7 (2)経済
参考:山川出版社「歴史総合 近代から現代へ」P28~P29
目次
輸入から国産化へ
生糸
木綿
菜種
砂糖
人参
貨幣
鋳造発行
貨幣経済
三都
江戸
京都
大坂
流通・金融
流通
金融
江戸時代の金融
ーーーその1 輸入から国産化へーーー
(1)<生糸>
江戸幕府は対外貿易を独占していたが、日本の特産品は鉱物(金・銀・銅)しかなかったので、輸入がメインだった。
その輸入品の1つ目が、絹織物の原料となる生糸(蚕が桑の葉を食べて吐き出す糸)だ。輸入先は、[中国]。
日本でも古来作っていたが、品質が良くなかったのだ。
江戸時代中期以降、幕府や諸藩が積極的に奨励した結果、全国各地の養蚕技術が進歩しやっと[国産の]良質な生糸を作り出すに至った。
西陣織・結城紬・桐生織・博多織・仙台平といった各地の名産絹製品が、登場した。
この蚕という昆虫は、本来は蛾で羽化して飛び回っていたのを人間が飼いならしたもの。野生には存在しない完全な人工昆虫だ。
幼虫時代に逃げ出したとしても、身体が真っ白なので目立ってあっという間に食われてしまう。
生糸に使うのは、この虫が成長して脱皮するときに使う繭だ。虫の頭に繭を吐き出す器官があって、そこから身体を覆うほどの量を吐き出す。
成虫に脱皮すると交尾して卵を大量に作り、そして十日以内に死ぬ。
その卵を、人間が育てていくという状態だ。育てるのに温度・湿度管理が大事で、育てにくい。
織物は、[絹]だけではない。
[綿]織物、[麻]織物、[毛]織物など、他にもある。
本来的には、綿織物の原料は[綿花]、麻織物の原料は[麻]・[亜麻]・[カラムシ]などの茎の皮、毛織物の原料は[羊毛]だ。
現代では、人工原料(化学製品)が多く使われている。
(2)<木綿>
畑で栽培する綿花から取れる繊維。
日本では、室町時代に既に全国各地で栽培されていたけど、綿花の生育環境として多量の雨と、その後の乾燥が必要だったので生産が定着していなかった。
江戸時代になると気候が寒冷化して西日本の雨量が少なくなり、梅雨があり夏に極端に乾燥する瀬戸内海沿岸地域での生産が大発展した。
特に大坂近郊では、水田の多くが綿花畑と化し年貢の大半がコメでなく木綿払いになった。多産された木綿を加工する工場制手工業が大坂近郊で出現し、農民の子弟が毎日通勤する風景が見られた。
この結果、明治時代の日本は世界最大の木綿生産国となったのだ。
(3)<菜種>
いわゆる菜の花を咲かせるアブラナ科の植物。種から、油が採れる。
油の用途は、食用油、灯油、潤滑油など。江戸時代は、灯油用が主だった。
主な栽培地は綿花と被っていて、瀬戸内海沿岸や大坂地方だった。
(4)<砂糖>
原料は、サトウキビやテンサイだ。
サトウキビは、熱帯・亜熱帯で栽培される。
テンサイは、現代では欧米や日本の北海道などで広く栽培されている。これは本来は葉物野菜で、18世紀になってから砂糖の原料になることが分かって普及したもの。
だからこの時期は、サトウキビが砂糖の唯一の原料だ。
[東南アジア]原産のものを江戸初期までは輸入していた。
江戸時代から奄美や沖縄(琉球王国)でも栽培するようになり、さらに九州・四国・本州の太平洋側の温暖な地域でも栽培するようになった。房総半島でも栽培されていた記録がある。
ただ温帯での栽培にはもちろん適していないので、内地産のサトウキビから採れる砂糖の品質はあまりよくなかった。
しかしこうして砂糖は、[国産化された]。
(5)<人参>
このニンジンは、滋養のある俗にいうチョウセンニンジン・コウライニンジンのことだ。ウコギ科。
ちなみに普通のニンジンは、セリ科。両者は、全くの他人だ。
現代では、オタネニンジンと呼ばれている。
古来、生薬として珍重され高価で取引されているが、現代では一定の効果はあるらしいという程度で、摂取しすぎると副作用が出るらしい。
正確な情報は、厚生労働省や医師・薬剤師に問うべし。
[朝鮮半島]で栽培が盛んだったので、江戸初期までは輸入していた。
江戸時代以降は、長野県・福島県・島根県などで栽培されるようになり[国産化]された。
ーーーその2<貨幣>ーーー
(1)貨幣の鋳造発行
日本でも古来、お金が普及して使われていたが、そのほとんどは中国が作った銅製のお金(宋銭・明銭)の流用だった。
古代の和同開珎や豊臣秀吉の大判は、記念品的なもの。
江戸幕府が、初めて一般に流通する国産貨幣を発行したのだ。
種類は[金]貨(小判・一分判)・[銀]貨(丁銀・豆板銀・他)・[銅]貨(寛永通宝)で、それぞれ原料は金・銀・銅である。
原料も、もちろん国産。
当時は、戦国大名たちの開発のおかげで全国各地に金山・銀山・銅山が存在し、徳川氏がそれを独占していた。
この国産の金銀銅は、江戸初期には輸入品の代金として海外諸国に支払われていて、大量に海外に流出していた。
江戸時代以降、輸入品の国産化が進められたのは、こういう流出を止めようという意図もあったのだ。
幕府自身が貨幣を鋳造したので、例えば金貨の小判(1両)だと17世紀は金の含有率が80%を超えていたのが、18世紀になると[財政]悪化のため60%に下がり、幕末になると50%をちょい超えるという粗悪化(銀を大量に混ぜた金貨化)することになった。
純粋に見ると詐欺?と思うかもしれないが、政権が、これはたとえ薄っぺらな紙でも1万円だといえばそれは1万円になるわけで、そこは信用の問題だ。
江戸時代の穴あき銅銭(1文)にしても、紐でつないで96枚あれば100文として扱われるという幕府公認の慣習もあった。消費者の懐に優しいね!(現代だと100円ショップは、事実上の110円ショップだよ)
(2)「民衆の生活は貨幣経済にいっそう巻き込まれ、貧富の格差が広がって」生活が苦しくなって「一揆や騒動が頻発するようになった」
と参考にしている教科書に書いてあるのだが、意味分かる?
現代も貨幣経済で、物価がやたら高いから生活は苦しいが、貨幣経済だから生活が苦しいというわけではないね?
教科書なのに、そういう基本的なことをさらっとすっ飛ばして書いてしまうとは、不親切な。もちろんそういうことは小学校や中学校で習っているはず、という前提なのだが。
これは、[貨幣経済]の反対語を連想しないと、理解できない説明だ。
反対語は、[自給自足経済]だ。
どう違うかというと、自給自足は自分で作って自分で食べるから、自然条件には左右されるが、安定している。
貨幣経済だと、買う側からすると、物価が安いと手に入れやすいが物価が上がると手に入れにくくなる。売る側からすると、物価が高いと利益が出るが物価が安いと損をする。つまり、不安定な状態になる。
江戸時代の農民の経済生活は、幕府によって基本的に自給自足とされた。
コメや野菜を作ってそのうちの何%かを幕府や藩に納め、残りを食べて生活しろというわけだ。
裕福な農民だと納税した残りも大量なので、食べる分以外の余りを売って貨幣に換えることになる。
こうして、生活が不安定になる。
自給自足生活だと、コメや野菜を売りにいかないので生活が村の中だけで完結していまい、ある意味地味な無味乾燥な生活に留まる。
貨幣経済生活だと、農産物を町や近隣の村に売りに行くので、物価の変動により利益が出たり損をしたりする。偶然利益が連続で出る人と、偶然損ばかりする人が出てきて、この結果として貧富の差が生まれる。
利益の大きな人は元手が大きいので成功の確率が高くなりより大きく利益を出すが、元手の小さな人は成功確率が下がり損をすることも多くなる。こうして貧富の差が拡大する。
それなら、自給自足に戻ればいいじゃないかと思うかもしれないが、人は現状満足な生き物でない。より良い生活、より良い物を求めるのが、人間だ。
人間は、欲で出来ている。
だから貧富の差の拡大は、至極当然に起こる現象だ。
対策は、税金のかけ方や社会保障によって拡大を縮めるしか、ない。
*[商品経済]・[交換経済]・[貨幣経済]の意味の共通点と相違点
農産物の余りを売ろうとし、それを買おうとするその双方の行為が、商品経済だ。
売り買いする手段には、2つある。物々交換をする方法と、売って貨幣をもらい買って貨幣を払う方法だ。前者が交換経済、後者が貨幣経済だ。
江戸中期以降と現代は、商品経済および貨幣経済である。
ーーーその3 三都ーーー
(1)<江戸>
<幕府>の所在地、つまり事実上の首都だ。
騎乗武士だけでも8万人以上、さらにその家臣たち、諸大名とその家臣たちも、集まっている。
人が集まると、商人が集まる。さらに、人が集まる。八百八町だ。
18世紀初めの人口は推定百万人以上、世界最大級といわれる。
(明清王朝の首都・北京も百万人以上いた模様)
京都・大坂と合わせ、<三都>と呼ばれた。
元々は、三が津と呼ばれていた。津は、港のこと。京都は内陸だが、淀川支流の鴨川や桂川が交通や運輸に使われていた。
(2)<京都>
将軍を任命する天皇と貴族が住まう、日本の首都だ。
最大人口は、40~50万人。
政権を徳川氏に奪われ天皇と貴族しか住んでいないのに、なぜこのような大都市になったのか?
上に少し書いたが、鴨川や桂川による水運が古来非常に盛んで、京都は一大物流拠点だった。商魂たくましい者たちはもちろんこれに注目し、多数の商人が京都に集中したのだ。
また古来、朝廷に品物を献上するための手工業が発達していたこともある。
幕府は大名と朝廷が結びつくことを恐れ参勤交代のルートから外されたが、その経済効果抜きでも繁栄した。
(3)<大坂>
豊臣秀吉が大陸征服の軍事拠点として本拠地を置き、堺などから商人を移住させた結果、大都市として整った。
瀬戸内海という荒れにくい穏やかな海を利用した国内水運の最大拠点で、太平洋・日本海の両水運の結節点。全国から物資が集まる場所になった。
ーーーその4<流通><金融>ーーー
産業が盛んになった段階の経済の、基本用語2つ。さらっと書かれてるけど、その内容はとても多くてね。できるだけ簡易になるよう努力するけど・・
(1)<流通>
生産者が生産したモノが、消費者に向かって流れていくそのルートが確立している状態。
そのモノの代表的なのが、物品。ネット通販で買うと、商品が工場→商店→(トラック運搬)→購入者と流れていく。
それと同時並行で、所有権が流れる。ローンで買うと、所有権は生産者が持っていて、完済したら所有権が購入者に流れる。
また逆方向で、金が流れる。購入者が運送業者にお金を支払い、運送会社からお金が生産者or仲介業者に支払われる。
現代ではこれにプラス、情報も流れる。企業が発信したり、消費者が口コミコメントを入れて発信したりする。
この基本が、江戸時代にできた。江戸時代だと、トラックに当たるものが船・舟だ。軽量・少数だと、人が背負ったり馬に載せて運ぶ。
(2)<金融>
お金がタンスの中にしまわれて使われていない状態だと、経済が沈滞する。
お金が使われて初めて、経済が活性化する。
一般生活者がお金を使いまくるのは無理だけど、国家や企業がお金を使う場面が非常に多い。
国家は社会的弱者に社会保障をするし、企業は工場を建てたり労働者を雇ったりする。これを頻繁にやると、手持ちのお金が足らなくなる。
そこでお金が有り余っている人が、国家や企業に金を貸すことが必要になる。
もちろんタダでは貸さない。元金の何%かを利子として受け取ったり、企業がその結果もうけたらその何%かを配当として受け取ったりする。
こうすると、経済が活性化する。
これが、金融だ。金を誰かから誰かに流すという意味だ。
金貸しには2種類あって、純粋に金そのものを貸す場合と、貸した金が戻ってこなくても文句を言わない形で貸す場合とがある。
前者は、債権債務関係という。利子を取って金を貸す。ローリスク・ローリターン。銀行やローン会社がよくやる。
後者は、投資である。もうけが出たら配当がもらえる。ハイリスク・ハイリターン。国債(国に金を貸す)や株式(企業に金を貸す)が、これだ。国債は利子が低く国家はそうそうつぶれない(たまにつぶれる)ので、投資ではあるがローリスクである。
金を貸した相手が破産して財産を競売して金に換える時、前者の債権者が優先してその金をもらえる。後者の株主は余りがないともらえない。これが、リスクという意味だ。
(3)江戸時代の金融事情
幕府や大名はぜいたくをしたり事業(洪水防止工事など)をしたりすることが多かったので、すぐに<財政>悪化(金が足らなくなった)。
三都の商人たちが幕府や大名に巨額の金を貸すことが普通になった。(幕末に多くの大名が借金を踏み倒してしまうのだが)
<幕府>や<藩>は、現代の国家と同じように貨幣の発行が可能だったので、貨幣を増発したり貨幣の質を落として発行したり(紙のお金を作った藩もある)して、お金を無限に増やした。(もちろんめちゃくちゃインフレになった)
また一般商人も、事業資金を借りることが普通になった。そのお金で商売を拡大し、もうけを貸金業者にリターンする。
この場合の貸金業者は、債権でなくて、信用貸しつまり投資だ。