第60話 3月1日(月)⑦
結局、昨日ちゃんと話せたわけではないようだったが、瀬川くんは「学校に行く」という言葉を、朝井さんに送った。それだけでも良かったと思う。
朝井さんからすれば、そんなメールの一つだけでは感情が見えず、不安だったのだろう。だけど今日の瀬川くんを見て、その心の奥を感じることはできた。
「ま、そんなことはどうでもいいんだけど、俺、引っ越すことになってるから」
唐突に、瀬川くんがあっけらかんと言った。
「え?」
朝井さんはすでに聞いていたのか、そのことについての反応は無かった。
直感的に事故のことと結び付けてしまう。瀬川くんは軽い感じで言っているが、もしかしたら、ドラマや映画なんかで見る、事故の加害者家族としての苦労があったりするのだろうか。だけど、それを口に出して聞くことはできなかった。
「それで、多分そこで、予備校探す」
「予備校?」
「それ本当よね?」
僕と朝井さんの問いかけに、瀬川くんは「多分ね」とはぐらかす。
それから、「でもなぁ」と瀬川くんは思い出すように息を吐いた。
「考えるとさ、あんなことやると余計に目立つだけだよな。失敗したかな」
卒業式のことに話が戻っていた。自分のやったことが、今になって頭の中をぐるぐる回っているのだろう。
「そんなことないよ」
朝井さんが、瀬川くんへまっすぐに声を上げた。
瀬川くんの表情がフッと引きしまる。そして朝井さんと、僕を見る。
「あのさ、俺の母親はさ、なんか俺に対してすげえ責任を感じてるみたいなんだ。本当にずっと泣いてる。だから今は、何とかしなくちゃいけないんだよ」
決意を感じさせるような言葉だった。それを皆がかみしめるように、少しの沈黙が訪れる。
そして、瀬川くんが再び口を開く。
「悪かったな、謝るよ。泰樹くんも……香澄も」
こちらを見て、そしてゆっくりと、朝井さんの方を向いた。
照れくさそうにしながらも、瀬川くんの表情は、やはりすっきりしたようだった。堅苦しいものは何もない。全てを吐き出せたろうか。そうでなくても、とりあえず、やるべきことが、やらなければならないと思えることができた。
僕のことなんでどうでもいい。ここは、瀬川くんと朝井さんの場所だ。
「あの、こっちこそごめん、色々、勝手なことばっかり言った」
「素直だな」
朝井さんの言葉に、瀬川くんがおどけた。
二人の様子に、なんとなく、もうそういう関係ではなくなったのかなと思った。どちらが何を言ったわけではないのだろうけど、二人ともそう思っている。何の含みもない言葉のやり取りで、お互いを探るようなものを感じなくなっていた。
そして思う。朝井さんも大学のために引っ越すらしいし、瀬川くんが引っ越すとなると、このままこの街に残るのは自分だけになる。もちろん、この幼馴染三人というくくりに何の意味があるかは分からないけど。
「あと、泰樹くんさ」
口調を変えてこっちを見たのは朝井さんだった。
「さっき、いっちゃんとちょっと話したんだけど、やっぱり別れちゃった感じ?」
唐突な言葉に動揺する。
「は? 泰樹くん、市川と付き合ってたの?」
「あれ、知らなかった?」
瀬川くんのそう言った朝井さんの口調がものすごく棒で、妙に笑えた。
「まじか」
驚いている瀬川くんをよそに、朝井さんは、
「まぁ、それは仕方ないんだけどね、もしも、もし会う機会があったらでいいんだけど、泰樹くんからも言って欲しいんだよね」
また、会う機会があるのだろうか。
「あたしのこと、気にしないでって。結構気にしてるみたいでね。さっき、すごい謝られちゃって、別にいいよとは言ったんだけど」
意味が分からず「え?」と聞き返すと、朝井さんは「あ、そうか」と言い直す。
「あのね、泰樹くんが知ってるか分からないんだけど、あたしと竜、先週、学校でちょっと目立つような喧嘩しちゃっててね」
「あ、うん……」
そのことか。ぎこちなく頷く。
「あ、やっぱり知ってるんだ? 結構色んな人が知ってるみたいで、かなり恥ずかしいんだけど……ま、それはともかくね、いっちゃん、そのときすぐ近くで見てたんだって。でも、そのことであたしに声をかけられなくて、ごめんって。さっき、ようやく言えたんだって。別にいいのにね。あたしだって、友達のそんな場に居合わせちゃったら、何もできないよ」
「そう、なんだ」
「うん」
恥ずかしげに笑う朝井さん、僕の両親が亡くなったときに何もできなかったと話をしてくれた。感情を繕っている僕に気付きながら、何もできずに罪悪感を持っていた。
だけど、それとは別に思うこともある。
「それは、僕も同じだね」
言った。
朝井さんは、すぐには意味を理解できなかったようだが、少し考えた後、
「え、泰樹くんもあの場にいたってこと? うそぉ」
「そうだよ」
「ああ、そういえばいたな、泰樹くん」
瀬川くんが笑った。あんなにはっきりと目が合ったのに。わざとそんな風に言ってくれているのだろうか。
「竜、知ってたの?」
「今思い出した。別に誰がいたとかいちいち考えてなかった」
「そう、なんだ」
苦笑いを返す。
あのとき、僕はかなり意識してしまっていたが、当の本人そこまでのものではなかったのか。いや、気遣って言ってくれているだけかもしれない。何もできなかったというのは何も変わらないけれど、少しだけ、楽になったような気がした。
「そっか、いっちゃんも泰樹くんも、似たような立場にいたわけだ」
「ごめん」
謝ると、朝井さんは困ったように笑う。
「いや、謝れられる理由が全然分かんないけどね。でもなんだかな、やっぱ結構見られてんだなぁ。また恥ずかしくなってきた。そっか、ああ、なんだかなぁ」
もう笑うしかないようだった。瀬川くんも似たような感情なのだろう。
「ま、でもいろいろごめんね、ありがとう」
そう朝井さんが顔を上げる。
「ううん」
こちらこそ、誤られることも感謝されることもしてない。それでも、少し、気分が晴れていた。




