第35話 死体と名前
街の外れ。
誰もいない草原。
インクで塗ったような暗闇の中。
風の吹く音だけが聞こえる。
終わらせるのには、ちょうどいい場所だ。
「『来い』」
魔力を使い、以前と同じ召喚のイメージをする。
「あれれ? 随分と早い召喚だねー。何日ぶり?」
「五日だ。それより、早速仕事をしてもらうぞ」
「オッケー。……まあ、言わなくても分かってるんだけどね」
「……そうか。便利だな」
「でしょー?」
……ハァ。
随分とあっけらかんとしてやがるな。
本当に、食えない奴だ。
「私の父の死体を寄こせ」
「無理……って言ったら、どうする?」
想定通りの回答が、悪魔から返ってくる。
……やはりか。
悪魔は、基本的に召喚者に非協力的だ。
だからこそ、約束、契約、生贄、儀式……様々なもので縛り付け、命令を聞かせる。
そうでないと、悪魔は文字通り魂まで貪ろうとするのだ。
魂のない人間は、ただの抜け殻だ。
存在そのものが、この世から消える。
恐らくは、私の父も……。
「なら、悪魔よ。取引だ」
「なあに?」
「私から奪いたいものを言え。私が納得したら、それを渡してやる。その代わり、父の死体を返せ」
「……人間が提案するには、随分都合の良い条件ね。何か良い事でもあったの?」
「いや、これから起こるんだ」
「……そ。でもさ、私、もう魂を食べちゃったかもよ?」
「いいや、それはない」
「なんで?」
「私が街に戻る直前まで、父の死体はあった。理由は分からんが、持ち帰ったんだろう?」
私の言葉に、悪魔は笑った。
「凄いね、伯爵様は。なんでそう考えたの?」
「悪魔が魂を食べるのは、対象者が生存している時、もしくは、死んだ直後だ。そうだろう?」
「うん。そうじゃないと、鮮度が落ちて味も落ちるからね」
「なら、あの時点で魂を食べていない、という事が確定する」
「それで?」
「お前、あの死体を私との交渉材料にしようとしただろ?」
「……正解」
にやりと笑う悪魔に、沸々と怒りが湧いてくる。
「でもね、正解なのは半分だけだよ?」
「どういうことだ?」
「あのおっさんの死体を持ち帰ったのは、一つはあなたと交渉するため。でも、二つ目もあるの」
「早く話せ」
「せっかちだなぁ、もう。二つ目は、あなたを助けるためだよ?」
……は?
「どういうことだ?」
「だって、あのまま死体を放置してたらさ、あのセッシリ……なんちゃらに、適当に利用されてたよ? 私が言うんだから、これは確実」
なぜ断言できるのかは不思議だが、確かにそうだ。
あのセッシリフォリアの性格なら、まず間違いなく、私を陥れるために父を利用しようとしたはずだ。
「……分かった、納得した。それなら、早く死体を──」
「ちょっと待って!! 話、聞いてた?」
「あ?」
「私と、一つだけ取引しようよ。そうしたら、死体を返してあげるからさ」
──悪魔との取引。
それは、人間の欲望を叶えるために行われ、その代償として多大な犠牲を伴うものだ。
ハイリスクハイリターン、普段の私なら、絶対に選ばない選択肢。
……だが。
「いいだろう。内容を話せ。取引を受けるかは、それから決める」
その返答に満足したのか、悪魔は再び笑った。
「取引の内容は、すごく簡単。ただの物々交換だからね」
「お前からは、父の死体か。で、私は?」
「えっとね。エリヌス伯爵には、私の名前を付けてもらいたいの」
……は?
名前?
名前って……名前?
「悪魔にとって、名前が重要なのは知っているでしょ?」
「ああ。悪魔の真名は、存在そのもの。偽名でさえ、力を持つ。故に、悪魔は名前に縛られ、名前を知っている者へは、その力を発揮することができない」
「その通り。でもね、それだけじゃないの。さっき言ってくれたように、名前は存在。だから、名前がないと、悪魔は本来の力を出せないの」
「そう言えば、お前は名無しだったな」
「そ。だから、名前が欲しいの。名前さえあれば、もっともっと強い悪魔になれるからさ!!」
……なるほど。
確かに、悪くない取引だ。
私は目的を達成でき、悪魔は名前が手に入る。
そうなると、悪魔は名前を手に入れ、より強い武器として、使役することができる。
……利益は大きいうえ、損害は一切ない。
…………。
「お前に名前を付けることで、私に不利益は生じるか?」
「全然。だって、名前を付けるだけだよ?」
悪魔のことだから、何かを隠しているかと勘繰ってしまったが、そうでもないようだ。
……なら。
「分かった。取引に応じよう。その代わり、先に父の死体を出せ」
「はーい!!」
悪魔が手を叩くと、私と悪魔の間に──まるで最初からそこに会ったかのように──父の死体が現れた。
「それじゃ、早く名前を付けて!!」
「ああ、分かった。それじゃあ、今日からお前は……」
いくつかの単語が頭を巡り、その中から、私は直感的にその言葉を選び出した。
「今日から、お前の名は『ルリ』だ。覚えておけ」
「わーい、ありがとう!!」
私は、前世の自分の名前を与えた。
特に理由はない、ただの気まぐれだ。
…………。
同じ名前でも、絶対に幸せになってほしい。
……私とは違って。
飛び跳ねて喜んでいる悪魔──ルリを見ながら、私はそんな事を考えた。




