クラークの初恋 6
クラーク視点です。
マーガレットを階段から落とした令嬢は僕が少し声を掛けるだけで、頬を染めてもじもじし始めた。僕が教室を出ようと誘い出せば、簡単についてきた。
後は僕の思うがままだった。最初から僕に侍っていた令嬢達よりも地味な容姿で、伯爵家より家格が低いことを気にしていたのか、僕に声を掛けるのを我慢していたらしい。
「もっと早くに知り合えてたら良かった。そうすれば(排除するためのターゲットとして)もっと早くに恋人になってもらえたのに…」
何度か話をして、二人だけで過ごす時間も作って、そんなふうに言えば簡単に堕ちてきた。男に簡単に体を委ねるような令嬢なんて…程度が知れてるよね。
そして友人のノーマンには悪いけど、協力してもらった。
いつかのように僕を助け出す役目として。ノーマンは笑いながら、こう言っていた。
「クラークは見目麗しい王子様なのに、俺が助けに入るのはこれで二度目? 案外お姫様だよな」
さすがにイラっとして脛を蹴飛ばしておいた。脛を蹴られて文句を言いながらも、僕を助け出す役目をキッチリ果たすのがノーマンだというのも知っている。いい友人と出会えたな、と思う。
僕は件の令嬢と貴学院内のカフェテリアでお茶を一緒に飲んだ。それから言葉巧みに令嬢を誘い、とある場所に移動した。
移動したのは良かったけど、正直こんな体調がおかしくなるってどうなんだろうね。薬盛り過ぎでしょ。まずい…かも。本気で正気を保ってられない、かも。
「ご、ごめん。少しでいいから…手伝ってくれ、る? ちょっと首元が苦し…いから」
「クラーク様!? 大丈夫ですか! えっと、タイを緩めてシャツのボタンを少し外せばいいんですのね?」
「…うん、おねが、い」
「とりあえず、座ってくださいませ。えっと……」
令嬢を連れてきたのは、普段誰も使っていない旧学舎の奥まった教室だ。普段誰も来ることはないし、教師も足を踏み入れる理由がない。この学舎には教材の類は一切置いていないから。
だから、今この学舎内には僕とこの令嬢だけ。二人きりで何をするのかって? そんなの分かるでしょ。僕を囮にこの令嬢をはめるだけ。
僕は自ら窓際の壁を背にして座り込む。体が辛くて座ってもいられなくなり、そのまま床に体を横たえた。
令嬢は恥じらいながら僕の制服のシャツのボタンをゆっくりと外していく。首元だけ緩めればいいはずなのに、気付けばボタンはかなり外されている。
綺麗に整えられた爪で、丁寧にボタンをはずしていく様は手慣れていることが見て取れた。令嬢の左手には傷でもあるのか包帯が巻かれているのが少し目に付いた。
普通余程貧しくない限り、貴族の令嬢は服を一人で脱ぎ着しない。だからボタンを留めたり外したりするのは余程の理由がある時だけ。特に外すのが上手なのはどういうことだろう。この令嬢は子爵家の令嬢だ。しかも裕福な家だとも聞いている。そういう令嬢がどうして?
辛うじて僕が正気を保てているのは、何かしら薬を盛られることを想定して解毒剤を服用してるから。だから、令嬢の様子を観察することがなんとか出来ている。でも、体がキツイ。
「器用なんだね。シャツのボタン、その綺麗な指で外すんだから…ん」
「あ、ごめんなさい…。指が触れて…しまいました」
「いいよ、別に。随分楽になったから…ありがt、んん」
いきなり僕の上に覆いかぶさってきたかと思ったら、唇を奪われた。いや待て。冗談じゃなくこれは襲われてる。
王子様な見目のお姫様な僕の貞操の危機ってところか。ノーマンすぐに来てくれると助かるんだけど、と思ってからしばらくした頃だった。さり気なく足音がコツコツと廊下から聞こえてきた。
前にも思ったけど、この令嬢も足音に気付いても良さそうなのに、気付いてない。ノーマンのスキルか?
それとも僕が聞こえ過ぎてるだけ?
さっきからこの女、僕の体を触りたい放題なんだけど。なんか気持ち悪い。冗談じゃなく僕が襲われてるし、この女に穢されてしまう恰好か。なんかまずい、な。頭が徐々に回らなくなって、きてる…気がする。
変な声も出る。解毒剤をのんでなかったら、理性飛んでるんじゃないのかな…。
「…っふ、あ、…ん」
足音が早くなったかと思ったら、走ってきてる。それでやっと女が上半身を慌てて起こして、足音のする廊下を不安気に見て、すぐに僕のシャツのボタンを留めようとし始めた。
教室の扉がいきなり開いた。予定通りノーマンがそこにいた。
「クラーク!!」
「…ノー、マン」
力なく彼の方へ腕を伸ばす。僕の手を取ったノーマンは正確に僕の状況を言葉にした。
「御令嬢。何か薬を飲ませたのかな? しかもシャツのボタンを…外そうとしてた? まさか!? 君はクラークを?」
「違っ…ひっ!」
ノーマンが女を僕の側から引き離すために腕を掴んだ。だから、女が怯えたのか、それとも嫌がったのか、変な声を出している。
僕はどうやらこの女に薬を飲まされたらしい。うん、実はそういうことがあってもいいように、カフェテリアでお茶を飲む前に解毒剤を服用していた。何事もなければ問題なし。でも何かあって僕自身に不名誉なことが付いて回っても困るから。
そのことが今回正解だったというところだろう。僕は一服盛られたわけだ。多分催淫剤を。正直ツライ。
「で? この状況ってどういうことなのか、教えてもらってもいいかな?」
ノーマンの冷静な突っ込みをぼーっとした顔で見ている。あくまで僕は薬を盛られた被害者で、解毒剤のおかげで症状は軽いほうだと思う。上気した顔なのは自分でも分かる。息だって上がってる。でも、案外頭は思ったよりも働いてくれているようだから。
ノーマンが僕を探す時に教師に声をかけていたのか。廊下から複数の足音が聞こえてくる。声もする。教師以外にも友人達も一緒だったようだ。
扉の向こうから見える教師や友人達に力なく横たわる僕はどう見えるのか。そして、ノーマンが咎めるように腕を掴む相手は、怯えた顔で、でも間違いなく僕の一番近くにいる。
「クラーク!? ノーマン一体これはどういうこと?」
貴学院に入学してからの友人の一人が一際大きな声を上げた。教師は僕に真っ先に近付いて、僕の体調を気遣ってくれている。そして、腕を掴まれたままの令嬢に対し、冷たい視線を向けている。
「これは、普通服用することなんて有り得ないものを、彼に使った…という状況でしょうか」
見抜いたかのように指摘する教師。そう、たまたまノーマンが声を掛けた教師というのが薬師の資格も持つ教師だったことで、僕が口にした薬を特定したのだろう。
何分、独特の匂いがする薬だから。特定の薬草を使う薬で、ジャスミンに似た匂いだ。…カフェテリアで出されたお茶はジャスミンティーだったことを思い出していた。
そして、子爵家の一族の中には薬師がいる。だから薬を入手するのは困らない。実際この女は何かしら色々やっている。そこも調べ上げている。
でも、それを脅しの材料にはしない。家同士の対立なんてことにはしたくないから。色々やってる中にこの女が率先してやったことが案外少なかったから。つまりは当主が狙って何かしているってことだろう。
もしかしたら僕もその狙われている対象だったのかもしれない。そしてこの女と当主の利害が一致した、なんていう嫌な予想をしてみる。当たってても嫌だけど、なんとなく外れていない気はしている。
教師はこの女の腕を掴んでいるノーマンにそのまま教師と一緒に来るように言っている。
他の友人達は僕を抱き起して、なんとか支えながら旧学舎から連れ出してくれた。
「オキシペタラム君は一度医務室へ行って診てもらった方がいい。君達は彼を連れて行ってほしい。それから彼女は君に頼む」
「分かりました。クラーク、大丈夫?」
「先生、それに君らも。助かりました…ありがとうございます」
僕が小さくそう返せば、皆がホッとした様子をみせた。ノーマンは僕に「大丈夫か?」と言いながら、「後はまかせろ」と小さく耳打ちしていった。それに僕が頷き、この後は予想通りの展開となった。
マーガレットを階段から落としたあの女には僕にしたことが表沙汰になることはなかったが、最終的にはマーガレットを階段から落としたことが最大の原因となり退学処分が下った。
ノーマンがあの女の手に残されていたひっかき傷があったことを確認していた。
故意に手を乱暴に扱って包帯を取ったらしい。傷口を確認してから包帯を巻いたとノーマンが言っていた。
そして、マーガレットが骨折した時に医務室の医師に背中を押した相手にひっかき傷を付けてしまったことを伝えていたことで、貴学院内に同じようなひっかき傷がある人物がいないかを探しては、傷がいつ出来たのかを確認するところまでしてくれた。
そうして確認出来たのは、同じようなひっかき傷がある学生はあの女だけだったこと。ひっかき傷が小さなものであれば、何人かいはしたが、どの学生もマーガレットが階段から落ちる前から傷があったと彼、彼女らの友人達の証言も得ている。
実際にどの学生も傷が治りかけだった。あの女の傷以外は。その為、貴学院でも僕への行いやマーガレットへの傷害事件のこともあって、退学処分を下す一択だったそうだ。
貴学院を卒業できない貴族の令嬢は、結婚出来ないと言われている。
貴族として貴学院を卒業することが一種のステータスであることもそうだが、実際問題として社交界での立ち位置が決まるのが貴学院在学中の交友関係に大きく関わってくるからだろう。
学生の間に貴族としての振る舞いや令息令嬢としての振る舞い、他にも当然多く望まれている資質があるわけだけど、それらの篩から漏れてしまうようであれば、卒業後の令嬢としては失格の烙印を押されかねない。
それが、退学となれば言わずもがな。
僕がマーガレットを傷付けたあの女達を許すわけがないのだから、貴学院から退学していただくしかないと思うのは、これもあってのことだった。
これはマーガレットが骨折し、長期間貴学院を休んでいた間の出来事だ。
マーガレット自身は身体的には骨折というダメージを受けていて、それでも気丈にも笑顔を見せていた。実際には精神的にかなり参っていたようだ。僕が見舞いに行くたびに、虚ろな瞳を向けるようになっていたから。
だから、少し…言ってみたんだ。
「ねぇ、幼い頃に想い合った相手がいたと聞いたんだけど。それは…今もなのかな?」
「……そんな過去も、あったというだけのことです。誰からそれを?」
「何番目だったか…僕の恋人が教えてくれたんだよ。マーガレットが不実な婚約者だから、婚約破棄すべきだってね」
「…まぁ。子供の頃のことですのに。きっと私のことを良く思わない方だったのですね」
「………そうなんだろうね。だから、別れたんだけどね」
マーガレットは薄く笑って、遠くを見ているようだった。あぁ、マーガレットも壊れて来てるのかな。ちょっと嬉しいな。このまま壊れてしまえば、僕に依存するように仕向けるだけなんじゃないのかな。そんなことを思って、僕はほくそ笑んだ。
(僕のマーガレット。早く僕の所に堕ちてきて)
そんな昏い気持ちがいつからか心の中を占めるようになってきていたことを、僕は気付いていなかった。
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