第54話 3月1日(月)①
三月一日、火曜日。
いつもの朝と同じように、目覚まし時計が鳴っている。
所詮夢。そう思っても、そう思うほど、その内容が頭にこびりつく。おとといの夢も、昨日の夢も、そして今日の夢も、まだ、思い出すことができる。
そして何より昨日の現実と事実。瀬川くんは、今日学校に行くのだろうか。朝井さんは、どうしただろうか。
顔を洗って歯を磨いて着替えをする。いつも通りの朝の支度をした後、携帯を手に取り、何かできることがあるだろうかとあれこれ考えたが、結局何もできないまま時間になり、鞄へしまった。
部屋を出て、学校へ向かう。ここ数日続いていた快晴の天気とは違い、曇った空が広がっていた。
朝のホームルームで、担任の口から六組の江川くんのことが伝えられた。教室がピンと静まりかえる。事前に知っていたか知らなかったかでショックの割合はかなり違うだろう。先生たちの中でも、これを話すべきか、非常に判断を迷ったということだった。だけど、親族の方と相談し伝えることになったと。そして当然のことだけど、瀬川くんの名前が出てくることは一切なかった
それから、卒業式は予定通りに行われる。
なんとなく緊張した空間のまま皆が教室を出て、他のクラスの三年生たちとともに体育館の前に整列する。しばらくすると体育館内から拍手が聞こえ、一組から順に入場して行く。二組の順番もすぐに来て、列の中にいる自分も同様に体育館へ入った。
体育館はいつもとは違う雰囲気に包まれていた。四方に張られた紅白幕が厳かさをかもし、正装をした保護者と、制服姿の一、二年生の綺麗な列が、より儀式的な空気を引き立てる。
前方に並べられた椅子へ、三年全員が十分程度かけて着席する。そうすると拍手が鳴りやんで卒業式が始まった。
教頭の開会の言葉から始まると、生徒全員で国家斉唱を行い、それから校長がステージに立ちスピーチを始めた。「卒業おめでとう」、「三年間良く頑張りました」、そう言った内容を中心に数分間話をした。その次が、卒業証書の授与となる。
一組の担任がステージ脇のスタンドマイクの前に立ち、「三年一組」という声を上げてから、一人ずつ名前を呼んでいく。呼ばれた生徒が、慎ましく静まる空気の中、ステージ上で順々に卒業証書を受け取っていく。
一組の生徒全員が証書を受け取ると、スタンドマイクの前に二組の担任が入れ替わり、「三年二組」と声を上げた。そして、出席番号順に生徒の名前を呼んでいく。
徐々に、自分の順番が近付いているのを意識する。今日、朝起きてから今この瞬間までずっと頭の中を支配している瀬川くんと朝井さん。その中に割って入ってくる緊張感。この大人数の前の、あのステージ上へ立たなければならない。二人のことを考えれば、そんなものは大したことではない。そう思っても、心臓が早くなり、手のひらはぬめってくる。
そして、順番が近づいてきたタイミングで立ち上がる。クラスの列の前、ステージ下、ステージ脇と前の生徒が名前を呼ばれる度に移動していく。そして、
「水穂泰樹」
担任によって、体育館に、名前が響き渡る。
「はい」
意識して少し大きめの声を発する。やはり、耳に入ってきた自分の声は震えている。
ステージ左の袖から、震える足を何とか動かして中央へ移動する。そこで体を左に回転し、腰高の壇をはさんだ状態で、白髪のめがねをかけた校長先生と向き合うことになる。お辞儀をする。壇上に用意されていた紺のハードカバーに入れられた卒業証書を
「おめでとう」
そんな言葉とともに両手で差し出さ、同じように両手で丁寧に受け取った。
それから一歩後ろに下がり、証書を片手に持ち替える。体の向きを戻し、ステージ右袖へ。そこにある階段を下りるため、体を九十度回転し、正面に返す。
体育館全体の様子が目の中に飛び込み、足がすくむ。ここで見ると、より一層その場を情景を把握できる。周囲の紅白幕に、体育館を埋め尽くす人。全校生徒の六百人に、保護者や教師、全体の人数で、八百人くらいにはなるのだろう。個人個人を認識できるわけはないけれど、ここにいる全て人が、この卒業式を見に来ている。
しかしそんな景色が目に入るのも数秒。式の流れに従い、慎重に階段を踏みしめてステージを下りた。すぐに次の生徒の名前が館内に響く。同じように、その生徒はステージ中央で卒業証書を丁寧に受け取っているはずだ。
自分の席に戻り腰を下ろすと、卒業証書を椅子の下に置いた。証書の授与は変わらず続き、ステージ上では生徒たちが次々と卒業証書を受け取っていく。そんな様子を見ているうちに、緊張は徐々に解けていくと同時に、頭の中を埋め尽くすそれが、元に戻っていく。
二組が終わり、三組、四組と続き、体育館内には、僕が知っている名前も知らない名前も、次々と響く。数少ない友人の名前が呼ばれると少なからず気になるが、今はそれよりも瀬川くんが、今日、学校に来ているかが気になっていた。




