三.翻意に向けて
「それは……そなたが猿に見初められるということか?」
私の言葉に、母上は明らかに動揺した。予想通りの反応だ。
「はい。母上を手に入れられないのであれば、母上に似た私を手籠めにする可能性もございます。――父上を奪い、北ノ庄の義父上と母上を今まさに奪おうとしているあのような男になど、屈したくはありませぬ」
「……さ、されど、さすがに猿と言えどまだ成人もしておらぬそなたには手を出さぬだろう」
「私とていつまでも子供ではございませぬ。今は手を出さずとも、いずれは大人になります。そうなればおそらく、秀吉公は私を手籠めにするでしょう。親が亡く庇護に置かれた身で、求めを拒むことなど許されますまい」
「……」
母上の顔から血の気が引いているのが分かった。
「それに……私たちは、『織田信長』の姪にございます。織田の血を引いた子を産ませることで、秀吉公は己の血筋を正当化しようとするやもしれませぬ」
「茶々……」
「されど母上、私は秀吉公の側室になりたくないから母上を説得しているわけではありませぬ。私は、母上を失いたくはないのです。――戦に敗れた以上、義父上が自害を選ばれるのは仕方ないことだとは理解しております。ですが義父上は、母上にも城を出るよう仰ってくださったのではないですか? 秀吉公も、母上と私たち三人を助命すると申しているのでしょう? それならば、皆でこの城を出とうございます」
声が震える。
「母上。もしそれでも母上が残られると仰るのであれば、私たちも義父上と母上とともに参ります」
「それだけはならぬ! そなたたちは生きねばならぬのじゃ!」
母上は強い口調で言った。私たちを死なすまいとしてくれるその気持ちは嬉しい。けれど、母上も一緒でなければ意味がないのだ。秀吉の側室になる未来を回避したいからではない、母上と死に別れたくないからだ。
「私たちに生きてほしいと願うのであれば、母上も生きてくださいませ! 母上が私たちの生を願うのと同じくらい、私も母上が生きてくださることを願っております!」
「――っ……」
「秀吉からは私がお守りします、母上があの男の手籠めにされぬよう私は戦います! そもそも、母上を側室にするなどきっと他の者が許さぬはずです!」
秀吉の正室――おねもしくは――ねね――と母上。どう考えたって、母上のほうが身分は上だ。母上は、秀吉の主君である信長の妹なのだから。正室よりも身分の高い者を側室にするなんて、なかなか難しいはずだ。
「そ、そうは言っても、私は今や勝家様の正室じゃ。倒した相手の妻を己の側室にするなど、古今東西行われてきた事ではないか」
「ですから、私がお守りいたします! すべて、命あってこそのことにございます」
私と母上は真っ向から見つめあった。母上の目が揺れていて、気持ちが揺らいでいるのは伝わってきた。もう少し、あと少しだ。だけどこれ以上何を言ったらいいのか分からない。
ちょうどそのタイミングだった。大きな音がして、背後の襖が開いた。
「母上っ!」
飛び込んできたのは江だった。その後ろには初もいて、二人とも目にいっぱい涙を浮かべていた。
「母上も一緒でなければ嫌です! 私たちと一緒に城を出てくださいませ!」
「江……」
泣きながら江は母上にしがみついた。初も泣きながら室内に入ってきて、私の隣に座る。
「母上、私からもお願いします! 秀吉からは私たちが必ずお守りします! 父上が戦のせいで亡くなられてしまわれたのに、母上まで戦で失いとうございませぬ!」
「初……」
おそらく、初と江は私のあとを追いかけてきて話を盗み聞きしていたのだろう。そのまま、こらえきれずに飛び込んできたのだ。
大声をあげて泣いている江を、母上が抱きしめた。そのまましばらく黙っていたけれど、やがて観念したかのように小さく息を吐いた。
「……長政様。まだお会いできるのは先になりそうです」
ひとりごとのような、本当に小さな声。母上は江をぎゅっと抱きしめてから、顔を上げて私と初を見た。
天正十一年四月。北ノ庄城は落ち、義父上こと柴田勝家は自刃して果てた。
「義父上……義父上っ……」
「泣くでない、江。武士にとって、敵に首をとられるほどの恥はないのじゃ。勝家様は、ご立派な最期を遂げられた。娘として、誇って差し上げねばならぬぞ」
燃え盛る天守を見て泣きじゃくる江を抱き寄せて言ったのは、母上だった。
私の――いや、私たち姉妹の必死の訴えの甲斐あってか、母上は願いを受け入れてくれた。私たちとともに生きる道を選んでくれたのだ。
ここからは、私が知る歴史とは大きな矛盾が起きた。もう、日本史の知識なんて当てにならなくなるだろう。だけどそれは、私が望んで選んだ道。まずは母上を秀吉から守って、私自身の身も守らねばならない。大きく変わっていく未来を、私自身で切り開いていこう。そう思った。




