第95話 大ニュース
静かな書斎。
インクの匂い。
紙の擦れる音。
──不愉快だ。
ここ数日、気分が鬱屈として晴れない。
どれだけため息をついたところで、この心も、その原因も、どうにかなるということはないのに。
「エキノプス……」
悩みの種そのものの名前を、殺意込めて呟く。
正直言って、ここであいつと接触するのは計算外だった。
いや、まだ奴が私の知るエキノプスと同一人物であるという確証はないが。
ない……が。
「やはり、不愉快だな」
自分の命を脅かすかもしれない存在が、私の手出しできない場所にいるというのは、どうにも、な。
……私が台頭し始めた時のセッシリフォリアも、このような気分だったのだろうか。
それなら、今、手中に収まっている──と勘違いしている──というのは、実に気分が良いのだろうな。
そんなことを考えているうちに、かなりの数の書類を捌き終えた。
残すところ、あと半分。
……半分……。
「いや、多すぎだろ」
これまた私の悩みの種だな。
このところ、書類仕事が多すぎて魔法の研究にまで手が及ばない。
まあ、原因がわかっているから、それは別にいいのだが。
「頑張れ、エリヌス」
眉間のあたりをぐーっと押さえ、気合を注入し直す。
どれもこれも、すべては将来のため。
頑張るんだぞ、私!!
「エ・リ・ヌ・ス・さ・まー!!」
……気合を削ぐ声が聞こえてきたな。
屋敷を揺らした大声とは対照的なノックオンが聞こえ、私が返事をするか否かのタイミングでオリーブが部屋に飛び込んできた。
「何事だ、オリーブ。見ての通り、私は忙しいんだが」
「も、申し訳ございません。ですが、大ニュースなんですよ!!」
見れば、オリーブの手には新聞が握られている。
…………。
「……分かった。見せてみろ」
「はい、どうぞ!!」
こいつが取り乱すということは、それだけ大きな事のはずだ。
仮にも領主である以上、そんな出来事に目を通さない訳には……。
…………。
「…………!?」
あまりの驚きに目が見開かれていくのを、オリーブがニコニコと見つめてきている。
「お、お、オリーブ! オリーブ!!」
「はい、エリヌス様!」
「ついに、ついにやってのけたんだな!!」
「はい、そうですよ!!」
これは、仕事なんかしている場合じゃない!!
「急いで祭りの用意をしろ!! 領民への通達も任せた!!」
「はい、かしこまりました!!」
ややスキップ気味の歩きでオリーブが部屋から出たのを見て、改めて新聞を眺める。
《冒険者・ダフネ一行、魔王軍幹部撃破》
号外の二文字とともに描かれた、その見出し。
とうとう、ダフネ様はやったのだ。
新聞によると、ダフネ様たちはある街で宿泊中、魔王軍からの襲撃に遭遇し、その場で撃退したそうだ。
そして、そこに居合わせたのが敵の大将だった魔王軍幹部の一人。
そいつを圧倒的な力で打ち倒し、街を魔王軍から守り切ったのだとか。
……知ってる。
それ、知ってるー。
ニヤニヤと笑みを浮かべながら、心の中で得意気に言う。
なんてったって、その話は原作第一巻のラストを飾っている話なのだから。
知らないはずがない。
ああ、とうとうダフネ様はやってのけたのだ!!
ベテラン冒険者が束になっても敵わなかった魔王軍幹部の撃破を、たった一年で、たった四人のパーティーでやってのけた。
ああ、本当に凄いなぁ。
読者だった頃には、これほど凄いことだなんて思いもしなかった。
この世界の住人になって、改めて事の重大さが身に沁みて分かるな。
……ああ、そっか……。
もう、ここまで来てしまったのか。
エリヌス様が初登場したのは、ダフネ様が一人目の魔王軍を倒してからしばらくした時だ。
魔王軍から街を守った功績を讃えて、その街を治める貴族が勇者に推薦した。
そして、その勇者任命パーティーで──私は、エリヌス様は初めて登場した。
ちょうど、第二巻半分頃だっただろうか。
……つまり──
──この時期から、悪役としてのエリヌス様が現れ、死亡フラグが立ち始めるのだ。
父が死んだ日に確信した、私の人生に敷かれたレール。
あまりにも大きな力の、運命という力の働くレール。
そのレールを、ダフネ様の活躍とともに私は進むのだ。
それが──小説というものだから。
……それが、どうした?
私が死ぬかも?
その程度で、ダフネ様の応援をしなくなるとでも?
そんなわけがあるか、馬鹿野郎。
オタクというのは、己の幸せよりも推しの幸せを優先させるもの。
少なくとも、私はそうだ。
だからこそ、今は祝おう。
最推しが、ダフネ様が、魔王軍幹部を倒したことを。
町を挙げての祭りという形で。
……そして、願おう。
最推しが、エリヌス様が生き延びることを。




