第51話 魔導書
廊下を歩き、幾つもの部屋を通り過ぎ、やがて、私は一つの部屋の前で止まった。
「ここにあるの?」
「ああ」
短い返事と同時に、私は扉を開いた。
そこは、一見すれば、ただの部屋だった。
内装は他の住み込み使用人用の部屋と変わりなく、これといって特筆するべき点はない。
……一部を除いて。
「……へえー。面白い隠し方してるね」
「見つけるのが早いな」
「エリヌス伯爵の魔力くらい分かるよ」
そう、この部屋には、私の魔力が張り巡らせてある。
部屋全体を覆うように、隙間なく。
そして、ある場所だけ、その魔力が濃くなっているのだ。
ルリはそこを嗅ぎ付けたのだろう。
「視覚的に隠して、魔力でカモフラージュ。しかも、外には魔力が漏れない設計……。狡いこと考えるねー」
「頭が回る、と言ってくれ」
そんな返事をしつつ、部屋の奥の角へと歩いて行く。
そして、壁の小さな窪みに指をかけ、慎重に壁の一部を取り外した。
「……これ、伯爵様のお手製?」
「そんな訳ないだろ。業者に頼んだ」
「じゃあ、そこから魔導書のことが漏れたんじゃないの?」
「それはない。記憶除去の魔法を使った」
「ふーん……」
既に会話の内容に興味を失ったのか、心ここにあらずといった様子でルリは穴に手を伸ばした。
…………。
「無言で手を叩かないでよ!!」
「うるさい。私の許可なく、この本に触れるな。というか、私の魔力がないと、これは開けられん」
そう言って、穴の中にある木箱を取り出す。
私はそれに指をあて、長方形の輪郭をなぞるように指を動かし、魔力を流し込んだ。
すると、何かが割れるような小さい音が鳴り、蓋と箱との間に僅かな隙間ができた。
「引くほど厳重だね」
「それだけ危険なんだ。お前も知ってるだろ?」
「まあねー。……まあ、本来は使用者にとっても危険なんだけどね」
「それ以上に、撃った後の被害がやばい」
そんな会話をしながら、ページを流し見る。
……うん、異常はないな。
「もう本閉じちゃうの?」
「ああ。すり替えられていないかを確認したかっただけだからな。それに、たとえルリ相手でも、内容を覚えられるのはまずい」
「ふーん……。まあ、もう覚えちゃったんだけどね」
「……は?」
「悪魔の記憶力、舐めないでよ?」
そう言って微笑む瑠璃に、私は思い切りアイアンクローをかました。
「いたたたたた!! ギブ! ギブ!!」
「忘れろ。今すぐにだ」
「無理!! そんなポンポンと記憶を消せるわけがないじゃない!?」
「やれ。命令だ!!」
「無理!!」
……くそっ。
「でも、別にいいじゃない!! 大体が私の知ってた内容よ!?」
「そういう問題じゃない。例外があることが問題なんだ」
「例外、ねぇ……。それなら、本の存在と場所を知った時点で、じゃない?」
「それは……」
「はい、私の勝ちー」
屈辱だ、悪魔に言い負かされるだなんて。
「でも、そんなに重要な情報じゃないでしょ? それに書いてあるのは、全部万が一の時のためのもの」
「……ああ、その通りだ」
「あれ? 不貞腐れてる?」
「うるさい。大体な。お前の言ったとおり、これは万が一に対応するためなんだ。その時に、こいつの情報を知られてたらどうなる?」
「対応策に対応されちゃう?」
「分かってるなら、さっさと記憶消せ!!」
「無理!!」
あー、もう、やってられない。
「でもさ、でもさ。それ、そんな大層な情報?」
「私からすれば、な」
「完全詠唱の文言、効果、影響範囲、消費魔力量、想定される使用者へのフィードバック……。この程度なら、知られても別に……」
「声に出して列挙するな、馬鹿!!」
「痛い!! 殴らないでよ!!」
「もう一度言葉にしてみろ。消滅させてやるからな」
「……できないくせに」
……これがこいつの憎たらしいところだ。
私がルリに勝てないのを知っているから、滅茶苦茶に煽り散らしてくる。
「くそが。とりあえず、目的は達成したんだ。そろそろ帰れ」
「はーい。……あ、でも、一つだけ聞かせて?」
「……なんだ?」
「その魔導書、一ページだけ抜けてるのは、わざと?」
……あの一瞬で、そこまで認識したのか。
…………。
「……わざとだ」
「そ。なら、いいわ。自分の意思でやってるんだもん。リスクも把握できてるってことでしょ?」
その言葉に、無言で頷き返す。
「じゃ、また何かあったら読んでねー。あ、今回の代償は、さっきの本の情報だけで十分だから。それじゃ!!」
そう言って、ルリの姿は消えた。
……ハァ。
本当に食えない奴だな、あの悪魔は。




