クラークの初恋 8
クラーク視点です。
血が流れる表現があります。苦手な方はご注意ください。
旧学舎の裏庭にある奥まった場所で、僕はマーガレットと話をしている。はずだった。
でも、今目の前にいるのは一体誰なんだ?
僕のマーガレットじゃない。誰かが…僕のマーガレットを連れ去った?
マーガレットそっくりな…別人を連れてきたのか?
僕との未来を…思い描け、ない? そんなわけないじゃないか。マーガレットは僕の婚約者で、初恋の女の子だ。誰にも譲るつもりなんてない。譲るくらいなら僕の手で…あぁ、そうか。
マーガレットはただ少しだけ僕を試しているんだね。そうか、なんだそれだけのことなんだ。良かった。
婚約を解消だなんて、酷い我儘を言うから、焦ってしまったよ。
「マーガレット、冗談はやめて欲しいな。いくら僕達の仲だからって言っていいことと悪いことがあるのに」
「…いつ”僕達の仲”と言えるほどの関係になったのですか?」
「マーガレット…」
「私はクラーク様と…ちゃんとお話しをしたことなど、殆どありません」
「そんなわけないよ。僕はいつだってマーガレットのことを想っていたし、ずっとそうしてきたのに」
「……一度として、私を優先していただいた記憶がありません」
そんなわけない、と言おうとして僕ははたっと気付いた。そうだ、僕はいつもマーガレットに向けられる不躾な視線や悪意ある噂話から守る為に、彼女を僕の側におかなかったことを。代わりに別の令嬢を側に置いていたことを。でもそれは…マーガレットを傷付ける令嬢達ばかりだったから、彼女達を監視するような意味だっただけだ。
貴学院でもそれは同じで…。つまりは、マーガレットにとってそれは、僕がマーガレットを蔑ろにしていると思っていたということ?
どうして? いつだってマーガレットの為にしてきたことだったのに。何を間違えた? マーガレットの為だったのに、マーガレットを傷付けた? 彼女からの信頼を得られていなかった? おかしい。どうして?
『マーガレット嬢とちゃんと話をして、自分の気持ち伝えろよ?』
ふいにノーマンに言われた言葉が頭を過る。
気付けばマーガレットの表情は落ち着いたものになっていた。けれど、普段の困ったような顔ではなく、ただ無だと言うように、何も感じていないのではないかと思わせる表情だった。
「私、ずっとクラーク様のことが嫌いでした」
僕は聞きたくない言葉を聞いた。そう感じた。マーガレットの言葉を体中で拒絶している。
僕の思い通りにならないことなんてなかった。皆が僕のことを好きだと言ってくれて、だから僕も皆を好きだと言ってきた。
僕が好意を示しているのだから、マーガレットも当然同じように好意を返すものだと思っていた。信じていた。でも…嫌い?
意味が分からない。
「マーガレットは、僕の事が嫌いなの? どうして? 僕はずっとマーガレットのことが好きだよ。マーガレットを守る為なら、人を殺したっていいと思ってる」
「………人は殺さないでください」
「…でも、君が嫌いだと言うのなら、僕を好きになるまで掴まえておくしかないよね」
マーガレットが一瞬怯んだのが分かった。だから僕は笑ってあげたんだ。
「君が僕のものにならないって言うのなら、僕は君をずっと閉じ込めておくしかないかなって思うんだ」
「そん、なの…おかしい……」
目に見えて震えるマーガレットが可愛くて、今までずっと我慢してたけど、つい…頬にキスをしてしまったよ。
「震えてるね。マーガレット、可愛いなぁ。うん、やっぱり閉じ込めよう。それで、僕のことをちゃんと好きになってもらおう。アイビー伯爵には今日からずっと僕の家で過ごすって言えばいいか」
マーガレットの震えが酷くなった。はは、なんだろう…これ。可愛くて仕方ないんだけど。
僕だけのマーガレットだ。本当愛らしいよ。
つい、マーガレットを抱き締めてしまいたくて、掴んでいた手首を放した。すると、マーガレットは逃げられるわけもないのに、僕から逃げようとするから仕方なく…今度は二の腕を掴んで大木へとそのまま体ごと押し付けた。そして僕の体も密着させた。
なんて柔らかな肢体だろう。マーガレットからいい匂いがする。クラクラする。マーガレットに酔ってしまう。そんな気がした。
マーガレットにちゃんと言わないといけないね。
「僕達が結婚するのは決まってるんだよ。だから僕のことを嫌いだって言ったって、結局は結婚することになるんだから、無駄なんだよ? 諦めて僕の事を好きになればいいんだよ」
マーガレットが絶望したかのような顔を見せた。ああ、また見たことのない顔だ。いいな、本当嬉しいよ。僕の知らないマーガレットが見られる。なんて幸せな日なんだろう。
だから僕はこのままマーガレットを閉じ込めなくちゃ、と結論付けた。
「もうマーガレットが自由に出来る時間は終わり。さ、一緒に僕達の家に帰ろう? 君の為にこれ以上ない程の贅沢をさせてあげる。約束するよ! 安心して。お父様もお母様もマーガレットのことをとても気に入ってるんだ。心配ないよ」
僕を見上げるマーガレットの目に涙が滲んでいることに気付く。涙すら綺麗で可愛いだなんて、マーガレットは狡いな。どうしてこんなに僕を魅了してやまないんだろう。
マーガレットを掴む腕を少しだけ緩めた。緩めた瞬間マーガレットは僕から逃げ出そうともがく。逃げられるはずもないのに。幼い頃から鍛錬を続けているのはマーガレットの為。まさか逃げ出そうとする彼女本人を掴まえるために使うことになるなんて思わなかったけど、でもいい。充分役に立っているから。
そして決定的な言葉をマーガレットが紡いだ。
「私はクラーク様が嫌い! 貴方と一緒にいるくらいなら、死んだほうがマシ!!」
いくら温厚な僕だって我慢の限界というものがある。マーガレットが初めて見せた表情はこれ以上ないくらい、綺麗だと思うものだったけど、これは要らない。僕を拒絶する表情なら要らない。それに僕を拒絶する言葉なんてもっと要らない。
「そうなんだ。僕が嫌いで、…死ぬ程嫌いで……。そうなんだ」
僕は自分の感情を抑えられる自信がないくらいに、箍が外れた気がした。そして僕は、ずっとマーガレットを付け狙うように見ていた、いつかの男子学生を牽制するために制服の内ポケットに入れて持ち歩いていた短剣の柄に触れた。
マーガレットの右腕を押さえるように左手で強く押し込む。まるで大木に綺麗なマーガレットという宝石を飾り付けたようにも見えた。
「放してください!」
「どうして僕が嫌いなの?」
「手を放してください!」
マーガレットが必死で僕から逃れようともがく。あぁ可愛い。どんな姿を見てもただ可愛いとしか思えない。どうしよう…やっぱり手放せない。うっそりと笑みが漏れてしまう自分に気付く。仕方ないだろう? だって可愛いマーガレットが悪いんだから。
でも、僕が嫌いで、一緒にいるくらいなら死ぬ方がマシと言う。
だったら、僕だけのモノにしなくちゃダメってことだから…。本当は嫌だけど、仕方ないよね。
僕はマーガレットの頬に手を添えた。このまま貪りたい。このままマーガレットを完全に僕のモノにしてしまいたい。でも、このまま…綺麗なままでいてほしい。
少しだけ、葛藤した。
僕を見上げて、僕を拒絶する彼女を、でもその瞳が…妖精に祝福されたというその瞳が、僕を映すその瞳が、あまりに綺麗で、僕は彼女には綺麗なままでいてほしいと思った。
そして僕はまた短剣に手をやる。そして柄を撫でた。
「マーガレット、僕のモノになってよ。もうずっと待ってたんだ。君が僕のところに堕ちてくるのを。
嫌と言う程見せてあげたよね? 誰もが僕を特別だと言うのを。だから、マーガレットだけを僕の特別にしてあげる。僕のモノになって」
酷く戸惑っている彼女の顔も可愛い。僕はそんな彼女がただ可愛くて、頬を爪で引っ掻いた。小さな傷が出来る。しまったな、傷付けるつもりなんてなかったのに。仕方ないな…大事な婚約者なのに、傷を付けてしまった。
僕はマーガレットの綺麗な肌に触れるために顔を近付けた。傷を舐める。
(鉄の味がする。でも甘い。マーガレットを食べたら、全身どこもかしこも甘いんだろうな…)
顔を背けた彼女にそのままキスをする。傷付けてしまった頬を何度も血を拭うように舐めながら。
「…はな、して…くださ、い」
か弱い声が響く。でも、怖がっているというよりは、強い意志を感じるそれ。
「僕のモノにならないのなら、この手で僕のモノにするだけだよ」
僕は繰り返し触れていた柄を握り込み、手にしていた。そしてマーガレットを終わらせるために、マーガレットに突き立てた。
一瞬表情が強張って、短剣の刺さった胸からは赤い液体が広がっていく。きっと、これも舐めとったなら甘いんだろうと思いながら、マーガレットが力を失くし地面に倒れ込むのをただ眺めていた。
草が生えそろい緑の広がる地面に、反対色の赤が広がる。マーガレットの色は、妖精に祝福された瞳の色全てなのかと、初めて気付いた。
緑も、赤も、マーガレットの色だった。
温もりが消えていく彼女を見守りながら、僕は彼女の胸から短剣を抜いた。そして僕は迷いなく自分の胸にそれを突き立てた。
咄嗟の行為ではなかった。多分…絶望に近い、何かのせい。
(ごめ、……ん)
僕は、マーガレットが崩れ落ちる瞬間、以前にも同じことがあったことをぼんやりと思い出した。マーガレットを自らの手で終わらせたことを、しかもそれを何度も繰り返していることを。
僕がマーガレットを終わらせ続けたのは、今日と同じ。
けれど…たった一度だけ、マーガレットが僕の持った短剣を掴んで、自ら傷付けて逝ってしまったことも思い出し…ていた。
『もう…二度とあなたなんかに会いたくない』
そう言われたことも。あの時咄嗟に彼女を止めるために手を出していた…。
『やめろ!』
そう叫んで、短剣で切った彼女の首を必死に押さえて…、でもどんどん冷たくなっていく彼女に、ただ流れていくだけの血に自らが染まっていくことも気に留める余裕なんてなくて。
『死ぬな! 逝くな!!』
ただ、そう言うだけしか出来なくて、もう呼吸を止めたマーガレットを抱き締めるだけだった。そんな記憶が頭に過る。
どんどん自分の血が流れていく。意識も徐々に薄れていく。そんな中でうっすらと笑う。
(僕がマーガレットを…追い詰めた、のに。……死ぬな、だなんて。バカだ、な…僕は)
最後に見たマーガレットの笑顔は、とても綺麗だった。そう、か。僕の手で彼女を終わらせても、彼女が僕だけのモノには…ならなかった。
繰り返し彼女を終わらせてるのだから、僕だけのマーガレットにはならないことを理解した。
叫び出したい気持ちを抱え込んだまま、僕は自分の心臓を貫くように突き立てたそれをそのままにして…彼女の上に倒れ込んだ。
その後はマーガレットに謝り続けた。
(…ごめん。…ごめんね、ぼく…わがままで…ごめん)
声にならない声で謝り続けた。
(すき…だから、てばなせ、な…か)
そこで僕の意識は完全に途切れた。
お読みいただきありがとうございます。
やっとクラーク視点終わりました…。




