七.江と秀勝
松寿丸が生まれて三か月後、江と秀勝様が訪ねてきた。婚儀の時あれほど不満げな顔をしていた江だったが、私の予想通りになっていた。
連れだって部屋に入ってきた二人。秀勝様が自然な動作で江をエスコートし、江も躊躇いなく――それどころか嬉しそうにそれに応じていた。江が秀勝様に向ける表情も幸せそのもので、二人の心が通じ合って想い合っていることが見て取れた。
「兄上、義姉上。もっと早くお祝いを伝えに参上したかったのですが、遅くなり申し訳ございません」
秀勝様がそう頭を下げ、江も倣って頭を下げる。
「そなたたちが詫びることではない。むしろ、これくらいの時分ででちょうどよいのだ。すぐに来られては茶々もゆっくり身を休めることができぬゆえな」
秀次様がそう言って笑う。
実際、松寿丸が生まれて間もないから豊臣家の家臣たちが大勢お祝いを述べにこの屋敷を訪れてきていた。秀次様も私も可能な限り対応して直に礼を伝えていたため、正直疲労はあった。ようやく落ち着いて、少し休めるようになってから来てくれたのはありがたいのだ。
それからしばらくとりとめのない話をした。秀勝様はやはり根気よく江の心を開いてくれたようで、今やすっかり仲が良いようだ。秀勝様を見る江の目は恋する乙女そのもので、単純というとなんというかという心持ちになる。亀と松寿丸も侍女に連れられてやってきて、松寿丸を抱っこする江とそんな江を見る秀勝様は本当に仲睦まじい様子だった。
「私たちももうすぐこんなに可愛いややこに会えるのですね」
松寿丸をあやしながら江がそう言い、秀勝様は「そうだな」と笑顔を返す。聞き捨てならない発言に、私は驚いて問いかける。
「江、そなた子ができたのか?」
「あっ……そうなのです。今日はそれも報告したいと思っておりました」
江はそう応じてそっとお腹に触れる。まだまったく膨らんでおらず、言われなければ身重だとはわからないだろう。
「もうすぐで三月になる頃にございます。姉上にとっても義兄上様にとっても甥か姪となりまする」
「そうか……それはおめでとう、江。母上にはお伝えしたのか?」
「はい。お知らせしたらすぐに来てくださいまして……お喜びになられました」
嬉しそうに微笑む江。本当に幸せそうで、私はそれが嬉しかった。
亀と松寿丸が昼寝の時間となって退室したタイミングで、それぞれ兄弟姉妹水入らずで話そうということになり私と江は私の私室へと引き上げた。
「それにしても、あれほど輿入れを嫌がっておったのになあ」
侍女が用意してくれたお茶を飲んでから、私はからかうような口調でそう言った。江は「それは言わないでくださいませ!」と慌てた。しかしすぐにはっと居住まいを正し、両手を畳について深々と頭を下げた。
「ご、江?」
「……姉上。輿入れにあたって、姉上に失礼なことを申し上げてしまい……申し訳ございませぬ」
それで察しがついた。秀勝様への輿入れが決まった時、江は「秀吉の血を引く人間に嫁ぎたくない、秀吉の血を引く子を産みたくない」と怒り狂っていた。だがそれは、すでに秀次様に嫁ぎその子供を二人産んでいた私に向けて言うには失礼極まりない言葉だったのだ。江の気持ちはわかっていたから私はそこまで怒っていないけれど、いい気分はしなかった。
「詫びずともよい。そなたが殿下を憎んでおるのはよく分かっていたからな。……されど、あまりそう言ったことを表立って言うでないぞ。秀勝様に嫁いだことで、そなたは豊臣家の人間となったのだから。それに、もう母になるのだからな」
「はい。私も、母上や姉上のような母になりとうございます」
江は頷く。私はそんな妹に微笑み、話を変えた。
「秀勝様はどうじゃ?優しくしてくださっているのは分かったが……」
「とてもお優しいです。初めのうちは、秀吉の身内だからと毛嫌いしてしまっていたのですが……それでも根気よく話しかけてくださって。それで……」
頬を赤く染め、江は話し出す。根気よく話してくれて、自分の気持ちもゆっくりと丁寧に聞いてくれて――私が口を挟むゆとりもないくらい、淀みなくすらすらと勢いよく話し続けたのだ。完全に惚気である。
ようやく話が終わったタイミングで、私は「とにかく、幸せそうで何よりじゃな」と言った。言外にもういいという意味を込めたのだが、江にはそこまでは伝わらないようだ。
「はい。幸せにございます」
それでも、お腹を撫でて江はそう言った。
今のところ、秀勝様が亡くなるきっかけとなった朝鮮出兵が起きる兆候はない。このまま秀勝様を失うことなく、江が無事に子を産んでくれればといいと思う。
「それは何よりじゃ。……くれぐれも身体に気をつけて、元気なややこを産むのだぞ。亀と松寿丸にとっては従兄弟になる子なのだから、無事に産まれたらきっとあの子たちも喜ぶであろう」
「はい、姉上」
亀と松寿丸にとって江の子は、父方と母方のどちらでも従兄弟にあたる子だ。無事に産まれたら、あの子たちとも仲良くしてほしかった。
江と秀勝様が聚楽第内の邸宅に帰っていくのを、私と秀次様は並んで見送った。
「仲睦まじそうで何よりだな」
「ええ、本当に」
二人の後ろ姿を見て安堵したように呟く秀次様に、私はそう返事をした。
「正直、どうなることかと心配していたが……杞憂であったようだ。お江も秀勝のことを想うてくれているようだし、秀勝も心からお江を大切にしている。きっとよい夫婦になるだろう」
「ええ。……私とあなた様のように、きっと幸せな家族になれるでしょう」
「そうだな」
秀次様は優しい顔で私を見る。
この人に嫁げて幸せだと、今私は心の底から思っている。秀次様がいて、亀がいて、松寿丸がいて。史実の『茶々』とまったく違う人生になったけれど、それでよかったのだ。あの日の北ノ庄で大きく歴史を変えた時からずっと抱えていた不安が、今の暮らしのなかでゆっくりと溶けていくのを感じていた。




