第53話 2月28日(月)⑪
いつの日だったかと同じように、香澄ちゃんと二人で歩いていた。
言わなければならないことがある。頭の中でそれを必死に手繰り寄せる。
「竜くんとはどうなった?」
「うん、結局駄目だった」
あっさりと、そんな言葉が返ってくる。心臓の鼓動が早くなる。
「そっか」
感情を取り繕って相槌を打つ。
「ごめんね、心配してくれて」
そして香澄ちゃんは、間をおかずに聞き返してくる。
「でも、泰樹くんは大丈夫なの?」
「え?」
「泰樹くんは?」
有無を言わさぬような口調。
「大丈夫だよ」
気圧されながらも返事をする。
「本当に?」
「うん。心配してもらうことなんてないよ」
「そっか」
香澄ちゃんは一つ息を吐いて、呆れたように、
「いっちゃんにも、そんな感じだった?」
「どういう意味?」
「何も言わなかったのかってこと。自分のことを隠してる。いっちゃんは泰樹くんのこと、もっと知りたいって思ってたはずなのに。一緒にいて気付かなかった?」
「自分のことを知って欲しいなんて思ったことはないよ」
嘘だ。強がりだ。香澄ちゃんは少しの険を見せ、
「そういうことじゃないんだけどね。泰樹くんは何処までもひとりなんだ」
「そうだね」
「肯定しちゃうの? 泰樹くん、本当に大丈夫なの?」
「大丈夫だよ」
だんだん泣きそうになってくる。体の奥の方から、何かせりあがってくるものがある。
「大丈夫なわけないでしょ。いっちゃんは、泰樹くんのこと好きだったはずだよ。泰樹くんはどうなの?」
最近、同じことをどこかで誰かから聞かれた気がする。そのときは――。
あのとき、いつかの学校の放課後、市川さんの言葉がよみがえる。
『今度の休日、二人で遊びに行かない?』
そう言いながら浮かべた恥ずかしそうな笑みが、とてもかわいいと思った。二人で映画を観に行った。ファミレスでご飯を食べた。そのときに、ボソッと言った。
『あたし、水穂くんのこと、好きだよ』
驚いた。びっくりした。そして何より、嬉しかった。それに応えたいと思った。舞い上がっていただけかもしれないけど、確かにそう思った。
「でも僕は、好きって言われたから好きになっただけなのかもしれない」
その口から吐き出されたそんな言葉に、香澄ちゃんは呆れにも似た溜息を吐く。
「それが何? それっていけないの? 別にいいじゃん。ここが好き、あそこが好きって思って、言ってあげなきゃってこと? 確かにそれは嬉しいし、そうして欲しいとも思うけど、でも、多分分かってると思うけど、いっちゃんってそんなに前に出る方じゃないから、だから、泰樹くんとのことは、相当頑張ったんだと思うんだ」
「そう、かな」
「冗談だよね? 怒っていいのかも分かんないけど。泰樹くんってそんなに難しい性格だったっけ。勝手に自己完結しないでよ。それじゃあ何も伝わらないよ」
「市川さんのことは、悪かったと思ってる。会おうと思わなかったわけじゃないけど、元々こっちから誘うことは少なかったし、秋くらいになってからは大学受験もあったし、塾は何曜日だったかな、とか、追い込みの時期だし、とか、今まで誘わなかったのにどうして今になってと思われないか、とか。色々考えてしまって、気が付いたときにはどうしようもなくなってた。悪いのは、僕だよ」
矢継ぎ早に言葉をつなぎ合わせた。なんでこんなに必死になるのか。なんで。
「そうやって、自分をごまかすんだ?」
また呆れたように息を吐かれる。他に何を言ったら納得してくれるだろうか。
「女々しいね。過ぎたことをいつまでも悩んで、言いたいこともろくに言えなくて、それでまた悩んで。自分の頭の中だけで考えて、内にこもって自分を責めて。いくら表面を装ったってしょうがないよ」
香澄ちゃんには似つかわしくない、強く攻めるような口調だった。
だけど痛い言葉だった。本当のことだ。何も言い返せない。でも、言い返さなければならない。終わりにしなければいけない。
「言いたいことは今言った。それに装おうと思ってるわけじゃない」
「言い訳だよ、嘘ばっかりついて」
「いつも言い訳をしてるとは思ってない。嘘だって……」
その後の言葉をはっきりと言葉に出すことができない。当たり前だ。
「泰樹くん、本当に面倒くさいね」
顔を上手く見れない。というより、なんだがよく見えなかった。目の前の香澄ちゃんは、泣いているようだった。でも、その輪郭自体がはっきりしていない。なんだか視界すべてに靄がかかったような――。
ふと、デジャブを感じた。こんな場面、最近見たような気がする。
――夢だ。これは夢だ。
前にあったこの状況は夢で、今のこの状況も夢だ。
そう自覚すると、目の前の香澄ちゃんは消えていた。
嫌な気分だ。こんな夢は見たくない。目を覚まそうとする。頭の中で「起きろ、起きろ」強く念じてみる。
ふと、どこか見覚えのある場所にいた。海の見える場所。少し高い場所から海を見下ろしている。
しかし気持ちのいい海風は感じられない。一面海が広がっているはずだが、視界に靄がかかっていてよく分からない。右を向いても左を向いても同じだった。それでも、なぜかそれがそこだと分かっていた。
不意に、背後から声が聞こえる。
「やっと来た。待ってたよ」
振り向くと、市川さんがすぐそこにいた。
「聞いたよ」
満面の笑みでこちらを見る。
「辛かったでしょ。苦しかったよね」
その声には、心からの同情が乗っているように感じた。
「でも、もう大丈夫よね。一緒の大学に行くんだし。一緒にいれば、きっと、どんなことでも乗り越えられるような気がしない?」
恋愛の歌詞にでも出てきそうな、どこかセリフがかったものだったが、市川さんは笑って励ましてくれて、それでいて市川さん自身も嬉しそうに見えた。僕も嬉しくなる。
「これまでのことなんて気にしないでいいよ。ねぇ、本当のことを言って。水穂くんの本当の気持ちが聞きたい。自分に嘘はつかないで。そうしてくれると、あたしも嬉しい」
考える。自分の言いたいこと、本当の気持ち。
「僕は――」
「うん」
言葉に口にする前に、市川さんは頷いた。
「あたしも、同じ気持ちだから」
目の前の市川さんは、全てを理解していた。
何もかも、都合が良い。
「ねえ水穂くん。あたしと――」
そこで、目が覚めた。




