第55話 3月1日(月)②
ここ数日で起きたことが頭の中でもう一度再生さる。一体、何度同じことを再生させているのも分からないほどだ。
あの日、偶然あの場所にいて、幼馴染の二人の喧嘩を目撃した。その後、話をするようになった。簡単に言えばそれだけ。だけど、そんな表現で終わらせられるものではない。朝井さんの思いと瀬川くんの思い。少なからず、その中に僕がいたということもそうだし、それぞれ重たいものを背負っている。
そして、卒業証書の授与が、五組の番になる。
「瀬川竜」
ふっと全ての感覚が、その名前に集中した。視界にはそれだけが映った。
ステージ上には、長身の坊主頭、ブレザーを着た男子生徒の姿がある。
瀬川くんだ。
瀬川くんは、ステージ上で、大きく「はい」と返事をし、それまでの生徒と同じように、校長から卒業証書を受け取った。
遠くて表情は見えない。今、どんな気持ちでいるのだろう。朝井さんか、あるいは瀬川くんのお母さんか、何か話をしただろうか。休むと言っていたけど来た。少なからず、瀬川くんの中で何かが動いたはずだ。
今朝見た夢の中で、夢は所詮夢でしかない。だけど――。
そして五組では、朝井さんも、市川さんも、同じように卒業証書を受け取った。
体全身で呼吸をしているように、体全体が脈を打っている。朝井さんのことも市川さんのことも、考えてしまうことはたくさんあるが、それでも、瀬川くんの姿を見て、三人の姿を見れたことは、良かったんじゃないかと思えた。
卒業式はそのままつつがなく進んでいく――。
しかし「三年六組」という声が響いた後、少し違った景色が目に入った。
ステージ上に向かう生徒の中に、明らかに生徒ではない中年の女性がいた。黒のジャケットに黒のスカートをしたその女性は、保護者席から立ち上がり、生徒の中に混じって前方へ向かう。そして、お腹のあたりで角形の何かを大事そうに抱えていた。
その意味は、すぐに理解できた。
「江川雄吾」
その女性がステージに上がったとき、そう呼ばれた。
江川くんの母親だ。大事そうに抱えているのは、江川くん写真だ。遺影。
女性は校長から卒業証書を受け取った。女性はこちら側を向いて、深々と、長い時間お辞儀をした。
分かるけど、分からない。その光景を見て矛盾した感情が渦巻く。その生徒が、この学校で過ごしたという事実、卒業するという事実。それを知ってもらうため。
――何気なしに受け取っていた証書。これは、この学校の卒業を証明するもの。この学校で過ごしたことを証明するもの。それは説明するまでもなくあたりまえなことだけど、頭から抜け落ちていていた卒業式の意味。違和感を持つ情景が、その意味を際立たせた。
だけど、だ。だけど、ここには瀬川くんがいる。瀬川くんのお母さんも後ろにいるかもしれない。そう思うと、いたたまれない。
当然、悪いことだとも思わない。そうあるべきだ。岸くんや、江川くんと仲の良かった人のことを考えると、それはあってしかるべきだ。
そんなとき――。
女性が写真を抱えたままゆっくりとステージを降りて、生徒の列からははずれて、体育館の隅へ歩みを進めた時、突然、着席している三年生の集団の中で、一人が、立ち上がった。
立ち上がった一人の男子生徒は、生徒たちの間を抜け、女性に向かって歩いていく。
それに気付いたのか、ステージ脇の教師も次の生徒の名前を呼ぶのをやめた。それによって、館内が何か起きたのだと気が付いた。シンと静まり返る。
男子生徒は、長身の坊主頭。
瀬川くん。
心臓の鼓動が、これでもかというくらい強く鳴る。
瀬川くんはそのまま歩いて女性の前で立ち止まった。相手の女性も動揺しているのか、黙ったまま、ぴたりと動かなくなった。
そして瀬川くんは、がばっと腰を下ろし、両手をついた。
土下座の格好だった。
そのまま、大声を張り上げた。
「すみませんでした」
館内全体が、ドクンと脈打ち、釘づけにされる。この場全体の時が止まったかのようだった。




