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「…っキ……って、えぇ?」

「そうだよ、僕達したんだよ、誓いのキス」


え? 待って? 何その情報。私知らない、そんな記憶…な…んて、……え? どういうこと? 本当にそんなこと…した? 嘘でしょ?

 私がトレイシー兄様の腕の中で動揺しているのは、気付かれているだろうか。それよりも、そんな大事な記憶、いくら昔の事でも忘れるわけないのに。

 …ああ、だから。記憶が欠けてる感覚があるのは、こういうこと…なんだろうか。思い出せる記憶と、思い出せない記憶と…。


祖父様(おじいさま)の葬儀が終わって何日くらい経った頃かな。一人で教会に行った時だよ。祖父様がもういないのかと思ったら、酷く悲しくてどうしようもなくて。悲しい気持ちをぶつける場所もなくて、だから教会に行ったんだけど…」


 教会? 私の誕生日に…教会、行ったのかな?


「誰もいない教会で、ただずっと天井画やステンドグラスを眺めてた。最初はただ目に入っているだけで、ちゃんと見てたわけじゃない。

だけど…天井画にどこかで見たような顔をした天使を見つけたんだ。そうしたら、他の天使も気になり始めて、探してしまったんだ。似たような顔じゃなくて、そっくりそのままな顔を」


 教会…に行った、誕生日って…あった気が、する。でも…いつ、だったか。


「あまりに上ばかり向いていたから、首が疲れちゃって。頭を下げたんだ。そうしたら、いたんだよ。僕が探してた天使が」


ん? 今、天使って言った?


「だから、僕の天使だって思った。それがマーガレットだった。僕がずっと塞ぎ込んでたことを心配してくれたんだと、君を見て気付いたんだ。

だって、僕の座ってる隣にやってきて僕の頭を一生懸命撫でてくれたんだ。小さな手で、懸命に撫でてくれるその手が…酷く優しくて、あたたかくて、手放したくなくなった。

だから、僕は言ったんだよ、小さな君に」


教会で…トレイシー兄様の、頭を撫で…た? 私が?


「君のことが大好きだよって。そうしたら、君は笑ってくれて、私も大好きって言ってくれた」


大好き? 私が? 兄様のことを、そう言ったの?


「僕は君の笑顔で、少し笑うことが出来た。そうしたら、君はもっと笑ってくれた。その後は祖父様のこともあって涙が出そうになったけど、マーガレットがいてくれたら、ちゃんと笑えるんだって分かったんだよ」


涙ぐむ兄様…。ふとその時の記憶が頭の中で過った。

そして、兄様の言葉を待たなくても私は自分の頬が酷く火照ってしまったことに気付いた。だから、少しホッとしていたのは本当だ。だって、抱き止められている今は兄様から見えないから。


「マーガレットがまた頭を撫でてくれて、大丈夫って言ってくれたんだ。僕はありがとうって小さな君に言ったら、小さな君は元気になるおまじないだと言って額にキスをしてくれた。

だから、僕はこう言ったんだよ。大きくなったら結婚してくれる? って」


ああ、そうだ。確かそんな言葉を聞いた…気が、する。

火照った頬の熱は引く様子がない。正直、この体勢のままもツライ。だけど、顔を見られたくもない。だから、自然と熱が引くのを待つしかないのか、と諦め気味に話を聞いている。


「マーガレットは少し考えたみたいだったけど、僕を真っ直ぐ見て、こう言ってくれたんだよ。トレイシー兄様となら結婚したいって」


私がそんなことを本当に言ったの? 正直嘘じゃないの? と思ったけど…微かに記憶がある、気がする。


「最初はもう小さな君との口約束でもいいやって思った。君の気持ちを聞けたからね。

でも…その時いた場所は教会だったから、マーガレットにお願いしてみたんだ。断られると思いながらね」


……何をお願いした、の? いや、言わなくていいよ。言わないで、お願いだから。幼い頃の自分がいかに愚かだったかなんていう話は聞きたくないから、お願い言わないで。その先を言わないで!

そんな私の気持ちは兄様には届かなかった。


「結婚の約束、本当にしてもいい? もし…いいんだったら、だけど。誓いのキスをして、も…いい? って。

マーガレットは目をキラキラさせて、でも、すごく可愛く頬を染めて、小さく頷いてくれたんだ」


あー……だから、言わないで、とあれほど…。心の中で訴えたのに。私の頬は熱が引くのを待つどころではなくなっていた。多分、今酷く真っ赤になってる自信がある。もしかしたら、全身が赤くなっているんじゃないかと思える程。


「それから、司祭様はいらっしゃらなかったけど、祭壇の前に行って、二人で結婚の約束を神様にして、誓いのキスもしたんだよ。…本当に、覚えてない?」


 そんな風に問われたら、もう思い出してしまった今では、否定も出来ない。少なくとも小さな私は兄様をただの兄と思っていなかったのだと、思い出してしまっている。

今現在の、たくさんの死を重ねた私がどう思っているのかは別としても、過去の何も知らなかった頃の私は、彼が特別だったのをもう思い出してる。


「…話を、聞いていて…思い、出した」

「! 本当に!? 良かった…忘れられてしまっていたら、今度こそ立ち直れないくらい泣きそうだった…」

「でも…、好きか、は…わからな、い」

「え?」


トレイシーには、私の言葉はとてもショックだったのが分かった。私を抱きしめる力が酷く緩んで、私はあっさりと兄様と距離を取ることが出来たから。


「どうして? まだ去年のこと、なのに。もう僕は君の特別ではない、の?」


私は、分からなくてただ頭を横に振った。

それを兄様は、肯定と捉えたのだろうか、それとも否定? フラフラと立ち上がって部屋から何も言わずに出ていった。

パタンと閉じられた扉の向こう側で、ずるりと何かが崩れ落ちるような音が聞こえた気がした。


「…ごめん、なさい。本当のことを……言っても、わかって……もら、えな…」


まだ熱が引かない頬に、どうしてなのか涙が伝う。自分の死んだ心でも何か感じるものがあったらしい、という感覚でしかなかったけれど。


 §


 あれからどれくらい時間が過ぎただろうか。十分? 二十分? それとももっと?

 兄様の話で思い出したことを、ぼんやり考えていた。

確か私の誕生日の数日前に兄様のおじい様が亡くなって、葬儀が行われたのは間違いなくて、それが私が八歳の誕生日直前だった。母が亡くなったのは私が十歳の頃だから、まだ母が元気だし、流行り風邪のせいだったし、何より兄様も去年と言ったから…今の私の年齢は九歳。だったら五歳年上の兄様は十四歳。貴学院にはもう入学する年齢で、九月には入学のはずだ。ということは、来年からは侯爵領のこちらでの滞在期間も減るはずだ。まだ貴学院入学前だからいつも夏の間はずっと滞在していると聞いていたし。


「…きっと、もう来年からは会えないね。それで、アイビー伯爵に引き取られて……結局殺されるんだ。そう…だよね、また殺されるんだなぁ。

いい機会だし、明日湖に行って、沈んでこよう。きっと苦しいだろうけど、もういいや。お母様達にも会えたし、これで最期になると…いいな」


 私の独り言は、ただ独り言で、誰にも拾われることもなくて、だけど、私は自分の言葉を殊の外拾い上げては気に掛ける人物がいるだなんて、思いもしなくて、結局はこのことがきっかけで私は少しだけ、生きることを諦めないようになるのだった。

お読みいただきありがとうございます。


流血の惨事がなくなって安心している今日この頃です。

少し中途半端と思いながら、次からトレイシーの話になります。

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