3 16~17世紀の、ヨーロッパの宗教・科学の変化
参考:山川出版社「歴史総合 近代から現代へ」P32~P33
目次
宗教改革
国家
西ヨーロッパ
カトリック
改革
宗教
プロテスタント諸派
語
聖書
人間
救われる
神
主義
意識が高まった
布教
外部
キリスト教
海外
拡大
科学革命
科学
自然界
法則
科学者
変化
革命
探究
ーーーその1<宗教改革>ーーー
(1)<国家>
前の話の復習。
つまり、今回は前の回と同じ時代ということだ。
この時代のヨーロッパ諸王国は、同じような政治体制を導入した。
国が君主により統治され、国内の貴族とせめぎ合い、国境を接する他国ともせめぎ合うというもの。
いわゆる主権国家体制。
(2)<西ヨーロッパ>
ヨーロッパといっても、西半部と東半部では宗教的に大きな違いがあった。
西ヨーロッパでは、キリスト教が普及していた。
東ヨーロッパでは、古代から長くキリスト教が普及していたが、15世紀にイスラーム勢力のオスマン帝国が侵攻してきてギリシアのあるバルカン半島を制圧した。
バルカン半島の北のハンガリー、ポーランド、プロイセン、ロシアにはキリスト教が普及していたが、イスラームにより脅かされていた。
比較的安定した西ヨーロッパのキリスト教会に、16世紀改革の動きが起こったことで、人々の意識が宗教に強く向いた。
ちょうど大航海時代に当たり、西ヨーロッパ諸国が次々に貿易船を世界各地に送り始めていた。
宗教意識が強くなったヨーロッパ人が、船に乗って世界各地に行き、自分たちのキリスト教信仰を世界各地の人々に饒舌に話しまくり広めていった。いわゆる布教活動だ。(それはまるで、オタクが自分の趣味の話になると熱心に話しまくるのに似ている)
最初に世界に出て行ったのはスペインとポルトガルで、両国は宗教改革に反対する保守勢力だった。
この両国人が、それまでの中世キリスト教(ローマ=カトリック)の教義を世界各地に布教しまくった。
戦国時代の日本に伝わり広がったのは、この保守キリスト教だったのだ。
(3)<カトリック>
キリスト教保守派だったのだが、中世末期には宗教意識が薄らいでリアルの欲望(金銭欲など)にまみれていた。
「改革して元の純粋な形に戻そう!」という意識が高まったのは、当然だ。
特に金銭欲にまみれていた聖職者や教会組織の、改革が叫ばれた。
しかしこれらを排除するには中世キリスト教の教えそのものも、排除する必要があった。中世キリスト教は、「人は聖職者と教会(にお金を寄付すること)によって救われる」と教えていたからだ。
(4)<改革>
改革しようとすると、必ず立ちはだかってくるのが既得権益にしがみつく保守勢力だ。
歴史上様々な政治改革や宗教改革が起こされるが、そのつど必ず反対勢力が抵抗して、互いに殺し合う事態に発展している。
この宗教改革に対しても保守派のカトリックが激しく抵抗し、改革派のプロテスタント諸派との間で戦争つまり殺し合いになってしまった。既得権益を守るためには、人をも殺す。怖いね。
ただ保守派の中にもカトリックの金銭重視の教えが間違っているのではないかという意見もあり、そういう人たちが自ら自派の改革に乗り出して金銭要素を教義から排除することに成功した。
また改革に対抗するため保守派の教えをより多くの人に知ってもらう布教活動を、世界的に繰り広げることになった。
こうして日本にカトリックが先に伝わるのだが、遅れて改革派のプロテスタント諸派もイギリスやオランダの貿易船の来航により日本に伝わることになった。
(5)<宗教>
中世は宗教の時代というが、ヨーロッパでは宗教があまりにも日常生活に溶け込みすぎて、逆に自分たちは宗教を信じているという意識が薄まってしまっていた。
ただ受け身に、教会や聖職者の言うこと(金を出せ!)を聞いていればいいという状態になっていた。
「カトリックの教えは間違っている!」という声は、改革派にしても保守派にしても自分たちの宗教意識を目覚めさせる効果があった。
もちろん意識し過ぎも起こり、新旧が真っ向から対立し殺し合う事態になったわけだが。
(6)<プロテスタント諸派>
16世紀の宗教改革により、新しく起こった分派がプロテスタント(抗議するという意味)だ。新教とも呼ばれる。
保守派カトリックは、これに対し旧教と呼ばれる。
けっきょく改革派は主流にならず、保守派のカトリックとたもとを分かち、別に教会組織を作ったのだ。
諸派とあるとおり、改革といってもその方向性は人によって違っていた。
イギリスは国家を挙げて新教になったが、その意図は、とある国王が「今の妻と離婚して他の女性と結婚したい」(旧教の教えでは離婚できない)といった不純な動機だったというのが有名だ。もちろんローマ教皇からの上から目線命令に嫌気がさしていたのも、ある。
新教の主張の基本は、悪さをしていた教会や聖職者の存在を否定するもの。
キリスト教の教えは、古代に聖書という本にまとまっている。それを各自、読めばよいというのだ。
キリスト教の基本教義は、イエス=キリストが自らを犠牲にして十字架にかけられることにより全人類の罪(人は生まれながら罪を背負っているという)を救った(死後に天国に行ける)ので、みな安心して生活すればよいという内容だ。
ただ新教の諸派の中には、信仰をより厳格にしなければ神は救ってくれないといった内容のものもある。
その後、保守派のカトリックと壮絶な殺し合いをした。
カトリックに対抗するためカトリック諸国と同じく海外に布教活動をしようとしたが、新教を保護した国々がスペインやポルトガルに比べ力が弱かった(16~17世紀当時)こともあり後れを取った。
(7)<語>
ただ聖書は、ラテン語で書かれていた。これは、古代ローマの言語。
つまり一般人には読めない。
教会や聖職者はこれを利用して権力を独占し、私欲にまみれていたわけだ。
そこで新教改革派たちは、聖書を一般人も読めるようにドイツ・フランス・イギリスなどの各国の言語に訳し始めた。
ただ当時、文字が読めたのは富裕層だけだ。
一般人にも文字が読めるようにするため、聖書の教えを分かりやすくまとめて教科書にする人も現れた。
これを用いて子供たちを集め教えるようになったのが、近現代の学校制度の始まりだ。
(8)<聖書>
英語で、バイブルという。
旧約聖書と新約聖書がある。前者は古代ユダヤ人の民族物語。後者は、イエス=キリストとその弟子たちが説いたキリスト教の教義。
旧約聖書は、物語としてかなり面白いので教養の一環として一度は読んでおきたいものだ。
神の息吹きで海が割れてユダヤ人を救うとか、人が悪にまみれたのを神が怒って怒りの鉄槌を下しきのこ雲が立ち上がるとか、ヘビが人を誘惑し禁断の実を食べさせたとか、いろいろある。
新約聖書の初めのものは、イエス=キリストの生涯物語。これも教養として知っておきたいものだ。
母親が(神と?)不倫をして生まれたとか、数々の奇跡をおこなったとか、死を覚悟して弟子たちとともに最後の晩餐とか、十字架に張りつけられるまでの市中引き回しの悲惨な様子とか、その後の幽霊騒動とか、エピソードが山ほどある。
(9)<人間>
宗教改革前は、人間の価値はとても小さくて吹けば飛ぶような存在とされていた。
改革後は、各自が聖書を読むだけで救われるという新教の教えにより、人間ひとりひとりに価値があるという考えが広まった。
人間が自分の存在価値を発見した時、その人間の目に映ったのは、今まで人間を圧倒し翻弄してきた大自然が、より対等に近い視点で見えたというものだ。
もちろん大自然が猛威を振るえば、人間はひとたまりもない。
しかしそういう自然にはある程度の法則があることが分かり、それを研究することで自然災害を完全に防げないが災害を減らす(減災)ことができることが分かった。
ただ後には、人間は自然を支配できるという不遜な考えが起こり、自然をめちゃくちゃに破壊する傾向も現れることになる。
(10)<救われる>
宗教が唱える主張に共通しているのが、これだ。「神を信じなさい、信じる者は救われる」というものだ。
人間を、何から救うのだろうか?
これは、現代(だけではない、昔から古今東西共通)の日常生活を思えばよく分かる。
とにかく、生活していくのが難しい。
最近の日本だと、物価が非常に高くて、同じ価格でも中身が一回りも二回りも小さくなっているとか、生活が苦しくてしかたがない。
老齢年金が将来縮小・廃止されるのではないか、他国のおかしな政策のせいで日本の経済がどん底になってしまうのではないか、他国が暴走して日本を巻き込むような戦争を起こすのではないかという、強い不安もある。
生活が比較的安定している富裕層であっても、生きている限り自分はいつかは病気になったり死ぬのではないかという恐怖があり、また家族や他人との人間関係に悩んでいる人も少なくない。
(11)<神>
宗教意識が少ない人にとっては、イマイチよく分からないだろう。
ただ「神様、仏様、バース様(稲尾様?オータニ様?)、ウルトラマンガイア様」「困った時の神頼み」という言葉はよく聞く。
日本人独特の宗教ごちゃまぜ思想だが、いざというとき頼りになるおやびん的な意味合いがあるね。
ポンコツ女神というキャラも、神は本来頼れる存在なのに、逆にいろいろとやらかしてしまう神という意味だね。
(12)<主義>
現代では、主に政治思想で使われる言葉だ。自由主義とか、社会主義とか、共産主義とか、資本主義とか。
主義というのは、特に既存の支配的な勢力が非常に強く、抗うことが難しい時に、それに抵抗する思想活動の特色として用いられる。
だから例えば、「宗教改革の結果、個人主義が芽生えた」という記述があるが、個人主義を真っ向から否定する考えが世の中を支配していたということを示す。
それが、中世までの(近世も色濃く残っていた、近現代になってようやく薄らいだ)「人間はちっぽけな存在にすぎず、教会や聖職者、あるいは神によってのみ救われる」という旧時代の欧米の支配思潮なのだ。
社会主義・共産主義は、産業革命による経済発展とその歪みに対する主張だ。
資本主義は、社会主義・共産主義に抵抗する主張だ。
自由主義は、自由を抑圧するファシズムに対する主張だ。
そう、主義とは、アンチテーゼという意味なのだ。
アンチの意見はとかく煙たがられるが、大事にしなければならない。アンチがいることにより、作品愛が一層深まるからね。(何の話だ?)
(13)<意識が高まった>
この時代は、人間に宗教意識などいろいろな意識が高まった時代だ。
人間それ自体の価値が見いだされ、人間ひとりひとりが価値ある存在になったからこその、心理状態といえる。
世界史の歴史記述で、人間の心理状態が語られる時代の最初だ。
こういう語に注目すると、歴史は知識の羅列ではなく、人間の日々の営みの集積であると分かる。
(14)<布教>
古くは、古代ローマ時代にイエス=キリストの弟子たちが亡き師匠の教えを命がけでローマ帝国内に布教したというのがあった。
「自分たちの偉大な師匠の素晴らしい教えを皆に知って欲しい」という、ただその一念で。
中世に布教活動が止まったのは、ヨーロッパ全体にキリスト教が伝わり終えたからだ。宗教が日常化して、普通一般のことになった。
だから布教活動は、その教えの内容が当時の支配的な考えとまったくの別物だったり、真逆だったりすることを表している。
アニメオタクが、アニメの良さをぜひとも一般人に知って欲しいと布教活動をするのに似ている。
宗教改革の、改革派・保守派のどちらも布教活動を一生懸命にやったのは、互いに考えが真逆で強い対抗心があったゆえんだ。キリスト教を知らない新世界に到達可能になったことも、刺激された理由だ。
(15)<外部>
私が書く歴史エッセイでは、普通の世界史学習キーワードからかけ離れた言葉がよく出てくる。
「あんた、いったいどこに着目してるんだよ?」と思うかもしれないが、こういう視点もあるのだなと思ってほしい。
この時代の説明では、この外部という言葉も私はキーワードだと思っている。
これは、ヨーロッパ人の当時の心情を表した語だ。
中世までのヨーロッパ人にとって、世界とはヨーロッパとその周辺のことを意味した。アジアやアフリカ、アメリカは、ヨーロッパにとってはまさにこの外部的な価値だったのだ。
ヨーロッパ中心史観とも呼ばれて不評なのだが、交通技術が発達していない古代・中世では致し方ない思考だろう。
ただヨーロッパ人が、その後に世界じゅうに足跡を残すときに、さらに現代に至ってもなお、「自分たちヨーロッパ」と「外部の国々」といった偏向的な思考にとどまっているのは良くない。
いまのところ、対ロシア、ウクライナ支援でヨーロッパの団結に一役買っている思考ではあるが。
(16)<キリスト教>
欧米、特にヨーロッパの歴史を考える上では、宗教は不可欠の内容といえる。
避けて通れない話題だ。
ヨーロッパ、その派生であるアメリカの歴史は、長くキリスト教VSイスラームとして彩られてきた。そのVSには、殺し合いが当然含まれる。
イスラームに攻められ、バルカン半島やイベリア半島を奪われた。
十字軍を派遣し、イスラームの支配地を侵略した。
キリスト教の母体であるユダヤ教徒を擁護し、イスラームからパレスチナを奪いイスラエルを建国させた。
イスラームの急進派テロ組織が、ハイジャックした航空機をキリスト教国アメリカの高層ビルに突っ込ませた。
その報復として、関係のないイラクを攻撃した。
いったい、いつまで殺し合いを続けるつもりなんだ?
宗教は、静かに信仰しているぶんには良いが、思い入れが激しくなると他宗教と対立し殺し合いになってしまう。
印パ紛争も、ヒンドゥー教VSイスラームという様相を含んでいる。
(17)<海外>
これは、日本でも世界を指す言葉として普通に使われる。
「外部」と同じニュアンスだ。
特に海に四方を囲まれた国では、交通が未発達の時代には他国との関わりが少なく、国内と国外が強く区別される思考が起こる。
現代日本でも、外国を排斥する思考が一部に存在する。
現代は、貿易船により日本は、世界と完全につながっている。世界なくして日本なし、というのが現代日本の実情だ。
中国製品がなければ、百円ショップと多くの服店が消える。
イスラーム諸国産の原油が入ってこなければ、電気とガソリンがなくなり、インターネットも電化製品も自動車も消える。
中国産や米国産、欧州産の食品原料が入ってこなければ、食卓はコメだけになり、ハンバーグもエビフライもカレーもとんかつもラーメンも全部消える。
(18)<拡大>
この時代は、ヨーロッパ地域に留まっていたヨーロッパ人が、ヨーロッパ以外の全世界に飛び出していく最初期だ。
ただ植民地獲得という領土拡大はまだ先で、この時代はとりあえず船で行って足跡を残し、侵略の前段階としての精神洗脳であるキリスト教布教を行う。
宗教の布教というと、平和的なイメージがあると思うが、実は侵略の第1段階だった。
日本ではこれに真っ先に気づいたのが豊臣秀吉で、全国統一前に最初の禁教令を出している。
ヨーロッパ中世では十字軍という、名目は聖地奪還、内実は侵略略奪目的というものもある。これを主導したのがローマ教皇だったわけで、何をかいわんやである。
ーーーその2<科学革命>ーーー
この時代のもう一つの特色。
宗教改革が当時のヨーロッパの全国民を巻き込んだものだったのに対し、科学革命は国民の大多数に知られることなくひっそりと、しかし確実に進行した。
けっきょく、近現代の世界に直接の影響を及ぼしたのがこの科学大変革だ。
(1)<科学>
科学には、3つの分野がある。人文科学、社会科学、自然科学。
人の精神が生み出すものを研究するのが人文科学、人の社会活動の産物を研究するのが社会科学、自然現象を研究するのが自然科学だ。
この3分野の中で、最も客観的なものが自然科学。科学では、客観性・再現性(誰が研究してもその結果になる)が重視される。だから科学というと、普通は自然科学を意味したりする。
ヨーロッパの中世では、自然は神が創造したものなので人知の及ぶところではなく研究不要、人はただ自然の猛威が過ぎ去るのを待つのみという思考が支配的だった。
しかしルネサンスや宗教改革の結果、人間の価値が重要視されることになり、自然現象を人間主体の立場から研究する思考に切り替わった。
科学研究の基本的な方法は、発生した現象を純粋な目で観察し、その中に法則性を見出すというもの。
これにより、人間が自然をコントロールすることはできないにしても、先に何が起こるかを予測可能となり自然開発や災害対策ができるようになった。
科学の有用性がこうして明らかになると、それまでヒマ人のオタク趣味でしかなかった科学が、社会的・国家的な援助を受けることになった。
科学の専門家が現れたり、科学者が助け合う組織が作られたりした。
(2)<自然界>
自然というと、普通は、山、海、川、野原、空、気候、植物、動物を連想するだろう。
科学が熱心に研究されるようになると
「それらのさらに深遠はどうなっているのだろうか?」
という疑問が生じ、それをどんどん、どんどん追究していくことになった。
空のもっと向こう、上のほうには何があるのだろう?宇宙がある。
川を流れる水、その水は冷やすと氷になり、熱すると蒸気になる。これはいったいどういう仕組みなのだろうか?
動植物の器官を虫眼鏡で拡大して見たら、細かい模様がいっぱい。もっと拡大して見たら、もっといっぱいある。さらに拡大、もっと拡大。細胞がぎっしりと・・・
自然の探究は、限界がない。限界突破だ。
宇宙の果てはどうなっているんだろう?
細胞のさらなる拡大版、遺伝子。遺伝子をもっと拡大して見れないだろうか?分子構造?原子?原子の先は?原子核・陽子・電子?もっと拡大すると、クォーク(素粒子)?グルーオン?もっと拡大すると、震動する弦?その先は?
自然界は、まだまだ謎に満ちている。
(3)<法則>
自然現象をただあるがままに観察するだけでは、人間主体の研究とはいえない。不遜で俗っぽい言い方だが、人間様の役に立ってもらいたいところだ。
そこで、人間が予測できるように、自然界の法則を見出す、<解明する>ことになる。
リンゴが枝から地面にポトンと落ちる。大便が肛門から便器にぽっとんと落ちる。
いずれも、万有引力の法則によるとされている。
ただこの法則性について、私は疑問を持っている。
地震発生には一定の周期があり、起こりやすい場所があるというが、東日本大震災の震源はそれまで知られていなかった(忘れられていた?)場所だ。
地震の予知は不可能といわれている。
つまり、自然界に法則性などないのだ。法則というのは、人間が勝手に都合よく考えたものにすぎないのだ。・・・
(4)<科学者>
という専門家が初めて歴史の舞台に登場するのが、この時代。
ただその研究活動は、ヨーロッパが国王指導の王宮への利益メインで動いていたので、王宮に奉仕する形でしかされていなかった。
広く一般国民に、その科学の成果を普及させる段階には至っていなかったのだ。
(5)<変化>
まだ一般化されないという状況だが、ヨーロッパ人の精神が以上の2つの改革・革命により大きく変化したのは間違いない。
宗教改革も、結局は政治権力者たちが「どの宗派を選べば、立場上有利になるか?」という俗っぽい理由で新旧どちらかを選択し、一般国民は自分たちの支配者が選んだ宗派を信仰するというのが実態だった。
一般国民が自らの意思で宗教や宗派を選択するのは、時代が先に進んでからのことになる。
(6)<革命>
この時代に起こった科学の進歩は、革命的な変化となっている。
革命の代表例は、政治革命だ。
具体的には、時の権力者を暴力で打倒する。国王の首をチョンパする。
王様を逮捕して監獄に入れさらに処刑するというのは、正直、信じられない劇的な大変化だ。
フランス革命でもロシア革命でも、虐殺といっていいレベルで怖ろしい血の嵐が吹き荒れた。
科学革命という言い方は、それほどに急激で劇的な変化だということを意味する表現だ。
代表例が、天動説から地動説への転換。
中世に「地球が動いている」と言おうものなら、神の創造への冒涜とされ逮捕され監獄に入れられ死刑にされる、というのが、ラノベ・アニメ作品にもなった。(実際は、死刑にされることはほとんどなかったらしい)
この革命という呼び方を最初に発表した人は、「これにより、片田舎にすぎなかった中世のヨーロッパが、世界のヨーロッパになった」という意図で使ったと言っている。
近世以降の世界史をヨーロッパがけん引することを、決定づけた出来事だったと。
(7)<探究>
歴史総合科目が言いたい言葉、文科省が言いたい言葉、である。
この語を聞くと、アニメファンの私は『灼眼のシャナ』の登場人物のタンタンキュウキュウを連想してしまうが。
ぱっと見では見えない不思議を解き明かそうとする、人間の行動、それが探究。
雨の降り具合や雨量を観測し記録するのは、パッと見の科学研究。
それに対し探究は、雨がどういうメカニズムで降るのかその謎を解き明かしていく科学研究。
ちなみに雨は、上昇気流によって下層から運ばれた水蒸気(湿気)が急冷されて氷になり落下し途中で融けたものだ。融けないときは、雪になる。
昨今の新科目の名前、世界史探究や日本史探究というのは、歴史上のある出来事、例えば宗教改革を学習した時に、それが古今東西にどういう影響や関係を持っているかを追究するものだ。
特に、現代日本とのつながりが意識される。
宗教改革がもしなかったら、日本の江戸時代の鎖国はなかっただろう。鎖国していないので、運が良ければ日本は欧米列強と同時期に列強になり現代世界の指導国になっていただろうし、運が悪ければ日本は欧米の植民地になっていて今も政情不安定で軍事クーデタが頻発し国民は貧困と飢餓に苦しむ発展途上国だったかもしれない。
こういうのを、バタフライ効果というらしいね。1匹のチョウのなにげない羽ばたきが、地球の裏側で竜巻を起こし、歴史を変える。
非常に多くの内容があり、書くのに時間がかかってしまいました。




