1 16世紀以降の、西アジア・南アジアの、イスラーム3帝国
参考:山川出版社「歴史総合 近代から現代へ」P24~25
目次
時代と地域
16世紀以降17世紀まで
西アジア・南アジア
イスラーム3帝国
イスラーム
世界宗教
民族宗教
宗教対立
宗教と政治の結びつき
帝国
3帝国
繁栄
栄枯盛衰
内外
内
外
オスマン帝国
スレイマン1世
他教自治・共存
通商・貿易・商業
首都
サファヴィー朝
イラン
イスファハーン
輸出
インド
ムガル帝国
ジズヤとハラージュ
人頭税
ヒンドゥー教
綿織物
アウラングゼーブ
ーーーその1 時代と地域ーーー
15世紀までの西アジアや南アジアの詳しいこと、高1の皆さん知ってる?
知らないよね?
高1だけでなく、昔に世界史習ったことのある人も忘れてるよね?この直前にページがあったらめくり返して復習するのだけれど、ないね・・・
歴史というのは、前から順々に並んだ記録だ。
前に何があるのか知らないまま、いきなり16世紀の話?
さらに16世紀のこの地域以外の地域の歴史、知ってる?
日本なら、信長・秀吉の時代だ。これは多くの人が知ってるかもだけど、中国やヨーロッパのこの時代のことは知らないよね?なんとなくは分かるが、詳しくは知らないと思う。
ここで話す内容は、かなり詳しめだ。
高校に入ったばかりでいきなりこんな内容を学習するなんて、文科省はいったい何を考えているんだ?
(1)<16世紀>とは
1501年から始まる。
1500年じゃないよ。
数字の数え方、0から始まるんじゃない、1から始まるんだ。1から始まって、0で終わる。
ゼロはいくら集まってもゼロである。始めようにも、何もない。
裸一貫から始めるというが、身体が元手なんだよ。
ラノベに『ゼロから始める…』というのがあるが、あれは特殊な設定ゆえにそういう言い方をしているだけ。
普通の人は、ゼロからは始められないよ。
(2)<西アジア><南アジア>
アジアは、広大な地域名。
アジアと並ぶ他の地域名は、ヨーロッパとか、アフリカとか、北アメリカとか、南アメリカとか、オセアニアとか。
大陸名よりは、少し小さい。(アジアとヨーロッパを併せて、ユーラシア大陸と呼ぶ)
そのアジアの中も、いくつかに区分される。
そのうちの2つが、これ。
これ以外には、中央アジア・東南アジア・東アジア・北アジアがある。
さて、世界の近現代の政治経済をリードしているといわれる地域は、北アメリカとヨーロッパだ。
歴史総合科目は近現代の歴史をやるわけだが、なぜ最初にアジアの歴史をやるんだろう?
実はこの16世紀の世界の政治経済をリードしていたのは、アジアのこの2地域にあった3帝国だったのだ。当時のヨーロッパ人が訪れて、それらの巨大な建築物にびっくり仰天して腰を抜かしたという話がある。
ここで1つ付け加えると、東のほうにこれらの3帝国と肩を並べる実力を持つ巨大帝国があった。明王朝⇒清王朝、つまり中国帝国である。
ただこの時期から300年間くらいの間は、中国はヨーロッパの歴史と直接の影響をし合っていない。
ーーーその2<イスラーム3帝国>ーーー
(1)<イスラーム>
(a)世界宗教
イスラームは、宗教の名称だ。イスラムの現地の呼び方だ。
現在も、この3帝国があった地域、西アジア・南アジアに教徒が存在する。
この地域だけでなく、北アフリカや東南アジアにも教徒が多く存在する。
イスラーム教は、特定の国や民族にだけ通用する教義でなく、国や民族の違いを越えて通用する。唯一神のもと全ての人は平等、という教義だ。
この意味でイスラーム教は、世界宗教といえる。
イスラーム教以外に世界宗教といえば、キリスト教・仏教がある。
キリスト教は、現在はヨーロッパやアメリカに教徒が多く存在する。
キリスト教の教義は、創始者が十字架にはりつけられ罪を背負ったことにより全ての人が救われたというもの。
仏教は、現在は日本や東南アジアに教徒が多く存在する。
仏教の教義は、生きとし生けるもの全てが縁でつながっているというもの。
この3大宗教に共通する教義は、全ての人にあまねくという点だ。だから、世界宗教なのだ。
(b)民族宗教
特定の民族や国にだけ通用する宗教も、ある。
この単元にも載っているが、ユダヤ教、ヒンドゥー教がその例である。
ユダヤ教は、ユダヤ人だけの宗教。
ヒンドゥー教は、インド人だけの宗教。
これ以外の民族宗教としては、中国人だけの道教、日本人だけの神道がある。
ただ道教の内容の一部は、日本人の生活に取り入れられている。端午の節句とか、桃から生まれた桃太郎とかだ。それは宗教色を取り去って、その思想だけが導入されたものだ。
そんなことを言ったら、キリスト教行事のバレンタインデーとかハロウィンとかクリスマスとかも、日本は受け入れているね。
イスラームの内容で日本が取り入れているのはないから、イスラームは日本人にとっては一番馴染みが薄い世界宗教だ。
(c)宗教同士の対立
宗教は信じることだから、その信仰が厚く深く一生懸命になると、それしか考えられなくなる。
そうすると、自分が信仰している宗教が絶対で、他人が信仰している宗教は間違った教えだという極端な考えに陥る傾向がある。
こうして宗教同士は厳しく対立し合い、戦争し殺し合ってしまうのだ。
歴史上、特に現れたのは、イスラームVSキリスト教だ。
この対立抗争は8世紀ごろから始まり、現代に至ってもまだ続いている。
対立が激化した原因は、国家や君主と結びつき国家・君主同士が領土を奪い合ったことによる。
なお、1宗教の中にも教義の解釈の違いから分派が存在し、互いに対立抗争することが多い。
イスラームでいうと、スンナ派とシーア派だ。
キリスト教でいうと、ローマ=カトリック教会、ギリシア正教会、プロテスタントだ。この各宗派の内部も、いくつかに分かれていたりする。
仏教は分派がとても多い。日本の鎌倉時代に仏教6宗派が存在しているが、それ以外にも奈良時代や平安時代以来の仏教宗派も多数ある。
近年になると、原理主義というのも出てくる。
(d)宗教と政治の結びつき
政治権力は、民を動かすだけの強力な力を持っている。そのことから、宗教の布教や発展に政治の協力を求めることが多い。
しかしその結果として、権力争いに巻き込まれたり、他国から領土を奪い反発されたりとトラブルが起きる。
だから、できれば宗教は政治的に中立を守ったほうがよい。
しかし政治権力側も、民の精神の力を利用すれば容易に命令に従わせることができるので、現実には政治と宗教が密接・癒着している場合がほとんどだ。
(2)<帝国>
<3帝国>とあるが、オスマンは帝国、ムガルは帝国の呼称なのに、サファヴィー朝は帝国の名称で呼んでいない。
それなのに3帝国と呼んでいるのは、なぜだ?
帝国とは、どんな国家なのか?
帝国の「帝」というのは、漢字では皇帝を指す。しかし歴史的な意味は、各国の王を上回る非常に強力な中央集権的な権力者という意味だ。
オスマン帝国のトップはスルタン=カリフ、サファヴィー朝のトップはシャー、ムガル帝国のトップはパーディシャー(パードシャーともいう)と呼ばれる。
オスマン皇帝の称号に、その強大な権力の様相が現れている。スルタンは、イスラーム国家の最高権力者の称号。カリフは、本来はイスラーム創始者の一族だけがなれる、宗教の最高指導者の地位。それがカリフを名乗れているところに、オスマン皇帝の強大さが現れている。
帝国のもう一つの特色として、国内に複数以上の民族を抱えていることがある。
オスマン帝国はその典型で、西アジアのアラブ人の他に、東ヨーロッパのスラヴ人やギリシア人も支配下に置いている。その政府は、様々な民族によって構成されていた。
インドのムガル帝国は、支配層がアラブ人で、民がインド人という社会構造。
そしてサファヴィー朝は、君主がトルコ(テュルクともいう)系遊牧民で、官僚がイラン人という政治組織だ。
よって、サファヴィー朝も帝国に数えてよい。
(3)<3帝国=オスマン帝国・サファヴィー朝・ムガル帝国>
この3つは、この時期のこの地域のワンセット3か国だ。必ず3つ並べて学習するべきだ。
ーーーその3 <繁栄>ーーー
(1)<繁栄>の後は
この16~17世紀の200年間が、この3帝国の繁栄期である。
<最盛期>ともいう。
ということは、この後18世紀にはどうなるか。衰えるのだ。
この3帝国は18世紀も続くが、陰りが見え、サファヴィー朝にいたっては滅んでしまう。
(2)<内・外>
この3帝国に共通の特色がある。内治・外交の両方に力を入れていることだ。
とくに、国際関係を重視している。
これが、繁栄の大きな理由になっている。
だいたい、国家が他国とのグローバルな関係を軽視し一国にこもるというのは古今東西あり得ないことなのだ。
人がひとりでは生きていけないのと同じく、国もまた一国だけでは成り立たないのだ。
(a)<内>
後述するが、3帝国共に国内統治が非常に優れている。
その基本は、穏やかに圧力を加えず受け入れる、という態度だ。寛容の心と言ってよいだろう。懐が深いということだ。
(b)<外>=<ヨーロッパ>
3帝国はいずれも、他国と政治的・経済的に盛んな交流をしているという特色を持つ。政治的には外交関係、経済的な貿易だ。
その他国の例は、<フランス><ポルトガル><オランダ><イギリス>。イスラームではない、ヨーロッパ諸国との外交・貿易関係だ。
また3帝国同士も、同じイスラーム同士でもあり盛んに交流していた。
ちょうど西ヨーロッパは大航海時代に当たり、ヨーロッパからの特にサファヴィー朝やムガル帝国への積極的なアプローチがあった。
その航路として、アフリカ南端周りの新航路が冒険野郎たちにより開発された。(北極回り航路も開発が試みられたが、凍っているので失敗した)
オスマン帝国が西欧諸国とインド・中国との東西路を阻んでいるというのが地図から見えるので、オスマン帝国が通せんぼしているような印象がある。実際は通せんぼというより、オスマン帝国が東西を中継していて東西貿易はむしろ盛んだった。
もちろん中継貿易をされているということは、西欧にとっては東方との直接取引ができないデメリットがある。
例えば生産地で100円で売っている商品が、中間業者を通すことで都会では販売価格が千円になっているというのは、よくある。産地直送をすると、運送代は大きいが中間価格の上乗せがないのでそこまで高価にならない。
ーーーその4 オスマン帝国ーーー
(1)<スレイマン1世>
この国の歴代君主の中で、参考にしている教科書がただ一人載せている君主の名前。
他の君主の名前がないので、比較のしようがない。
世界史探究の教科書だと、あと何人かは載っている模様。
比較といえば、他の2帝国の君主はどうだろう?
サファヴィー朝の君主の名前は、載せられていない。いちおう、イスマーイールとかアッバースという名前の君主がいるんだが。
ムガル帝国の君主の名前は、2人載っている。<アクバル>と<アウラングゼーブ>だ。世界史探究だと、さらにもう1人増量。
歴史総合としては、この3人の皇帝がいるという認識でよい。
(2)他<教徒>の<自治>、<ムスリムとの共存をはかった>
スレイマン1世時代を代表するキーワードだ。
オスマン帝国は多民族国家だから、民族の数だけの宗教が国内に存在する。
国家としてはイスラーム。
イスラームを突き詰めると、イスラーム以外禁止という方針になる。
しかしスレイマン1世らオスマン帝国の歴代君主は、禁止しなかった。
イスラーム以外で国内に存在した教徒のうち有力なのは、<キリスト教徒>と<ユダヤ教徒>だ。支配したギリシア地方には、キリスト教のうちのギリシア正教会の教徒が多数いた。
権力者は、ふつうは直接支配を好む。
支配というのは、税を取ることと、自由を束縛して命令を聞かせることだ。
オスマン帝国は、イスラーム以外の各宗教の教徒に集団を作らせその集団内のことについては自治を認めた。完全な自由を与えていない(イスラームのルールに従うよう求める)が、ある程度の自由を与えたということだ。
宗教色が濃い国家では、他宗教に対する抑圧がよく起こる。宗教の特色がそうさせることは、前述した。
その結果、国内が分断されて争いが多くなり不毛な殺し合いが頻発する。
オスマン帝国は、そういう事態になることを避けたのだ。
とても上手い統治のやり方なのだが、ただオスマン帝国の支配層は広大な領土を直接支配することを初めから諦めているような素振りがあるのだ。
有力な家臣や官僚に現地の支配を任せ、中央はただ税金をもらうだけと。
これは、支配層であるトルコ系民族の人数が少なくて、各地の隅々に手が回らないということにも原因があるらしい。
後述のサファヴィー朝もムガル帝国も、同じような事情を抱えている。
これは、13~15世紀のモンゴル帝国の政治構造と国内統治方針に似ている。
(3)<通商>・<貿易>・<商業>
オスマン帝国が他国との貿易に力を入れたのは、実はイスラームの真の姿にも起因する。
現代の多くの人の印象では、イスラームといえば過激とか急進とかだろう。女性の社会進出を厳しく制限する国もある。
しかし、本来イスラームは、そのような狭い心を持たない宗教なのだ。
その創始者は商人であり、大商人が商業を独占する社会に反発して、みんな平等ではないか?と改革をめざしたというのが創始の動機なのだ。
よってイスラームの基本は、商業・貿易にある。
世界史上のイスラーム諸国家を見ると、どの国も商業や貿易に非常に力を入れている。
上記の言葉のうち通商と貿易の違いをいうと、貿易は国家間の売買、通商は国家間の交換行為という意味だ。後者には、お金を使う売買のほかに、物々交換が含まれる。
(4)<首都>
これも、イスラームの上記(3)の特色に由来するものだ。
商業とは、農産物やその加工産品を売って利益を出す産業だ。利益をより多く出すには、多数の人に多数の商品を買ってもらう必要がある。人が多数集まる場所で売ると、効率よく多数売ることができる。
つまり都市に、商業が集まる。
また商店が出ると、それを目当てに人が集まる。都市が生まれる。
強大な飛びぬけた政治権力が国家に存在すると、多くの人が集まって政治に携わるため政府のおひざ元にその人数を目当てに商店が多数集中する。その多数の商店を目当てに、人がさらに多数集まる。その多数の人目当てに商店がさらに集まる。
こうして政権所在地の都市は、その国の最大の都市となるのだ。
ーーーその5<サファヴィー朝>ーーー
(1)<イラン>
西アジアの一地域名だ。そして、現在この地域にある国家の名前でもある。
世界地図を見ると、イランの北東にアフガニスタン、東にパキスタン、西にイラク、北に旧ソ連のトルクメニスタンとアゼルバイジャン、北西にトルコが国境を接している。
このうち、アゼルバイジャンはサファヴィー朝の領土の一部であった。
古代には、ペルシアと呼ばれた地だ。
アケメネス朝・ササン朝などのペルシア帝国を建設し、囚われのユダヤ人を解放してユダヤ教創立に重大な関与をし、古代ギリシアと戦いギリシア文化に大きな影響を与えた。
東西貿易路の真上にあることから、中継貿易で巨利を得た。
イスラーム化したが、その主流派スンナ派に対し、シーア派教徒が多い。
その後も、アラブ諸国の中では独自路線を取ることが多かった。
このようにイランは、イスラーム諸国の中で異彩を放つ存在なのだ。
(2)<イスファハーン>
サファヴィー朝の首都だ。
ちなみに、オスマン帝国の首都はコンスタンティノープル(現在のトルコ共和国はイスタンブールと呼ぶよう推奨している)、ムガル帝国の首都はデリー・アーグラなど時代によって異なる。
イスファハーンには、豪華壮麗な建物が数多く造られ、最盛期の人口は50万人という。これは、コンスタンティノープルに匹敵する。
サファヴィー朝の領土は、オスマン帝国の半分しかないのにこの人口規模。繁栄ぶりがよく分かる。
(3)<輸出>
この国も、国際貿易を盛んにした。
特産物として生糸があった。
生糸は、畑で栽培する桑の木のその葉を蚕に食わせると吐き出す糸のことである。生糸を織って作った繊維製品が、絹織物だ。
とても回りくどい説明で分かる通り、苦労して苦労して少量しかできないので、とても貴重。絹織物は非常に高価格で取引される。
生糸と絹織物といえば、中国の特産品という印象が強いだろう。
実は、この西アジアのイランの特産品だったのだ。特にこのサファヴィー朝で国家政策として栽培が保護されて、大発展した。
(4)<インド>
サファヴィー朝のすぐ東が、インドである。
西は、オスマン帝国である。
サファヴィー朝とムガル帝国は、非常に親しく、互いに親族同然の待遇をし合ったといわれる。このインドとの貿易の利益もあって、サファヴィー朝はいっそう繁栄したのだ。
一方、西のオスマン帝国とは敵対し、たびたび交戦している。16世紀から実に400年間も対立した。
当然、貿易関係もなかった。オスマン帝国は、サファヴィー朝の生糸・絹商人が通過するのを禁止したほどだ。しかしサファヴィー朝商人は、カスピ海の北を回るルートでヨーロッパに産品を輸出していた。
イスラームの宗派対立が、あった。オスマン帝国はスンナ派なのに対し、サファヴィー朝はシーア派である。
この東西の違いは、なぜだろう?
東の国境では領土争いがなかったのに対し、西の国境ではイラク地方の領有権をめぐる厳しい対立があった。(オスマン帝国の勝利)
イラン人は、伝統的に商売上手だ。そのことからオスマン帝国は、サファヴィー朝を脅威に感じていたらしい。
ーーーその6<ムガル帝国>ーーー
(1)非ムスリムに対して<人頭税を、課すか?免除するか?>政策
世界史上のイスラーム諸国の税制は、よく2本立てといわれる。
ジズヤ(人頭税)とハラージュ(土地税)。
現代日本に例えると、住民税と固定資産税に当たる。
前者は人に対する課税、後者は所有土地に対する課税。
イスラーム国家が確立するころには、ムスリム(イスラーム=イスラム教徒)はジズヤ免除、つまりジズヤは非ムスリムだけが納税することになった。
この区別は、非ムスリムを一刻も早くムスリムに改宗させるための方策だった。誰しも少しでも納税額を減らしたいよね。
かといってそれでも税を払うことを我慢し改宗しない人に対しても、イスラーム国家、特に今回やっている3帝国は弾圧しなかった。
ムガル帝国は、アクバル皇帝の時代になんと?非ムスリムに対するジズヤを廃止してしまった。非ムスリムばんざい!
ここまで寛容なのには、びっくりだ。
ところが後のアウラングゼーブ皇帝の時に、この方針を覆し非ムスリムに対するジズヤを復活させた。
これだけなら、本来のイスラーム国家に戻ったわけで。(それでもいったん納税しなくてよいとなっていたのを、変更、納めろというのはちょっと嫌だが)
しかしなぜか、アウラングゼーブ皇帝は非ムスリムを弾圧してしまう。
おやおや非ムスリムへの寛容の伝統は、どこに行った?
要するに、この皇帝はイスラームへの信仰を情熱的にしたのだ。宗教を熱烈に信じると、それだけが正しくて他は間違いだという気持ちが強くなる。
(2)<人頭税>
税金の種類が出てきたので、もうちょっと詳しく見てみよう。
税金は、いろいろなものを対象に課してくる。国家は、国民から搾り取ることしか考えていないのだ。
もちろん、国民を犯罪や侵略から守り生活を安定させる責務が国家にあり、国家がその責務をじゅうぶんに果たしてくれるなら税金を取られてもしかたないとは思う。
しかし国家がその責務を怠って支配層が税を横領して贅沢ざんまいをしている場合は、話が別だ。税金泥棒として非難するべきだ。
現代日本の税金を見ると、その種類は、国が課すか地方が課すか、存在するだけで課すか行動したら課すか、直接に課すか間接に課すか、といった区別がある。
所得税は、勤労行動をしてもらった給料のうち何%かを国が徴収する税だ。
消費税は、商品を買った時にその代金に上乗せしてして店に払い、国に納税するのはその店というまわりくどい税だ。
住民税は、住んでいる人のうち一定以上の収入のある人が地方公共団体に納める税だ。
固定資産税は、住んでいて所有する土地建物に対しその現在時点での価格の一定割合を地方公共団体に納税させる税だ。
前3者は行動を起こした人に対する税なのに対し、後1者は土地建物が存在することに対する税だ。
存在するだけで課税されるなんて、理不尽すぎるね。
なおこういう土地建物に課税する例は、日本だけでなく、米国・ロシア・カナダ・東欧諸国・オーストラリア・中国・タイ・中米諸国にもある。イギリスやフランス、ドイツ・イタリアにはない。
この人頭税は、土地税と同じく存在することだけを理由に人に課される税だ。
とても理不尽な税だと分かるだろう。
何が理不尽かというと、収入の大小にかかわらず課されるからだ。
人頭税はふつう定額だ。
そのため、大金持ちにとってははした金、貧乏人にとっては大きな負担となる。結果として、社会の連帯を崩し、分断させる効果がある。
ちなみに消費税も、商品を買う人に一定割合(今は10%)の税を上乗せするので、人頭税と同じ効果、社会の分断を起こす恐れがある理不尽な税だ。
(3)<ヒンドゥー>
これは、宗教の名前だ。
ただイスラームやキリスト教、仏教などの世界宗教ではなく、インド人だけの民族宗教である。
民族宗教は、民族が居住する地域の風土や民族の歴史から生まれた、その民族のアイデンティティー的な宗教だ。
この信仰を奪われることは、民族の精神的な滅亡(心を殺される)を意味するといえる。
世界宗教は全人類を救済するという教義から、各民族固有の宗教を抑圧しない方針を取るのが通常だ。
イスラームも伝統的に、そうしてきた。
しかし時代によっては、国によっては、民族宗教を抑圧し禁止し弾圧する場合がある。
世界史上最も弾圧された民族宗教は、ユダヤ教だ。
ユダヤ人が極端に憎まれた原因は、その民族宗教の異彩を放つ教義の他に、全世界にグローバルな民族金融ネットワークを構築していたこともある。
ユダヤ教については別の機会に詳しくやるつもりだが、自分たちは神から選ばれた特別な存在であるというエリート民族意識がその教義の基本にある。これはユダヤ人がたどった悲惨な歴史に由来する思考だが、悲惨な運命にあった民族は他にも数知れず存在する。
やはり国を滅ぼされ世界じゅうに離散した後に作り上げた独自のユダヤ金融ネットワークが、世界各国の経済と財政を牛耳ってしまったことが憎まれる原因になったのだろう。
ヒンドゥー教は日本人にとっては一見なじみがないように見えるが、その内容は日本人の生活に浸透していたりする。
輪廻転生思想。この小説サイトに無数に存在する、異世界転生転移物語や繰り返し物語の基本思考だ。
だるま(本来は道徳的義務)。だるまさんが転んだ!だるまみたいなのがポンポン跳ねて歩くジブリ映画。
ヨーガ修行。趣味でやっている人、いっぱいいるね。
(4)<綿織物>
ムガル帝国の特産品で、国際貿易の主要商品だ。
インドは綿花栽培がとても盛んで、その加工技術がこの時代に大いに発達し優れた製品がヨーロッパで大変もてはやされていた。
繊維製品は原料別に、絹織物、綿織物、麻織物、毛織物などがある。
織物は、縦糸と横糸を交差させて編んで作るもの。
日本の服でいうと、絹織物は和服、綿織物は洋服・肌着、麻織物は夏用の服、毛織物はセーターやマフラー・手袋といったところか。
ムガル産の綿織物の洋服は、当時のヨーロッパでは最高級品で庶民には手が出ないほどの高価格だった。
このことからヨーロッパでは製造機械を工夫して自前で(原料の綿花はインドから輸入して)安く大量に作れないか?そうすればめちゃくちゃ儲かるのに、という動きが起こっていく。これが、産業革命の動機になった。
(5)<アウラングゼーブ>
ムガル帝国の皇帝の名前だ。
在位は、17世紀後半の1658年~1707年。
帝国が史上最大の領土を有した時の皇帝であり、支配するインドの民族宗教ヒンドゥー教を弾圧した皇帝でもある。
帝国の最盛期であり、帝国の終わりの始まりという、何とも皮肉な皇帝だ。
ただ皇帝本人は、宗教信仰にとても純粋でいちずで、衣食を粗末にしていた。自分に厳しく他人に寛容という人柄だったという。
ヒンドゥー教に対する抑圧弾圧は、南のデカン高原で有力になったヒンドゥー教国家のマラーター王国との抗争が主な原因だった。
ムガル皇帝といえば、世界最大の墓石を造った17世紀前半のシャー・ジャハーンが有名。アウラングゼーブの実父だ。
帝国の建設者は、16世紀前半のバーブル。西アジアの14世紀後半の英雄ティムールの玄孫にあたる。(ティムールは、モンゴル帝国建設者チンギス・カンの子孫と称している)
帝国の基礎を作った、16世紀後半のアクバル大帝。
高1の4月にいきなりこの内容を学習するのか?ご愁傷さまとしか言いようがない。
教える側もどう説明したものか、かなり大変だろう。