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歴史総合よもやま話  作者: よほら・うがや
16~18世紀のヨーロッパ
9/12

1 16・17・18世紀の諸地域・諸国から~18世紀末の世界へ

参考:山川出版社「歴史総合 近代から現代へ」P30

目次

ひとこと

諸地域から世界へ

  諸地域

  世界

  西ヨーロッパ

  貿易

  国々の競い合い

  栄枯盛衰

18世紀末の大変革

  ヨーロッパ諸国

  政治革命と新たな国家像

  アメリカ

  アジア

  本格的な近代化へ

ーーーひとことーーー


前回までは、近代の前提時代のアジア各地域の状況のはなし。

今回は、その近代の前提時代の世界全体の総括ばなし。

・・・って、まだ近代に入ってなかったんだよね。もう5月じゃん。

なお次回以降は、近代の前提時代のヨーロッパのはなし。


この山川出版社が発行している『歴史総合 近代から現代へ』の教科書は、内容が非常に詳しく、とてもじゃないが高校1年だけで終わる代物ではない。

世界史をグローバルに見るのにはいいが、あまりに詳しすぎるのはいけない。

正直、この教科書を採用した学校の生徒さんは、気の毒としか言いようがない。


ーーーその1<諸地域>から<世界>へーーー


(1)<諸地域>


地域の代表例は、<ヨーロッパ>や<アジア>。

地域というくくりでは、最も広大なものだ。


16世紀には、人々にグローバル世界という概念の意識はなかった。

人々は、住んでいる地域でそれぞれに暮らし、その地域で生涯を終えていた。他の地域とのつながりは薄かった。


いちおう隣り同士の地域間の交易・交流はあったが、お互いのことはよく分からず表面的な付き合いだった。

まあ現代でも隣りの家にどんな人が住んでいるのか、町内会や自治会に加入していれば分かるが、加入していないとよく分からないというのが普通だし。


その後、17・18世紀になると遠い地域同士(ヨーロッパとアジア)の、特に経済的なつながりが生まれるようになった。

地球球体説・地動説も普及し、グローバル世界という意識が人々に生まれた。

もちろん現代のサプライチェーンのような密接なつながりまではいかず、ヨーロッパ人やアジア人が互いに小さな船を出し、探検を兼ねてちょろちょろと行き来するという程度だ。ヨーロッパ諸国の中には、東インド会社など国王が支援する組織的な活動もあった。


(2)<世界>


諸地域が互いに経済的につながった18世紀初めに、人々にこの意識が生まれた。

鎖国して国を閉じているように見える日本でさえも、江戸幕府は毎年提出されるオランダ風説書ふうせつがきによって世界情勢を知っていた。長崎を通じて入ってきた医学その他の学問が、蘭学として全国的に普及しつつあった。


(3)<西ヨーロッパ>


ヨーロッパの中でも、特に西ヨーロッパ地域の諸国の動向が、注目される。


古代ローマ帝国とその文化を継承した西欧地域は、世界史的に重要な地域として特筆される存在だった。

16世紀以降、西欧の人々は他の地域(アジア)に目を向け、世界をまたにかける国際貿易を拡大した。


その貿易の主導権を握ったのが、各地域の伝統的な支配者であった君主たちだ。

彼らは、中世初期にゲルマン国家を形成してはいたが、中世全般、各地の封建領主たちを制御できず、中央権力としての実力は弱まっていた。

スペイン・ポルトガルの君主は、イスラームから国土を奪回する運動を主導して力をつけ、その達成の勢いでアジアに貿易船を送った。

十字軍を主導して力を付けたイギリスやフランスの君主、宗教改革で独立したオランダの君主も、同じように貿易船をアジアに送った。

この国際貿易により、君主はさらに力をつけ国内の中央集権化が進んだ。


そして18世紀末に、この地域の諸国は政治的経済的に大きな変革を迎える。その2つの革命の結果、この諸国は本格的にアジアに進出し、近代化が一気に進むのだ。


(4)<貿易>


地域同士の商取引を交易と呼ぶのに対し、これは国あるいは遠隔地同士の商取引を指す。

16世紀までの貿易は、同じ地域内の国同士だった。

17・18世紀には、ヨーロッパ・アジア・アフリカ間の貿易が新たに加わった。この貿易を主導したのが、西欧諸国だ。


(5)<国々>の競い合い


手探りの探検時代だった16世紀に対し、17・18世紀は西欧諸国が一斉に世界じゅうに貿易船を出した。


16世紀は、世界をスペインとポルトガルで二分する約定を結ぶなど、この2国が互いに競い合うことなく存立していた。

17世紀になると、新たにイギリス・フランス・オランダが世界じゅうに貿易船を出した。スペイン・ポルトガルの国力が衰えたこともあり、この5か国が競い合いや奪い合いを繰り広げた。

イギリス艦隊が、スペインの無敵艦隊と海戦をして勝利したというのもあった。オランダが、スペイン王の支配から独立した。


日本は最初、スペインやポルトガルに植民地として狙われたが、17世紀になるとイギリスとオランダによる奪い合いとなり、イギリスが撤退し日本が鎖国したので、オランダの独占貿易状態になった。


(6)衰えるものもあれば、栄えるものもある


これは、いつの時代にも言えることだ。栄枯盛衰。流行の波。はやりすたれ。


17・18世紀には、多くの小国家が消えた。他国と合同したり、他国に吸収されたり。

スペインも、元々はアラゴンとカスティリヤが合同して作った国。

オランダは、一国の形をとっているが、その内実は小国が集まって作った連邦制の国。


ただ、合同したり吸収した結果として、広大な国家が生まれ、君主の力が増大して中央集権的な政治体制が整った。

この時期に、現代にいたる各国の首都が形成された。ロンドン、パリなど。


思想面では、宗教改革によるキリスト教の分裂があったが、ローマ=カトリックのくびきを脱した地動説などの自然科学が発達し、人間が自然に対抗克服して生きていく道を開いた。


ーーーその2 18世紀末の大変革ーーー


(1)<ヨーロッパ諸国>


18世紀までに主導権を取っていたのは、西ヨーロッパの諸国。


18世紀末になると、東ヨーロッパのロシアやプロイセン、オーストリアなどの諸国も、世界じゅうに貿易船を出そうと意気込むことになる。

ただ、特にロシアは船を1年を通して出せる不凍港がなかったので、不凍港を求め南へ南へ南へと血眼になっていく。(現代もあまり変わらんなあ)


(2)<政治>革命による新たな<国家>像


18世紀までは、ヨーロッパ各国の経済・貿易活動は君主が主導していた。

18世紀末の政治経済での革命を経て、各国では一般国民が経済の主導権を握った。


帝国・王国・公国・植民地から、共和国へ。フランス、アメリカ。

あるいは君主を象徴的立場に追いやり、国民が国政を主導する形に。イギリス。


(3)<アメリカ>の変革


18世紀までは、西ヨーロッパ諸国の植民地として、ただ資源を奪い取られるだけだった。

18世紀末の革命・独立により、北米大陸にアメリカ合衆国が建国された。


(4)<アジア>


17・18世紀に西ヨーロッパ諸国が貿易船をこの地域に出したわけだが、強力な国家が存在しなかった東南アジアを除き、各地には強大な帝国や軍事政権国家が数か国あり(オスマン・サファヴィー・ムガル・明・清・日本)、軍事的に劣勢で侵略はできなかった。


18世紀末、ちょうどこれらの国家が衰えを見せ始めたのにも乗じて、変革を遂げたヨーロッパ諸国が侵略の魔の手を伸ばしてくる。


(5)<本格的な近代化>のはじまり


近代のはじまりは、16~18世紀にあった。

宗教改革による科学思想の解放、大航海時代を経ての世界的な国際貿易の展開など。

しかし本格的なグローバル化は、まだだった。


18世紀末のヨーロッパ諸国の大変革により、グローバル化が一気に本格化する。

それまで孤高の地位を保っていたアジア諸国は、ヨーロッパ勢力に席巻され世界のグローバル秩序に組み込まれていく。

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