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王立貴学院の入学のために私は王都へ向かった。王都にコキア男爵家のタウンハウスはない。だから、カラー侯爵家に滞在することが決まっていた。
義母になることが決まっているカラー侯爵夫人は、私を本当の娘のように可愛がるあまり義兄になる二人や侯爵御当主からしばしば苦情を訴えられていた。でも、必ず夫人はこう言うのだ。
「こんな可愛い子が娘になるのよ? 貴方達だって可愛がらずにいられるの?」
私は自分のことだから、なんとも言えない。でも、三人は夫人のその言葉に降参と言わんばかりに、項垂れるのだ。
「母上の仰ることは否定出来ません。だから、それはいいんです。けれど、限度を考えて欲しいんです。母上だけがマーガレットを可愛がっていたら、私達も可愛がれないんですよ。出来れば…私達も大事にしたいから、その分も残してほしいんです」
「いやよ、早い者勝ちなんだから」
「だから、そこは…本当勘弁してください。僕だってマーガレットの勉強を見てあげたいのに、母上がそのように常に一緒にいては、自由な時間もないじゃないですか。マーガレットも窮屈ですよ」
「…あら、本当ね。それは…ダメ、よね。あらあら、本当私ったら、浮かれすぎてるわね」
「お願いしますよ。それにあまりマーガレットに構ってばかりでは父上も拗ねますよ」
「え? そうかしら?」
「……今私に責任転嫁しただろ?」
カラー家は本当に仲の良い家族だと思う。だから、記憶に仕舞いこんでいるアイビー伯爵家のことを思い出すと、雰囲気が全然違っていて安心してしまう。婚約者であるトレイシーは今ここにはいないけど、でも領地と王都を行き来しながら学んでいくらしいから、決して私達は離れ離れではない。
それに十四歳というのは貴学院入学という年齢で、社交界デビューの年齢でもある。ただ、以前も社交界デビューはしたけれど、後は一切表立ってパーティに出たことはなかった。
今回はトレイシーがコキア男爵領にほぼずっといる状態だから、どうなるのか分からないけど。
何もかもあの頃とは違う。だから、もう今の私は死を望むような日々を過ごしていない。繰り返し何度も殺されたことを思い出す前と全く同じとはいかなくて、言葉が詰まってしまってうまく言えないという弊害は残ってしまった。でも、ちゃんと気持ちを伝えることは出来るようになった。
そして、そんな私のこともカラー家の皆が大事にしてくれる。それは義兄二人の婚約者の義姉様達も同様だった。皆から大事にされることで、私自身が以前のように絶望する理由がなくなっていくのも感じていられた。
入学式当日、朝を迎えると、何故かそこにはトレイシーがいた。無理をして戻ってきたらしい。
この秋の時期は収穫の時期と重なるため、領地は多忙なのだ。その合間を縫うように来てくれたのかと思うと、私は嬉しくて涙が出てしまう。それに慌てたトレイシーが私の涙を拭ってくれる。
そんな様子を見かけた下の義兄に揶揄われてむくれたトレイシーだったが、私達は一緒に学院に行くことになった。トレイシーは保護者ではないけれど、婚約者として保護者みたいなものだ、と言い張ったせいでもあった。
トレイシーという人は、とても背が高く、それなりではあっても体を鍛えているせいで肩幅も広い。だから、とても男性的な体付きだ。それにとても整った顔立ちは、もう少年らしい面影もなくなりすっかり青年になっていた。その体付きと同じで顔立ちも男性らしさが滲んでいる。けれど、性格の穏やかさも現れているためかとても親しみやすい雰囲気だった。だから、友人も多く、それは男女問わないようだった。もちろん、女性の場合は婚約者のいる方ばかりで、その婚約者の方共々付き合うという形だったらしい。おかげで、彼が特定の女性との噂が立つことがなかったようだ。それ以前に私にとっては王都から離れた領地にいるため、そんな噂が届くこともなかったのだけれど。でも、トレイシーなりの誠実な態度だったのだと思う。
そんなトレイシーは、貴学院入学式のためにやって来た会場で周囲の令嬢や夫人達の視線を集めていることに気付いていないようだった。私はそんな彼女達の痛い視線が、とても辛かった。それはそうだ、彼とは似合わないのではないかと思えるくらい、子供っぽい自身の体付きに涙が出そうだ。きっとこれから女性らしい体付きになってみせる! と思いながらも、それが難しいことを以前の記憶から分かっている。それでも、夫人や侍女達に助けてもらいながら体を磨き上げられている日々だ。
「マーガレット、王都に来てから随分綺麗になったね。髪も艶々だし、肌なんて元々綺麗だったけど、透明感が増していて触れたら壊れてしまいそうで、怖いくらいだよ」
「え? あ…えっと、お義母様が色々と気遣ってくださって、お手入れも侍女の皆さんに指示してくださってて…それで、えっと……」
「うん、大丈夫。というか僕の方が心配になる。さっきからマーガレットのこと不躾に見て来る奴が多すぎる」
「え? トレイシーを見る御令嬢達ばかりじゃ…ない、の?」
「ん? いやぁ、マーガレットへの視線がもう許せなくてさ。僕の婚約者だからね、そこをちゃんと判って貰わないとね。ほら、指輪。毎日つけて行ってね」
「もちろん!」
「良かった」
私をエスコートしてくれている右手ではなく左手を逆の手で取り、薬指に軽く口付ける。私はその様子にもう真っ赤になってしまって、トレイシーに文句を言うしかなかった。
「ひ、人前ではやめてください!」
笑いながらごめんと言われても、信頼できないよー! と、大声で言いたい私しかいなかった。
入学式を無事終えると、各教室へと移動となり、クラス担任とクラスメイト達の自己紹介になった。
隣の席になった子爵令嬢のネリネ様と、話をしてみると、本が好きだったり、花が好きだったり、趣味が似ているところがあり、とても気さくな優しい人なのが分かった。そして、他にも席の近い他の令嬢達とも親しくなり、貴学院では親しく付き合うお友達というものが初めて出来た。
今までは婚約者のせいで、友達なんて一人もいたことがなかったから。
明日から通常の授業になるという簡単な説明が終わると、もう終わりとなった。
トレイシーがわざわざ待っていてくれて、一緒に帰路につくことに。途中、私を以前苛めていた従姉妹がいるのを見かけたが、彼女達が私のことを知ることはないだろう。だからこちらから関わることもない。
入学式の翌日からなら従兄も見かけることはあるかもしれないけど、私は関わるつもりもないからいい。従兄には親切にしてもらった記憶はあるし感謝もしているけど、あの頃のことだ。今とは違う。だから、彼とも関わる理由はない。そして、そのことに特に感じることもない。これでいい。
馬車の中で、隣り合って座る私達は、隣の席の子爵令嬢と仲良くなれそうだと話すと、以前の記憶のことを話していたこともあったせいだろうか、トレイシーは安堵していたようだった。
「良かった。友達出来そうで安心した。以前は…ずっと一人だったんだよね?」
「うん。他にも話を…した人達もね、いい人そう、だったの」
「友達は大事だからね。僕も得難い友達を作れたし。今度紹介するよ」
「楽しみ、にしてるね」
私達は学院の話をしながら、侯爵邸に帰ったのだった。
それから、私は穏やかに貴学院を問題なく過ごしていた。
途中、別のクラスに転入生が来たことで、どうやら一部の男子生徒達や婚約者の間でトラブルらしいものはあったようだけど、私には一切関係なく過ぎていった。
貴学院が年に一度だけ開催する貴学院祭は学院がどういう場であり、学生達の勉学の成果を周知するという目的があり、一般に公開される。その為その準備で大変だったり、その学院祭の最終日の後夜祭では生徒限定でダンスパーティがあるのだが、婚約者がいる場合のみ、学外の者であっても参加出来るという特例があるため、毎回トレイシーは私の為に学院に足を運んでくれるのだった。
そして、先生方には二人揃って揶揄われることが多く、正直言えば困ることばかりだったけど、先生方からトレイシーの学生の頃の話を聞ける機会でもあるため、色々と質問をしてみたりしてトレイシーに咎められるのだった。
§
私とトレイシーは御揃いの指輪をしているが、この指輪の習慣は実はこの国のものではない。隣国でのものだというのを、偶然図書館で知り合った隣国から留学で来ているアンジェリーナ王女殿下から教えていただいたことだ。私が自国の習慣を取り入れていることに、とても感動なさったとのことだった。
私もこの指輪のおかげで、トレイシーと離れている時間があるだけに、とても彼を身近に感じることが出来るので、素敵な習慣だと伝えると、そのことも喜ばれていた。
この頃になると、王女殿下のおかげで、もっと高位貴族の御令嬢方ともお話しをする機会があった。彼女達は皆婚約者がいる方ばかりということもあり、気兼ねなく話せる部分でもあったのだ。
「けれど、トレイシー様の御心配はよく分かりますの。だって、マーガレット様ってとても可愛らしいでしょう? 絶対に傍を離れたくないっていうのは、嘘ではありませんわね」
「トレイシーと、お知り合いですか?」
「はい。実は私の婚約者のお友達ですの。ですから、二人でよくマーガレット様のことをお聞きしておりましたわ」
「え? え? あ、あの…恥ずかし…い、うう」
「そういうところもですわね」
御令嬢達はだいたいトレイシーの友人枠の方達であり、婚約者の友人という形でもあった。けれど、彼女達は私に好意的で本当に良くしていただいた。男爵家の低位貴族でもあるにも関わらず、親切にしてもらっているのは、間違いなくトレイシーのおかげだろうと思うことばかりだった。
そのことをトレイシーに伝えれば、間違いなく首を横に振る。そしてこう言うのだ。
「そんなことないよ。彼女達の性格はよく知ってるけど、穏やかな人達だ。マーガレットの性格や性質を好むんだよ。何かあっても彼女達がマーガレットを助けてくれるよ。僕の言葉だけで君のことを守るなんてことはないよ」
「そうなの? でも…トレイシーのことでいつも…」
「あー…それ、揶揄われてるよ。マーガレットって、少し言うだけで真っ赤になるし、見てて可愛いからさ。御令嬢達はそんな君が可愛くて仕方ないのさ」
私の学院生活は本当に充実していた。そして、卒業を控える頃になると、成績のことが話題が中心になっていった。私はすぐに結婚を控えていることもあるし、その後は領地へ戻って、トレイシーと一緒に領地運営をすることになる。だから、特に職業ということは考えたことはない。
でも多くの学生達はそれぞれの夢もある、でも現実もある。そのこともあって、希望を叶えるために必死で成績を上げるしかないと大変そうな人もいた。最初から卒業後のことが決まっている学生の場合はまた少々事情は違っているようだったけれど。
一番親しくしているネリネ様は、婚約者と共に領地に戻るという話だった。私と似たような境遇でもあったから、余計に気が合ったのかもしれない。
そんなのんびりとした空気を醸す学生と、将来のことで殺伐とした空気を醸す学生という両極な状況がある日々は少し落ち着かないものがあったけれど、皆が将来を見据えて動いている様はとても眩しいもののように感じられた。
お読みいただきありがとうございます。
次からトレイシー視点になります。
誤字報告ありがとうございます!




