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5 17世紀半ばから18世紀の、東アジア

参考:山川出版社「歴史総合 近代から現代へ」P27

目次

清王朝

  中国

  拡大

  チベット

  皇帝

  官僚制度

経済大発展

  商業・貿易

  人口増加

  反乱多発

ーーーその1<しん>王朝ーーー


中国歴代王朝の最後。この後は革命がおこり、共和国になる。

ただ漢人王朝ではなく、皇帝は満洲人だ。アイシンギョロという独特の姓だ。


(1)<中国>の王朝?


清王朝は、正確には中国の王朝ではないという。

中国を支配下におさめている、中国でない王朝らしい。

わけわからないが、中国という枠組みの発展形ではなく、また満洲国家の発展形でもない。

満洲・モンゴル・中国・チベット・ウイグルなどの多数の民族を統合した統一帝国の王朝、というのがその形なのだ。特にこの5民族はそれぞれ独立の文化と社会を形作り、清の皇帝はその5民族の代表を兼ねて君臨するという。

この意味では、西のオスマン帝国と共通の中身を持っているといえる。


(2)<拡大>


満洲人が満洲から中国本土へ版図を拡大して、成立した。

ただ、本拠地(首都)は満洲から中国本土の北京ペキンへ移した。これは、13世紀のモンゴル帝国(元王朝)とほぼ同じ理由。


中国本土に居住する<漢人>の人口が清王朝の建国時に1億人以上だったのに対し、満洲人はその数%の数百万人にしかいなかった。

遠くから支配するには人口が多すぎたので、直接支配する必要があった。


モンゴル時代との違いは、北京の地理的位置が満洲地方・華北・モンゴル・華南の交通の結節点だったので、国内商業の最大拠点として機能していたことがある。

中国の経済を支配・指導するのに最適な場所だったというわけだ。

北京の重要性は、現代中国でも変わらない。


(3)<チベット>


仏教の一大拠点で、チベット民族(日本人や中国人と同じくモンゴロイド系統の民族、現在の人口は600万人)が居住する地域。

現在は中華人民共和国から抑圧されて、仏教最高指導者のダライ・ラマはインドに亡命している。

清の皇帝は、文殊菩薩もんじゅぼさつの化身とされてチベットの最高指導者の地位についていた。

文殊菩薩は、知恵をつかさどり民を救済する仏。母の慈愛の象徴でもある。日本では、知恵の文殊さんと呼ばれて尊崇されている。


清が支配した他民族のもう一つの代表的存在が、ウイグル人だ。

現代の新疆しんきょう地方、歴史的には中央アジアと呼ばれる地域に居住する、トルコ系民族。現在の人口は1千万人。

イスラームに帰依している。

清の皇帝は、イスラーム信仰を禁止せず逆にイスラームを保護し、ウイグル民族の最高指導者の地位にあった。

現代では、中華人民共和国により民族言語の使用制限など、抑圧されている。


(4)<皇帝>


多くの皇帝が自称皇帝なことが多いのと対照的に、清の皇帝は名実ともに皇帝だった。

漢人も清の皇帝に支配される一民族に過ぎず、出身母体である満洲人も支配下の一民族に過ぎない扱いをされた。

清の皇帝は、各民族の事情に干渉せず、超越した存在であり続けた。


清の皇帝は、漢人に対してもその文化や社会・宗教を抑圧せず保護し、逆に儒教文化を盛り上げている。

ただ少数の満洲人が多数の(20倍の人口)漢人を支配する必要から、髪形強制と思想弾圧を採用し、特に髪形強制は拒否ったら死刑という徹底ぶりだった。


漢人に強制した男子の髪型は、辮髪べんぱつだ。髪を一部だけ残して剃り、その部分だけ髪を伸ばして三つ編みにして腰辺りまで垂らす髪形。

ちなみに禿げていると、免除された。円形脱毛症だと、ちょうど脱毛部分が辮髪部分だもんね。

また、後ろ髪は残してもいいというのもあって、両側面と前頭部だけ剃る人もいた。

抵抗は激しかったけど、結果としてすっかり定着して、今では中国人といえばナマズひげに辮髪の姿で何々でアルよと話すというイメージになった。


清の皇帝本人は、5民族に対していわば五重人格みたいな態度をとっていた。

漢人に対しては学問<が大事大事>といい、チベット人に対しては仏教が大事大事といい、満洲人に対しては武芸が大事大事と言い、ウイグル人に対してはイスラームが大事大事と言い、モンゴル人に対してはチンギス・ハーンが大事大事と言い・・・・・

支配される国民にとっては、税を納めるのは同じなので民の文化を大事にし救済する政策をとってくれさえすれば、誰が(たとえ外国であっても)支配者になっても同じだ。ただ国内の異民族に対し寛容の態度を取る支配者は、歴史上非常に少ないのだけれどね。


(5)<官僚><制度>の継承


清王朝が中国支配をするとき、新たに独自に作り出した制度はない。

行政制度は、ほとんどが前の明王朝のものそっくりそのままだ。

政治のトップに立ついわゆる支配層も、明王朝時代の官僚を輩出した支配層がそのまま温存されてさらに官僚を輩出していく。

官僚を選ぶ基準も、明王朝と同じく科挙による。科挙の受験科目も、明王朝時代と同じ儒教。


ただ完全に温存したわけではない。

清の支配に反抗するような言論は、禁圧した。

また満洲人を全ての重要官職に、漢人と同数(1人官職なら総数2人、5人官職なら総数10人)任命するという特殊な制度を作った。満漢併用制というものだ。これにより満洲人が支配するという形を作っている。


この結果、モンゴル帝国時代のような漢人官僚を無視しモンゴル人貴族が政治を牛耳るといったことがなくなり、明王朝以来の伝統的な政治社会体制(地方地主層が官僚を輩出する)が安定して継続することとなった。


ーーーその2<経済>大発展ーーー


(1)<商業><貿易>


明王朝が海賊被害を恐れて貿易を朝貢形式に限定し閉じこもってしまったのに対し、清王朝は民間貿易を自由化した。

ちょうど<ヨーロッパ人>が<来航>をスタートさせた時期に当たったこともあり、世界的に展開された貿易にいち早く組み込まれ中国の産物が世界を席巻した。


主な輸出品は、農産物は茶・生糸きいと、工業製品は綿織物・絹織物。

工業といっても、もちろん手工業。

手工業というと家庭での内職作業を連想しがちだが、この清王朝時代は日本の江戸時代後期に現れたマニュファクチュア、工場に人が毎日通勤して勤労する工場制手工業の段階になっていた。

工場制の最大の特色は、製品が比較的大量に(中国の人口は1億人を超えていた)生産され、しかも分業作業が採用され製品の品質が均一に近づくことだ。中国の織物は、ヨーロッパでは高級品として評価された。


(2)<人口><増加>


武田信玄が、人は城、人は石垣と言ったのは有名だが、いくらAIの技術が発達しようが、ロボットが普及しようが、国の発展や文明の発達を支えるのはマンパワーだ。

人は、多ければ多いほど良い。

この21世紀では、人口増加が停滞し減少に転じている日本や欧米諸国に対し、アジアやアフリカの人口爆発状態にある国々の動向が非常に注目されている。それらの国々の政治社会が安定すれば、今後の人類文明の中心勢力となるだろう。


もちろん人が多くなると、大量の食糧が必要になる。食糧を海外からの輸入に頼るようでは、国家として不安定といえる。日本はその点で、意外と不安定な国家なのだ。

食糧は、自前で確保する。それが、国家の発展を支える。

清王朝時代の中国は、農産物の<新たな開>発に成功した。ヨーロッパ人がもたらしたアメリカ大陸原産の農産物(トウモロコシ、サツマイモ)を、国内で栽培することに成功したのだ。

この時期、日本にもサツマイモが導入され、現代もコメがないときの代替食品として好まれ食されている。コメがなければ芋を食えばよい。


農業を発展させるには、広大な土地が必要だ。

この新しい農産物は、雨が少なくてもできる。日本でも、雨が降らないことによる飢きんの時にサツマイモが大活躍した。

満洲地方やモンゴル地方、中央アジアなどの本来遊牧・牧畜だけで農業が難しかった<山地>や草原地帯が次々に開発された。


こうして広い土地に大量の農産物が実り、人口が急増していく。

清王朝の後期には中国の人口は4億人を突破した。

多くの中国人が海外に進出し(国内の土地が足らなかったというのもある)、華僑かきょうとして現地の経済を牛耳る結果にもなった。


(3)反<乱>多発


しかし、人が多くなるとそれだけ軋轢あつれき、争いが増える。

土地を開発したといっても、150年間で人口が1億人から4億人に急増してしまい土地が足らず奪い合いが激しくなった。

地主層の子弟の多くが官僚になっていたが、官僚の人員は限られていたので多くの人が採用試験(科挙)に不合格になり、就職できず不満を持つ頭の良い多くの人が社会に充満した。


ひとたび一地方で反乱がおこると、便乗した反乱が各地で頻発し大規模化した。

また反乱鎮圧を名目に、今だ!とばかり国民の土地や財産を不当に没収して私腹を肥やす官僚たちも多数現れ、世間全体に不正がはびこった。

反乱を鎮圧するのに莫大な経費がかかり、清王朝の財政は一気に傾いた。


人口は多ければ多いほど良いが、多すぎるとダメだ。過ぎたるは及ばざるがごとし。

なお現在の中華人民共和国の人口は、政府発表では14億人。17億人説や10億人説もあるが、いずれにしても多いね!清王朝時代と違って、今は経済も高度に発達しているから14億でも国内でじゅうぶんにまかなえるだろう。

中国が世界最大の経済大国になりつつあるというのは、まさにマンパワーのたまものだ。

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