ってなさい!」
叫び、何故か婆さんどこかに立ち去る。
そして戻った来たら、何故かお茶をもう一杯用意していた。
「自分のです?」
「貴女によ!」
叫びながら、乱暴に……だけど丁寧にお茶を置く。
一杯飲み終わってから即座に次のお茶を飲む私は、どれだけ飢えていたのだろうか。
いや、飢えていたのだろう。
昨日からまともに食事を取っていなかった。
「……やっぱり美味っ」
ぽつりと呟く私に、婆さんをジト目。
もしかして、二杯目は遠慮しないといけないとかそういうマナーでもあったのだろうか……。
「……貴女、わかってる?」
「な、何が?」
「お茶の違い」
「へ?」
「それが玉露よ」
「え!? マジっすか!? えっ!? そんな高級品を……」
「言う程高いものじゃないわよ……」
呆れ口調で、そう呟く婆さん。
家といいお茶といい、どうやら相当の金持ちさんらしい。
恨ましいことだ。
こちとら男に全財産貢いで給料日まで素うどんでなんとかいけるかなんて計算してるというのに。
「……それで、どう?」
「えと、うま、いえ美味しいです。はい」
「そうじゃなくて、お茶の違い。玉露かどうかもわからないなんて、貴女どういう教育を受けて来たのよ……」
「すいません。でも、ぶっちゃけ最初の方が美味しかったです!」
正直に私は気持ちを明かす。
二番目の玉露の方がきっと高級なのだろう。
何となく、婆さんの雰囲気で理解出来る。
だけど、一杯目のお茶の方が、安心出来る味だった。
「そう……」
「あ、あと教育はアレです。私、馬鹿だから親捨てて来ちゃったんで」
「は、はい? 捨てて!?」
「そう。捨てて。私、馬鹿だった。馬鹿だったから……」
言ってたら、ぽろりと涙が零れた。
水分を取ったからだろう。
悲しいという気持ちは感じてないのに、涙が、零れ止まらなかった。
「……あんた、その爪、えと、一体どうしたの?」
いきなり何の話かなと戸惑いながら、私は涙を拭い、自分の爪を見る。
パールホワイトの模様が入った、キラキラと輝く爪。
そこでようやく、昨日の朝、ネイルサロンの無料体験に行ったことを思い出した。
彼氏これ見て綺麗って言ってくれるかなとか思ってウッキウキで家戻ったら、絶賛修羅場って全部なくしちゃったけど。
「ただのジェルネイルですけど、どうしましたか?」
きょとんとした顔で私が尋ねると、婆さんはグチグチ言い出した。
「それで洗い物とかどうするのよ……。それに爪が長すぎて折れそうで。そんな……」
あー昔の人はそうだよねーそんな物なかったよねー。
なんてことを他人事のように考える。
おそらく、普段の私なら苛立って怒鳴ってたりする。
一々ネイル如きでグチグチいうなら老害は黙ってろなんて言って。
だけど今そんな元気も怒る気力もなくて、変わりに……。
「ばあちゃんもやってみたら良くね?」
そんな、誰も得をしない提案を、つい私は口にしていた。
あー……顔真っ赤で怒るかなー。
つい言っちゃったなー。
そんなことを考えながら婆さんの反応待ちする私。
ただ、少しばかり、婆さんの反応は違っていた。
「だって、私の手こんなだし……意味ないわよ」
そう言って出されるしわくちゃの手。
えっ、興味あったのか、なにそれエモっ。
自分でもなんかよくわかんないけど、その事実にちょっとだけ感動していた。
それに……。
私はそっと婆さんの手を掴んだ。
確かにガサガサで皺だらけの歳を重ねた手だ。
ただ、何と言うか、正直、思った程悪くない。
いや、悪くないというか……。
「これはこれで……味?」
「は、はい?」
「なんか良いというか……下手すりゃ私より綺麗っつーか……。ばあちゃん昔何かやってた? 手を使うこと」
「え、えっと……お琴を習ってたけど……」
「それかなー。ばあちゃん指長くてすらっとして上がる感じ」
「え、そ、そう……かしら?」
「うん。映える映える。それにさ、化粧に意味も何も、ただしたいからすることじゃん」
そう言って、少しだけ思い出す。
そう言えば、自分のために化粧をしたことあったかなと。
ギャルルックだってあいつが好きだっていうなら覚えただけで、別にしたい恰好でもない。
いや、今考えたらあいつだって別にこれが好きだったわけじゃない。
たぶん、遊ぶ女の代わりにされたのと、自分の悪事を隠すため、自分が良い人に見えるようにするため、私が遊んでる風に周りに思わせたかっただけだ。
そう考えると、何とも言えないやるせなさに襲われる。
自分は、そんな奴のために取返しが付かない物をどれだけ捨てたのかと……。
そう思ってると……。
「あの……だったら、お願いしても良いかしら?」
唐突に言われ、私は困惑する。
「は? え? な、何を!?」
「その……実は、ずっと使ってみたかったんだけど……」
そう言って、婆さんが取り出したるは化粧箱。
その中に入っていたのは、シャ〇ルやらのブランドもののマニキュアがこれでもかと入っていた。
「こういった物はその……使い方がわからなくて……。良かったら、教えて貰えないかしら?」
婆さんはぶっきらぼうで怒ってるような口調で、そう呟く。
何となく、気づいた。
それはただ、照れているだけなんだと。
古風ゆかしきツンデレばあちゃんとか、最強過ぎんじゃね?
そんな失礼な考えを捨て、少しだけ真面目に。
同じ女として、化粧したいという気持ちに応えずにいて良いのだろうかいや良くない良いわけがない。
見せる相手?
男受け?
そんなの知るか。
自分の金でやってるんだから、化粧くらい好きにさせろや。
今、私の中にはそんな怒りがふつふつと沸き上がっていた。
「うん。私で良かったら教えるけどさ、それは使えないかな?」
「え? どうして?」
「マニキュアって、長くても五年くらいなの。未開封でも」
「あ……」
呟き、婆さんの顔がみるみる悲しそうな物に。
悲しい気持ちはわかる。
おそらくあの化粧品の中身は総額で言えば十の桁に乗っている。
そりゃあショックだろう。
だが……彼女の嘆きは、私の想像よりも遥かに上だった。
「……放置なんてせず、もっと早く使えば良かったわ。あの人が、買ってくれた物なのに……」
私は馬鹿だが、その言葉の意味が分からない程鈍くはない。
こんな広い家に、たった独りで住んでいる、その理由も――。
「……ばあちゃん! ちょっとだけ待ってて! 一応それ、捨てずにね!」
そう言って、私は立ち上がり駆け出す。
後ろで止める声が聞こえた気がしたが、気にしない。
今だけは、誰かのために本気で何かをしたい気持ちだった。
そうでないと、自分が生きている理由がわからなくなるから……。
そのままマンションに戻って自分の化粧品をバッグにIN。
そしてその足でドラッグストアでそこそこのかつ初心者向けの淡いピンクとベージュのマニキュアに出来る限り肌に優しい除光液をカゴにIN。
貧しい財布から北里先生が何人か飛び出して、更に貧しくなりながら再び婆さんちにIN。
どたどたと走って居間に戻って、そして私は笑顔を向けた。
「さ、やってみようぜ!」
汗だくになり、幾つかのマニキュアを見せながら、私を婆さんに叫ぶ。
婆さんは、豆鉄砲喰らった鳩みたいな目で私を見ていた。
婆さんのマニキュアを一応調べてみたけれど、やっぱり駄目だった。
素人の私が見て駄目だとわかる程に。
色が分離しているものはマシな方。
完全に固体になっているものもある。
正直五年や十年ではない。
一体これらはいつ買ってもらったものなのだろうか……。
とはいえ捨てるに捨てられない。
これらは、私が思うよりもずっとずっと、色々な想いを背負っているのだから。
それでも、使うことは出来ない。
確かに、幾つか外見状はそのままで、使えそうな物はあった。
だけど、人の身体に使う物だ。
ここは心を鬼にして、それらには触れないでおく。
これらをどうするかは、本職にでも相談して貰えば良い。
「私の買った安物でごめんね」
一言謝り、私は婆さんの手を取りマニキュアを塗っていく。
婆さんは色々もごもご言ってるが、興味深そうに自分の手を見つめていた。
そして……。
「はい完成。どうかなばあちゃん。意見ははっきり言ってね! 色の好みとかも!」
「いや、文句はないけど……貴女凄いのね。ネイリストって奴?」
「あはは、別にそこまで凄くないよ。ま、素人にしちゃマシってくらい?」
若干恰好つけながら、私はそんなことを口に。
「ううん。正直、真似出来る気がしないわ。えっと、爪やすりで研いでから……」
「シャープナーで爪のでこぼこ削ってから、ベースコート、本塗り、トップコートだよばあちゃん。これでも大分省略した感じ」
「本当、私に出来る気がしないわ」
「出来るよ。私みたいな馬鹿でも出来たんだから。それに何回でも教えるから」
「貴女……」
「で、どうかな?」
婆さんは、自分の指を見つめ、そしてくすりと微笑んだ。
初めて見る気がした。
彼女の笑い顔は。
その皺がありながらも美しい彼女の指のように、お淑やかな美しい笑顔だった。
「ありがとう。少し待ってて。あの人にも見せたいから」
そう言ってから、婆さんは仏壇にそっと手を合わせる。
その手が出来るだけ見えるように、見せつけるように……。
「随分遅くなったけど、どうかしら? 貴方は遅すぎるって笑うかしら。それとも、綺麗だって、言ってくれるかしら。……いえ、それはないわね。貴方、恥ずかしがり屋さんだったから」
くすりと微笑み、寂しそうに笑う婆さん。
本当に、仲が良かったのだろう。
それが、私の胸にチクリと刺さる。
私の間違いを、見せつけて来るようで。
私は、こうはなれなかった。
私は間違えた。
大切なものを見失って、偽物を信じた。
取りこぼしたものを取り戻すことさえ許されない。
だから少しだけ、本当に少しだけ、悪いとは思うけれど、婆さんに、嫉妬を覚えた。
連れを失い、寂しそうな婆さんに。
「さて……ごめんなさいね。こんなことに付き合わせて」
「え!? ううん。大丈夫! 楽しかったよばあちゃん!」
「……ありがとう。もう、大丈夫?」
「――え?」
「だって貴女、ごみ捨ての時凄い顔色悪かったもの。私の若い頃だってあんな顔している人いなかったわよ」
そこでようやく、私は気付いた。
最初から婆さんは、ただ、心配してくれていただけだったって。
手の話やマニキュアだって、雑談代わり。
ただ話の流れでそうしただけ。
私はちょっとだけ良い事をしたなんて気分になっていたけれど、実際はその逆で……。
教えてやったという満足感が空虚なものになって……急に情けなくなってきて、涙が出て来た。
「……何があったの? 話くらいは聴くわよ? それとも、お茶を淹れましょうか?」
私はこくりと頷くと、婆さんはちょっとだけ呆れ顔になって「お手洗いはあっちだからね」と呟き、お茶を淹れに向かった。
そうして、私は昨日の出来事を話した。
誰かに話さないとやってられなかったのと、自暴自棄と、後ついでに、今の辛い自分を慰めてもらいたくて。
話の始まりは大体昨日の午前十時くらい。
ネイルサロンでジェルネイルでキラッキラにしてもらって、見て貰おうって思いながらアパートの前に戻ると、彼氏と女二人が。
その時の彼氏は、ツタンカーメンみたいな、言い表しようのない味しかない表情だった。
女二人は私のようなギャル系ではなく大人の……社長とか秘書みたいな、何か出来る女性みたいな外見をしていた。
そんな彼女達が私を見る目は、露骨に見下し憐れむものだった。
その後、片方が妻で、片方が愛人であったとわかった。
そう……自分は全部を捧げて一緒になったあの場所は、全て偽物だった。
「『あんたはただの都合の良いお小遣い要員の金蔓よ。それでもまだ未練ある?』って、妻の方に言われたわ。愛人の方には『可哀想……頭が』だって……。その後、私そっちのけで二人で彼の取り合いしてた。何でも愛人が妊娠したからとかで」
「酷い……」
婆さんの目から涙が零れる。
その気持ちは嬉しいが、今同情されるとアイキャンフライしてしまいそうだからちょっと遠慮したかった。
「それで、貴女は何て答えたの?」
「もう二度と関わりたくないって」
「正解よ。それだけは良かったわ。そんな奴に残りの人生捧げなくて」
「残り……か。はは……何もなくなっちゃったけどね」
「え?」
「あれと一緒になるために、私は家族も友達も捨てて、何なら高校も中退したわ。ほんと……何もなくなっちゃった。はは……」
そっと、婆さんは私の手を握った。
涙を流しながら、そっと、そっと……。
「私に、出来ることはある?」
真剣に言ってくれた。
今の私が叫んで暴言を吐いたり、拒絶出来ないくらい、真剣に――。
私は、少し考え、こう言った。
「マニキュアを、教えさせて。誰かに、何かをしてあげたい感じだから」
馬鹿な私でも、自業自得で全部捨てちゃった私だけど、それでも、誰かに何かを残したい。
誰かを楽しませられたんだっていう、納得が欲しい。
それだけだった。
帰りの時、指導とマニキュアの代金と言われ封筒を渡された。
私が必死に断っても、それ以上に強い圧と力を賭けて婆さんは私に押し付けて来る。
忘れていたけれど、婆さんは元々近所で悪い意味で有名な婆さんである。
流され生きて来た私と違い、我の強さは筋金入りだ。
しょうがなく私は受け取って、マンションに戻り部屋で中身を見る。
嫌な予感はしていたけれど、当たっていた。
「三十万は、ヤバすぎでしょばあちゃん……」
嬉しいというよりも、辛い方が勝ってしまって、そのお金を私は使う気になれなかった。
しばらく、私は婆さんの家でマニキュアを塗ってあげた。
指導という名目ではあるけれど、正直教えたのは最初の二回くらい。
後はもう大体のことは出来るようになった。
とはいえ当然と言えば当然だ。
基礎的な化粧を私の何倍もずっと続けて来た人で、しかも琴の舞台にも出たことがあるから、舞台化粧だって出来る。
出来ないのは本当に、ネイル関連だけだった。
だから残りは、ただのおしゃべりの時間。
それとお礼と称して、婆さんが用意してくれた昼飯を集る時間でもあった。
これでも最初は遠慮した。
飯まで貰うってのは流石に悪いと何度も言ったのだが『生い先短い私の我儘だから』と言われたら断ることなど出来るわけがなく……そして出て来たじみーな日本食を一口ぱくり。
馬鹿が三つつくくらい美味くて、もう後は流れ流され一緒のお昼が当たり前に。
そんな楽しい日々を、合計して十日程くらい続けてから、私は婆さんに、二つの物を手渡した。
一つは、これまで謝礼として受け取っていたお金。
楽しい時間と、お昼ご飯。
それでもう、十分貰い過ぎている。
つかマジでヤバいくらいい楽しかったし、ぶっちゃけガチで救われたからお金を貰いたくない。
お金を貰ったら、何か嫌だから。
そんな子供の理屈で無理やり返した。
そしてもう一つは、ネイルサロンの紹介状。
無料体験の時に行ったネイルサロンは腕も人柄も良くて、更に一応シニアは大丈夫か聞いたけど『えっ婆ちゃんがうち来るとかまじやばくね、激熱じゃん。是非連れてきて。私の美技に惚れさせたる』と(たぶん)問題なさげな感じだった。
婆さんと話したところ、マニキュアのようなちょっとした綺麗より白とか青とかデコったりとかでもっとキラキラにしたいというのが本音だったらしい。
だから青のマニキュア買ってきたらガチでテンション上がりまくってた。
ファンキーで良いじゃんと思ったが『昔は許されなくてねぇ』という言葉で何も言えなかった。
私は知らないけれど、昔は本当に、化粧一つ自由に出来ず、恋愛一つ自由は許されずだったそうだ。
実際、婆さんも見合いという建前で実際はほとんど親に売られたに近かったそうだ。
自分が十六の時に、相手は既に四十手前。
それでも、幸せだったと。
家族よりも、夫の方が優しかった。
叩くこともなく、叱ることもなく、ぶっきらぼうではあったけれどいつも大切にしてくれて。
そう、惚気られた日もあった。
「つーわけで、ガチのガチで派手派手にしたかったらやっぱりサロン行くっきゃないっしょ! ばあちゃん金はあるんでしょ? いやないって言っても私に渡した金額より全然安いから大丈夫だよ!」
「……でも、私みたいなのが若人の店に行っても迷惑が……」
「めっちゃ歓迎してたよ? ばあちゃんが常連になってくれるならシニアサービス始めるって店長さんも張り切ってた感じ。ただまあ、若人っぽい歓迎だから疲れるかもしれないけど」
「……若人っぽい歓迎。それはそれで興味が……」
「婆ちゃんやっぱりファンキーだね。でもそういうこと好き! というわけで、私のネイル講座は今日までだね」
「……え? どうして?」
「どうしても何も、もう教えることないよ。むしろ既に私が教わる側っぽい? 手先の器用さで完全敗北してるし。あと、サロン行くならそっちで聞いたりも出来るからね。私みたいな素人じゃなくて本職だよ」
「……そう。そうね、貴女には随分助けられたわ。ありがとう」
「それは私のセリフだって! 気、使ってくれてありがとね。ばあちゃんいなかったら、私たぶん死んでたわ」
「そんな縁起でもないことを――」
「ううん。一人だったら、多分駄目だった。だからありがとう。もう、私は大丈夫だから」
そう言って、私は笑う。
大丈夫じゃない。
寂しいし、何ならずっと昼飯集りたい。
人の作ったご飯に飢えてたし、それ以上に純粋に美味い。
ばあちゃんの作ってくれた人参のきんぴらなら、十年食べ続けても飽きない自信がある。
それでも、駄目だった。
人に縋って、見失って、それで駄目になった私が、新しい依存先を作るのは、許されない。
だから――これまで。
ここでなあなあな関係をリセットしないと、私はきっと同じ過ちを犯すから。
そしてきっと今度は、自分じゃなくて他の誰か違う人を苦しめることになる。
だから、それは私の決意でもあった。
寂しいし、まだ辛いけど、それでも、せめてあの馬鹿に中指立てて『死ね!』と叫ぶまでは、頑張ろうと思えたから。
「でもそれはそれとして、お金渡すから偶にお昼食べに来て良い?」
そんな情けなさすぎるお願いを私は口にする。
寂しさには勝てる。
食いしばって頑張るって思えた。
けれど、食欲には勝てませんでした……。
婆さんは、小さく溜息を吐いた。
「お金は良いから、前日までには連絡して頂戴ね」
私はびしっと敬礼をしてみせた。
そうして、数か月。
あの日々をようやく忘れられそうな頃に、電話があった。
固定電話しかなかったあの家からの電話で、是非話したいことがあるということ。
断ろうか考えたけれど『お夕飯を出すから』という言葉の魔力に逆らうことなど出来ようはずもなくて、日本食に飢えた私は久々にあの家に。
昼飯よりも豪勢にと聞いたからるんるん気分で向ったところ……いつもより三倍くらいむっつり顔の婆さんの隣に、同い年くらいの婆さんがもう一人。
そして、雰囲気が若干重くなっていた。
なんとなーく、過去に同じような経験をしたなーと思いかえすと、あれだこれ。
圧迫面接前の妙に固い雰囲気。
もしくはマルチ商法を押し付けられる前の独特な緊張感。
そんな空気の中、老婆ズは私を見て小さな声で「せーの」と呟き、そして、両手を上に出す。
まさか新興宗教か! うちは大方ブッティストだよ!
と思っているとどうも違うみたいで――。
二人の爪は、キラキラと青空が出来ていた。
「すっご! めっちゃ綺麗じゃん! ヤバすぎだって! どしたんそれ!?」
「そ、そう?」
「チョー上がるし! イ〇スタあげね?」
「良くわからないけど、個人情報を勝手にあげたら駄目よ?」
「はーい! ま、私の手じゃないし。それ自慢したかった感じ?」
「ううん。それもあるけど、友達を紹介したくてね」
私はもう一人の婆さんの方に顔を向ける。
ニコニコと微笑み、彼女は頷いた。
「ある日、この人がとても綺麗な手をしているのが見えてね、どうしたのって驚いて聞いてから、今ではネイル友達よ」
「そりゃ目出度い」
私がぱちぱちと拍手をすると、婆さんは恥ずかしそうにはにかんだ。
「貴女のおかげよ本当に。何度お礼を言ってもし足りないわ」
「そんな大げさな」
「大げさなものですか。……彼女が、初めての友達なのよ。私、色々口うるさかったでしょ? だから、本当にありがとう」
深々と、婆さんは頭を下げる。
ずっと友達が居なかった。
自分が悪いことはわかっている。
けれど生まれ持っての自分を変えることなんて出来ないし、そもそも正しいことしか言ってないから変えたくない。
そんな自分でも、友達が出来た。
貴女のおかげで、勇気を出して友達に成れた。
だから――ありがとう。
それは、婆さんの心からのお礼だった。
心の底から感謝をしているのがわかって、救われたのがわかって。
だからきっと、私の人生にも、意味があった。
生きていて良い事が、抜け殻の私にも、一つだけでもあった。
それは本当に、嬉しいことだった。
「そか。それは良かったね、ばあちゃん。私も一個報告あるよ、聞いてくれる」
「あら。何かしら?」
「より戻したいとか言って来たあの馬鹿にきっちり中指立てて、言いたい放題してきたついでにそこそこ貰うもん貰えましたー!」
本当はもっと色々あったけれど、ここで話すことじゃあないだろう。
終わったことだし、なにより詳しく話して婆さん達にあいつらの馬鹿がうつってしまったら死んでも死にきれない。
「――そう。すっきりした?」
「割と。あと、さっさと忘れようと思えるようになった」
「それは良かったわ。じゃ、今日はお祝いをしましょう。お夕飯、期待しててね」
そう言ってウィンクをする婆さんが妙に可愛くて、私もこんな風に老けたいと思った。
たぶん、そこまで生きていることは出来ないけれど。
旦那に幸せを願われ今を生きているばあちゃんと、家族を捨てて孤立する私が、同じくらい綺麗になれるわけがなかった。
そう、私は幸せになれない。
なったらいけない。
そんな風に思っていた。
その日から数日後――婆さんの家で、私の家族と再会するまでは。
一体何があって、そしてどうしてこうなったのかわからない。
他県なのに、なんで家族総出でなんで待ち構えているのかと。
だけど、一つだけ確かなことがある。
婆さんが、私に最後のチャンスを作ってくれた。
もうないと思っていた、家族に謝るチャンスを。
だから私はそっと土下座をした。
申し訳なさ過ぎて顔を見せられないという理由に加えて、こんな泣き顔恥ずかして見せたくないという気持ちで。
だけど、私が恥ずかしがる意味がなかった。
だって皆、同じような顔だったのだから。
ありがとうございました。