第56話 3月1日(月)③
瀬川くんは大きな声で言葉を吐き出す。
「僕は、江川くんとは、同じクラスになったことはありませんし、彼がどんな人だったかは知りません。でも、考えました。子供は親を選べないと言います。でも子供は、親の背中がどうしても視界に入ります。だけど子供は、親が思っている以上に、親のことを知りません。少なくとも、僕はそうでした。だから、江川くんもあまり知らないと思います。江川くんは、それを知る機会をなくしてしまった。とても、無念だと思います。俺が謝って済むことじゃないけど、ごめんなさい」
低く下げた頭をさらに下げ、額を床に押し当てながらも、声量が落ちることは無かった。
がたっと、後方で椅子が倒れるような音がした。そしてすすり泣き、というには大きな泣き声が聞こえてきた。後ろを振り返ることはできなかった、瀬川くんのお母さんなのではないかと、直感的に思った。瀬川くんが言っていた。それまで怒ってばかりだったのに、泣いて謝るお母さん――。
江川くんの母親は、何を思っているのか、じっと瀬川くんに視線を落としている。
僕の両親は、病気だった。いずれ来る可能性も考えることはでき、怖かったいとはいっても、多少なりとも覚悟はできていた。だけど事故であれば、突然の出来事だ。誰も、何の覚悟もできていなかった。それが、どんな喪失感を与えるのか――。
――違う。
そんな理屈っぽく想像できるものじゃない。周りが何も見えなくなって、ただただ怖くて、ただただ苦しくて、ただただこの世の終わりがやってくる。それだけだ。
緊張に支配された体育館、シンとした静かな空間はそのまま。二人とも姿勢は崩さない。
そんななか、二人の先生が、ゆっくりと瀬川くんの前に歩み寄った。そして、瀬川くんを立ち上がらせる。瀬川くんはまっすぐ前を見て、促されたまま体育館の壁沿いを歩いた。
まだ静寂の時間は続く。誰もがその姿を追う。
――。
僕は、立ち上がった。
考えは何もなかった。ただ無言で、静かに立ち上がった。せいぜい服の布がこすれた音が出た程度の行動。
この生徒の集団の中で、一人起立している。
視線が瀬川くんに集中している中、誰にも気づかれていないかもしれない。いや、さすすがに注目されているかもしれない。でも、気にならなかった。
瀬川くんが気付いた。こちらを向く。目が合った。
苦笑いのように、少しだけ口元を緩めて、小さく手首を上げた。
それを見て、僕は座った。
まだ、館内は静かなままだ。
自分のした行為はどうだったろうか。瀬川くんは、何事もなく、静かにしていてほしかったろうか。それは、分からない。
その後、瀬川くんは席に戻り、江川くんのお母さんも席に着き、卒業式は続いた。
卒業証書の授与の後は、もう一度校長の話があり、来賓の祝辞やら祝電の紹介やら、卒業を祝う言葉と将来への激励が読み上げられた。
それから、保護者代表の祝辞、在校生による送辞の言葉、卒業生の答辞と続いたのだが、そのどれもが頭に入ってこなかった。上滑りしたかのような、うまくとらえられない言葉たち。周りも、同じよう感覚に陥っているんじゃないだろうか。独特の空気感。この場にいる誰もが、さっきの出来事から意識を切り替えることができていない。
それでも式は続き、最後に、全校生徒で校歌の斉唱を行うと、教頭の閉会の言葉で、卒業式が終わった。
入場した時と同じように、在校生や保護者、教師、体育館内のすべての人の拍手の中、三年は退場していくことになる。拍手されるようなことを三年間で何かしただろうか、そんな風にも思ったけれど、瀬川くんにはそれを感じて欲しいと思った。
この拍手が瀬川くんに届けばいい。不謹慎かもしれないけど、どちらかの一方的な立場に立つわけにはいかないかもしれないけど、きっと、朝井さんもそう思っている。




