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私が以前の生で婚約者だったクラークとすれ違った時だった。私は彼に気付いてはいたけど、彼は私のことを知りもしなかった。だから、私は彼を見なかった振りをして隣を歩くネリネ様に声を掛けていた。
「ネリネ様、今かr!?」
私の腕を誰かが掴み、私は一瞬のことで驚きが勝ってしまって動けなくなった。本当に唐突だった。
驚きのあまり私は腕を掴んだ相手の顔ではなく、掴んでいる腕を睨むように見つめてしまっていた。ネリネ様はすぐに相手の手を手刀で叩き落としていた。彼女の家系は騎士輩出をしているため、彼女自身も剣の嗜みがあった。
私は掴んだ相手がクラークだと気付き、一気に指先から血の気が引いて、冷たくなっていくのが分かった。
体が震えてしまうのではないかと思う矢先の、ネリネ様の対応でなんとかなった気がする。
「あなた、失礼ではありませんの? か弱い女性に突然声もかけることなく体を触るなど、紳士ではありませんね」
彼女に一息に言われてしまえば、クラークも言い返せなかったようだ。以前の彼では傍若無人に振舞って私のことなんて振り向きもしなかった。それがこうして私に興味を持ったかもしれない? でも、それは有り得ないこと。私達の間には何一つ関わり合いがないのだから。
彼は何も言わないまま去って行った。
どうして…知り合いですらない私のことを彼は…。なんだか気味が悪くて仕方なかった。
彼女のおかげでその場は難を逃れた。本当に彼女には感謝しても足りなかった。
「マーガレット様は華奢で、儚げで、守ってあげたくなるような可愛い方だから、その左手の指輪を見て分かる子息や婚約者がいるということを知っている方々は大丈夫ですけど、そうではない子息達からはかなり視線を集めてらっしゃるのよ。充分気を付けてくださいね」
そんなことをネリネ様から告げられれば、自分がそんな風に見られてるなんて全く思いもしなかったから、戸惑いの方が大きかった。でも、それは全くの出鱈目でもないのだと思い知らされるようになった。
なぜなら、クラークが私を待ち伏せするようになったからだ。
始業前や休憩時間、お昼の時間などは私を誘うために毎日のようにやって来ていた。いつも一緒のネリネ様や、隣国のアンジェリーナ王女殿下、他にも高位貴族の御令嬢方のおかげでクラークからは逃げることは出来ていた。
「ねぇ、君ってコキア男爵家のマーガレット嬢だよね? 僕と付き合ってみない?」
そんな風に声を掛けられたのは、いつもなら一緒に過ごすネリネ様と別の用があって一人で行動していた時だった。私はクラークの言っている意味が分からなくて、何よりもうすっかり思い出すこともなかった《クラークから殺され続けた記憶》が蘇ってきて、恐怖のために声を出すことが出来なかった。体が竦んでしまっている。クラークは気付いていないかもしれないけど、体が恐怖で震えている。
「僕はクラーク・オキシペタラム。嫡男だから次期伯爵だよ。男爵よりも爵位は上だし、かなりお買い得だと思うんだけどね」
私は必死に頭を横に振ることで全否定することしか出来なかった。
偶然なのだろうけど、たまたま出くわした場所に誰も通りかからない。いつもなら誰かいるような場所なのに。だから、私は逃げるために周囲を見るけど、助けを呼ぶのも無理な状況だった。そして…あの日。…学年が上の男子学生に絡まれた場所…。誰かが助けてくれたからなんとかなったけど、それでも…やっぱり怖い。
「ねえ、こっち見てよ」
突然腕を掴まれ、クラークに引き寄せられるように間合いを詰められてしまえば、私はただただ後退るように足を後方へ動かそうとするけれど、どうしても相手の力に負けてしまってそれも叶わない。
嫌だ、気持ち悪い。ただただもうそれだけで、顔を俯かせてクラークの視線を見ない振りしながら、逃げる術を考えていた。その時だった。
「そこの子息は、か弱い令嬢に何をなさっているのかしら? どう見ても無理矢理令嬢の動きを封じている、というようにしか見えないのですけど?」
聞こえた声は、隣国のアンジェリーナ王女殿下のものだった。そして、殿下の護衛としていつも一緒にいる騎士達が動く音も聞こえた。
「マーガレットの手を自由になさい。私の大事な友人に無礼な真似は許しませんわ」
クラークの背後に騎士達が立ち、殿下が気付けば私のすぐ真横まで来ていた。そして、私の腕をさり気なく撫でた後、手にしていた扇をクラークに打ち付けていた。さすがのクラークも痛みで私から手を放し、やっと私は解放されたのだった。
代わりにクラークは騎士達に掴まれ、私に近付かないようにと強く言われていたようだった。騎士達から解放された後は、急いで走り去っていった。
殿下のおかげで安堵したのと同時に、体も震えも徐々に収まっていった。
「マーガレット、大丈夫? 偶然通りかかったから良かったけど、一人で動くのはもう絶対やめてね。私心配だわ。
あの男、確か婚約者がいるのに他の令嬢達と色々噂のある者だったわね。最低だわ。あんな男にマーガレットが目を付けられるだなんて!
ああ、マーガレットが穢されちゃう…心配よ。私の護衛を貸したいくらい! いいえ! 貸すわ!!」
「助けていただいて、ありがとうございます。……とても、怖かったから…本当に、ありがとうございます。
えっと、これからは気を付け、ます…。だから、護衛の方の話は……。冗談、ですよね?」
「……あら、冗談ではなくて本気なのだけれど。ダメかしら?」
「殿下の、御身のほうが、大事ですー!」
そんなやり取りがあったその日、私はカラー邸に戻ってからたまたま王都に戻ってきていたトレイシーに相談した後、侯爵様や夫人にも相談をした。
クラークは以前の記憶と変わらず、多くの令嬢達と交流をしていたし、恋人もいた。ただし、婚約者は当然私ではなく、アイビー家の次女だった。けれど、次女の性格はかなり強気で我儘なところがあった。だから、クラークとは私とも相性は最悪だったが、もっと酷い関係のようだった。学舎内でよく二人が言い争う姿が見られるため、ある意味有名な人達でもあった。そんなクラークに目を付けられたのかもしれないと思えば、私はアイビー家で従姉妹達からされた嫌がらせを思い出してしまったのだ。
それに、クラークが気持ち悪かった。
トレイシーは私のことをとても考えてくれているのだと、改めて感じた出来事ともなった。
「…怖い思いをしたな。ごめん、こういう時同い年なら学院で守ってやれるのにって…思ってしまうよ。その辺りはお父様と対策を講じるよ。でないと、マーガレットがまた心を病んでしまう。それは僕も嫌だ。せっかく笑えるようになったんだから」
「…面倒なことに、巻き込まれてるようで、怖い…。いつもトレイシーには面倒…なことを押し付ける、みたいな形になってる…よね、ごめんね」
「いや、謝らないで。マーガレットは悪くないから。それにしても…婚約者でもないのに、僕のマーガレットに手を出そうだなんて許せない…」
「留学中の、隣国の王女殿下と…交流をさせていただい、てるんだけど、殿下が助けてくださって…。本当に、怖かった…から、嬉しかったの」
「うん、良かった。マーガレットのこと助けてくださるくらいだから、マーガレットのことを本当に友達だと思ってくださってるんだろうな。いい友達に出会えたね」
「私も…そう思う、よ」
私とトレイシーはしばらく二人きりで、離れている間のお互いのことを話しながら、ゆっくりと過ごした。
私はトレイシーと婚約をしてから、今までずっと嫌なこともあまりなくて、穏やかに過ごしてきてる。でも、クラークが近付いてきたことで、悪いことがあるんじゃないか? と不安になってしまったのは本当だった。
でも、そんな私にトレイシーは大丈夫だと伝えてくれる。
「マーガレットは今まで一人で頑張ってきた。でも今は違う。だから、周りにいる人間に頼ってほしい。今まで頑張ってきた分、僕が守るから大丈夫」
「ありが…と、トレイシー」
私はトレイシーのおかげで、以前とは違って生きることを当たり前のように、考えられるようになってきていると思う。そんな自分が私は気に入っている。
…以前の婚約者とのことは凄く怖いし、逃げ出したいと思う私がいるのも本当だけど、今の自分を信じたいと、強く思った。
お読みいただきありがとうございます。
次からまた別人視点になります。しかもしばらく続きます。
舞台裏的な側面もある内容なので、短くまとめられず予想外に長くなりました…(遠い目)
誤字報告助かってます。ありがとうございます!




