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 そして。

また、私は目覚めた。

あの朝と同じように、アイビー伯爵家で与えられていた自室のベッドの上。

自身の体を確認した。

声にならない悲鳴を上げる。


「あ…また、体が……小さい…。ぃやっ、嫌あああぁぁぁぁ!」


 私はドレッサーの鏡で自分の姿を確認してすぐに、机の引き出しに入れてあった小さなナイフを取り出していた。

また、私は自分の体に刃物を突き立てる。迷いなく、淀みなく。

死ぬために。

生きることを拒否するために。


 でも、何度も繰り返し繰り返し目覚める。あの婚約者から逃げる手立てなんてないのだと言うように。


それからの私は壊れたのだと思う。本当に。


何度も同じ場所で目覚めるから、その度に迷いなく自分の首を切り続けた。

そして、その度机の前で倒れている。

誰も私が死ぬ瞬間なんて見ることもなく。


 ところがある時、目覚める場所が変わった。

見覚えはあった。

随分遠い記憶の中だったけれど。

そうだ…、王立貴学院の学舎内だ。

それも医務室だろうか。

教室とは違って、白い天井が広がっている。それに消毒薬のにおいもする。

私が横たわっていたのはやはりベッドだった。

周囲はカーテンで区切られていて、室内に誰かいないだろうか、と顔を動かそうとして左腕に激しい痛みが走った。


「っ! こ、の…痛みは?」


左腕を動かさないように、そっと右腕を動かして触れてみる。

左腕が何かに固定されている。


「……あ。骨折したんだ。階段で押されて、落ちて…」


そして自身の置かれた状況も思い出した。

 貴学院に入学してすぐに婚約者からは「僕に近付かないで。でないと酷い目に遭うよ。特に恋人には絶対に近付かない事」と言われ、そのようにしていたけれど、婚約者がいくら横柄で横暴でも家柄や見目だけでクラークを慕う人間というのは存在していた。

 見目だけなら、彼は王太子殿下よりも王子らしいところがあったから。金髪碧眼の完璧な美青年な婚約者様は誰もがため息をつくような、そんな容姿だった。

私にとってはどうでもいいことだが。

 ある時クラークが恋人が出来たとわざわざ伝えに来た。そしてクラークにも彼の恋人にも近付かないように言って、去って行った。

その後私が彼と彼女に近付くことはなかったのに、彼女のほうから近付いてきては、私にひたすら様々なことを言い続けていた。



「彼をいい加減解放してくださらないかしら。あなたのせいで、彼と婚約できないんですもの。家柄しか取り柄がない癖に、愛されてると勘違いなさってるのかしら?」


 他にも色々言われたけれど、要するにクラークと婚約出来ない原因が私にあるから、婚約解消しろということだった。だから、私は頷きながら彼女にこう伝えた。


「ええ、本当に。私なんて家柄しか取り柄がありません。婚約者様に愛されているだなんてこと思ってもおりませんわ。

なぜって、恋人がいると私に告げられましたし、貴女のことが大層大事なのだと感じました。

ですけれど、婚約については私が望んだものではありません。婚約者様のお父様と、アイビー伯爵当主が取り決めたこと。まさに政略的婚約です。

是非とも私にではなく婚約者様に訴えていただきたいのです。それが叶い御二人の御婚約が調うのであれば、私も是非祝福させてくださいませ。私もそのように望んでおります」


 途中、言葉を遮ろうとする取り巻きの方もいらっしゃったけど、そこは知らぬふりをして言わせてもらった。だからだろうか、私の”言葉通りの真意”を判って頂けた、と思う。なぜなら、恋人だと仰られた御令嬢が私の手を握り、少し涙目だったからだ。彼女は酷く単純で、けれど真っ直ぐな方だったのかも、と感じた。

 私も彼女のその様子に、本当にお二人の幸せを望んでいるのですよ、と改めて訴えておいた。二人がどうなろうとどうでもいいというのが本音であっても。

 その後その御令嬢と婚約者の仲がどうなったかなんてことは、実際どうでもよくて。私は相変わらず婚約者に近付くことはなかった。時折、すれ違う時も全く無視していた。だいたい彼の方から言われていたのだから当たり前だ。けれど、婚約者はどうしてなのか、私に毎日のように絡んできて、その度に何度も「貴方に近付かないように言われているので、守っておりますが」と返すだけだった。何かあるならその後に、訂正するなり、用件を伝えるなりすればいいのに、相も変わらず近付かないことというのは守らせる方向らしい。

 そうして、婚約者が恋人と呼んだ令嬢ではなく、別の見知らぬ令嬢達から嫌がらせが始まった。正直うんざりしていた。私に学内での友人はいない。理由は婚約者のせいだから諦めている。それに、もし友人がいたとしても、こんなに嫌がらせがあるのだから一緒にいたなら、その友人にも害が及びそうだし、むしろいなくて良かったとさえ思えるほどだった。

 小さな嫌がらせの間は気にしない。でも、ここまで酷いとどうしよう…と思ったのは、負傷したから、だろうか。

中庭に面した学舎脇を歩いていた時だった。上方から何かが落ちてきた。それが頭に当たることはなく大丈夫ではあった。でも、左肩から左腕にかけてダイレクトに当たったのは間違いない。

当然のように酷い打撲と、かなりの出血をした。医務室に自力で行き、医師に診てもらうと、すぐに病院へ、という流れだった。それから、もしかしたら骨に罅が入っているかもしれないから、念の為応急処置をするとも言われた。制服の上着を脱いで、ブラウスも脱ぎ左肩の状態を診てもらったわけだけど、医師は眉間に深い皺を寄せながら、誰かにされたのか、それとも事故なのか、を確認していた。

 私は誰かが落とした可能性は否定出来なかったけど、その誰かを見ているわけではない。だから、分からないと答えた。決して誰かを庇うわけでもなく、事実だけを伝えた。相手のことなどどうでもいいけど、大袈裟にするの面倒だったから。

 結局この出来事は誰かがした、という決定的なモノがなかったため事故という扱いに落ち着いたようだ。でも、数日して、私は左肩を強く掴まれ階段から突き落とされることになる。そして今度こそ骨折してしまうのだ。私は階段から落ちるさい、私を掴んで落とそうとした令嬢の右手に酷いひっかき傷を残しておいた。精一杯の嫌がらせではあった。何より深い傷を負わせても後悔などない状況だったから、私はもしこのまま死んだとしても負傷した令嬢よりは憐憫を誘えるかも、と思っていた。

 そして今、医務室で眠っていた私が目を覚まし、左腕の状況を思い出したところだ。


「…そう、だった。私……。行かなきゃ」


 私は重たい体と酷い痛みに、顔を歪めながら、学舎屋上を目指した。


「っ、もう……いい、よ…ね。いい…加減に……自由、に…なりた、い」


 私は痛みを堪えながら登る階段の途中で弱音を吐きながらも、進んでいく。私は知っていた。

屋上へと通じるドアが実は鍵が数日前から壊れていて、誰でも自由に出入りできるようになっていることを。そして、屋上から容易に落ちないようになっている柵が実は一部壊れているところがあり、そこからならケガをしている今の私でも簡単に柵の向こう側へ行けることを。

 婚約者の恋人の嫌がらせから逃げるために入り込んだ中庭の奥、誰も近付かないようなガゼボ近くにある低木の並木道脇に隠れていた時に、そのガゼボで屋上の扉が開いていることや屋上の柵が壊れていることを話している令息達がいたからだ。


 痛みを押して無理矢理進むのは、正直ツライ。でも、今しかないと思えた。生きることに疲れ過ぎた。

だから、この痛みからも早く解放されたいと切に願った。もう少しくらい辛くても痛くても、すぐに終わるのだから我慢出来る。そう自分に言い聞かせて階段を登りきる。すると狭い踊り場の向こう側に扉が見えた。


「外…」


 私は迷わなかった。迷う理由がなかった。

そして、私は壊れた柵へと一歩一歩進んでいく。屋上には二重で落下防止のための柵が置かれている。内側のものは外側の柵へ近付かせないための物で、簡単に超えていける。

壊れた柵の方は、外側のものだ。蝶番のついた小さな扉が壊れている箇所のようだった。その扉を押せば簡単に開いた。私はそこから柵の外へ出た。柵の外に出てしまえば、後はもうどうでもよかった。私はゆっくりと歩いていた。学舎の端になる場所から遠くを見た。

 王都の様子が少しだけなら見渡せた。


「こんな街に暮らしてたんだ。私は…田舎で生きていきたかったのに」


 そう呟いてから、祖父母の住む町に視線を向けて、ごめんと溢した。

そして、私は空へと身を投じた。落下する感覚よりも死ねる安心感しかなかった。

私は地面に叩きつけられる前に意識がなくなっていた。


そうして、また目覚める。また医務室だった。

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