第85話 むっつりさん
運動で熱くなってしまったせいか、芝生の上は冷たく、気持ちよく感じた。
「……さて。まずは、私の非礼を詫びさせてください。突然、試合などを申し込んでしまい、申し訳ございませんでした」
「あー、いえ、気にしないでください。私自身、少し楽しめたので」
「そうですか……。それなら、よかったです」
そう言って微笑んだ彼女は、儚げな少女を思わせる様だった。
……あれだけの大戦闘をした後だというのに。
「それでは、試合を申し込んだ理由も話しますね」
「はい。私も気になっていたので、助かります」
「理由は簡単です。私が、結婚したくなかったからです」
……お?
「ご存じの通り、私は、その……こういう性格、ですから。殿方と一緒に生活するというのは、あまり想像できないと言いますか……」
「ああ、それでですか。自分より強い人が好きだと言っていたのは」
「はい、そうなんです……。ですので、エリヌス伯爵に期待をしてしまいました。稀代の天才魔術師、とお伺いしていますので」
「いやいや、それほどでもないですよ。私よりも強い奴もいますし」
実際、今の私とバーベナが戦っても、負ける可能性は十分にある。
というか、あいつはこっちの手の内を知ってるわけだしな。
一応は、師匠だし。
それでも、相討ちくらいには持っていけると思いたいが……。
それに、コランバインやオリーブに勝てるかどうかも怪しい。
あの二人は、少々人間の枠からはみ出しすぎている。
「そうなのですか? ……世界は広いのですね」
「ええ、本当に」
「ですが、それでも、エリヌス伯爵への期待は本当ですのよ? 他の貴族の方は、貧弱すぎます。それに比べて、エリヌス伯爵は、相当鍛えてらっしゃるようですので」
「ああ、戦っている間に分かりましたか?」
「いえ。正直、素の筋力がどれだけあるかは、分かりませんでした」
「あ、そうですか……」
まあ、あれだけ筋力に差があれば、他の人間と大して変わらないように感じるかもな。
……あれ?
「じゃあ、なんで鍛えていると?」
「その格好から、多少の体格はうかがえますから。それに、あの時……。……あ」
「あの時、なんですか?」
そう聞き返すと、カンナはあわあわと焦り出し、顔がどんどんと真っ赤になっていった。
……えっ、マジで何!?
「す、すみません!! わ、わわ、忘れてくださいまし!!」
「は、はあ……。……って、鼻血!! 大丈夫ですか!?」
「こ、これは、あの時の記憶が……。って、違いますわ!? あ、ああ、は、ハンカチ……!!」
「こ、これを!!」
ポケットからハンカチを取り出し、カンナに手渡す。
「も、申し訳ございません……!! こんな白いハンカチを……!!」
「いえ、気にしないでください。……というか、どんどん酷くなってませんか!?」
「き、気にしないでくださいまし!! 決して、決して、ハンカチの匂いでやられたとか、そういうのではありませんので!!」
「は、はい」
…………。
「もしかして、意外と男性に弱いんですか?」
「ひゃうっ!?」
悪戯心が芽生えてしまった。
ついつい、カンナの耳元でささやくなどという、私らしくない──いや、エリヌス様らしくはあるのだが──私自身らしくない行動をとってしまった。
……って、やばっ!?
「大丈夫ですか!?」
「ひゅっ──」
倒れそうになったカンナを抱きしめるように受け止めると、変な呼吸音を上げ、そして──気絶してしまった。
「か、カンナさんー!?」
◆
「う、うう、すみません。はしたない姿ばかり見せてしまって……」
「い、いえ、お気になさらず……」
あの後、なんとかカンナさんは意識を取り戻し、冷静さを取り戻せたようだが……。
「……それにしても、本当に男性への免疫が無いんですね」
「うっ。実は、そうなんです……。子供の頃から、周囲にいる男性というのが、父と使用人くらいでしたので……」
なるほど、それでか。
にしても、推しを目の前にした私みたいな反応だったな。
……少し愉快だったが、あそこまで過剰に反応されると、困ってしまうな。
「まあ、そもそもとして、私に近寄ってくるようなもの好きな男性が少なかった、というのはありますが」
「え、そんなに美人なのにですか?」
「びじっ……!? ……コホン。その、私には、この筋力がありますから……」
「あ、ああ……。なるほど……」
話しながら、カンナがその辺の石を握ったのだが、簡単に砕け散ってしまった。
「ですので、恋をする、というのもまだあまり分からないと言いますか……。初恋も……。……もう、覚えてないくらい昔の出来事ですから」
「……なら、その相手と結婚されては? 私よりも適任でしょうし」
「結婚っ!? い、いえ、その……それは、難しいと言いますか、なんと言いますか……」
口をもごもごと動かしながら、カンナは頬を朱に染めていった。
「あ、そ、そうですわ!! エリヌス伯爵も適任ですわよ!! なんてったって、この私に勝ったのですから!!」
「……そうかも、ですね」
「……え?」
でも、と前置きし、私は言葉を続けた。
「生憎、私は結婚願望が無いのです。……というより、結婚しては駄目、というのが正しいですかね」
「……? どういう意味、でしょうか?」
「言葉通りですよ」
……話しても、いいのだろうか。
カンナは、セッシリフォリアの娘だ。
……でも。
「……私には、夢があるんです。野望とも言える、大きな夢が」
誰も──オリーブやダフネ様さえも──知らない事を、私はとうとう口に出してしまった。




