第57話 3月1日(月)④
教室へ戻ると、最後のホームルームが始まった。
クラスの担任は、途中で江川くんについて触れはしたものの、瀬川くんのことには触れなかった。触れるとなれば、必然的に、瀬川くんのお父さんのことを話さないわけにはいかなくなるからだろうか、なんて思った。
そして、場所が移動したからか、少し時間が経ったから、卒業式でのようなふわふわした雰囲気はなく、みな、しっかりと話を聞き入れられているようだった。
それから、生徒ひとりひとりの名前を呼び、通知表を渡すとともに言葉をかけた。どの生徒にも、くだけた表現で言葉を紡いだ。そんな表現ができるのは、より近くで見ていたからなのだろう。
僕には、
「水穂は、色んないろんなことを考えたな。よく頑張ったと思うよ。これからもそのままの調子でいいから。でも、決して無理はしないように。あともっと羽目を外してもいいぞ」
少しだけクラスから笑いが漏れる。最後には「卒業おめでとう」と言葉をしめた。
両親ことも、バイトのことも知っているからの言葉だろう。就職のことも、進路相談で何度か二人きりで話した。でも、頑張ったかどうかで言うと……なんていう自己問答も、どこか虚しかった。
通知表の中身についてはたいして気にならなかったが、一応確認すると、五段階評価で4と3が半々くらいで、いつも通りだった。特徴のない成績。
全員に配り終わると先生は、
「じゃあ最後に、先生からみんなへ」
と改めて話をした。
「これから皆さんは、それぞれ違う道を歩くことになります。その中で、先生の希望を言います。それは、色々な経験をして欲しいということです。勉強でも、仕事でも、恋愛でも、何でもいいです。それは必ず自分の糧となって、未来への選択肢を広げることができます」
先生のトーンにクラス全員が耳を傾けているのが感じ取れた。
「もちろん、悩んだり落ち込んだり、困難に直面することもあるでしょう。最近は、昔に比べると逃げることにも寛容な世間になってきていて、もちろん、そういった選択をとることも重要です。ただ、それだけを考えないで欲しいと思っています。問題に直面したとき、逃げるか戦うか、その選択ができるようになって欲しい。それを選択するためには、やっぱり経験が必要となるんですね。ただ、もちろん焦る必要はありません。皆さんそれぞれ性格は違いますし、向き不向きもあります。ある人が二十歳で乗り越えられることでも、別の人は三十歳になっても乗り越えられないかもしれない。それは何もおかしなことではありません。だけど、いつかは戦えるようになって欲しい。諦めないで欲しい。……え~、まじめな話で少しむず痒いですが、もう少し続きます」
「先生照れないで」
生徒の誰かが声を上げて、笑いが漏れる。
「ありがとうございます。みんなへの希望はもう一つあって、人に頼られることも、頼れることも、どちらもできる人間になって欲しいということです。逃げることも重要と言いましたが、それでもこの先、無理をしなければならないというタイミングが必ず来ます。そのとき、自分だけで抱え込まずに、できれば誰かを頼って下さい。そして誰かを頼った人は、別の誰かに寄り添ってあげてください。困っている人の気持ちがよく分かるはずです」
担任は息を整えてさらに続ける。
「もちろん、逃げる選択が最良の場合もあります。だけど逃げると、これも絶対と言いますが、いつかどこかで必ず同じ困難に直面します。一回目は逃げてもいい、だけど、二回目は戦えるようになって欲しいし、難しければ三回目でもいい。そのときまでに、いろんなものを感じて、いろんなことを経験してください。それによっていろんなものの見方ができるようになります」
そしてもう一つ息をついて、
「最後に、個人的なことですが、僕は皆さんより二倍以上生きているので、皆さんからすればおじさんだと思いますが、先生たちの中に入れば、僕はまだ若いと言われます。偉そうなことを言いましたが、僕も経験は少ないです。皆さんからいろんなことを感じ、考え、学ばせてもらいました。ありがとうございました。これからも、僕の道の中に皆さんがいます。みんな、卒業おめでとう」
先生のそのお辞儀とともに自然と拍手が起こった。
そして、下校――卒業となった。




