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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

どうぞ、真実の愛を貫き通して下さいませ 

作者: 葵 れん

「アデライド・ヴィンターハウゼン侯爵令嬢。お前との婚約を破棄する」


 突然の宣告に、扇子を取り落としそうになるほど驚きました。

 婚約解消を言い出した、王太子であるジュリアン殿下。彼との婚約は幼い頃から定められた大切なものでした。


「その陰気な顔には嫌気がさしていた。いつも明るく僕を癒してくれる、フルールを伴侶に選ぶ!」


 フルールは私の異母妹です。両親は幼い頃からなによりも彼女を可愛がっておりました。そしてなにかにつけお前は可愛げがない、一緒にいるだけで憂鬱になると言って出来るだけ人前に出さないようにしました。逆にフルールはたくさん社交の場に連れて行ってもらい、友人も多いのです。そしてなにを聞いたのか、交流のないはずの彼らは私を蔑んでいます。

 誰一人味方がいない、あまつさえジュリアン殿下に覚えのない出来事で叱責される日々。それでも立派な淑女なら笑顔でいるべきだったのでしょうが、私にはとても無理でした。


 ジュリアン殿下の背後ではフルールが瞳をうるうるとさせています。舞踏会と聞いてやってきましたが、突然の断罪劇は前もって決められていたもののようです。周囲の貴族たちも驚いた様子はなく、冷ややかな視線。遠くに見えるお父様は、実の娘が婚約破棄を言い渡されているというのに嬉しそうです。


「ですが、フルールの母親はただの平民ですよ」


 思わず口にすると、彼の目つきがいっそう厳しいものになりました。


「高慢ちきで驕りたかぶった奴め、だからなんだというのだ!? ああそうだな、隣国の公爵家の血を引いているというのがお前の唯一の自慢だったな。悔しいか、半分平民の血が混じった娘に負けることが!」

「そうではありませんが……」

「おやめください、殿下!」


 フルールが見せつけるように殿下の腕に絡みつきました。その泣き顔の中心にある瞳はギラギラと残酷に輝き、肉食獣を連想させました。

 彼女の口癖は『お姉様が王太子妃なんてずるい』。私の方こそ交換してほしいほどの待遇を受けながらたった一つ、王太子妃という立場だけが手に入らないと憤慨し、ひどい癇癪をおこすのが常でした。そう言われても王太子妃という立場だけは交換できないと、黙って耐えてきました。しかしこの状況をみるに、そう考えていたのは私だけのようです。


「殿下はこんなに素敵な方ですもの。みじめに捨てられたお姉様がひがむのは仕方ありませんわ」

「フルールは本当にやさしいな」


 二人は仲睦まじく微笑みあっています。

 その様子を、今日まで味方だと信じていた国王両陛下たちも微笑ましげに眺めました。


「いいか、お前に選択権などない。僕たちは真実の愛を貫き通す!」


 ジュリアン殿下は女性とみまごうほどの美しい顔立ちをしております。そんな彼が芝居がかった仕草で私を糾弾する姿は、まるで舞台の一幕のように映えました。守られているフルールの美貌も言うまでもなく、母親ゆずりの金髪に青い瞳、小動物を思わせる可愛らしい顔立ち。そんな二人の愛に燃える姿に、ほぅとため息をつくご婦人たち。少なくない数の令嬢もキラキラとした瞳で二人を見つめています。

 一方私は、やはりお母様ゆずりの黒髪黒目で地味な顔立ち。この会場でたった一人、何も知らずに呆然と立っている姿は我ながら滑稽です。彼らと相対しているとまるで天使と悪魔を描いた絵画のように対照的でした。


「真実の愛。確かに、私と殿下の間にそのようなものが生まれることはないでしょうね」

「ふん! お前は私の権力だけにすりよる、薄汚い人間だからな」


 そうではありません。

 私は、昔から自分の感情があまりよくわからないのです。嬉しいとか、悲しいとか、そんな単純な感情さえぼんやりとしか感じられない私が、熱烈にジュリアン殿下を愛することはないでしょう。また、そんな私を彼が愛することもないだろうという予感もありました。

(それでも幼いころから王子妃教育を受けた身。貴族令嬢として、自分の役目を果たすべきだと努力してきたけれど……それは間違いだったのね)

 指摘された通り、私は真実の愛でジュリアン殿下を癒すことは出来ません。それを不出来と言われてしまうのなら、もう引き下がるよりほかないでしょう。


「わかりました、婚約の解消を受け入れます」

「なんと言った?」

「ですから婚約解消を受け入れます。書類はどこですか、もう用意されているのでしょう?」


 唖然としている人々の前で書類に目を通します。そこにはさりげなく『王太子殿下と婚約を解消すると同時に、その後は二度とこの国の社交界に顔を出さない』と条件付けられておりました。さらに二度読みをはじめた私に殿下が舌打ちをしましたが、しっかりと確認をするまでは署名を出来ません。


「ジュリアン殿下」


 声をかけると、殿下の眉間にしわが寄りました。彼は私に話しかけられるといつも嫌そうな顔をするのです。


「こちらからも条件が一つだけ。私の母の出身だった隣国タリースとの同盟、これだけは必ず死守して下さいませ」

「ふん、なにを言うかと思えば。そういえばお前はタリースとの友好関係にことのほか力を入れていたな。あんな新興国、どうでもいいというのに」

「ジュリアン殿下。これを聞いていただけないのなら婚約解消は……」

「ああわかった、わかった! はあ、せめてもの手柄を無くしたくないのだな。本当に最後まで虚栄心の強い女だ」


 殿下は私をあざ笑いました。そして一文を追加された同意書に署名されたことを見届け、二人は喜びに満ちた顔で手を取り合います。会場中の貴族たちは早速新しい婚約者におさまったフルールを褒めたたえ、彼女は紅潮した顔でお礼を言ってまわり……一瞬、こちらを見て心底嬉しそうに笑った気がしました。

 それ以外の貴族は用済みになった私に視線すら合わせません。新しい王太子の婚約者にわきあがる中、私はこの場にもう居場所がないことをしみじみと実感したのでした。


「まったく、婚約を破棄されたのに顔色一つ変えないとは。ああいう血の通っていない所が一番嫌いだったんだ」


 ジュリアン殿下の吐き捨てるような声を背中に浴びながら、背筋を伸ばして歩き出しました。元婚約者になった彼が、私の忠告を忘れないよう願いながら。



 ◇



 ――それから数年後。


「ああ、だから言ったのに」


 昔から馴染んだ王宮から、火の手が上がっていました。

 あれだけ念押しした両国間の同盟は、王太子のきまぐれな一言で破られたのです。そしてそれは開戦のいい口実となり、その結果が遠くに見える景色です。かつて隆盛をほこった王国は、呆気ないほど簡単に攻め滅ぼされました。


 私は遠くの丘の上にある屋敷からその光景を眺めていました。この屋敷は父がたいそう自慢にしていた別邸でしたが、その主人も今はもうおりません。


「後悔しているのか」


 すぐ近くのソファに座りグラスを傾けているのは、タリース国の第二王子。素行が悪いと王位継承権ははく奪されたものの、悪魔の申し子と呼ばれるほどの戦上手で数々の武勲を立てている方です。その功績の一つに、今日から私の祖国だったトドル国の王都を陥落させた事も追加されることでしょう。


「いえ別に」

「だがトドル国の王太子はお前の婚約者だったではないか」

「はあ、まあそうですけど」

「それとも復讐が叶って喜んでいるのか? 婚約者を妹に奪われた腹いせに、国を滅ぼすことに手を貸したのか」


 普段は他人のことなど気にも留めない彼が、妙にしつこく食い下がってきます。気まぐれで読めない性格は、しばしば気疲れいたします。


「婚約を解消した瞬間からただの他人。わざわざ復讐する必要もないでしょう」


 それどころか向こうから破談を言い出してくれたおかげで、やたら敵視してくるジュリアン王子殿下との縁を切ることができたのです。婚約解消後は両親から追い出してもらえたので、かねてから手紙で交流していたタリース国の親戚たちに会いに行くことができました。さらにそのつてで、このわがまま王子の秘書として雇って貰えるようになったのだから、どちらかというと恩人に近いほどです。そう説明すると、彼は機嫌をなおしました。


「本当に恨みなどありません。ただ強いて言うのなら、せっかくの恩人に最後の助言をしたつもりだったのですが。聞いてもらえず、こんな結果になったことが残念といえば残念です」


 画期的な交易を始めたタリース国は、あの婚約解消よりもずっと以前から急速に力をつけていました。いずれその勢力がトドル国の脅威になることは、簡単に予想できることです。そのため平民ではなく、利用価値のある血筋の私が王子殿下と婚姻を結ぶのは、国防の観点からもとても理にかなっていたのですが。だから婚約解消を言い出され、あの時は本当に驚いたものです。


 実際、タリース国の中心貴族である母の生家は、非常に母を愛してくれていました。そして娘の私のことも可愛がってくださいました。それまで両国が敵対することを避けていた彼らでしたが、私が家を追い出された途端に態度を変えたのは当然の成り行きでしょう。


「それでも真摯な対応をしていれば、こんな事態にはならなかったでしょうに。一体どうして平気で条約を破ったり、タリース国からの忠告を無視して領土侵犯を繰り返したのでしょうか」

「簡単なことだ」

「え?」


 第二王子は吐き出すように笑いました。


「君の母親が奪われるも同然で嫁いだ当時、確かに両国の力関係はトドル国の方が上だった。彼らにはいつまでもその感覚が抜けなかったのだろう。いつまでも我が国が弱く、永遠にいいなりになると思い込んでいた。あの馬鹿王太子が突然の婚約解消を言い出した時も、咎めたり諌めるものがいなかったのはそのせいだ」

 

 そうなのでしょうか。あの時はすでに交易の数字や各国の情勢からみても、とっくに追い抜かれていることは歴然としていたというのに。


「馬鹿な人間というのは一度見下すと、いつまでも相手を下に見る。あの王太子が、君を軽く扱ったようにね」

「いいえ、それは私が冷たい人間だからです。その証拠に、生まれ故郷が滅ぶさまをみても涙一つ浮かびません」

「違う。君は自分を卑下しすぎだ」


 第二王子の機嫌がまた崩れました。彼は私が自分を悪く言うことをとても嫌がるのです。まったく、本当にわけのわからないことで怒り出す、とんだ暴君です。しかし内心の不満は押し隠し、口だけはかしこまりましたと答えておきました。

 

「王太子はきっと君と婚約破棄したことを後悔した」


 王子の声が、やけに優しく響いた気がします。

 私は迷うことなく首を振りました。


「いいえ、そんなはずはありません。彼は真実の愛を貫いたのですから」


 最悪の事態が起きるかもしれないと予測しながらも、それでも妹を選んだ。そこまでの熱意を持って信念に生きた彼や彼らを、どうして責めることが出来ましょうか。

 そしてまた私もその決断に敬意を払い、後悔や罪悪感など持ちません。

 

「真実の愛ねえ」


 面白そうに第二王子が呟くと同時に、ドアがノックされました。


「ご、ご歓談中失礼いたします! ですがどうしてもアデライド様でなければ処理できない案件が発生しまして……」

「メダコ砦の件ね? 大丈夫、すでに手は打ってあるわ。行きましょう」


 なにをするにも揚げ足をとられていた以前とは違い、タリース国の人達は私を受け入れ頼ってくれます。特に第二王子は敵国から来たという私を全面的に信頼し、多くの権限を与えてくださいました。そんな彼らと共に居ることは、これまで過ごしたどんな時間よりも心浮き立つものでした。

(もしかして、これが幸せという感情なのかしら……?)

 ふと思い浮かんだ考えに唇の端をあげる。それからすぐさま仕事に頭を切り替えると、速足でその場を退出しました。



 ◆



 バタンという扉が閉まる音と共に、アデライドが立ち去った。まったく、大の男でも俺の顔をみると青くなるというのに一言の断りもなく立ち去るとは。自分を恐れない人間がもの珍しくて近くに置いたが、思った以上の変わり者だ。

 彼女が自分の感情に鈍感なのは、あまりにも長い間抑圧されてきたせいだろう。そしてその反動なのか、彼女自身は強い感情の結びつきというものに憧れている節がある。


「顛末の真実を教えるべきかどうか、迷うところだな」


 彼女がいう『真実の愛を貫いた』とやらの王太子が、のちに情勢が悪化していくにつれて平民出身の妻を蔑んだこと。やがて妻から目をそむけるように次々愛人を作っていったこと。事態が最悪の状況になってから手のひらをかえし、何故アデライド令嬢との婚約を解消したのかと無能な貴族たちが大騒ぎしたこと。

 心変わりに逆上した王太子妃が、夫に毒を盛ったという噂はまだ真偽を確かめていない。だが体調を急変させた王太子の死が戦争の終結をさらに早めたのは間違いなかった。

彼は死の間際何を思ったのだろう。深い絶望と後悔の中で、自分がしでかした事の大きさに苦しんでくれればいいと思う。


 我が国を侮ったと同様、従順で優秀なアデライドをつまらないものだと勘違いし、手放してくれた功績には感謝をしたいところだが。

 

「ああ、本当に馬鹿な奴らだ。彼女を王妃にしていれば、きっとこの戦争は起きなかっただろうに」


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― 新着の感想 ―
[一言] 王太子は真性のクズですね。フルールちゃんもまた被害者なのではと思いました。フルールちゃんには終戦後幸せになってもらいたいです。
[一言] エスプレッソ家を改易したトドル国なんて滅亡すればいいw セカンドウェーブ系なのに、カフェラテ淹れられないコーヒーマシンとかアリエンティ。 あ、馬鹿王太子は苦しみ抜いて死ねばいいと思いました…
[気になる点] ここに出て来る母ってのは、実母なのですか?? 平民腹の娘を、実の娘よりも可愛がる?? なんか読み飛ばしてますかねぇ?
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